午後、上司は北ドイツはニーダーザクセンの故郷へ向かうため早退した。
今週に入って以来、朝の通勤時間帯の渋滞が激減して、30分もかからないうちにオフィスに到着してしまう。皆故郷へ帰ってしまい、東ベルリンの都心に当たる部分には如何にベルリン人が住んでいないのかを実感する。
去年は深い雪につつまれて、車を動かすどころではなかった。どのスーパーにも雪かきスコップが売り切れで、仕舞にスコップを買いに出かける車を出せなくなり、一歩あるけば滑って転ぶような天候の中、アマゾンの特急便でスコップを購入し、二時間あまり車の周りを掘り起こし、それでも発車しないので、玄関のフットマットをタイヤの下に敷いて、発進し、また敷き直して進みということをして、駐車スペースから出たのを覚えている。
こつは、とにかくはまり込むような駐車スペースに入らないことだけだった。
今年は驚くような暖冬で、一度ボタン雪が降ったきり、白い雪は目にしていない。
そのせいかクリスマスというような実感が今ひとつ涌かないのだ。
今朝オフィスに出勤すると、デスクの上に大きな箱が置いてあった。
会社からだと言いつつ、上司と一人の同僚が私に贈り物を用意していてくれたのだ。
チョコレートと赤白ワインを組み合わせたパックで、非常に上品でシャレていた。私がワイン好きで、チョコレートと赤ワインをデザートにするなどという無駄話を覚えていたらしい。
ありがたいことに、この忙しいさなか、私も二人のプレゼントは用意してあったので良かった。一人にはオーディオブックと純粋なホットチョコレートを。上司にはキッシンジャーの書いた新刊本と手に入らないと嘆いていたトワイニングの紅茶をプレゼントした。
頂いた物に見合わないようなもので、申し訳ないと思いつつ、でもお互いにそれぞれの存在を大切にしているのだということが同時に伝わって来て、とても心温まった。
上司が消え去った後、私と向かい合わせに座っている同僚と話し込んでしまった。
彼と私は非常に馬が合う。ついつい話し込んでしまうのだ。
娘との電話での会話を聞かれると、必ずあまりにも冷たい、あれじゃコミュニケーション拒否だよと説教される。
何故、コミュニケーションを拒否することが互いの狂気を回避することに繋がるか、そんなことを説明するのは、家族の裏を明かすことで、娘を裏切るような気もするし、言い逃れのような気もして来る。そう思ってついつい、事情があるのよと口を濁していた。
それでも、もう何ヶ月も向かい合わせに座り、仕事をして、食事をしていると、そうでなくても感性が似ている物同士、色々と分かってくる物なのだ。娘の話題を避けている私から、一言でも何かその日の娘との電話ややり取りについて聞き出すのが彼は天才的に上手い。そうして、今日も一言、昨日も一言、とやっている間に、彼の頭の中の想像が形になってきたらしい。
今日はそのことで始まり、それが世代を超えているある一家の運命として、またはある才能が独立して存在しているかのような「引き継ぎ」があるのだという話にまで至った。私の話は、全く具体性に欠けていて、始終、その出来事や今の道のりが、どこからやって来て、どこへ向かって行くのか、ということ以外語れない。
才能を引き継ぐことは素晴らしいと言う。誰しも、素晴らしい才能にあやかりたいと願い、子供にそれを継承させたいとも思うらしい。
しかし、私には才能というものをそんなに簡単には捉えられない。
人の心を揺さぶるような才能の裏には、必ずコインの裏のように、暗い部分が潜んでいる。その暗い人の目には触れない、所謂ネガティブな部分を一緒に背負う覚悟がなければ、才能等に手を触れてはいけないのである。
世間の求めている才能というののではなく、個人が個人の何かを削ってでも投入し続ける、人にはまねのできない集中力と熱中力で紡ぎ出される何かのことを言おうとしているのだが、上手くは表現できない。
才能の隣に立つというのは、才能から湧き出るカリスマ性に巻き込まれずに、自分をも失わずに、凛と立ち続けていられる強さがなければ、食われて終わりなのである。
そのことを私は一度も問うことなく、世代にまで及ぶような家族の運命とも言える重い物を背負った才能と生きることを引き受けてしまった。
そして、離婚しても、男女の関係を終焉させても、その関係性は一生消えないのである。物の見事に、私達の子供達の世代ににもその黒々しい運命は、人も驚くような才能らしき物と共に、娘の中に引き継がれ、顔を出す機を狙って私の背後に差し迫っていたのである。
そして今、私は夫とは解決できなかった、自分の絶対的な弱さを娘との間に実感せざるを得ないという自体に陥り、苦しんでいるのだが、これも何も、才能という目眩く毒素に身を委ねてしまった過去の残骸なのである。
私の人生が私に何を求めているか分からないけれど、終わっていない、それだけは分かる、それどころか、今始まりのゴングが鳴ったばかりという気すらする。
何を話していたか忘れたが、おそらく世代を超えて引き継がれる才能という正の物の裏には、必ず負がついて回る、それに関する責任を持つ覚悟もなく、才能をある人に勝手に惹かれて、毒された自分の未熟さをせめていたりしたのかもしれない。
私の話術は、決して上手いわけではない。それでも突然同僚が、君の話を聞いていると鳥肌が立つ、と言った。
私は嬉しいとは思わなかった。それよりも、ああ聞いてくれたんだ、共感を持って、この人はこのつまらない超個人的な話を聞いていてくれたんだと言う感謝が涌いて来た。
外は暗くなり、お互いに家路につこうと荷物を鞄をにまとめた。
静かな空気が流れていた。彼は何かに心を打たれ、私も何かに心を打たれていた。
あの人は、私の心に触れることが自然にできるのだ。そして、なかなか大切な話こそ他人には語らない私に、大切な話だけを語らせることができる。
そして、私は知らない間に控えめだが正直に語ってしまう。そして私は、確実に何かに心を動かされ、深い胸の内で、その感動を味わっているのだ。
一目につかないところで、誰からも切り離されて、たったひとりぼっちだと感じながら、毎日毎日子供の顔を見て、色々な出来事を乗り越えて、私なりに私の持っている家庭を守ろうとしている、そう言うつまらない、話題にするに値しない人の生き方に耳を傾けてくれた、その嘘の一切ない素直な態度に心を打たれたのである。
毎日仕事の合間に、電話でなんだって?と嫌みなく聞かれ、私もたった5言で、娘がこんな馬鹿なこと言って、信じられない、あの子の自分勝手は許せない、と言うと、必ず彼は、それにしてもあんな存在拒否のような声で言わなくても、と相づちを打つ。そんなことを繰り返しているうちに、私は何故か、どこかで緊迫した彼女への思いに、すっとすきま風が入って来たのを感じるようになっていたのだ。
それが私を救っていた。
何故彼が今日、こんな話に心打たれたのかは分からない。単に、私の生きる姿に小さな一生懸命さを見たのかもしれない。そして私の話し振りが告解に聞こえたのかもしれない。
__________________
娘は風邪を引いて寝ている。
家へ帰ると、のこのこと寝室から出て来て、お腹がすいた、死にそうだ、こんな物は食べられない、どうしてもあれじゃなければ嫌だ、どうせ私が病気なのが面倒くさいんでしょ、こんな具合悪いのに、一体どこでどう過ごしたらいいの、とうのが永遠に続き、その後、母親のくせに何一つ人のためにせず、一度の私の存在を認めず、愛したこともなく、おやすみと言ったこともなければ、私を助けてくれたこと等一度もない。という行が聞こえて来る頃には、絶叫となり物が飛ぶのである。
気を許して、気安くその場を収めようと優しい言葉等吐いたら、手どころか腕も足ももぎ取って行くような勢いで、一瞬のうちに、彼女の手中に収まってしまう。ああ、ママも分かってくれた、ならコミュニケーションと言えるが、そら見ろ、認めただろうと、状況は更に悪化し、その後何ヶ月も何年も、あのとき謝ったはず、あのとき私のことも分かる、可哀想だって言ったはず、この矛盾した態度はなんだ、となじられ続けるのである。
娘さん、思春期なのよ、などという気楽な言葉は聞くに堪えないから、私は誰にもこの話はしない。あの同僚以外には。
その娘がでも、一瞬機嫌の良い何分間がある。機嫌が良いか、激怒して人をなじり倒すかどちらかしかないのだが、今日、その機嫌の良い何分間かで、突然こんなことを言ったのである。
ママの隣にずっと置いておいてもらえる赤ちゃんに戻りたいなあ。
これはショックであった。
母親の教育や家庭環境が物を言うのは周知の事実であるが、私の問題は、世代間という深さに関係し、特殊な才能を伴った子供の、母親である私の領分を超えた凄まじい存在のエネルギーとの対決という側面も、絶対に抱えているはずだと確信して来た。そしてそこに間違えはないだろう。
しかし、それでも単に「愛し直しなさい。自分を叩き直して、彼女の好きなように愛し直してあげなさい」というだけの問題である気もして来た。
そして、その声がずっとこだましている。
_______
車中、同僚との暖かい会話の余韻に浸りながら、あんなにかわいい子供達を持った私は、一体これ以上何を求めているのだろうかという一点に考えが集中してしまった。
色々ある。色々あった。色々なことで挫折し、何度も起き上がってきた中で、常に子供達は一緒にいた。いや寄り添ってくれた。
子供に救われ、子供に生かされている。そういうことを実は毎日毎日実感しなくれはいけないのは、この私なのだ。
帰宅して、一生懸命遅い夕食にした。特別なことは何もしなかったが、子供達を見てもイライラしなかった。
娘の心根の優しさは知っている。
娘は私の心根など、凍り付いていると思っているだろう。それは私だけの責任であるという気がして来た。
どう転ぶのか、どっちに行くのか、全く分からない。
自分を叩き直して、愛し直す等、絶対にやるわけがない。それは今から分かっている。私の否を認め、捧げ尽くすことで、搾取されるのはやはり心の健康には良くない。彼女にも、必ず学ぶべきことはあるのだ。
