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2011年2月6日日曜日

日曜日 ― ミサ

日曜日、久しぶりに早起きをしてシャワーを浴び、しっかりと食事を取った。
息子が教会のミサを兼ねたコンサートに参加するので、こういうことになったのだ。

Frühstück2


ミサに参加したのは、もう何年ぶりだろうか。
一時はさまざまな教会を覗きに行って、さまざまな説教を聞いてみたことがある。
聖書を読んで、少し解釈して、ニュースを話題に出し、表面的に道徳的な教えを説いておしまいにするところが殆どだったが、今日行った教会の牧師様は、心に響いてくる言葉をたくさん下さった。

クロイツベルグという、マルチカルチャーな地区の小さな教会で、角にあるアパートの建物の天辺に鐘が突き出しているという、まさに住民とひとつになったようなつくりである。

80人の教会員のうち、常時参加は30人だというが、その小ささがちょうど良く、誰もが互いを知り、説教をする牧師様が自分に語りかけてくれているような、程よい距離なのである。

片隅に座った私に、世話係の老齢の男性が賛美歌の本を手渡してくれ、握手で挨拶を交わす。
牧師様は礼拝堂(といってもそんな大げさなものではないが)に入るなり、見知らぬ私を見つけ、握手して、ようこそいらっしゃいました、とで迎えてくれた。
はっきり言って、私たちの訪問が先に告げられていたとしても、このような暖かい歓迎は、あたりまえではない。
この教会の魅力をすぐに感じ取った。

説教の内容は、一字一句といって良いほど、心に刻まれている。
それほど、聞き逃したくなく、心に留めておきたい言葉ばかりであった。
しかし、それを全部ここに記してしまうと、非常にありきたりな言葉になってしまうそうなので、控えておく。
私の心は、確かに深いところで動いたのだが、それを書いてしまうと、まるである種の作用が無になってしまうそうで怖いのだ。

しかし、聖書のコリント人への手紙からの引用であり、それは物事の表裏に関してであり、裏こそに目を向けるべきであること、そして表の美しさというのは、非常に壊れやすく、赤絨毯の上できらびやかな装いを披露している有名人ですら、自分たちと同じ非常に中庸な人間性であるのに違いないということ。表面が壊れた場合には、中身に入っていたもののみが、価値のあるものとしてのこるということ、そういうことを聞かされた。
そして、Herrlichkeitというのは、紛れもなく光であり、光は、どこで一番明るいかといえば、暗闇で最もその明るさを発揮することができるという言葉である。

そして最後の逸話からは、真の幸福とは、自らの心底から欲して他人を助ける喜びを知った時ではないか、そしてそれは、極貧、または戦争のような世界にあっても可能であるということを教えられた。

その後、静かな祈りのときが来る。
うつむき、沈黙に入り、その説教の内容がこだまする中、頭の中で自らを捜し求める。そして他者の存在を思う。

そして厳かに主祷文を唱え、再び賛美歌を歌う。

__________

結局、信仰しているのか、信者なのか、それともわれわれは人間なのだろうか、ということを問うた時、この教会においては、信者であるかないかということは関係なく、訪れるもの皆、信者たちと一緒に、一つの深い思いへと至ることができるのだと実感した。
それは、自らの日常生活を振り返り、自らに問いかけながら意識して生きているかということを再び問われ、欲望と虚栄を振り払うべきであるという教訓を聞き、自分にとってでは失うことができないほど大切なもの、そして伝えていきたい大切なものとは何かということを直に問われる。
その思いの中で、礼拝堂にいる人間は一つとなっていた。
もちろん、私自身も動かされる心を意識しつつ、そこに共に在った。

教会の雰囲気といえるほどの建物ではない。
おなかに響くようなオルガンの音色ではない。
歌われる賛美歌は簡易で、ラテン語の魔術に惑わされることもない。
地に足を着いた普段着の人間が、心の扉を開ける時間、または自らの中へ帰る時間として、そこに立っている。
蝋燭の数も少なく、ステンドグラスもなければ、乳香が漂うわけでもない。

