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2011年3月6日日曜日

保守の難しさ

さすがの当地も、そろそろ春の気配となってきた。

朝起きると明るい。
キッチンのカーテンを思わず開けたくなる。これは春の到来である。
暗闇の中、子供たちを登校させる不安がない。

そして、午前中掃除をする。そんな気になるのも、春のおかげである。
起きたって9時まで夜が明けないのに、誰が掃除なんかしたいものか。

10時半ごろ、まるで職人さんの休憩のようにお茶を入れる。
起き抜けには、いつもコーヒーなのだが、さすがに午前中の休憩はお茶。
気に入ったお茶をいくつか買ってあるのだけど、それを気に入ったポットに淹れて気に入ったティーカップを出して飲む。新聞を開いたりして、ちょっと贅沢。
こんな余裕も春ならでは。

Tee.jpg


午後になると、今度はリビングのほうから、斜めに陽が差してくる。
つまり、一階というあまり好ましくない立地条件でも、それなりにアパート全体が明るくなるのである。
これは嬉しい。
実 はもう22年も欧州にいながらにして、いまだに実感していなかったことであるが、Frühlingsputzというのは、春の掃除という意味で、日本のよ うに大晦日に掃除をするのは、実用的視点から見るとまったく意味がなく、やはり春になってやっと掃除をするエネルギーをもらえるということなのだった。
まるで、冬眠から覚めたようだ。

________________

実は、先日Guttenberg氏が、国防相を辞任して以来、なんだか寂しくて仕方ない。
思ったことを、ほろ酔い気分のまま(現在夜中)、ちょっと殴り書きしてみる。
正確な情報を確認しないまま、うろ覚えで書くので、間違っていたらすみません。


私は、彼は余儀なく失脚すると予想していたし、あの博士論文を見たからには、嘘つきと思わずにはいられなかった。
あんなものを提出したのは、冒涜とも取れるし、悪質であるといやな気分になったのも事実である。

しかし、なにかが心に引っかかった。
あの辞任の表明が、あまりにも潔く、kurz und knapp、つまり何かのせりふを聞いているかのような、ある種の美しささえ感じただけに、またそこから皮肉なことに「嘘」の匂いさえ嗅ぎ取ってしまったのだ。

貴族の出である。
フランケン地方の古いGuttenberg家出身で、男爵の称号を持つ。
父親は指揮者であり、母親は彼が5、6歳のころに離婚して家を出ている。
弟と共に、腹違いの兄弟4人と共に育った。ローゼンハイムのギムナジウムを卒業した後、法科では有名なバイロイト大学で法律を学び、博士号を取得したわけである。

この一家は、古くから自分の家系の財産管理会社を運営するほか、病院の株を持っており、実質的に彼も監査役であった。そのほか、プファルツ地方にワイナリーも所有し、いわゆる屈指の貴族なのである。

そういう慈善行為、ワイナリー経営、病院監査役などの役割をこなしていくことで生活していく貴族のボンボンに納まりきれなかったのが、このKTと略される、Karl Theodor zu Guttenbergなのであろう。
そういう意味では、あまりぱっとしない指揮者である父親にも、そうした野心があったと考えてもよいのかもしれない。

政治、あるいは学術の世界で「も」認められたい。
この「も」は重要で、彼はカヴァリエ祭で賞を授かるなど、貴族の息子としてスポーツの世界でも、紳士的な価値を認められている。つまり、コンプレックスを持つ理由などどこにもないはずなのである。

しかし、今朝読んだTAZでは、最近の保守派の在り方を問う書き方をしており、なかなか興味深かった。
つまり、現在の保守は、保守であるだけでなく、その伝統を重んじる生き方に、さらにモダンな価値観をも実現しなくてはならない側面があるということである。
つまり、リベラル保守という位置であろうか。

Guttenberg自身、剽窃問題が明らかになった当時、若い家族の父親としての役目、政治家としての役目を果たしつつ、100パーセントの実力を出し切れないまま書き終えたもの、ということを強調していた。

そういえば、彼の周囲は完璧なのである。
Otto von Bismarckのひひ孫にあたる、シュテファニという、これまた見せるために存在するかのような金髪の美女を妻に迎えている。もちろんそこには愛情あっ ての結婚生活に違いないが、若いころから、描いてきた一つの人生地図を汚すような人物を妻にはしまい、ということはしっかり念頭にあったに違いない。

知れば知るほど、意地悪な言い方をすれば、人生を隅々完璧に演出してきたのである。
そして「暴走する野心」で手にした博士号であったが、やはり付け焼刃で手にできるような代物ではないはずで、こうしてぼろが出てしまった。野心は、それに見合った用意周到な計画と実践がなければ、形となって実現されることはなかなか難しい。

ある新聞は、これをリベラル保守のひびなどと見ている。
Ursula von der Leyenは、突然斬新な髪型にしイメージを一新した。が、家庭には7人の子供たちが待っており、幸せな一家の母親でもある。
若手のKristina Schröderも、今まで一度もぼろを出したことがない上、古い形のウーマンリブをせせら笑い、本当の女性解放主義を実践すべく、国会議員として妊娠していることをカミングアウトした。

こうなると、もう子供を持つこと、幸せで機能する家庭を持つことが、キャリアの妨げになるという言い訳すらできない。家庭もキャリアも、というのが当然教養ある女性の生き方の指針となってしまうのである。

また、外務大臣Guido Westerwelleの完璧主義は、若干形を変えて、外見の完璧さとしても現れているという。
つまり、ドレスコードがカジュアルといえば、彼の場合隙のないほど完璧なカジュアルないでたちとなってしまい、そこにはかつてのSchröderやFischerといったロックなラフな感じはない。

そんなことを考えていると、なるほど、このCDU/CSUまたはFDPといったリベラル保守の人たちの、すさまじい野心と完ぺき主義には、驚いてしまう。

実際、保守でいることは現代では難しいのではないかと、そんなことを考えた。
そして、そのシンボリックな出来事が氏の辞任であり、だからこそ、なにか後を引きずるような悲しさが残るのだろうかと、少し新しい視点をもらった。

メルケル女史の博士号も、物理学のナントカであるが、現代ではまったく役にも立たず、なんの革新も含まれない実に退屈なものであるらしい。
しかし論文の中に、すくなくとも、この元大臣のような、初期的間違えは見られないだろう。