今の私には自分が真面目に必死に生きて行くことを見せるしかできない。優しい言葉も悪用されると、人間与えられなくなって行く。それは身を以て学び、自分を守らなければ、まず生きて行かれないということを知っているからこそ、今の状況では優しい言葉は与えられないのである。彼女も保身し、私も保身している。どこまでも並行線である。
同僚との向き合ったデスクが象徴するように、私は彼を鏡のように見立てて、時々、ぽつっと娘のことを呟く。初めてこの話題が公になった場だった。そのことで、私の中で何かが始動した。もう埋もれさせているばかりではだめだと。
解決も答えもない。
でも車の中で、今日もワイパー越しに見える師走の夜の喧噪を眺めながら、周りが確実に変化しつつあり、少なくとも私はずっと考え続け、ずっと対面し続けていると実感した。毎日車の中で、新たなエネルギーを絞り出し、夕食を待つ子供達の元へ帰宅している。
歌われているように食って飲んで死ぬのだ。
それまで、必死で這いつくばりながらも生き続ける。それだけの話なのだ。
2011年12月22日木曜日
2011年12月18日日曜日
発見の喜び
昨日、今日と色々なことが起こった。それはすべて私の心を深く満たすもので、神から何か贈られたような、心の奥深くから満たされるような出来事であった。
毎日飛ぶように過ぎる中、息子の主科クラスの発表に行った。最後に演奏した息子は、驚くほどに大人になっており、私が14歳の頃には決して表現できなかったような音楽を奏でていた。
練習を見ることも殆どなくなって以来、息子は毎日6時間も練習することがあり、最近の頭の中には音楽のことしかないらしい。
つい最近まで、転校する話が出るほど、音楽の練習を重ねることが苦痛だったのに、驚くような成長振りである。思春期の心の成長は、本当にだんだんとではなく、フェーズごとに突然起こるらしい。
音楽性がない、何も感じていないのではないか、体の動きが伴わない、棒吹きであるなど、散々の評価を得て、彼の心の内を少しでも知る私でさえ、この子には表現するべき何もないのではないかと疑うこともあった。
その息子が、一人前に音楽をし、それこそ一音一音、一フレーズごとへの愛情をこめて、自分なりに先生に忠実に、作曲家の目指したものを尊重しながら、本当にすばらしい演奏をしたのだった。初めて、人の心にも何か触れるものがあったらしく、たくさんのほめ言葉を頂いて、彼も努力と意思の強さを認めてもらったことに満足のようであった。
私は、何も言わずに心の中で震えるような喜びを覚え、息子が「発見」を体験したことを神に感謝したいような気持ちだった。
子供の頃、虫を探して野原を歩き回り、やっと見つけた虫を逃した。日が暮れるまで探し続け、もうあきらめて家に帰ろうとしたときに、再びその虫に出会った時の感動を語っていたのは、数学者の岡潔であった。記憶に残るような発見の喜びというのがある。おそらく、息子の中では、何かこれに近い発見の喜びがあったに違いない。
それ以来、もう音楽のことしか頭にないのである。練習しなければ機嫌が悪く、練習が終われば、ご飯を食べるのも忘れて寝てしまうほど疲労していることが多々あった。
私の記憶には、彼の年頃、これほどの音楽に対する熱中はなかった。それはもっとずっと後のことだったのだ。
彼はおそらくこの先も、この発見の喜びを探し続け、練習を続けて、人の前で吹き、思い通りに行かずに落ち込み、また一からさらい直し、その過程で自分との関係を築き、自分を見つめ、音を通した交流に苦しみ、助けられていくことだろう。
きっとそんな道を息子はたどっていくのだ、もう心配ない、そういう確信が沸き起こったとき、私の心の中は、言い知れぬほどの喜びと感謝にあふれ、もうこれ以上望むことは何もないとまで思えたのだった。
____________
会社のクリスマスパーティーがあった。そこで得たものもまた大きく、類は友を呼ぶということわざを実感し、交流の楽しみというのを本当に何年かぶりに再発見した。
人に合わせること、会話の調子を合わせることなど、いくらでもできると言いそうになるほど、たくさんの場数を踏んできた。そしてどんな状況でもしり込みすることもなく、無言で取り残されることもなく、それなりに輪に入れるのである。
しかし、その後の疲労感はひどく、その時間に何の「交流」もなされていなかったということだけを確認するといったことばかりだった。
それが、昨晩のパーティーは違ったのだ。そこではたとえそれが場の雰囲気にのまれたものであったとしても、確実に交流があり、共感し合っていたのだ。そしてそこに流れていた空気は、本当に様々な人々から放射されるエネルギーが渦を巻いて溶け込んでいるかのように暖かいものだった。
ここでも、帰宅途中の車の中で、誰にともなく感謝をしたいという欲求が沸き起こり、ある種の感動を持って一日を終えたのである。
_____________
今日も、忙しく招待されて、とある音楽教室の発表会を聞きに行った。
そこでも、同じように小さな輪ができあがり、暖かい空気の流れの中、音楽好きという共通の興味を分かち合う人々が語り合っていた。
私は、彼らの心にも動かされたが、主催者であり、彼らの講師であり、私を招待してくれた人物が、君らのためだけにと、さらっと弾いてくれたピアノの演奏に、それはほんの2分足らずの時間であったが、何度か至福の和声を聞き、何かが本当に癒されたと感じたのである。
私は暖かい人々に囲まれて、本当に幸せなのだろう。
私生活には、苦しいことも、孤独であることも、変わらずに存在し、隠しようのない問題も山積みである。
それでも、私には与えることの許されている家族がいる。こうして様々な人々から得たありがたみこそ、そもそも生きているだけで、こうしたことにめぐり合えるのだという感謝として、家族へ、子供達への新たなるエネルギーへと変換して与えていくことができる。それだけでも非常に幸運なことなのだと思う。
いつも思うのだが、辛いのは、孤独なことでも、困難な問題を抱えていることでもない。
存在の底を揺らがされるような喜びを得たとき、その瞬間に、神なるものに対して感じる感謝を返す人が、隣に存在しないことの辛さ、喜びに震えたときに、隣を振り向いて、分かち合えないことの寂しさは、困難を一人きりで乗り切るよりも遥かに酷なことである。
そういう意味で、私の存在そのものが、真の交流を通して、どこかに共感や、温かみとしての時間を与えているのかもしれない、そうどこかで願い信じられることが、また自分への信頼として返ってくるのであった。
今年は、最後になって、こんな贈り物を得ることができた。
去年もすばらしい年であった。今年も更にすばらしかった。生きていくごとに、どんどんこのすばらしさは増してゆく、今はそんなことを本気で信じられるのである。
それはおそらく、どこかで苦しいときにも歯を食いしばって夢中で生きてきたから、単に毎日生活するなかで、様々な小さな感動を発見できるようになったのだろう。もしくは、幸福への「水位」が年々低くなって、いずれは太陽を見るだけでも幸福だと思えるようになるのかもしれない。
これも、実は発見の能力と関係があるのかもしれない。
誰にともなく、深く感謝をこめて何かを贈りたい、今晩はそういう気分である。
2011年5月27日金曜日
All Those Years Ago
レノンやビートルズに興味のなっかたには、一切面白くもない話である。
レノンが亡くなった後、長い間悲しみに打ちひしがれながら、私は何度この曲を聞き返したかわからない。
ハリスンの歌は、特に好きなわけではないが、ソロになってから随分と個性を伸ばし、才能を明らかにしていった気がする。
名曲が幾つか残され、私は My Sweet Lord など、カセットが擦り切れて切れてしまうまで、巻き戻して聞いていた。
ビートルズでは、他の二人に圧倒されていたが、ソロになって以来彼の内向的性質が、とても良い形で歌に、そして歌詞に出てきたのだろう。
今朝、仕事をしながらラジオで突然この All Those Years Ago がかかって、一瞬にして深い悲しみへと突き落とされてしまった。
あの頃、ウォークマンなどはなく、買ってもらったばかりの安物のモノラルのカセット レコーダーを机の上に置き宿題をして、ベッドの傍らに置きこの曲とともに眠りに入ったのを覚えている。
当時子どもだった私は、リリックを見ながら曲を楽しむと言うまでのレベルには達しておらず、メロディーを口ずさんでは、その内容を言葉の断片から想像して味わっていた。
それでも十分だったのだが、今日こうしてリリックを改めて読んでみて、その深さに驚いている。
レノンは、70年代のインタビューで、ハリスンすら洋子との関係には嫌な冗談を言ったり、嫌味を言うようなことがあり、唯一スターキー(リンゴ)と当時の妻、モーリーンだけがレノンの愛情問題に一言も口を出さなかったと言っている。
しかし、彼らの仲は決して悪かったわけではない。ビートルズ当時も、ツアー中二人は常に同室だった。ハリスンのシニカルなウィットは、レノンの気に入っていた。気難しく内向的なハリスンが、タフだが実は同じく内向的な面を強く持っているレノンに惹かれ、レノンがハリスンのそのような性質に目を向け、理解を示し尊重していたのではないだろうか。
そんな程度のことしか現時点では言えない。すべて憶測でしかないので、この辺はもう少し本を読み込んで検証したいと思っている。大変興味深い関係なのだ。
そして今回このリリックを読んで、涙が出てきた。
それは、もちろんこの曲自体の美しさ、素直さでもあるのだが、短い歌詞の中に、ハリスンがやはりレノンの本質を理解し、そしてそれを愛していたと確信させるものがあったのだ。
以下に気になるところを書いてみる。
文章そのものとは関係ないので、訳ではない。