何が言いたいかといえば、教会という圧倒的な建築物、そしてそれの持つ神秘的な雰囲気に飲まれてしまったのではないということだ。
私の心が動いたのは、そして信者の心が毎週洗われ、思考を刺激され、反省を促されるのは、紛れもなく、「ロゴス・言葉」によってであり、神は目に見えず、自らの中に対話を通して見つけ出していくものであり、写実的な存在でもなければ、バロック的絢爛としてその光が現れるものでもないという、まさにプロテスタント的実感であった。

今まで、いくつのプロテスタント教会を訪れたろうか。
いったい、何回プロテスタントの説教を聞いただろうか。
私の心をここまで動かしたのは、しかし、このマルチカルチャーな街角の小さな教会なのであった。
人々が、生活の中に、この説教から生まれる「思い」を生かしているからこそ、この教会はこうして息づいているのに違いない。

特に経験から言うと、プロテスタント教会では、信仰しているのか、それならば、どれほど深く聖書を理解しているのか、洗礼を受ける気があるのか、教会の共同体に尽くしていかれるかなど、そういった質問が圧力を持って浮き上がってくることが多い。
カトリック教会は、個人的にはその点、非常に開かれているという気がしている。たとえ啓蒙がなされていなくても、万人に扉は開かれていると、個人的には感じる。
プロテスタントは、子供でもない限り、自らの意思の強さをしっかりと確認される。
私は、どちらが良いのか問うつもりもなければ、問うような立場にもない。
カトリック教会では、荘厳な雰囲気の中に、神の存在を天上に実感してしまう瞬間というものを見たし、信者のファナティックとも言える信仰心と、その祈る背中から立ち上る情熱に、心底心を打たれたこともある。

しかし、この教会のミサに参加して再び実感するのは、宗教の存在の本来の目的は、信仰そのものなのではなく(教会の目的は信仰であり信者の拡大であるが)、人間性の中身を切り裂き、人間性、人間的とは何かを常に問いかけ、本当の喜び、満足は、実に献身の姿勢の中にしか見出せないのだ、という究極の真実を実感するために在るのではないのかということだった。

使徒達の思いを実感するには、新約聖書、特に手紙を相当読み込まないとなかなか難しい。
しかし、説教の中で、断片を聞き、その解釈や背景を知ることにより、彼らもたゆまぬ労苦と困難を乗り越えても、歩む限り壁に突き当たってばかりいたことを「体験」として実感できる気がするのである。
そして、暗い道を歩んでくるものこそ、希望も救いも、人によっては神との対話を通して、自らの中に見つけ出していくしかない、ということを知らないで通り過ぎることはできないのだということを理解する。

もう誰もいないと思った時に、言葉に出会う。
言葉によって、光が見える。
光によって、神なのかもしれない、神と呼ぶことを許容する。
不思議なことに、希望の足りないところに、希望が生まれてくる。
もう少し暗闇を歩んでみようと思う。
そして、一人ではなかったことに気つき、現在一人でいる人々が見えてくる。
そして、一人ではないことを、その人たちに何とか伝えようとする。
そして、献身の姿勢のなかに、今まで覚えたことのない幸福を感じ、自らが光るようになる。

私は、私たちのまったく気づかないどこか遠くの、またはどこか裏の世界で、こういう作用が起こっていることを信じているし、そういう人生は、光の当たるところには生まれないだろうということもなんとなく理解している。

教会へ行くこと、または何かを信仰することにより、人間が一番苦しいときに、一歩でも前進し、一つでも多くの希望を得ることができるなら、それこそ、宗教の意味ではないかと、そんなことを思ったのである。

そして、苦労がなく幸せで、何にも憂うことがないと実感している人間は、それが自分ひとりによって、得られたものではないことを忘れずに、感謝の気持ちを持って、虚栄と欲を捨て、謙虚に、そしてもっと謙虚に生きていくことを忘れず、良いときに分けることのできるものを、できるだけ分かち合う努力をすべきであると、本当に実感するのだった。