し かし、なぜ政治家は博士号を欲しがるのだろうか。緑の党の党員は、何が何でも博士号を欲しがるだろうか。Die Linkeはどうであろうか。SPDにいたっては、元首相のSchrödernなど、Realschules出身で、後で非常に苦労して弁護士になった人 である。博士号の比率は少なそうだ。

そう考えてみると保守派というのは、リベラルでも堅苦しい。
何に追われているのだろうか。
そして、この暴走する野心の裏にある、本当の上昇志向原動力は、いったい何なのであろうか。

ほろ酔いで書いたので、書いたことを忘れた。意味をなしているかどうか。

おやすみなさい。

2011年1月8日土曜日

ヘルダーリン ヒュペーリオン 第一部 引用

私の鼻のかおりだけをかぐ人は、その花を知る人ではない。それを摘んで、ただ学ぼうとする人もまた、それを知る人ではない。

いいかい、ベラルミン。ときおり僕がこんな言葉をもらし、怒りのあまり涙まで浮かべていると、きまって、きみたちドイツ人のあいだに出没する賢い御仁がやってきたのだ。悩めるこころこそ、格言を吹き込むのにうってつけだと信じて疑わない哀れな連中が。かれはぼくに言うべき言葉を思いついてうれしそうだった。「嘆いてはいけない、行動せよ」と。
ああ、行動などすべきではなかったのだ。どんなに多くの希望が残され、どんなにゆたかでいられたことだろう。――

その風のやわらかな波がこの胸にたわむれると、ぼくの全存在はもだし、耳をすます。はるかな空の青さにこころを奪われ、しばしば、アイテールを仰ぎ、聖なる海を見おろす。すると、親しい霊が僕に向かって両手を広げ、孤独の苦痛も神々しい生に溶けていくような気がする。
いっさいとひとつであること、これこそは神の生、これこそは人間の天だ。
生きとし生けるものとひとつであること、至福の忘我のうちに自然のいっさいのなかへはいってゆくこと、これこそは思想と喜びの頂点、聖なる山頂、永遠の安らぎの場なのだ。そこでは真昼は不快な暑さを、雷は声を失い、沸き立つ海は麦畑の穂波にひとしくなる。

ぼくはきみたちのもとでじつに理性的になった。自分と自分を取り巻くものを区別することを徹底的に学んだ。その挙句に、こうしてうつくしい世界の中で孤立し、ぼくを育て、花開かせてくれた自然の園から投げ出され、真昼の太陽のもとで干からびている。
おお、人間は夢見るとき神であり、思いをめぐらせるとき物乞いである。感激がうせれば、父親から追い出された出来そこないの息子同然に立ち尽くし、憐れみが餞別として投げ与えられたわずかな小銭を見つめている。

子供はまったくあるがままにある。だから、あんなにも美しい。
掟と運命の強制は、子供に手を触れない。子供には自由だけがある。
子供には平和がある。子供はまだ自分自身との不和を知らない。富は子供の中にある。子供は自分のこころを知っている。生の乏しさは知らない。子供は不死である。死についてなにも知らないからだ。

自然の一番奥深くにあるもの、それは父ではないだろうか。だが、ぼくはそれを捉えているのだろうか。ほんとうにそれを知っているのだろうか。
それが見えるように思われることもある。だが、そう思うそばから、見たものは自分の姿だったではないかと愕然とせずにはいられない。友人の暖かい手のように、じかに世界の霊にふれたような気がすることものある。だが、目が覚めると、握っていたのは、自分の指かと思うのだ。

まったき感激の全能に比べれば、人間の勤勉はどれほど自発的であってもなんと無力なことだろう。
感激は、表面にとどまっていない。そこかしこでわれわれを捉えるものでもない。時間も手段も必要とせず、命令も強制も説得も必要としない。感激は、あらゆる側面、あらゆる深み、あらゆる高みにおいて瞬時にしてわれわれをつかみ、われわれの眼前に姿を現すよりも早く、われわれがわが身に何が起こったか問うよりも早く、われわれを変化させ、あますところなくその美と至福にひたらせる。

そのようにして内面が素材にふれて強化され、自他を区別し、いっそう固く結びつき、われわれの精神が徐々に武器を操れるようになると、めったに味わえない快感が生じる。

2010年11月16日火曜日

シンプルで古臭く、高価ではないのに、ずっと暖かい匂いのするもの

先日末っ子の誕生日の日、大好きな女の子のおじいちゃんが迎えに来た。
彼女は賢い子供で、息子と同い年には見えず、世間に通じており、身の回りのことも、人の世話までできるような良い子なのだ。
そして、そんなに社会的に地位の高くない家庭の子供が、向上心から習い事をする場合、大体縦笛かギターなのだが、彼女は熱心にギターのレッスンに通い、いくつのレパートリーがあって、毎日何分練習するかをとつとつと話してくれた。

彼女は、私たちの家からそう遠くない高層団地に住んでいる。
この界隈は、ジェントリフィケーションが進み、最近の家賃の高騰ぶりで、今までになかったような憎らしい顔ぶれの住民が多くなった。
その中でも、このいわゆる構造がタイル張りのPlattenbauと呼ばれる高層団地は、DDRの生き残りとして、ところどころに聳え立っている。
何年もかけてお金をため、時にくじ引きのような幸運にめぐり合ってやっと手にしたアパートの同じ棟、そうでなければ、同じ団地群に一族が集まって住む様は、当時のDDRの夢の縮図をセピア色のレンズを通して見ているようなのである。

今ではその中にいくつもあった保育所(DDRでは女性の労働は当然であった)も閉鎖され、団地の一階にあった想像のできないほど飾り気のない、飲み屋やヴェトナム人経営の軽食店もどんどん閉鎖されてしまった。

この女の子は、そんな団地に生まれ育ったのである。
おじいちゃんも、お母さんも、この団地で壁が開くのを見つめ、横柄な西ドイツ人が引っ越してきて、ロハスな環境を築き上げ、彼らを端っこに追いやってしまったのを見つめてきたのである。

おじいちゃんは、玄関のベルを鳴らすと、内気そうに階段を上って私の家の戸口まで来た。
白髪にひげを生やし、丸メガネをかけたさまは、団地群に住む荒々しい労働者のイメージとは違い、温厚なおじいさんそのものであった。
握手をしたその手は暖かく、孫を見る目は細い。

私のような外国人を見れば、何らかの反応を示すものも少なくはないのだが、このおじいさんに私の肌の色も目の色も、珍しいはずであるが、まったく刺激を与えないらしい。
ただただ、孫娘がジャケットを着込んで、楽しかったよ、おじいちゃんと言って話をしているのを見ている。