「愛を叫んでいたけど、皆君を犬のように扱って。でも君ほどはっきりとそれをやった奴はいない」
「与えるとは何か、と語っていたけど、あまり正直に行動する奴はいなかった。でも君が愛こそはすべてと言った時、本気で真のやり方を指差していた。」
「良い時も悪い時も、君のことばかり見上げていた。今じゃ皆を傷つけたあの悪魔の親友が去って、寒さと悲しさしか残ってない」
「今では誰も神のことなんか忘れて、だから存在できるのに、あいつらの言うことはおかしいと、それを最初に言ったのは君だった。」
「皆が聞く耳を持っているわけじゃないのに、君はあえてそれを言った。もうずっとずっと前に。」
「そして君こそが、僕らの笑いと悲しみを支配していたのだ。」
レノンの当たって砕けろ的な、ストレートで純粋な姿が沸き起こるようなリリックである。
そして、彼の生きたことの核心を言い当てている。
You had control of our smiles and our tears
これは、おそらく本音なのだろう。そして知り合った頃から、本当にそうだったのに違いない。
ずっと振り回され続け、ずっと追い続けてきた姿を見て取れる。
ハリスンは、本当にレノンをあがめていたのだろうと思う。
だからこそ、レノンに傷つけられ、時に憎み喧嘩をしたが、それはハリスンがレノンの後をずっとついて行ったからである。
そして、そのハリスンも随分前に亡くなってしまった。
余談になるが、マッカートニーのトリビュートもので心に触れるものはなぜかない。
私個人の趣味の問題でもあるのかもしれないが、彼の性質は本当に合わないなと自分でも思う。
やはり彼自身が裸になって、自分の血の出る心臓を差し出しても、本気で語る、ということをしない人間なのである。
彼を庇護する為に言えば、そのようなものを持っていない、つまり与えないというわけでは決してない。
マッカートニーも、絶対に心臓を差し出しても守るものを持っているはずだし、投げ打っても本音を言わねばならない場面で、それを行ったことがあると、私は信じている。
しかし、彼は内面へあえて踏み込むことはしないのであろう。
そして、レノンを愛していたかどうか、その確信を今のところ得るには至っていない。
様々な方面から、やはり早く亡くなってしまったモーリーンがとても良い人間だったと聞く。
そのことも、スターキーの人間性を理解する上で、大切な部分となりそうなので、これもまたいずれ考えてみたい問題だ。
プライベートの写真などを見る限り、スターキーはシンプルで、ど正直である。
マッカートニーは、3度目の結婚に踏み込むそうであるが、今度のお相手は見るからにお似合いである。おそらく人生最後の伴侶となるのではないだろうか。
彼は、人間であるという以前に、ShowBizの人間であるという前提の方が先に来てしまう。そんなプロフェッショナルな男なのだ。
では、淋しい心を切り替えて、日常へ舞い戻ろう。
レノンが亡くなった後、長い間悲しみに打ちひしがれながら、私は何度この曲を聞き返したかわからない。
ハリスンの歌は、特に好きなわけではないが、ソロになってから随分と個性を伸ばし、才能を明らかにしていった気がする。
名曲が幾つか残され、私は My Sweet Lord など、カセットが擦り切れて切れてしまうまで、巻き戻して聞いていた。
ビートルズでは、他の二人に圧倒されていたが、ソロになって以来彼の内向的性質が、とても良い形で歌に、そして歌詞に出てきたのだろう。
今朝、仕事をしながらラジオで突然この All Those Years Ago がかかって、一瞬にして深い悲しみへと突き落とされてしまった。
あの頃、ウォークマンなどはなく、買ってもらったばかりの安物のモノラルのカセット レコーダーを机の上に置き宿題をして、ベッドの傍らに置きこの曲とともに眠りに入ったのを覚えている。
当時子どもだった私は、リリックを見ながら曲を楽しむと言うまでのレベルには達しておらず、メロディーを口ずさんでは、その内容を言葉の断片から想像して味わっていた。
それでも十分だったのだが、今日こうしてリリックを改めて読んでみて、その深さに驚いている。
レノンは、70年代のインタビューで、ハリスンすら洋子との関係には嫌な冗談を言ったり、嫌味を言うようなことがあり、唯一スターキー(リンゴ)と当時の妻、モーリーンだけがレノンの愛情問題に一言も口を出さなかったと言っている。
しかし、彼らの仲は決して悪かったわけではない。ビートルズ当時も、ツアー中二人は常に同室だった。ハリスンのシニカルなウィットは、レノンの気に入っていた。気難しく内向的なハリスンが、タフだが実は同じく内向的な面を強く持っているレノンに惹かれ、レノンがハリスンのそのような性質に目を向け、理解を示し尊重していたのではないだろうか。
そんな程度のことしか現時点では言えない。すべて憶測でしかないので、この辺はもう少し本を読み込んで検証したいと思っている。大変興味深い関係なのだ。
そして今回このリリックを読んで、涙が出てきた。
それは、もちろんこの曲自体の美しさ、素直さでもあるのだが、短い歌詞の中に、ハリスンがやはりレノンの本質を理解し、そしてそれを愛していたと確信させるものがあったのだ。
以下に気になるところを書いてみる。
文章そのものとは関係ないので、訳ではない。
「愛を叫んでいたけど、皆君を犬のように扱って。でも君ほどはっきりとそれをやった奴はいない」
「与えるとは何か、と語っていたけど、あまり正直に行動する奴はいなかった。でも君が愛こそはすべてと言った時、本気で真のやり方を指差していた。」
「良い時も悪い時も、君のことばかり見上げていた。今じゃ皆を傷つけたあの悪魔の親友が去って、寒さと悲しさしか残ってない」
「今では誰も神のことなんか忘れて、だから存在できるのに、あいつらの言うことはおかしいと、それを最初に言ったのは君だった。」
「皆が聞く耳を持っているわけじゃないのに、君はあえてそれを言った。もうずっとずっと前に。」
「そして君こそが、僕らの笑いと悲しみを支配していたのだ。」
レノンの当たって砕けろ的な、ストレートで純粋な姿が沸き起こるようなリリックである。
そして、彼の生きたことの核心を言い当てている。
You had control of our smiles and our tears
これは、おそらく本音なのだろう。そして知り合った頃から、本当にそうだったのに違いない。
ずっと振り回され続け、ずっと追い続けてきた姿を見て取れる。
ハリスンは、本当にレノンをあがめていたのだろうと思う。
だからこそ、レノンに傷つけられ、時に憎み喧嘩をしたが、それはハリスンがレノンの後をずっとついて行ったからである。
そして、そのハリスンも随分前に亡くなってしまった。
余談になるが、マッカートニーのトリビュートもので心に触れるものはなぜかない。
私個人の趣味の問題でもあるのかもしれないが、彼の性質は本当に合わないなと自分でも思う。
やはり彼自身が裸になって、自分の血の出る心臓を差し出しても、本気で語る、ということをしない人間なのである。
彼を庇護する為に言えば、そのようなものを持っていない、つまり与えないというわけでは決してない。
マッカートニーも、絶対に心臓を差し出しても守るものを持っているはずだし、投げ打っても本音を言わねばならない場面で、それを行ったことがあると、私は信じている。
しかし、彼は内面へあえて踏み込むことはしないのであろう。
そして、レノンを愛していたかどうか、その確信を今のところ得るには至っていない。
様々な方面から、やはり早く亡くなってしまったモーリーンがとても良い人間だったと聞く。
そのことも、スターキーの人間性を理解する上で、大切な部分となりそうなので、これもまたいずれ考えてみたい問題だ。
プライベートの写真などを見る限り、スターキーはシンプルで、ど正直である。
マッカートニーは、3度目の結婚に踏み込むそうであるが、今度のお相手は見るからにお似合いである。おそらく人生最後の伴侶となるのではないだろうか。
彼は、人間であるという以前に、ShowBizの人間であるという前提の方が先に来てしまう。そんなプロフェッショナルな男なのだ。
では、淋しい心を切り替えて、日常へ舞い戻ろう。
Im shouting all about love
While they treated you like a dog
When you were the one who had made it
So clear
All those years ago.
Im talking all about how to give
They dont act with much honesty
But you point the way to the truth when you say
All you need is love.
Living with good and bad
I always look up to you
Now were left cold and sad
By someone the devils best friend
Someone who offended all.
Were living in a bad dream
Theyve forgotten all about mankind
And you were the one they backed up to
The wall
All those years ago
You were the one who imagined it all
All those years ago.
Deep in the darkest night
I send out a prayer to you
Now in the world of light
Where the spirit free of the lies
And all else that we despised.