説教の間中、何回も仏門に入った方と、同じようなことを説いているなと思った。
つまるところ、人間には、生命に意義を与え、日々できるだけ内実を伴った生き方をしたいという根本的な気持ちがあり、それは表の成功ではなく、裏の人間としての成長に代わる物はないのではないかと気がついた。

そして私のように若干自己嫌悪や自己過小評価の傾向があるものには、こうした「言葉」を聞くたびに、生きる価値を得ようと努力する必要はないのだと救われる。
生きる価値は万人に在り、誰かの存在価値が低いことはないのだという原点を信用することができる。

私はたまたま、言葉に出会うと、光にめぐり合ったり、心が溶け出すことが多い。
その上、たとえ簡易化された賛美歌だとしても、皆で歌い、トーンを紡ぎ出す行為には、何か一つの浄化作用があるような気がしている。
なので、キリスト教会に通うことに違和感は覚えないが、信者になるつもりはなく、しかしそれは実は、全然関係のないことなのではないかと今日思ったのである。

神秘主義とか、インチキくさい霊能者とか、ペテン的占い(れっきとした統計学や天文学に基づいたものもあるが)などに頼るのではなく、もう一歩を踏み出せないときに、もっとこうした伝統宗教がその役割を担って欲しいものだと、これは日本に関して特に思うのである。
仏教では、例えばお寺がもっと意味を持って欲しいし、福祉と連帯して何かできないのだろうか、そういうことを思ってしまうのである。


良い日曜日だった。
帰宅後、二度目の朝食をとった。

Frühstück1

2010年4月4日日曜日

マタイ受難曲聴きてみたいが



1. Arie.

Erbarme dich, mein Gott,
Um meiner Zähren Willen!
Schaue hier, Herz und Auge
Weint vor dir bitterlich.
Erbarme dich, erbarme dich!

1. Aria.

Have mercy, my God,
for the sake of my tears!
Look here, heart and eyes
weep bitterly before You.
Have mercy, have mercy!

Chapelle Royale.

Rene Jacobs (Countertenor).

Dir. Philippe Herreweghe.

外で鳥が鳴いている。もう七時を回ったが、まだまだ明るいからだろう。春となると一気に明朗な雰囲気に溢れるから不思議。

今日は復活祭だが、昨日に引き続き、重々しい心を引きずりながら、でも内面の中心には、溶岩のように熱いものが沸き立っているのを感じる。
それがナンなんだか、全く分からないが。

イエスの生涯を考えながら、やはり無抵抗な生き方に思いを馳せた。
人の心を動かすことは大変なことだが、無抵抗に人が死を選んでいく姿は身にしみる。

マタイ受難曲の断片を聴いた時、 Eli, Eli, lama asabtani? とイエスが最後に嘆いた言葉が思い浮かんだ。どのような思いで、どのような意味があるのか。

アラム語がヘブライ語に翻訳された時点でasabutaniの意味が変わったというのを何処かで読んだことがあるが、記憶にあるのは、これはイエスの嘆きや、感情があらわになった失望の言葉ではないということ。

イエスが人間の罪を一手に背負ったため、精霊に見放され、神の存在を感じられなくなり、最期にこうした言葉となったとする説も多くあり、それはそれで正しい解釈であると思うが、実際は、次のようではないか。

神よ、神よ、今自分には分かった、何のためにあなたが私を選んだのか

結局、自ら無抵抗に死を選んだことの意味、そしてその死が無駄ではなく、そこに大きな役割、つまりそのために他の人間たちを救えるのだということを理解した瞬間なのではないか。
やはりあの死をもって、イエスはイエスたり得たのであり、あの言葉は感情的な嘆きではなく、彼の死を前にした納得ではなかったかと思いたい。

そういう思いで聴くと、マタイ受難曲は、耐え難い苦悩に満ち満ちているが、最期にはイエス自身が神の元へ戻ってゆくというAuflösung 解放があるのだという救いがある。
私達を救済したのはイエスであったが、彼もまた、十字架の死によって救われたのだと思うことで、少しはこちらも慰められるのではないか。