寂しさが漂うほどの、暖かさがそこにあった。
まるで、おじいさんが、団地の小さな居間にある、自分の価値すらあまりない切手コレクション、いや80年代のオンボロテレビ、もしくはクロスワードパズルの雑誌かなにかの一場面を切り取って持ってきてくれたような、家庭の温かさがそこにはあった。

グリーンエネルギーの学会論文を今晩は訳していたのだが、今後の食生活、もしくは技術開発の価値観を率いてゆくのは、ロハスであるということを見逃すわけにはいかない、という行をタイプしながら、何かしらいい気分ではなかった。

ロハスの環境意識の高さ、いや環境以外にも、あらゆるものに対する意識の高さと、高収入グループとしての購買能力は流石なものであろう。

けれど、私はそんなところでぬくぬくした子供時代を送っている子供には、何の感銘も受けない。
この少女のように、小さな、そのぬくもりを少しも感じうけるセンサーのない人間には、到底何の話をしているのかさっぱり分からないほどの、小さく地味で、色あせた、古臭い匂いのする居間にある一家団欒の暖かさこそ、それこそ涙がこぼれるほど、懐かしく、手にしたくて憧れてしまうものなのだ。

DDRは過ぎ去った。
けれど、世間が冷たいばかりに、冷たくなっていく人間とは反対に、世間が冷たくとも、自分の暖かさを手のひらの中に大切に保管して、家族のためだけにそれを分け与え、小さな小さな平和と団欒を保ってきた人々もいるのである。

先日のおじいさんは、きっとそんな人間の一人で、彼女は、お金がなくても、大学に行くチャンスがなくても、お父さんやお母さんが別れていても、自分の幸せをきちんと手のひらに載せてもらって、それを大切に閉じて、暖めながら生きているのだろうと、そういうことが分かるのだった。

もう5日も経つというのに、私はそのおじいさんの存在に、未だに感動しているのだ。

私が求めているのは、そんなに小さなものなのに、それだけがどうしても手に入らないような、到底簡単には手にすることはできないんだと実感せざるを得ない、何か貴重なものらしい。

シンプルで古臭く、高価ではないのに、ずっと暖かい匂いのするもの。

2010年11月9日火曜日

反権威主義教育に一言申す

私は、まるっきり教育の素人である。教育論や教育学などを履修したらしいが、そんなものの内容すら講義室の様子すら覚えていない。

それでも、子供三人を持つと教育テーマとは縁を切れない。今日は、最近あまりにも身近に感じている反権威主義的な教育について、だからどうだと意見をまとめて、論じるまでは無理だが、思うままを書いてみたいと思う。

音楽教室で教えていると、時々信じがたい子供を目にする。練習する、しないの云々ではなく、とにかく場所にそぐわない大声を出し、「ここから弾いて、もう一度やってみて、指はこうよ、この音が間違っているわよ」といった指摘に、いちいち「もう~やだ~・やりたくない~・間違ってない~!・あんたが間違ったんだよ!・がはははは~」のいずれかの反応が入る。
こちらは、流石に3分後には怒鳴るのだが、怒鳴られたという状況が見えていないらしい。
つまり、音楽の先生は、楽器を教えてくれる人なので黙って習う、という姿勢はゼロで、この人にも私は何を言っても許されるし、ここでも私は家でいる時と同じような声を出していいのだ、という感覚しかない。
流石に、小学校1~3年生ぐらいまでだが、それにしてもひどすぎて頭に血が上る。

さらに、少し上級になると、たちが悪い。
「この曲はやりたくない・ここそうやって弾いたじゃん!・もう一度は弾きたくない・ここからはできないから、最初から弾く・こんなリズム書いた人がおかしい・ちがうよここの音指差したじゃん、この隣のやつ、だからそこから弾いたんじゃない・(手や指のフォームを直すと)私の好きなように弾きたい」
声量や爆笑などの問題は解決するが、さらに言い訳や好き勝手に拍車がかかる。

そして、とうとう私の堪忍袋の緒が切れると、私は声を荒らげたり、脅しをかけたりするわけでもないが、冷酷な人になる。そして楽譜を閉じて出て行きなさいと言ったり、今までの態度が、どれほど失礼なものか、その子の真似をしてみせ、こういうことをあなたは人に対してやっているのよ、あなたがそうやられたらどう思うの?と突きつけてやる。

その際に、大人に向かってそういう言い方はない、先生に向かってそういう失礼なことは言わない、と口をついて出そうになるのだが、そんなこと、この子供たちは聞いたこともないし、親から文句が出るのが恐ろしい。

「そういう上から押し付けるような言い方は止めてください。」
言われたことはないが、言われそうになったことはある。

例えばチューインガムをかんだまま弾くので、冗談じゃない、口を動かしながら、指も動かして楽譜も見るなんて無理でしょ、と言えば、ガムを噛んで唾液を分泌させると集中力が増すと返してくる。
授業中にもやっているの?と聞けばそうだと言う。先生は何も言わないの?と聞いても別にだそうだ。

そりゃあ、どの先生も何も言わないとは思えないが、このような反権威主義、子供を自由活発に、自分の意志を尊重し、決して強制することなく教育する、という風潮があまりにも強すぎる。

だから、そうして私に冷酷に怒られた子は、突然大声を出して泣き出し、楽譜をかっさらって、さようならも言わずに出て行くか、下を向いて知らぬ顔をして解放されるのを待っているか、怒られたことすら自覚できずに笑い続けて追い出されるかに別れる。

さて、親たちに目を向けてみよう。
どのような親なのだろうか。放任主義で、自分勝手、自分のプライベートや仕事に忙しくて、どうにも時間がない。子供より私の人生なのだろうか。

それは正反対なのである。
親たちは、揃って高学歴で、非常に教育意識が高い。無害な木製のおもちゃを与えて育て、夫婦で高収入の仕事につき、街中なのに一軒屋のような家に住み、ベビーシッターも複数抱えているような家庭がほとんどである。
そして、母親たちがレッスンを一緒に聴くと、事態は更に悪化し、妹が平気でお菓子を食べ出したのを見て、レッスン中の姉はずるいと号泣し、母は、「○○ちゃん、そんなに泣くのはおよしなさい。アイス食べに行くんでしょう?ママはもう聞きに来ないわよ」、などとひそひそ声でたしなめているのである。利口で美しい母親だが、私なら下の子のお菓子をもぎ取って、その子を抱きかかえて謝って、即刻退室するだろう。未だにそれが最良の選択だと思うが、その母は号泣し、周囲の部屋に迷惑をかけ、レッスン妨害しているその子をもてあましているだけである。