Theyve forgotten all about god
Hes the only reason we exist
Yet you were the one that they said was
So weird
All those years ago
You said it all though not many had ears
All those years ago
You had control of our smiles and our tears
All those years ago
While they treated you like a dog
When you were the one who had made it
So clear
All those years ago.
Im talking all about how to give
They dont act with much honesty
But you point the way to the truth when you say
All you need is love.
Living with good and bad
I always look up to you
Now were left cold and sad
By someone the devils best friend
Someone who offended all.
Were living in a bad dream
Theyve forgotten all about mankind
And you were the one they backed up to
The wall
All those years ago
You were the one who imagined it all
All those years ago.
Deep in the darkest night
I send out a prayer to you
Now in the world of light
Where the spirit free of the lies
And all else that we despised.
Theyve forgotten all about god
Hes the only reason we exist
Yet you were the one that they said was
So weird
All those years ago
You said it all though not many had ears
All those years ago
You had control of our smiles and our tears
All those years ago
2010年10月31日日曜日
今年の誕生日
去年の誕生日は混沌としたものだった。
友人ともいえない知人とつるんで、夜遅くまで飲んだのではなかったか。
彼らは私が作った友人ではなかったのだ。
私が誰かの取り巻きでしかなかった時代の、不思議な誕生日だった。
自分ひとりで築いたのではない、誰かの世界に属している人々を知人としてあてがわれた形の人々との関係は、不安と義務に満ちており、無理強いしても好意を膨らませていかなくてはならないという強迫感。
リラックスもできず、いつかは切れてしまうのも当然の結果なのだ。
そんな檻から自分で再び這い出したのは、もう8ヶ月ぐらい前の話になる。
それ以来、私の周りには新しい何かが作用し始めて、多くの人と知り合うことができた。
友人とは、本当に知り合うべくして知り合うものだとつくづく思う。
知り合いが、私の人生に及ぼす影響は限りなく少ないとしても、友人の意味するところ本当に大きい。
外国生活が長くなっても、ドイツ人の性質というのもあってか、私のこの引きこもり的性格による原因の方が大きいとは思うのだが、あまり友人と呼べる人がいない。
引越しを重ねてきたのもひとつの理由だろう。
そして、私の変な人の良さが、友人関係に疲れを覚えてしまう要因であるのかもしれない。
ところが、ここ最近、檻から抜け出した途端に、さまざまなことが再び動き出したのだ。
家族に心配事が起きたり、仕事面で大きなターニングポイントが訪れたり。
私自身の身の回りの扉が一斉に開きだしたように、問題は私と誰かとの関係ではなく、私の身の回りに絞られ、私に与えられた強制的友人は消え去り、替わりに思ってもいない偶然で知り合ったり再開したりする人間との発展があった。
そうして、これまで仕事を通して共同作業をしてきた人々とは、仕事以外の面でも大きな人間的意味を持ち始めて、私はすでに彼らにたいして、仕事上の乾燥した会話だけではない関係を感じ始めている。
その皆と、昨夜私の誕生日には、鍋を囲んで楽しく会話が弾んだ。
仲間が集まって、打ち解けて話し出すと、実は信じられないほど相手が遠い世界に存在していることを知ってしまい、どうしても噛み合わない歯車に孤独を覚えた、ということは数多くある。知っていたようで、知らなかった人々。それは友人ではなく、互いに友人を探している人々であったのかもしれない。
しかし、昨夜はそうでなかった。
仕事の仲間なので、悉くドライに振舞おうとしてきた仲間である。それが、どこからともなく集まろうという話になって、期待もせずに集まってみたけれど、それが思わず暖かい集まりとなって、話せば話すほど、お互いのシンパシーが高まっていくという、本当にまれにみる幸運だったのだ。
私が檻から出たことによって、いろいろなことが動き出し、私は無意識に選び、無意識に選ばれている。孤独を恐れずに、自分とあまり意味のない繋がっていただけの糸を切ってみると、私自身の糸は、孤独の中にも、自由に自分自身の物語をつむぐための前準備をしてきたのかもしれない。
その下地が、今ある仕事の発展であり、彼らと共に、それぞれがプライベートでも近づきになっていくこの過程なのかもしれない。
一番近しい彼の奥さんが、私を見て、会が終わった後に、すぐさま言ったらしい。
「彼女は、あなたと双子なのね」
彼女は、華奢でメイクもないもしないその素顔が、惚れ惚れするほど美しい。
パリで大学を出て、彼のいるベルリンに移り住んできたのだが、才女とは思えないほどのやわらかさ、しなやかさを持っている。私より10歳も若いと思われるが、少女の面影はなく、彼女は立派な魅力的な女性である。
彼女が、何を持って彼女の夫である彼が私と双子だと称したのか謎なのだが、私はそれを美しい女性からの好意だと受け取った。
彼と私は、会った瞬間から意気投合したし、何より仕事の段取りでのテンポや優先順位のつけ方、または効率に対する考え方がぴったりと一致している。二人三脚のように二人で組むと仕事が上手くいくのである。
そういう彼に、私は大きく一目を置いている。そして、おそらく彼自身も、私と仕事をすることを「楽しい」と表現する気持ちに嘘はないのだと思う。
常に家にいて、まだ小さな子供の面倒を見ている彼女は、私のことを聞き伝にしか知らない。けれど、私たちの仕事の楽しさは、彼女に伝わっていたのだろうし、その相棒を現実に見たら、なんと似たもの同士じゃないの、といった彼女に、私はどんな理由なのかさっぱり分からないが、底なしの信頼と好感を持っている。
おそらくそれは、男女の仲にも、本当に信頼できる友情というものが、あってもおかしくないのだという、そういう友情の始まりに対するひとつの肯定的な証明に感じたからなのかもしれない。
結婚している男性と近しくなると、必ず私はある種の不安感と罪悪感を抱く。
それは、私自身が結婚していた当時に、そういった夫の同僚女性のせいで言い尽くせぬほどの孤独を味わったからであり、そういった女性達がやはり女である立場を決して忘れているわけではないという場面を、嫌というほど見せ付けられてきたからに違いない。
私は、偽善ぶる気持ちなどまったく抜きに、彼女にそういう不安感を抱かせることになったとしたらは本当に心苦しい。
それと同時に、男性と友人関係であるという状況に陥らないように距離を保つべきであるという、多くの場合正しい選択を時に非常に残念だと感じていたのかもしれない。
そこで出会ったこの彼とも、まったく友情という言葉も、プライベートという言葉も抜きに接してきたが、仕事上の意気投合はすべてにおいて肯定的で、隠し立てするような問題ではないのだが、わけの分かららぬ不安が沸き始めていたのかもしれない。
彼女が、私をすんなりその輪に受け入れてくれたことは、私の誕生プレゼントのひとつであり、私は大きく安堵して、仕事上でもプライベートでも、この心からシンパシーを感じている彼と、そして彼のすばらしい家族とを友人だと思って良いのだというお墨付きをもらった気分なのだ。
欧州では、男女というものがやはり表面に常に浮き彫りにされており、それを超えて勝手に友情だと思い込んで、好き勝手に仲良くし、関係を築こうとするのは、無礼にあたるし、あまりにも世間知らずで無知である。
そしてたいていの場合、そんな友情は存在しないのである。
けれど、だからといって、あきらめてしまうには、あまりにももったいない「興味」というのがある。それをなんとか形にしてゆくには、自分で私は女ではない、といっているだけではまったく十分でなく、自分のセクシュアリティをニュートラルにする要因が必要となる。それは、互いの結婚だけでも十分ではなく、友人関係となる相手のパートナーにも、同じように深い愛情を抱くことである。その人を何があっても傷つけないという、二人一組と友情を築いていく、そういう思いやりがないと上手くいかない。そんな風にしか、私は男女の友情には可能性がないのじゃないかと思っている。
今後、この仲間たちとどうなってゆくのか分からないけれど、彼らは私にあてがわれた人間ではなく、私が一人きりで生きていく中で、必然的に私の人生を通り過ぎてゆく人々で、そしてすでにこの短い期間で、幾ばくかの影響を与えてくれている。
このめぐり合い、そしてこの作用のダイナミクスからも、私の人生が再び過渡期に差し掛かり、今もまだ浮遊を続けているのだと実感する。
そして彼らも、おそらく新しいなにか見つけるべく、彼らなりの流れに乗っていることだろう。私が彼らのつむぐ物語の中で、ただの動く知り合いでしかないのか、なんらかの痕跡を残すことになる友人となりうるのか、私には知る由もないが、願わくば、友人となって行きたいと、ひそかに願っている。そして、彼らにはそのために必要な、小さな愛情の積み重ねを、本当に厭わずに注ぎ込んで生きたいという気持ちがあることを、私は昨夜実感した。
本当に素敵な誕生日だった。
2010年8月22日日曜日
ONCE
夏休みに実家で見た映画。
私の原点ともいえる単調アコースティックソングの魅力を十分に表現している映画だった。
音楽とその繊細な感情のやり取り、そして野暮と言われようと、愛というものをごく純粋に信じている姿に感銘を受けた。
Lyrics | Glen Hansard - Falling Slowly lyrics
私の原点ともいえる単調アコースティックソングの魅力を十分に表現している映画だった。
音楽とその繊細な感情のやり取り、そして野暮と言われようと、愛というものをごく純粋に信じている姿に感銘を受けた。
Lyrics | Glen Hansard - Falling Slowly lyrics
2010年6月16日水曜日
春の病気
五月中、天気が悪く、今頃やっと五月になったような気分である。
そよ風、春の匂い、まぶしい太陽の光、外に繰り出す人々。
すべてが、ほんの少しでも私の心を躍らせる。
詩人の恋 Op. 48
Part 1, Songs 1-6
Im wunderschönen Monat Mai,
いと麗しき五月に
Als alle Knospen sprangen,
全ての蕾が花開いた時
Da ist in meinem Herzen
僕の心の中で
Die Liebe aufgegangen.