 そんなことを考えた日であった。

2007年6月18日月曜日

Dogvilleと現実

二週間ほど前になるが、Lars von Trier監督のDogvilleを見た。

道の行き止まりになっているロッキーマウンテンの小さな村、Dogvilleにギャングスターの娘が迷い込んでくる。Tomという真面目な青年の計らいで、彼女は村に隠れていることができることになる。その礼に、彼女は村人達の仕事を助ける。やがて警察が、ギャングの娘である彼女を捜しているということがわかると、危険を恐れ、村人達はだんだん彼女を虐げ始める。
彼女は、村を逃亡しようとするが、裏切られ、また村に戻され、道徳の塊のような言い草で罪を着せられ、とってもいない金を盗んだと濡れ衣を着せられ、鉄の車輪を鎖でつながれ、二重の仕事を強いられ、大変な屈辱を味わう。さらには、トムを除く、村の男達すべてが夜な夜な彼女の元にやってきて、娼婦以下の動物的な扱いをし、村の子供達はそのたびに喜んで教会の鐘を鳴らす。

今まで、Graceという名前をあらわすように聖母的に、善の塊であった彼女も、いよいよこの村を去りたいと、お互いに恋に落ちていたTomに打ち明ける。Tomは、いままでも、彼女を助ける人間だからこそ、彼女の側に立っていると村人にわからせてはいけないとか、道徳的口実で、本当の意味で彼女を地獄から助け出さなかった。
Tomは、二人で逃げようといいながら、いよいよギャングの父に連絡を取り、彼女を迎えに来るように取り計らう。

たった一人の頼りだったTomは、もはや自分の夢である作家になるために、彼女との出来事をまるで利用するかのように、自分のインスピレーションに入れ込んでいる。彼女の苦しみや、彼女の善良さをまるで踏みにじるように、それを題材に彼は、自分は今までかなえられなかったが、いよいよ社会から認められたいがために、エゴをむき出しにするが、それは常に道徳的なもっともらしい言葉で、覆いかぶされる。

聖母であり続けたGraceは、迎えに来た父とその仲間の黒い車を何台も見、Tomの裏切りを知る。
その父の残虐さを軽蔑していたGraceは彼と話しているうちに、「助けや恵をまったく受けるに至らないものもいる。彼らは、お前をこんな目に合わせて、まったく何の恩恵にも値しない人間達だ。」という意味の言葉を聴き、次第に、自分のなかに大きくアグレッシブにあふれ出していく感情を覚える。

彼女は、すべての人間を少なくとも自分が味わったと同じかそれ以上の苦しみを味わわせて殺せ、と命令をする。Tom自身は、そのギャングの残虐さにおののいていたが、最後にGrace自ら車から出て、「幾つかのことは自分自身でやらなくてはならない」と言い、彼を銃で殺す。

ストーリーとしてはこうだが、結局私が一番強く感じたのは、悪と善の裏返しとあいまいさであろうか。
キリスト教の思想に支配され、教会を中心として話し合いがなされ、善行として彼女は村にかくまわれるのだが、村自身に危険があるかも知れないという不安が、人々を不安定にする。安全が保証されない彼らは、よそ者である彼女を犠牲者のように祭り上げる。その悪の行為に限りはない。しかし、常に、それは村を守るためだとか、濡れ衣を着せて、罰せられるべきは彼女だと言う言葉の下に、善が守られる行為として、実際のところは悪が行われていると言うグロテスクさである。

それにも動じず、自分を自ら犠牲者として祭りたてるように、従順なGraceであった。ところが、このシステムには属さない人間、父との会話により、いかにその行為が酷いものであったかが、いよいよ意識に上り、彼女に復讐心がわく。善を貫き通していた人間の、善自体のもろさを見せ付けられた。