また、4歳児が来たので、鍵盤に慣らせようと色々と違った方法をその子に教えていたのだが、その子は、突然ピアノのいすに飛び立って、踊りだしたり、鍵盤をがんがん叩く。
母は、私のほうを見て、「この子、今日水泳の時間があったので今日はもう無理みたいです」という。「無理って、毎週この時間だし、たかが30分だから、しっかり座ってもらえばできることですから」と答えると、「でも強制しても意味がない」と。「でも強制しないと、この年頃の男の子って、いつまでも座らないじゃないですか」といえば、「いえ、この子、疲れていなければ、おとなしくて集中力のある良い子なんです」という。「それは疑ったことはないですけど、ここは時間も少ないし、ピアノの前に座って話を聞いて、いわれたことをやるのが基本中の基本で、それができないなら、今はレッスン受けるのは無理でしょう」と答えた。そうしたら、それ以来私のやるようにやらせてくれるが、それでもその坊やも猿の気が抜けない。

これはほんの一部である。

子供の好きなように、子供がどれだけの分量をこなし、これ以上無理かを決める。強制はしないというスタンス。

私には理解できない。私は強制され、無理強いされ、仕方なくやったから身についたことがどれほどあったろうと言う記憶しかない。そして自らやりたくて努力し覚えたこともあるのだが、強制されて覚えたことの量にはかなわない。量ではなく質だと言われれば、確かに自主的な方が記憶も鮮明かもしれないが、小さい子は、好きにどうぞだけでは、彼らの不安が膨張するばかりにもなり兼ねない。
それで、耐性がなく、すぐに泣いてしまったり、レッスンを止めてしまうのだ。

はっきり言おう。
このような子供たちの中で、しっかり着実に、まともに上達している子はいない。
みんな、でれでれとただ来ているだけで、そのただ通っている範囲内でしか上達しないのである。練習も誰にも強制されずに、家でも好きなことを自主的にやるように言われるのだろうか。
とにかく、大きい声で怒らない、一方的に威圧的に否定しないということは、教育でも大事だと思うのだが、社会はそんなに甘くない。独立自尊が崩壊することもあれば、その根拠なき自尊心がお門違いであることも多くある。

もっと成長すると娘の世代になる。思春期である。
娘の親友は、4人の兄弟がいて、すべて父親が違う。そして母親は、最近レスビアンになったのである。見かけもまともで、極普通の幼稚園の先生をしている。私自身ホモセクシュアリティには、一切の偏見はない。しかしながら、彼女の中で、「Emanzipation解放」という言葉が大きな価値を持っていることは、その生き様を見ても一目瞭然だ。
その娘が、心の不安を訴えるらしい。父親には会えないし、兄弟と言っても半分の兄弟だし、母親の彼女も同居している。彼らのセクシュアリティにも思いを馳せるだろう。
そして、この可愛い娘が、パーティーに行くというと、
「好きなだけアルコールを飲んで、色々なものを試し、早いうちに自分のアルコールの限界を勉強しなさい。タバコもなにも、すべてやってみれば良い。それでもあなたが本当に必要だ、欲しい、と思えるなら、やればよい」
と言う考えであるらしい。私の娘も証言したし、私もその母親と何度も電話してこの耳で聞いている。
この娘たちは若干15歳である。


その娘の精神不安定のために、彼女は一回70ユーロを投入してセラピストに行かせているという。思えば、こんな境遇ではそれは良い考えなので反対しないが、もうひとつは、この学校で成績が悪いのは、あの旧東独の制度の残った教師の授業のせいだと言い、娘を諭すこともなく、私立の学校へ行かせてあげると、娘と二人で見学中で、娘が選べば良いと計画しているらしい。

私の言いたいことは、このような解放主義的、反権威主義的教育の影響から出てきた錆の部分を、一生懸命に補おうとして金銭や労力を投入しているようだが、その錆が出る前に、もう少しやりようもあるのではないかと思うのだ。
アルコールもやれ、タバコもドラッグもやってみれば良い、成績さえ正常なら同棲したって良い、苦しければセラピストを紹介するわよ、嫌なら転校したって良い…。
極端に見れば、これでは子供はどうしていいか分からないのではないか。実際は、二人三脚とも言え、父がいないので、文字通り仲の良い母娘の硬い絆があるに違いない。愛情も満ち溢れているだろう。けれども、どこか私は反権威主義になじめないのである。

下記に、独語WikiからAntiautoritäre Erziehung(反権威主義的教育)という項目を抜き出した。拙訳である(ちなみにこの用語の項目は独語・蘭語しかない)。

これをざっと訳しながら、アレルギー的に、この教育には従えないと思いつつ、私自身の問題児である娘の性格を考えたとき、彼女を十分に抑圧的要素のある伝統的教育に押し込めることはまったく不可能であろう、という別の観点での確認をしてしまった。彼女は、抑圧的従属的教育の中で、明らかに謀反を起こしたり、ついていきたくないと拒否したり、なじめないでいるわけだが、そうして落ちこぼれていくならば、本当に落ちこぼれでしまう前に、この反権威主義でも解放主義でもいいから、教育として形態を成しているものを基盤とした学校に入れないと、後で取り返しがつかぬかもしれないと言う不安が出てきたのである。

そういう私は、まさに「伝統的・権威主義教育」の落とし子であり、独立自尊はおろか、決断力もなければ、自分の決心したことこそ間違えであるに違いないと言う不安に襲われてしまうのである。
これが、反権威主義教育を受けていたとしたら、あの子は転校しかない!と言い切れるのであろうか。

一概に良いとも言えず、一概に悪いとも言えない。
しかし、ある一定の子供たちは、この教育方針にしか従えないと言う場合もあるらしい。そして伝統的抑圧的教育を押し付けるよりも、いっそフリースクールのようなものに入れた方が、予後が良いのではないかという印象がある。

それにしても、音楽学校に来ている問題児たちは、そんな重症な子は少なく、単にビシッと言われさえすれば、普通にできるというぐらいだろう。ある程度の調教は、それは特に、他人に対する態度として、絶対に施される必要があると思う。社会というのは、何らかの犠牲を払わねば所属できないのは、昨日書いたとおりだが、この子達は、オレ様だぜと言って、この異常な(これはまた後日)界隈を闊歩しながら勝手に振舞ってしまうのだろうか。