愛が芽生えた
Im wunderschönen Monat Mai,
いと麗しき五月に
Als alle Vögel sangen,
全ての鳥たちが歌をさえずった時
Da hab ich ihr gestanden
僕は彼女に
Mein Sehnen und Verlangen.
憧れと想いを打ち明けた
Aus meinen Tränen sprieße
僕の涙から
Viel blühende Blumen hervor,
たくさんの花が咲き出して
Und meine Seufzer werden
そして僕のため息は
Ein Nachtigallenchor.
小夜鳴鳥たちの合唱となる
Und wenn du mich lieb hast, Kindchen,
君が僕のことを好きならば、愛しい子よ
Schenk ich dir die Blumen all,
僕は君にこの花全て贈ろう
Und vor deinem Fenster soll klingen
そして君の窓辺には
Das Lied der Nachtigall.
小夜鳴鳥たちの歌声が響く
Die Rose, die Lilje, die Taube, die Sonne,
バラ、ユリ、鳩、太陽
Die liebt ich einst alle in Liebeswonne.
かつて僕は愛の喜びの中でこれらを愛した
Ich lieb sie nicht mehr, ich liebe alleine
今はもう愛してはいない、僕は
Die Kleine, die Feine, die Reine, die Eine;
小さく、繊細で、純粋な、一人だけを愛している
Sie selber, aller Liebe Bronne,
全ての愛の泉である彼女自身は、
Ist Rose und Lilje und Taube und Sonne.
バラであり、ユリであり、鳩であり、そして太陽なのだ
Wenn ich in deine Augen seh',
僕が君の目の中を覗くとだけで
So schwindet all' mein Leid und Weh;
すべての苦悩と痛みが消えてゆく
Doch wenn ich küße deinen Mund,
僕が君の口にキスをすれば
So werd' ich ganz und gar gesund.
僕の身体中が健康になる
Wenn ich mich lehn' an deine Brust,
僕が君の胸にもたれかかると
Kommt's über mich wie Himmelslust;
無上の幸福が湧き上がってくる
Doch wenn du sprichst: ich liebe dich!
そして君が「あなたを愛しているわ!」と言うならば
So muß ich weinen bitterlich.
僕はさめざめと泣くしかない
Ich will meine Seele tauchen
僕は僕の魂の中に沈み込みたい
In den Kelch der Lilie hinein;
ユリの花房の中に
Die Lilie soll klingend hauchen
そしてユリのため息が響くだろう
Ein Lied von der Liebsten mein.
それは僕の最も愛する人の歌
Das Lied soll schauern und beben
この歌は震えて慄くだろう
Wie der Kuß von ihrem Mund,
彼女の口によるキスのように
Den sie mir einst gegeben
かつて彼女が僕にくれたあの口
In wunderbar süßer Stund'.
素晴らしく甘い時間
Im Rhein, im heiligen Strome,
ライン河の聖なる流れの中に
Da spiegelt sich in den Well'n
波の合間に
Mit seinem großen Dome
あの大きなドームが反射している
Das große, heil'ge Köln.
大きく聖なるケルン
Im Dom da steht ein Bildnis,
ドームの中には肖像画がある
Auf goldenem Leder gemalt;
金色の革に描かれおり
In meines Lebens Wildnis
僕の人生の荒野の中に
Hat's freundlich hinein gestrahlt.
優しくそれは輝き込んできた
Es schweben Blumen und Eng'lein
花や天使が
Um unsre liebe Frau;
僕達の愛する女性の周りに浮遊している
Die Augen, die Lippen, die Wänglein,
目、唇、そして小さな頬は
Die gleichen der Liebsten genau.
最も愛する人のものと同じ
(拙訳)
Dietrich Fischer-Dieskau (baritone)
Gerald Moore (piano)
_____________
サッカー戦で興奮したのだろう。
そうしてワインをいつも少しより大目に呑んだのだ。
子供達とサッカーを観戦しながら食事をし、私の家に連れて帰ってきた。
玄関先で、酔ったために目を潤ませて、私をまじまじと見る。
そして、何かを言いかけた。
いつもの茶番と同じことを、何年も何年も言い続けているあのことが、また口をついて出た。
酔っていても、真面目であっても、悲しく苦しい時にも、彼の気持ちに嘘は見えない。
けれども、いつまで過去に支配されて生きれば良いのだろうか。
過去に終止符を打ちたい自分と同時に、過去をどこまでも引きずって、この悲しみや痛みと共に、
私にとてつもなく深い信頼を与えてくれる見えない糸を切りたくないとも思うのだ。
酔っていても、笑っていても、涙を流していても、辛苦を噛んでいても、私達の空間にあるZuneigungは、必ずいつも存在し、そして決して消えることがない。
茶番だと笑い飛ばして、彼に礼を言って送り出した。
そして、キッチンに行くとそこにはいつの間にか、彼の新しいCDが置いてあったのだ。
以前、これは君のために演奏し、君のために録音したというあのCDが。
次の日彼は突然尋ねてきた。
昨日は悪かった。ああいうことを言ったりして、謝りたかったから立ち寄ったんだ。
良いのよ。何にも気にしていない。もうあなたの発言に惑わされるようなことはなくなったのよ。
そりゃそうだね。
一杯飲まない?
行こうか。
そして二人で向かいのカフェで一杯だけビールを注文した。
まだ太陽が斜めに差しており、手でその光をかざしながら、並木通りの緑をボーっと眺める。
きらきらと光る深緑の葉は、若干オレンジがかって、儚いほど美しかった。
何も話さず、向かい合って座り、目が合えば微笑んだ。
そして、お互い同時に、この素晴らしい友情と関係は、神に感謝しなければならないほどの宝ものなのだと納得しあう。
しかも、一切の言葉を必要とせずに。
これほどの関係は、もう二度と得ることはないだろう。
男女の関係などといった枠組みなどをすっかり取り外してしまったこの関係は、
自由に開放されており、私達の魂は互いの中を行ったり来たりできるのだ。
時に共鳴し合い、融合し合い、そしてまた離れてそれぞれの胸中に帰ってくる。
これは、一切の言葉がないからこそ可能なのかもしれない。
そして、私たちが分離しているからこそ、可能なのかもしれない。
エロスは、どんな影響を与えることもなく、私達の間に扉として存在し、そして私達の信頼を固め、尊敬を保ちつつ、私達の融合を可能にしてくれる。
春には、ある種の魔術が働いているのではないかと、自然の中にふっと小さな命の息吹を見出すたびに、感じてしまうのである。
そよ風、春の匂い、まぶしい太陽の光、外に繰り出す人々。
すべてが、ほんの少しでも私の心を躍らせる。
詩人の恋 Op. 48
Part 1, Songs 1-6
Im wunderschönen Monat Mai,
いと麗しき五月に
Als alle Knospen sprangen,
全ての蕾が花開いた時
Da ist in meinem Herzen
僕の心の中で
Die Liebe aufgegangen.
愛が芽生えた
Im wunderschönen Monat Mai,
いと麗しき五月に
Als alle Vögel sangen,
全ての鳥たちが歌をさえずった時
Da hab ich ihr gestanden
僕は彼女に
Mein Sehnen und Verlangen.
憧れと想いを打ち明けた
Aus meinen Tränen sprieße
僕の涙から
Viel blühende Blumen hervor,
たくさんの花が咲き出して
Und meine Seufzer werden
そして僕のため息は
Ein Nachtigallenchor.
小夜鳴鳥たちの合唱となる
Und wenn du mich lieb hast, Kindchen,
君が僕のことを好きならば、愛しい子よ
Schenk ich dir die Blumen all,
僕は君にこの花全て贈ろう
Und vor deinem Fenster soll klingen
そして君の窓辺には
Das Lied der Nachtigall.
小夜鳴鳥たちの歌声が響く
Die Rose, die Lilje, die Taube, die Sonne,
バラ、ユリ、鳩、太陽
Die liebt ich einst alle in Liebeswonne.
かつて僕は愛の喜びの中でこれらを愛した
Ich lieb sie nicht mehr, ich liebe alleine
今はもう愛してはいない、僕は
Die Kleine, die Feine, die Reine, die Eine;
小さく、繊細で、純粋な、一人だけを愛している
Sie selber, aller Liebe Bronne,
全ての愛の泉である彼女自身は、
Ist Rose und Lilje und Taube und Sonne.
バラであり、ユリであり、鳩であり、そして太陽なのだ
Wenn ich in deine Augen seh',
僕が君の目の中を覗くとだけで
So schwindet all' mein Leid und Weh;
すべての苦悩と痛みが消えてゆく
Doch wenn ich küße deinen Mund,
僕が君の口にキスをすれば
So werd' ich ganz und gar gesund.
僕の身体中が健康になる
Wenn ich mich lehn' an deine Brust,
僕が君の胸にもたれかかると
Kommt's über mich wie Himmelslust;
無上の幸福が湧き上がってくる
Doch wenn du sprichst: ich liebe dich!