善を謳っている人間の、行為そのものは善の名の下に悪であったりする。
悪や汚い物として扱われている人間こそ、善の行為で埋め尽くされたような生き方をしている。これが、犠牲者のシステムで、そういう力関係は、実際にあるし、ある意味でイエスキリストも、このような犠牲者の枠にはめられたところが会ったといえるのだが、その後、このシステムの箍が外れると、彼女は、人間としてその仕打ちの残虐さに気づき、自分自身の残虐な復讐心が彼女を支配するのである。

善とはなんであろうか。
悪とはなんであろうか。
人間は、善悪を備えているものであり、世界は善悪を分けた行為をすることは不可能なのである。
善が、善のみでありうることは難しく、悪が悪のみであることも、これまた殆どありえないのである。

閉鎖的な村という設定は、世界をミクロコスモスのように描き出すことがある。
キリスト教の、特にプロテスタントの道徳的行為に対する批判かとも思えるような感じだったが、それは少々勘ぐり過ぎかもしれない。

昨日、ニュースで知った。
バイエルン地方の、とある小さな村である。
そこに、父親を早くなくしてしまったり、両親をなくしてしまったりした子供達が入る孤児院があった。

そこである少女は、二人の農民に、何年もにわたって、規則的に強姦され続ける。その少女は現在50近い。彼女は、ひょんな偶然から、村を早くに出て行った、もう一人の孤児少女に再会する。彼女が、やはり二人の農民に、定期的に何年間も強姦されていたと聞く。
二人は、その男どもが同人物だとわかり、ショックをうける。
男二人を訴える決心をした。

結果、すべての村に住む女性達が、彼女ら二人をコテンパンにけなすのである。
魔女に違いない。
変なフェミニスト思想に染められた。
どうせレズなのだろう。

下劣かつ低俗な言い草である。
中世かとでも問いたくなるような批判の仕方である。
こんなレベルで、村の女がかばったのは、強姦魔の農民男二人だ。

一人は、現在仮逮捕され、取調べ中である。
もう一人は、あれは全部嘘だ、という遺書を残して、首をつって自殺した。

村の女達の怒り心頭である。
どうしてくれる!
村をめちゃくちゃにした!

一見当然のようなこの言い草だが、
めちゃくちゃにされたのは、当時少女であった二人の女性である。
何もないのに、訴えるわけがない。

閉鎖的な村は、日本でも村八分という言葉や、楢山節考などの映画にもあるように、村独特の法律がある。法律というかシステムと言った方がいいであろうか。
そこには、独特の道徳や倫理が定められている。

しかし、日本では、道徳観念が欧州とは違うと思う。

楢山節考でもそうだが、悪を犯した家族は、悪でもって処分される。
あんな奴ら、殺しちまえ!

ところが、キリスト教社会では、
あんな奴ら、殺しちまえ
とは言えない。

そこで、もっと複雑な善的発言の下に、真実は悪の行為がなされるのである。
しかし、これは自他共に認められる善行とみなされるわけである。

その辺が、私はDogvilleを見て、胸糞が悪くなった原因であろうし、
この村の話を聞いても、胸が悪くなるのでる。

しかし、Dogvilleを象徴するような出来事が実際にあるのだ。

小さな閉鎖的村では、障害者、独り者、孤児、などの社会的弱者が、犠牲者として祭り上げられることが多い。

それこそが、この村の安定を保っている軸である。

この辺の理論は、ルネ・ジラールを参照されたい。

2004年6月5日土曜日

Morzart 手紙

昨日、1781年3月から、8月までのモーツァルト手紙を読んだ。ちょうどザルツブルグの大司祭と決裂してウィーンへ行くまでの間の話。

もう何度も手紙を読んではいるけど、今回はドイツ語で読んだのもあって、新鮮に楽しませてもらった。全くもって自由奔放な人間で、そういう面だけ見ている周囲の者には、本当に軽薄な人間に映っていたんだろうなと思う。でも、手紙をきちんと読み込むと、彼のかなり芯の強いエネルギーが感じられた。