いくらなんでも、できの悪い私の猿どもでさえ、音楽のレッスンと言えば、一言も発せずに先生の前で緊張しきって言われるがままに、人形のように弾いていたというのは事実である。

そして、これは余談だが、今日いつまでたっても練習せずに、1年以上やっているのに、さらに一切の練習をしなくなったのでバイエルの冒頭部分の実力に舞い戻ってしまい、それ以来上達できない子がいる。明るい子で可愛い。利口なので回転が遅いから上達が滞っているとも思えない。嫌なら好きなことやりなさい、止めてもいいのよ、と言うと、どうしても来たい、やめたくないという。
今日帰り際に、

引っ越すかもしれないんだよ、という。

この界隈だけど。ママがボーイフレンドと別れたので、どっちかが家を出ないとならないの。弟なんて一歳にもならないのに、自分のパパがいなくなっちゃうの、可哀想。わたしは火・金に、私のパパのおうちなの。

と言うではないか。
週二日、パパのうちに寝泊りし、学校へ行き、家には半分の弟がいて、せっかくママのボーイフレンドとの暮らしも落ち着いたのに、別れるから引っ越すと言う。

まあ、私のたどった道のりと似ているのだが、そんな背景で、彼女のピアノが、断然ひどくなり、下降の一途だということは、非常に納得ができた。家庭に落ち着きがなければ、練習などできるものではない。

これは余談だが、この界隈では、父親と住んでいる子供は殆ど皆無に近い。


さて、話は反権威主義にもどるが、興味のある方は是非、以下の記事を参照してください。


反権威主義教育とは、反抑圧的且つできるだけ強制的ではない形態の子供教育を指している。「伝統的で抑圧的な国家教育」とは反対に位置しているようであるが、 放任主義の姿勢ともはっきり異なっている。子供たちは、独立自尊且つ創造的で、社会性と困難と向き合う能力を備えた人格に成長するべきだと言う考えである。その目標も、それに至るまでの過程も、今日の教育に継続的に影響を与え続けている。反権威主義教育は、権威主義教育に反対するものではなく、子供の自己啓発を不要に抑圧すること、つまり権威的人物とシステムに対抗する姿勢をとっているだけである。

反権威主義教育の成立

この思想は、 Alexander Sutherland Neill と Wilhelm Reich によって、すでに1920年代に築かれ、60年代の学生運動の最中に新たに再燃し、近代の教育を構成する一部となった。学生運動と議会外の反対派らの活動による結果、教会の青年組織、その他の教育関連機関などが生まれ、さらに既存の権威主義と認識されている教育に対する議論や 代替モデルが発展していった。
「反権威主義教育運動」という概念は、非常に異なる理論家・実践家による影響を受けているため、簡単に定義することはできない。つまり人道主義の伝統に属するAlexander Sutherland Neill 、 Hartmut von Hentig、 Janusz Korczakらの改革教育者、Paulo Freire 、Ivan Illichら救済教育家、更に左翼または精神分析理論 (例 Lutz von Werder 、 Otto Rühle)などの人物が影響を与えてきた。「反権威主義教育」へ所属しているかどうかは、実際に活動している現場での定義、ならびにこの運動の批評家の定義によって異なってくる。
この位置相違が「反権威主義」の概念を明確にする決め手となった。「反権威主義」運動の一部が、(市民階級の)権威に反対する声として理解される一方、別の討論では、権威者に反対し、民主主義社会を追い越した教育形態に向かいつつある教育が発展したという議論が繰り広げられるようになった。
子供たちは、好きなことだけを行うことができる、あるいは行うべきであるという意見もあるため、一般社会では、無秩序な「教育」としてのイメージが一部で生まれるようになった。指導者および教育者の中には、いわゆる放任主義教育を追い求める者さえあった。他の教育法の中でもとりわけ青少年の活動、キャンプ教育または冒険体験教育などにおいても、共同決定と自己決定を重視した。
この概念を明確にするために、「抑圧の少ない」「反権威主義的」「解放的」といった用語は、すべてこれらのグループの中で形成されたことを述べておく。
一般的には、これらの相違は殆ど認識されることはないが、一部では反権威主義が権威者と伝統的教育者を批判したことへの反応として、意識的に誹謗されることもある。
最後にすべての反権威主義運動においては、性教育のタブーも解放されたということを付け加えておく。
今日の反権威主義教育
当時発展したメソッドの多くは、現在の教育でも継続して生き残っている。しかしながら反権威主義教育という概念は今日、 広範囲において社会的討論の枠から消え去ってしまい、解放的教育という概念に統合されてしまった。独立自尊且つ創造力豊かで、社会性と困難に立ち向かう能力に優れた人格は、今日殆ど当たり前のこととして受け止められている。特に、女子活動、プロジェクト方式の授業、体験教育、フリースクール、オルタナティブ(自己管理による)スクール、アクティブスクール、アドベンチャー公園、オルタナティブ(自己管理による)幼稚園、フリースペース教育、改革教育、子供共和国などの分野では、顕著な傾向である。
反権威主義教育の価値に従う姿勢は、多くの現場で目にするが、実際に教育実践としては、政治的立ち位置によって様々に評価される。批評家は、3つに分類された学校制度を保持している点を取り上げて、これでは構造も内容も個人主義的な教育に反しているため反動的であるだけだと批判している。理由としては、未だに存在している試験、成績表、なんらかの卒業証明書をめぐる思考を挙げている。その他、Lob der Disziplin (規律称賛)という本を取り上げ、これこそ反権威主義教育の掲げる目的に到達するための唯一正しい教育法であるとする声も出ている。更に社会は規則と職業などの従属によって規定され、学校制度はそれらを学ぶために、適した場所であるという指摘もある。社会のルールを守ることができて初めて、自己決定による人生が可能であるという理由による。
教育も、原則的にはこの軸上にあるはずだが、女子活動、プロジェクト形式の授業、体験教育、そしてオルタナティブスクールなどで見られるように、一部では反権威主義教育に明らかに関連している様々な思想、メソッドが受け継がれている。

左派生徒活動などの興味深いグループは、今日「解放主義的教育」もしくは「解放主義的教育任務」という言葉を表明している。

2010年4月10日土曜日

孤独な老婆の目から湧き出てきたこと



今日久しぶりに、動物の目を見たような気がする。いや人間の目なのだけれど、動物の光を放っていた目。

先ほど買い物に出かけた。食べるものぐらいは美味しいものをと心がけているが、やはり高いスーパーで一週間分の買い物をするのはもったいない。
安いスーパーに行って、そこで、できるだけ新鮮なものと良い商品を見つけて買い込んでくると言う習慣。