そして君が「あなたを愛しているわ!」と言うならば
So muß ich weinen bitterlich.
僕はさめざめと泣くしかない
Ich will meine Seele tauchen
僕は僕の魂の中に沈み込みたい
In den Kelch der Lilie hinein;
ユリの花房の中に
Die Lilie soll klingend hauchen
そしてユリのため息が響くだろう
Ein Lied von der Liebsten mein.
それは僕の最も愛する人の歌
Das Lied soll schauern und beben
この歌は震えて慄くだろう
Wie der Kuß von ihrem Mund,
彼女の口によるキスのように
Den sie mir einst gegeben
かつて彼女が僕にくれたあの口
In wunderbar süßer Stund'.
素晴らしく甘い時間
Im Rhein, im heiligen Strome,
ライン河の聖なる流れの中に
Da spiegelt sich in den Well'n
波の合間に
Mit seinem großen Dome
あの大きなドームが反射している
Das große, heil'ge Köln.
大きく聖なるケルン
Im Dom da steht ein Bildnis,
ドームの中には肖像画がある
Auf goldenem Leder gemalt;
金色の革に描かれおり
In meines Lebens Wildnis
僕の人生の荒野の中に
Hat's freundlich hinein gestrahlt.
優しくそれは輝き込んできた
Es schweben Blumen und Eng'lein
花や天使が
Um unsre liebe Frau;
僕達の愛する女性の周りに浮遊している
Die Augen, die Lippen, die Wänglein,
目、唇、そして小さな頬は
Die gleichen der Liebsten genau.
最も愛する人のものと同じ
(拙訳)
Dietrich Fischer-Dieskau (baritone)
Gerald Moore (piano)
_____________
サッカー戦で興奮したのだろう。
そうしてワインをいつも少しより大目に呑んだのだ。
子供達とサッカーを観戦しながら食事をし、私の家に連れて帰ってきた。
玄関先で、酔ったために目を潤ませて、私をまじまじと見る。
そして、何かを言いかけた。
いつもの茶番と同じことを、何年も何年も言い続けているあのことが、また口をついて出た。
酔っていても、真面目であっても、悲しく苦しい時にも、彼の気持ちに嘘は見えない。
けれども、いつまで過去に支配されて生きれば良いのだろうか。
過去に終止符を打ちたい自分と同時に、過去をどこまでも引きずって、この悲しみや痛みと共に、
私にとてつもなく深い信頼を与えてくれる見えない糸を切りたくないとも思うのだ。
酔っていても、笑っていても、涙を流していても、辛苦を噛んでいても、私達の空間にあるZuneigungは、必ずいつも存在し、そして決して消えることがない。
茶番だと笑い飛ばして、彼に礼を言って送り出した。
そして、キッチンに行くとそこにはいつの間にか、彼の新しいCDが置いてあったのだ。
以前、これは君のために演奏し、君のために録音したというあのCDが。
次の日彼は突然尋ねてきた。
昨日は悪かった。ああいうことを言ったりして、謝りたかったから立ち寄ったんだ。
良いのよ。何にも気にしていない。もうあなたの発言に惑わされるようなことはなくなったのよ。
そりゃそうだね。
一杯飲まない?
行こうか。
そして二人で向かいのカフェで一杯だけビールを注文した。
まだ太陽が斜めに差しており、手でその光をかざしながら、並木通りの緑をボーっと眺める。
きらきらと光る深緑の葉は、若干オレンジがかって、儚いほど美しかった。
何も話さず、向かい合って座り、目が合えば微笑んだ。
そして、お互い同時に、この素晴らしい友情と関係は、神に感謝しなければならないほどの宝ものなのだと納得しあう。
しかも、一切の言葉を必要とせずに。
これほどの関係は、もう二度と得ることはないだろう。
男女の関係などといった枠組みなどをすっかり取り外してしまったこの関係は、
自由に開放されており、私達の魂は互いの中を行ったり来たりできるのだ。
時に共鳴し合い、融合し合い、そしてまた離れてそれぞれの胸中に帰ってくる。
これは、一切の言葉がないからこそ可能なのかもしれない。
そして、私たちが分離しているからこそ、可能なのかもしれない。
エロスは、どんな影響を与えることもなく、私達の間に扉として存在し、そして私達の信頼を固め、尊敬を保ちつつ、私達の融合を可能にしてくれる。
春には、ある種の魔術が働いているのではないかと、自然の中にふっと小さな命の息吹を見出すたびに、感じてしまうのである。
2010年6月2日水曜日
音楽への道は過酷である。
やるからには、その辺の音楽教師で良いなどという気持ちでは、鄙びた町の片隅の教師にもなれない。芸術の一部であるにもかかわらず、現実は競争に競争を重ねた世界である。
スポーツとの違いはどこにあるかと聞きたい。
また表現といったって、内面に向かう声を音に聴く耳を持った人間は少なく、教師、教授クラスだって、そんな耳を持たないものが大半である。
所謂競技的な教育は、楽譜に書いてあるダイナミクスを大げさに身体で表現し、楽譜を忠実に聴き取れるというレベルであれば良いのである。それが音楽性といわれるもので、和声を汲み取っているか、本人にしかわからぬ程の、実に繊細な音質の変化、音符の間隔、合間の取り方などは、学生である間は、無視したとしても、楽譜に忠実に、大げさな強弱表現をして、大きく体を動かして舞台で堂々と演奏する能力こそ、期待されているのである。
さて、息子は、音楽のエリート校といわれる学校に通っている。自慢でもなんでもない。むしろあんなところに入れた親として、責任を感じている。
その学校で、バリバリに体育会系、つまり学生、生徒の「出来」栄えで、自分のキャリアを証明する教授の門下に入り、全くのダメ息子、音楽性ゼロといわれているのが、うちの息子である。
私は、有名であるとか、テレビなどの露出メディアだとか、そういうメディアに出演している演奏家との共演などを出来るだけ断り続けて、地味に徹し、マスメディアの価値観に、絶対に自分の芸術を持ち込まないという彼の父親と共に学び、共に暮らしてきた人間である。
息子の音楽性を聴く耳は、教授のそれとは真反対の価値観に匹敵し、まったく接点がない。教授が才能あるという子供達こそ、ロボットのように楽譜の強弱をつけて、見せる音楽をするために身体を動かして、絶対に間違えない「安定性」を最強の武器にしている。
私にしてみれば、その子たちの音楽を聴いて、一瞬たりとも、このような繊細な感性はすごい、このような深い情景が聞こえてきたのは初めてだ、といったような感想を持ったことはない。「すごいね、君のテクニック。ドイツ製のロボットのできは、最高レベルで、これなら野太い音で、素晴らしい土のにおいのする完璧音楽マシンになるね。」と言うお墨付きを与えるぐらいである。
息子のは、貧弱で、テクニックも危うく、比べてば見劣りがし、まったくこの怠け者は、聞いているものをひやひやさせる!と、こちらの怒りも心頭なのである。
しかし、音楽への感性、音への感性と言うものがあるとすれば、この息子なのだ。
バリバリと、割れるような野太い音で安全に演奏し、スポーツ選手のような、筋肉質な野心で、負けじと迫ってくる演奏では、私の心は動かない。競技を終えた後、なかなかでしたねという、技術への感心は出てきても、それは音楽だったと言われると、すっかりハテナ印が頭上を飛び交うほど、音楽であったと言う実感がないのである。
息子は、殆ど気付かないポイントとやり方で、感じていることを音にしているのが聞こえる。この子には才能があるなと、「聴く耳」にはわかるのである。
ところが、この怠け者と、この自信のなさから来る不安定性と、このときに繊細すぎる性格では、この過酷なスポーツの世界を生き抜くことは出来ない。
不本意であるが、勝ち抜くのは上述の野太い子供達である。
その中から時々、本物が出るが、そんなのは100分の1ぐらいで、殆どは凡庸な才能をどう扱うかという問題になる。
凡庸な才能と言えば、野太い子達も息子も似たような凡庸な才能である。
しかし、世界は聞こえるもの、見えるもの、迫り来るもの、そして「引っ込み思案」でないものを認めるのである。
それを愛するのがマスメディアの規準なのだ。
息子をこの学校から引っ張り出そうかと思っている。
あの子は、頭の良いしどこでもやっていかれる。
あんな凡庸で繊細な傷つきやすい才能で、このようなスポーツ競技系エリート校にいるのは、確かに難しい。
私は、その内情を知っているからこそ、昨今の主流音楽業界に吐き気がするからこそ、この辞めさせちまおうという病が出てきてしまう。
まあ息子に決心させよう。
あんなにスポーツ競技同様に、「一流音楽家の卵」を排出、あるいは生産し続ける教育とは何かと、段々はらわたが煮えくり返ってくるのである。
やるからには、その辺の音楽教師で良いなどという気持ちでは、鄙びた町の片隅の教師にもなれない。芸術の一部であるにもかかわらず、現実は競争に競争を重ねた世界である。
スポーツとの違いはどこにあるかと聞きたい。
また表現といったって、内面に向かう声を音に聴く耳を持った人間は少なく、教師、教授クラスだって、そんな耳を持たないものが大半である。