末息子と共に入ったいつものスーパー。なかなか広々としており、普通二台の大型買い物ワゴンが通り過ぎる余裕は十分ある。そこに、一人の初老の夫人が通りがかり、どうもそのワゴンの角が、そこでパンを選んでいたもう一人の初老の女性に当たったらしい。

当てられた女性は、

「ちょいと!あなた人間の子供でしょう?見れば分かるもの、何でぶつかってくるのよ!」

と怒鳴る。他方の女性は、すでに通り過ぎた後、振り返りもせずに背中を向けていた。傷ついたといった風情でもない。

私は、家の裏庭の桜の木が 満開になったことに快くしており、美味しいものを子供たちにサービスしようと実に気分が良かったため、あまりにもその残酷な反応に、半ば腹が立って、その怒鳴った女性を見つめた。だれが、此れしきのことで、人々の気分を簡単に翻すのか見てやりたかった。

その女性は、くたびれた綿のジャンパーを着て、なんともしまりのない姿でそこにたたずんでいた、買い物ワゴンに身体を寄りかからせ、半分白髪で、ハリネズミのようにただ散切り頭に刈ってあるそのショートカットは、妙に貧乏くさく不潔に見え、付かれきった顔には、まるで今までの人生の苦労が全て刻み込まれているような萎れ方である。白い肌は、蒼白に見え、落ち窪んだ目の下には灰色の隈ができている。飲酒で身体を痛めたのではなく、苦労と不満と欲求の塊として、長年生きてきたために、顔に生気を失ってしまった。そういう様相であった。

しかし、その目には、恐ろしい光沢が光っていたのである。シチリアの知人宅に滞在していた時、夜外出したのだが、あの時丘の上の空き地に、10匹以上集まっていたであろう、あの恐ろしい野犬の目に良く似ていた。

自動車のライトは、その粗い体毛を照らし、灰色の混ざった硬い毛並みを光らせていた。黄色がかった目をぎらぎらと光らせて、野犬たちは一斉に自動車に乗った私達に向かって吠え立てる。
飼い犬の、媚びたような愛らしい目ではなく、人間に触れずに、人間に対向して生き延びてきた野生の光は、鋭く、まるで突き刺してくるような恐ろしさがある。

その初老の女性は、うつろな目蓋の下に、そのような鋭い光を放っていたのである。まるで、目だけを見れば野生化した人間のような、孤独な光であった。

ドイツに生きていると、ネガティブなエネルギーに時々、陰鬱な気分を移されることがある。それは、生きる階級とは関係なく、フランクフルトの空港で、図体のでかいビジネスマンに突き飛ばされても、横を歩け!と怒鳴り散らす人間も少なくない。前を見ろ!ならまだしも、横を歩け!とは、一体その言葉の背景に、どのような傲慢さが隠されているか、想像するに難くない。
官庁に行けば、目も見てもらえず、まるで一枚の書類のように扱われることもしばしばであるし、サービス業に至っては、注文させていただき、買い物をさせていただくと思わせる場面もしばしば。個人の敏感度にもよるが、人種差別の話題に至っては、何をかいわんやである。

この国には、陰鬱を誘う何かが隠されていることは事実だし、天候と同じように、暗い雲に包まれたように、社会が沈黙しているとも感じられる。議論も平等で正当性も謳われる国だが、それでも一番大切な何かは、すっかり国土の下に凍り付いて埋まったままになったかのように、ただただ重い圧迫感として感じること以上、探りようもないのである。

合理的な理論が、ここまで簡単に受容され、賛同を持って生活に組み込まれている国は、他に例を見ないのではないか。私には、体感的な事実としてしか、説明のしようがないのだが、合理的な考えが、最も正しく、最も理にかなっていると納得するほど、この人たちには、生活には「必要のない」想像力が備わっていない。 ファンタジーがないのである。

人の心や、気持ち、言葉の意味を考える時に、頭脳の明晰さとは別に、ファンタジーとも言える想像力が、とても大切な役割を果たすと思うのだが、この国の人々には、すっかり重要ではないものだとみなされて、削除されてしまう。まるで、キリスト教の五感の楽しみが、削除されてしまったように。まるで理解に及ばないラテン語のミサが、すっかりなくなってしまったように。もしかしたら、そこには響きという体感があり、響きを通した神の存在や、心の何かとの遭遇があるかもしれないのに、そういうことは証明できない。よって、必要なき物とされてしまうらしい。
私個人にとっては、生きにくい国である。 機能的だけれど、機能的なことばかりしていると、人間は、発狂しそうになる。

この野性の目を持った初老の女性は、このような背景で、貧しい環境に不幸を募らせて生きてきたようである。不幸の愚痴をこぼすにも、お金がない、失業した、浮気された、子供が犯罪を犯した、といったような、ある事実を述べ立てていくことしかできないのだろう。そこで、絶対に体の奥深く似蓄積しているはずの、辛苦の感情は、言葉の形をとって発散されることができないのである。教養の問題ではないと思う。そうではなくて、心を感じる能力が、彼女にはあまりなく、彼女の性質もあるが、それには間違えなく、この陰鬱な国土からじわじわと表出している、社会全体の沈黙の圧迫感に抑圧されたまま、存在せぬものとして葬られてきたのだ。

孤独とは、こういうことで、社会に属しているから、連帯感があるというものではない。一人ひとりが、自分の目に見えぬ心に、言葉を与えて、そして形にして表出させていくことから生まれる、コミュニケーションこそ、何かを生むのであって、それ以外の言葉など、実は機能させるための道具の言葉でしかない。

しかし、こうして本当の自己の言葉を失ってしまった人々に、一体なんと声をかけてゆけばいいのか。本当のコミュニケーションを忘れてしまった社会で、辛苦の極みを舐めてきた人間は、社会からすら葬り去られ、その目には、ぎらぎらとした野犬のような光を秘めているのである。それはぞっとするような孤独とアグレッシブさを突きつけてくる。

 機能と合理を追求していくと、忘れ葬り去られた無意識の次元は、すっかり太古的になり、野生化しているのかもしれない。
けれど、それがゲルマン人であり、その陰鬱から、時に、他の民族には例を見ない論理性と感受性、そして内観を伴った芸術が生まれると言う不思議がある。
孤独と対決しながら、常に己を知るために、言葉を捜し、言葉をつむぎ、言葉の錬金術と言えるほど、その抽出過程に人生全体を投入する作業を続けることで、きっとそういうゲルマンの文学や芸術が生まれてくるのである。

最近考えたDichtungという言葉は、アンドレ・ブルトンが以前シュールレアリズムに当てはめた、「言葉の錬金術」に他ならないと、買い物のあとふっと思いついたため、備忘として書き記した。

ツイッターのフォロワーの方から、マンがDichtungをデモーニッシュと例えたという教えを頂いたが、まさに錬金術のように、化学反応を起こさせ、同類から同類を生み出すような錬金術の過程は、デモーニッシュと言えるほど、複雑で時に自分の制御を超えてしまう反応が起こることがある。本当の自己の言葉とは、発するまでに実は、気の遠くなるような年月と経験が必要なのだと、改めて実感した。

陰鬱な地では実に明白なことだが、生きるに当たってその絶対的な孤独に打ち負けない方法は、ひたすら己との対話を探し出していくこと以外にはないと、そんなことを考えた。

2004年12月18日土曜日

Wilhelm Furtwängler

今晩、偶然フルトヴェングラー(1886-1954)と言う大指揮者とナチの関係についての、短いドキュメンタリーを見た。唸ってしまった・・・。

フルトヴェングラーと言えば、私が大学に入って間もなくの頃、ブラームスの交響曲を吹かなくてはならなくて、初めて自分の小遣いで買った四枚入りのCD(当時の学生にはとても高価だった。)が、この偉大なる指揮者のものだった。それ以前、家には家中にレコードがあって、全く買う必要が無かったのだが、いよいよ大学に入り、私も自分の好み、スタイルと言うものを伸ばしてゆきたくなったので、自分で選んだのだ。録音が古くて、CDばかり聴き慣れた耳には、どうも馴染まなかったが、それがどうだろう、聴くほどに引き込まれていって、とうとう全交響曲を通して聴いてしまった。もちろんヘッドフォンで。一つ一つの音の変化も聞き逃すまいと。そしてポロポロ泣いた。あれで、意識が全然変わってしまった。ブラームスの交響曲を誰に教わったかってそれはフルトヴェングラーだった。子供の頃から聴き慣れていたが、複雑で、どでかくて取り付きにくかった交響曲と言うものの醍醐味は、このCDで目覚めたと言っても過言じゃない。それからベートーベンやワーグナーなど色々聞いた。ブラームスに関しては、彼に勝る指揮者は今でもないと思っている。あの人の持っている、苦悩と孤独、不安が、この作曲家の作品と、深い平面で重なり合っていたような気がするのだが。

自分では、アメリカで指揮をしていたこともあったのに、ドイツにやはり戻ってきて、三十年代には、この先のドイツ文化が心配だと、やはりドイツに残り続けた。その後、この偉大なる指揮者にヒトラーが目をつけて、ベルリンフィルの指揮者となり、あの第三帝国(ヒットラーの国家)の、音楽総督となるわけだ。しかし、有名な話であるように、彼は意図してそうなったわけではなく、最初は自分が、「ドイツの音楽、ドイツ人の魂の音楽」という言葉を特にベートーベン、ワーグナーに対して使うのが、政治家にはどのように捉えられるかと言うことを全然意識できなかったと見られる。

これらの作曲家には、ものすごい荘厳さがある。大きな流れ、大きなメロディー、大きな構成、そう言ったたくさんの要素が組み重なって、まさにしびれるような、取り付かれてしまうような荘厳さが、聴く者を虜にする。ヒットラーにとっては、ある意味、芸術的美学と言うものは二の次で、帝国に相応しい荘厳、高貴、崇高な何かを自分と、更に自分の国家に結びつけることが第一の目的だったわけだ。ゲッペルスと、ヒットラーは、意識的に計画して、これらの音楽を選び、この指揮者を選んだ。何故フルトヴェングラーなのかと言えば、この指揮者の目的は、これらの壮大なる音楽をその極限を超えるほどに表現しようと言うものだったからだ。この芸術家は、ドイツで演奏するだけでなく、機会さえあれば、アメリカでも指揮をしたわけで、本当に彼の頭の中には音楽を実現すること以外には無かった。しかしヒトラーに取っては、まさにうってつけなのであった。

第三帝国は、独裁主義国家であるから、人々が教会に行くのを基本的に好まない。宗教と言うのは、独裁政治をむしろ阻止するものだった。そこで、宗教となったのが、音楽だったと言うことらしい。第九を聴けば、ヒトラーの演説を思い出し、第三帝国の壮大さにしびれ、このような音楽を生み出した国、ドイツ帝国国民として、その魂が自分にも、宿っていることに大変な誇りを感じるのだった。ベートーヴェンの音楽が宗教とは、すごい。ベートーヴェンのエロイカも、フルトヴェングラーが指揮をすると、まるで国歌のように聞こえてしまうから恐ろしい。

天才という定義の範囲では、どこかに政治的指導者がいて、最も高いところには神がいると言えよう。その間に存在しているのが、芸術的な天才だと、番組中のある著者が言ったのが非常に印象的であった。神の存在をメディアとして、人々に伝えるのが、芸術的天才なのだということか。確かに政治家には、芸術ができるほどの、効果を与えることはできないかもしれない。ヒットラーの演説の背後には、常に、ワーグナーがあり、第九があったから、人々は、よりしびれたのではないか。すべてはお膳立てで、それを天才的にやってのけたのがヒットラーだったとも言える。

1942年、ヒットラーの誕生日の前夜である四月十九日、誕生日コンサートとしてベートーベンの第九が、フルトヴェングラーの指揮で演奏された。ヨアヒム・カイザーと言う、すこぶる有名な音楽評論家がいるんだが、彼が、身体を乗り出し熱い声で、当時のフルトヴェングラーの演奏に関して語り出した。

「一楽章は、色々と苦しい場面を経て、最後にRepriseが来る。これはDurで、フォルティッシモであり、合唱が入り、つまり本来は勝利な訳です。ところが、これをあの指揮者は、めちゃくちゃに振る訳だ。めちゃくちゃだから勝利だか、一国の崩壊だかなんだかわからない。カオスとはこれにあった表現だね。」