所謂競技的な教育は、楽譜に書いてあるダイナミクスを大げさに身体で表現し、楽譜を忠実に聴き取れるというレベルであれば良いのである。それが音楽性といわれるもので、和声を汲み取っているか、本人にしかわからぬ程の、実に繊細な音質の変化、音符の間隔、合間の取り方などは、学生である間は、無視したとしても、楽譜に忠実に、大げさな強弱表現をして、大きく体を動かして舞台で堂々と演奏する能力こそ、期待されているのである。
さて、息子は、音楽のエリート校といわれる学校に通っている。自慢でもなんでもない。むしろあんなところに入れた親として、責任を感じている。
その学校で、バリバリに体育会系、つまり学生、生徒の「出来」栄えで、自分のキャリアを証明する教授の門下に入り、全くのダメ息子、音楽性ゼロといわれているのが、うちの息子である。
私は、有名であるとか、テレビなどの露出メディアだとか、そういうメディアに出演している演奏家との共演などを出来るだけ断り続けて、地味に徹し、マスメディアの価値観に、絶対に自分の芸術を持ち込まないという彼の父親と共に学び、共に暮らしてきた人間である。
息子の音楽性を聴く耳は、教授のそれとは真反対の価値観に匹敵し、まったく接点がない。教授が才能あるという子供達こそ、ロボットのように楽譜の強弱をつけて、見せる音楽をするために身体を動かして、絶対に間違えない「安定性」を最強の武器にしている。
私にしてみれば、その子たちの音楽を聴いて、一瞬たりとも、このような繊細な感性はすごい、このような深い情景が聞こえてきたのは初めてだ、といったような感想を持ったことはない。「すごいね、君のテクニック。ドイツ製のロボットのできは、最高レベルで、これなら野太い音で、素晴らしい土のにおいのする完璧音楽マシンになるね。」と言うお墨付きを与えるぐらいである。
息子のは、貧弱で、テクニックも危うく、比べてば見劣りがし、まったくこの怠け者は、聞いているものをひやひやさせる!と、こちらの怒りも心頭なのである。
しかし、音楽への感性、音への感性と言うものがあるとすれば、この息子なのだ。
バリバリと、割れるような野太い音で安全に演奏し、スポーツ選手のような、筋肉質な野心で、負けじと迫ってくる演奏では、私の心は動かない。競技を終えた後、なかなかでしたねという、技術への感心は出てきても、それは音楽だったと言われると、すっかりハテナ印が頭上を飛び交うほど、音楽であったと言う実感がないのである。
息子は、殆ど気付かないポイントとやり方で、感じていることを音にしているのが聞こえる。この子には才能があるなと、「聴く耳」にはわかるのである。
ところが、この怠け者と、この自信のなさから来る不安定性と、このときに繊細すぎる性格では、この過酷なスポーツの世界を生き抜くことは出来ない。
不本意であるが、勝ち抜くのは上述の野太い子供達である。
その中から時々、本物が出るが、そんなのは100分の1ぐらいで、殆どは凡庸な才能をどう扱うかという問題になる。
凡庸な才能と言えば、野太い子達も息子も似たような凡庸な才能である。
しかし、世界は聞こえるもの、見えるもの、迫り来るもの、そして「引っ込み思案」でないものを認めるのである。
それを愛するのがマスメディアの規準なのだ。
息子をこの学校から引っ張り出そうかと思っている。
あの子は、頭の良いしどこでもやっていかれる。
あんな凡庸で繊細な傷つきやすい才能で、このようなスポーツ競技系エリート校にいるのは、確かに難しい。
私は、その内情を知っているからこそ、昨今の主流音楽業界に吐き気がするからこそ、この辞めさせちまおうという病が出てきてしまう。
まあ息子に決心させよう。
あんなにスポーツ競技同様に、「一流音楽家の卵」を排出、あるいは生産し続ける教育とは何かと、段々はらわたが煮えくり返ってくるのである。
2010年4月4日日曜日
マタイ受難曲聴きてみたいが
1. Arie.
Erbarme dich, mein Gott,
Um meiner Zähren Willen!
Schaue hier, Herz und Auge
Weint vor dir bitterlich.
Erbarme dich, erbarme dich!
1. Aria.
Have mercy, my God,
for the sake of my tears!
Look here, heart and eyes
weep bitterly before You.
Have mercy, have mercy!
Chapelle Royale.
Rene Jacobs (Countertenor).
Dir. Philippe Herreweghe.
外で鳥が鳴いている。もう七時を回ったが、まだまだ明るいからだろう。春となると一気に明朗な雰囲気に溢れるから不思議。
今日は復活祭だが、昨日に引き続き、重々しい心を引きずりながら、でも内面の中心には、溶岩のように熱いものが沸き立っているのを感じる。
それがナンなんだか、全く分からないが。
イエスの生涯を考えながら、やはり無抵抗な生き方に思いを馳せた。
人の心を動かすことは大変なことだが、無抵抗に人が死を選んでいく姿は身にしみる。
マタイ受難曲の断片を聴いた時、 Eli, Eli, lama asabtani? とイエスが最後に嘆いた言葉が思い浮かんだ。どのような思いで、どのような意味があるのか。
アラム語がヘブライ語に翻訳された時点でasabutaniの意味が変わったというのを何処かで読んだことがあるが、記憶にあるのは、これはイエスの嘆きや、感情があらわになった失望の言葉ではないということ。
イエスが人間の罪を一手に背負ったため、精霊に見放され、神の存在を感じられなくなり、最期にこうした言葉となったとする説も多くあり、それはそれで正しい解釈であると思うが、実際は、次のようではないか。
神よ、神よ、今自分には分かった、何のためにあなたが私を選んだのか
結局、自ら無抵抗に死を選んだことの意味、そしてその死が無駄ではなく、そこに大きな役割、つまりそのために他の人間たちを救えるのだということを理解した瞬間なのではないか。
やはりあの死をもって、イエスはイエスたり得たのであり、あの言葉は感情的な嘆きではなく、彼の死を前にした納得ではなかったかと思いたい。
そういう思いで聴くと、マタイ受難曲は、耐え難い苦悩に満ち満ちているが、最期にはイエス自身が神の元へ戻ってゆくというAuflösung 解放があるのだという救いがある。
私達を救済したのはイエスであったが、彼もまた、十字架の死によって救われたのだと思うことで、少しはこちらも慰められるのではないか。
そんなことを考えた日であった。
2005年1月31日月曜日
Mozart :映画「Amadeus」
2005年1月31日
今日もまた雪です。
この間、四回目かなんかだが、また「Amadeus」を見た。Mozartのあの映画は全く奥が深い。たいした手柄だと思っている。おそらくあのような気性だったろうし、知ることができる以上でも以下でもない情報が元になっているようだ。 コロレド大司祭と大喧嘩をして去ったザルツブルグ。私が伝記、手紙を読み、またゼミで分析した経験から言うと、Mozartには義務と要求のバランスが欠けていたという感じであった。もちろん恐ろしいほどの才能に恵まれていた訳で、本人もそれを承知していたが、やはり時代を突き破るような新しさをもたらす才能と言うものが、社会に認められるのにはかなり時間がかかるようだ。 Mozartの才能を確信していたのは、極限られた者たちだったと思う。妻であるコンスタンツェは、何も批判されるような人間ではないはずだが、彼の才能を自覚するにはあまりにもナイーブな人間だった。彼女の及ぶ範囲ではなかったのだ。 しかし、そのような才能を宿した彼の周りには、すでに深い音楽文化が築かれており、大司祭をはじめとした教会が主権を握っていたザルツブルグにも、大都会であったウィーンにも、それなりの体制があり、そこに属す者には従わなくてはならない規則と言うものがあった。 今の時代もそうだが、芸術だけを追っていては、生活と言うものができない。才能を発揮するには才能を発揮できる場を確保しなくてはならない。そういう自覚が彼にはなかった。当然の権利と言えばそうだが、ある種の傲慢さがあった上、それを全く省みる態度ではなかったのが、色々と摩擦を生んだ。
コロレドは、実に彼の才能をわかっていた者の一人だが、どうもこれがけち臭い人間で、芸術家から生き血を吸い取り、報酬はできるだけ少なくといったところがあったのもいけない。これを調整しようとして苦労したのが、Mozartの父親だった。Mozartは払いが悪いといっては仕事をしなかったともいえる。また、入った金もことごとくばら撒いてしまった。普通の小心者には信じられない神経である。
こんなこともあって、ウィーンに行くことにしたのだが、それは耳の肥えたウィーンだけあって、大変だった。最初の扱いは素晴らしかったが、彼らは新し物を次々に求める。そのわりには、古いスタイルから抜け出ないと言う、大都会の保守的側面を表しているようなところがあった。Mozartは本格的に苦労するのだ。 このようなあらすじは誰しも知っているだろうが、やはりその時代背景と、事情の詳細を知っているかいないかで、映画の楽しみも一段と違ってくるのだ。ありきたりの伝記では、こうなってくると足りない。手紙の分析をも盛り込んだ、本格的心理的側面から迫った伝記を読む必要性が出てくる。それが、Wolfgang Hildesheimerのこれ。