別のBrinkmannと言う音楽学者は、「あのRepriseは、まさに勝利の象徴なんだが、勝利を表現しようとして振ったものから、全く別のものが生まれ出すと言うことが起こった。この大合唱の裏には不安があり、恐れがあり、崩壊の影が聞こえる。聴衆の心か、彼の、または演奏家の心か、そう言ったものが一つになって会場から生まれ出たものは、勝利ではなかった。」

私は鳥肌が立ちました。1942年、8月からだったと思うんですけど、ドイツ軍はスターリングラードに行くんです。彼らは年内に決着が付けられず、ロシア軍に抱懐されて包囲され、皆雪の極寒の中で、凍死してしまった。これが、ヒットラーの第三帝国の大きなターニングポイントだった訳です。ここから、本当に崩壊が始まった。それをまるで予想していたかの様な、解釈と言うこともできた、このフルトヴェングラーの第九だった訳です。

私が思うに、彼の指揮だったから、そこまでの表現となったのではないか。他の人間ではそういうことは起こらなかったのではないか。彼の指揮は、観客を引き込み、オケのメンバーを引きずりこんで、そこに共存しているすべての人間を、音楽と言う大波と共に、何かを越えた異次元へ導いて行くようなすごさがある。なんか、言っていることがうそ臭いけど、本当なんです。音楽って、何かすべての周波数がぴったり合ったときに、こういうことが起こりうる。フルトヴェングラーには、何か彼自身を超えてしまうような、演奏があった。これが、神のいる高みの本当に近くにいる、天才芸術家なのではないでしょうか。当時のオケのメンバーも、何人か証言していたが、彼のプローべや、仕事振りの話になると、その真似をしながら、涙ぐむんです。それは、彼が良い人だとか、偉大だとかそういうことじゃない。人が偉大なぐらいじゃあ泣かない。じゃあ何故泣くのか。

それは彼が「MUSICUS」以外の何者でもないからなんです。何と言えばいいか・・・。彼が、彼自身が、「音楽」以外の何者でもない。私欲も虚栄もなく、ひたすら音楽をやりたい、自分が一番愛した音楽をやらせてくれるのなら、何でもやろうではないか、そういうことだろう。それが私達の心を打つ。素晴らしく有名な音楽家の、ヴィルテュオーゾ丸出しの演奏を聴いて泣くこともあるかもしれない。素晴らしい演奏家の、完璧な演奏に、涙を流すこともあるだろう。でも、そうじゃないのだ、本当は。それと、これとは別の次元なんです。感嘆で泣くのではなくて、凡人には絶対に真似のできない、本物の天才たちの純潔さが、私たちを泣かせる。彼らは、変な言い方をすれば救いようがないほど純粋なのだ。フルトヴェングラーも、政治的にはナイーヴもいいところだった。ヒットラーにすれば、こういう人間を取り込むのはいとも簡単だったのだ。本当の天才は自分を必ず傷つけてしまう。望んでいなくても、必ず、自分の命を削るような生き方をする。何故かと言えば、彼らが、その芸術を前にして、全く盲目であるほど純潔だからなのだ。そういうものを目の前にしたとき、それに対する感受性のある人は皆感動を覚えて涙を流す。自分に恥じ入るからであろう。凡人には、そんな純粋な魂は持つことは不可能。天才が、神に近いと言われる所以は、ここにあるのではないか。

フルトヴェングラーは、その後、ナチに属していたとして裁判にもかけられます。釈放されるのですが、そこらあたりから、彼はもう死んだも同然だったのではないか、そう、元ベルリンフィルにいた音楽家は語っていました。
死の直前に、彼のところにフルトヴェングラーから電話が入った。「もう、あの音が、何にも聞こえなくなってしまったんだよ。もうあの音が聞こえない。どうしたら良いものか・・。」音楽家は、「アメリカに行けば、良い治療があるから」と慰めたけど、アメリカになんか行きたくないと答えたそうです。その後、ミュンヘンかどこかから、バーデンバーデンに行く汽車の中で、窓を全開にして、ワイシャツを脱ぎ、胸を汽車の喚起口に当てたと言うんですね。それで、肺炎になってハイデルベルグの(バーデンバーデンと言う説もありますが)病院で亡くなった。かれは、「あれは意識的に仕組まれた死と言ってもいいものなんです。」と信じていた。

MUSICUSであったために、歴史の犠牲になり、しかし同時に音楽的最高の経験もすることができた。音楽が政治とは切り離して考えることができると信じきっていた、世にも非政治的な音楽家だったんです。その間違いに気が付いた戦後、彼はまるで抜け殻の様になってしまった。非常に悲しい話です。天才の話はいつも悲しい。

私は、ここで趣向教育をするつもりも権利もないからあんまり言えないんですけど、この頃の音楽産業は、こういう本物と言うものが出にくい世界になっています。スターソリストや指揮者はたくさんいますけど、うそ臭いのもうようよいるから、耳が育たないと言うこともあるんじゃないか。私は、お前見たいのがクラシックの聴衆だから、クラシックは閉鎖的でだめだと言われるのがおちなんですけど、言いたいから言わせてください。世の中には、本当にたくさんのすっごい音楽家がいる。皆それぞれに魅力的ですね。でも、その魂の純潔さに平伏して、自らを恥入って泣くというのは何人ぐらいいるか。そういう言う人はあんまり有名じゃなかったりするから、目に付きにくいんです。私は、古楽の世界に何人かそういう人を知っています。スタンダードなクラシックの世界にも何人かいますが、そういう人たちは、スタイルとか、好みとか言うことを全部超えてしまうんです。すごいテクニックじゃなくても、異様に感激してしまうことがある。まさに心を打たれる。

ああ、音楽っていい。そして、寂しい。この痛いほどの寂しさが、止められない。

そういいながら、夫は隣でもう三時間ほど、なんだかわけの分からん経済学の本のゴーストライターになっただかで、執筆している。

私は、この頃の平行線生活を思い出しながら、非常に寂しさを感じる。かまってもらいたいんじゃない。そうではなくて、私がここまで心を動かされているのに、そういう感覚が、全く彼には解せないのである。私は、そういう物質的なマテリアルと、何時間も、若しくは人生ずっと関わっていられる、その情熱が不可解である。やっぱり音楽家じゃなきゃだめなのか。それじゃあ、障害者だろうと、他の面で色々と共通しているので一緒になったが、私の一番一番大事なものが、絶対に分かってもらえない寂しさ。この頃は、そこだけは分かりたくないという感じもしてくる。人が自分では感動できないものを見て感動しているのを見ると、一般的にはしらけるでしょう。寂しいですね。

仕方ないから、寝ます。