この間、四回目かなんかだが、また「Amadeus」を見た。Mozartのあの映画は全く奥が深い。たいした手柄だと思っている。おそらくあのような気性だったろうし、知ることができる以上でも以下でもない情報が元になっているようだ。 コロレド大司祭と大喧嘩をして去ったザルツブルグ。私が伝記、手紙を読み、またゼミで分析した経験から言うと、Mozartには義務と要求のバランスが欠けていたという感じであった。もちろん恐ろしいほどの才能に恵まれていた訳で、本人もそれを承知していたが、やはり時代を突き破るような新しさをもたらす才能と言うものが、社会に認められるのにはかなり時間がかかるようだ。 Mozartの才能を確信していたのは、極限られた者たちだったと思う。妻であるコンスタンツェは、何も批判されるような人間ではないはずだが、彼の才能を自覚するにはあまりにもナイーブな人間だった。彼女の及ぶ範囲ではなかったのだ。 しかし、そのような才能を宿した彼の周りには、すでに深い音楽文化が築かれており、大司祭をはじめとした教会が主権を握っていたザルツブルグにも、大都会であったウィーンにも、それなりの体制があり、そこに属す者には従わなくてはならない規則と言うものがあった。 今の時代もそうだが、芸術だけを追っていては、生活と言うものができない。才能を発揮するには才能を発揮できる場を確保しなくてはならない。そういう自覚が彼にはなかった。当然の権利と言えばそうだが、ある種の傲慢さがあった上、それを全く省みる態度ではなかったのが、色々と摩擦を生んだ。
コロレドは、実に彼の才能をわかっていた者の一人だが、どうもこれがけち臭い人間で、芸術家から生き血を吸い取り、報酬はできるだけ少なくといったところがあったのもいけない。これを調整しようとして苦労したのが、Mozartの父親だった。Mozartは払いが悪いといっては仕事をしなかったともいえる。また、入った金もことごとくばら撒いてしまった。普通の小心者には信じられない神経である。
こんなこともあって、ウィーンに行くことにしたのだが、それは耳の肥えたウィーンだけあって、大変だった。最初の扱いは素晴らしかったが、彼らは新し物を次々に求める。そのわりには、古いスタイルから抜け出ないと言う、大都会の保守的側面を表しているようなところがあった。Mozartは本格的に苦労するのだ。 このようなあらすじは誰しも知っているだろうが、やはりその時代背景と、事情の詳細を知っているかいないかで、映画の楽しみも一段と違ってくるのだ。ありきたりの伝記では、こうなってくると足りない。手紙の分析をも盛り込んだ、本格的心理的側面から迫った伝記を読む必要性が出てくる。それが、Wolfgang Hildesheimerのこれ。
紹介にもあるように、アポロ的理想像とはかけ離れたMozartの姿を暴き出す。音楽とは何にも関係のない人にもお勧めです。
Mozartといえばすごい作品に溢れています。とめもこれがお勧めとはいえない。しかしその中でも、ピアノ協奏曲はやはり彼らしさに溢れています。楽しい性質と、悲しい性質が見事に溶け合っている。それが更には、楽しいメロディーさえ悲しくしか聞こえないと言う作用になるからすごい。20,21,22,25は非常に有名なだけでなく、泣けます。15,16,17も非常に良い。木管楽器が後ろでばっちり映える。 誰の演奏が良いかと言うことになると、私も一言では言えません。皆それぞれに違った形がありますから。気分と言うこともあるし。 でも、やっぱりオーストリアの人の演奏が断然光っている気がします・・・。問えば、大体絞り込まれると思いますが・・・。ご自分で聞いてください。こういう曲ですと、失敗はないんです。MozartのCDに、演奏の云々はあれ、曲が良くなかったということはないはずです。改めてすごい才能を感じます。最敬礼。
2005年1月6日木曜日
Kristeller
2005年1月6日
今日はずっと頭に引っかかっていたことがひらめいた。Monteverdiは、彼の人生後半で、すでにバロックの時期にあったにもかかわらず、何故、もう一度マドリガルやオペラの中で、百年以上も前のヒューマニズムの詩人、ペトラルカなどを取り入れる必要があったのかと言うことが分からなかった。何故、イタリアに、ルネッサンスの終わりに、ヒューマニズムのリヴァイヴァルがあったのかと言うことを説明することができない。色々と調べたが、どこにも載っていない・・・。しかし、かの有名なルネッサンス学者、Kristellerの本を開いたら、やはりあった。
今日はずっと頭に引っかかっていたことがひらめいた。Monteverdiは、彼の人生後半で、すでにバロックの時期にあったにもかかわらず、何故、もう一度マドリガルやオペラの中で、百年以上も前のヒューマニズムの詩人、ペトラルカなどを取り入れる必要があったのかと言うことが分からなかった。何故、イタリアに、ルネッサンスの終わりに、ヒューマニズムのリヴァイヴァルがあったのかと言うことを説明することができない。色々と調べたが、どこにも載っていない・・・。しかし、かの有名なルネッサンス学者、Kristellerの本を開いたら、やはりあった。
ルネッサンスでは、すでに音楽理論的には、自由な作法が許され、ポリフォニーからの自立がゆっくりとだが行なわれていた。その続きで器楽音楽がさかんになり、Camerataが生まれ、更にいよいよJacopo Periのエウリディーチェを筆頭に、オペラが成り立つ訳だ。その時代に、非常にポピュラーであったMarinoの詩を使う、Marinismをしかし、古い姿勢の古典的批判家は、徹底的に拒否する。マリにスムは、言葉の技巧と言っても良く、表面的なきらびやかな内容で、たくさんのテーマを扱い、人々の人気であったが、バロックの詩であり、いわゆるルネッサンス初頭のヒューマニズム時代のような、内省的な、精神の奥深くを探究せざるを得ない情感の表現とは全く違うものだった。この古典的批判家たちは、ペトラルカなどの作家の詩は、歌われ演奏されることを目的として書かれたものであるという点から、また再び認識し始めたと言うのだ。 うーん。大体これで説明がつく。オペラが成り立ったことにより、再び、詩と音楽の一体感が問われる様になったということか。しかし、Monteverdiは果たして、1607年にオルフェオがかかれる前に、器楽曲に集中したり、詩と音楽に執着しない作法を取っていたのだろうか・・・。ここのところ、もう少し調べてみる必要あり。記憶には残っていないところが恐ろしい。全部メモっておいたのに。 ところで、ここに、Kristellerの本をご紹介。ルネッサンスとヒューマニズムといったら、この人です。私は、この本から必要な点を発見した訳じゃないが、ドイツ語版のせいか、同様なものが無いので、これをここに付ける。しかし、この一冊で、ルネッサンスの思想は、すべて理解できるであろう。
2005年1月2日日曜日
Monteverdi マドリガル
| http://www.amazon.com/Monteverdi-Ottavo-Libro-Madrigali-Vol-1/dp/B000005W5F |
早速だが、このCDをここに残しておきたい。Monteverdiについて研究するにあたって、いろいろなCDが推薦されていると思うが、私の現在のテーマには、このCDがもっとも興味深い例をそろえている。これは、Monteverdiが1620年代から温めていた、新しい形式が実に良く表現されているもので、いわゆるstile concitatoがデモンストレートされている。もともとはオーストリアのフェルディナンド二世にささげられたものだが、公式に出版されたのは、フェルディナンド三世の時期になってからで、三十年戦争の勝利を内容に加えて出版された。興奮した形式と呼ばれるが、もともとは、百年前に過ぎ去ったヒューマニズムの流行にのっとって、ギリシア古典時代のピリキウスの典型的戦争舞踏のリズムを再生しようとすることをモンテヴェルディは試みた。全音を十六分音符に分解することによって、興奮に対する音楽的表現を作り出したと言える。しかし本当の意味でのオリジナリティーは、モンテヴェルディが愛の詩の間にこそ、この戦争的リズムを取り入れたことにある。この時期の詩は、愛に敵対心を持って歌われることが多く、心を守る防御の壁を打ち破るものが愛だとされている傾向が見られる。その愛による心の乱れの部分に、この新しいスタイルが戦争的リズムをとって取り入れられ、いわゆる、メタファーとしての役割を果たしていると言えよう。つまり、愛によってかもし出される興奮を戦争的リズムが表しているといえる。このメタファーの使用、ギリシア古典の伝統の再使用などは、典型的なヒューマニズムの動きであり、1450年から150年にわたって、最盛期を迎えていたこの活動がすっかり過ぎ去ったあとに、Monteverdiが、もう一度このようなものを取り入れたことは、興味深い。彼は、実際、ルネッサンスに終焉の鍵を渡した人間で、バロックへとつないだ作曲家である。それが、こうして古典から生まれだした新しいスタイルを発展させたことによって、音楽史上、全く新しいディメンションが生まれたことは実に素晴らしい現象だ。 色々な録音も出ている模様だが、私はこのCDを強くお勧めしたい。学問的な興味が無くても、非常に美しい曲がそろっている。チェンバリスト兼指揮を受け持つRinaldo Alessandriniは、Monteverdiの第一人者と言っても良く、素晴らしい音質で録音され、スタイル的にも、他の音楽家の質も、素晴らしい出来上がりだと思っている。決め手はテンポ感で、速すぎても、遅すぎてもいけない。それには、エポックのスタイルを熟知している必要があり、彼はその点で素晴らしい感覚を見せていると私は思う。ルネッサンス時代の歌曲がすべてそうであるように、詩が躍り出るように前面に出て、音楽がその内容を更に強調するような解釈がなされなくてはいけない。その実力をアレッサンドリーニ率いるEnsemble Concerto Italianoは最大限に発揮している。音楽と詩が織り成す、魔術的とも言える、命のみなぎりと、力強さの効果はここで十分に証明され、これらがMonteverdiのもっとも生き生きとした作品に属することが分かるだろう。
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