結局大司祭と決裂したのも、自分自身の価値を本当には認められずに、虫けらみたいな扱いをされたからだと言うことだけど、実のところ、彼の才能を本当に分かっていた人間なんて、一握りだったんじゃないだろうか。大司祭には何も分かっていなかったろう。そもそもあの頃のザルツブルグは司祭が仕切ってい手、それに雇われている音楽家の身と言うのは、まさに惨めなものだったと思う。そもそも、その後何年もしないうちに、ブルジョワの力が勝って、宮廷文化が壊れてフランス革命という運命がやってくるわけだけど、そういう時代の狭間に生まれたモーツァルトは、ある意味で、自分でもわけの分からぬ時代の運命の波にのまれていたところもあったのではないか。事実彼の周りにも、たくさんの上流階級や小市民たちが集まって経済的に支援する動きも一時的にはあったわけだし、宮廷から離れようとする彼の決意は、50年前ではちょっとできないことだったに違いない。作品も注文だし、嗜好も宮廷文化に沿うもののみが良しとされたわけだし。

天才というのは、どこか爆発的なエネルギーをもっているから、そういうつまらぬ、真価とは全く違う規準で判断されるシステムの中で、小さなことを大司祭かなんかのためにこつこつやるなんてことは出来るものではないんだよね。司祭のために作曲しているのではなく、あくまでも音楽に対する尊敬であり、そこには驚くほどの完璧性を求めているわけだから、作品に関して、嗜好にあわせるとか言う妥協は、侮辱だったんだよね。

彼も、自尊心だけは非常に高くて、自分の価値を分からないもののために演奏したり、仕えたくないと言っていた。いくらお金が少なかろうとも、音楽を理解してくれる宮廷に仕えたいと思っていたわけだし。事実、ウィーンでは、フリーランスとして自立を試みるわけだけど、いつまで経っても、モーツァルトはどこかの宮廷で仕えたいと願っていた。やはり、そういう面は、父親の影響もあるけど、世代的な価値観念から抜け出しきってはいなかった。彼の作品は、全くもって宮廷風であり、それだからこそ、今でも愛されているわけなんだが。まあ、彼としては、何があってもウィーンで成功したかった。カイザーがいるところであったし、自分の才能としては、そんな田舎で小さく活動する者ではないと、本能的に感じ取っていた。ところが、ウィーンのような文化的大都会では、次々に新しいものが求められる。これはアルコ伯爵も言っていたことだけど、ウィーンというのは信用ならないところだった。優れたものには惜しみなくお金を出すけど、消費が激しいから、次々と流行が移り変わる。音楽かも使い捨て的な側面もあった。それをモーツァルトは、聴く耳も持たず始終楽天的に構えていたのは、子供と言えば子供だけど、世間のこともお金のことにも長けている天才なんていないだろうが。ある意味で、作曲だけしていればよいというような環境に恵まれなかったことが悲劇。しかし、音楽家は、もうずっとずっと昔から、経済的にはInstitutionにいつでも依存していたのだから、このジレンマはついてまわるものであろう。

それにしても、社会的背景にもあれだけの父親ががっちり自分の古い価値観でモーツァルトの絶対的成功を願っていたわけだし、尊敬する父親には逆らえなかった彼の、板ばさみ的状態というのは苦しかったと思う。しかし、本当のところ、いくら猫なで声を出してお父様と言おうが、彼は一切自分の信念を曲げることは基本的に無かったわけで、そこに底力を感じたわけだ。天才の、ほかの者を押しのけるような自信。
自分のアイデンティティーを確立できる地を探して迷いまくっていたと言うのが私の印象です。ザルツブルグでは、父親と司祭の力でそれは不可能だった。真価を認めてくれるものがアイデンティティーを可能にするのであって、経済的な安定ではないので、一時のウィーンでの生活すら本当の満足は得られない。それどころか、寝返ってしまう聴衆と支援者に絶望するわけで。なかなかアイデンティティーというのは難しい。
自分の描く形と、他人が自分に期待する形が一致するのは、まれです。

悲劇と言えば、彼の時代背景と、彼の行きすぎたユーモアじゃないだろうか。むっつりとしていれば、それなりだが、あれだけのおどけやユーモアの隙間に、ひどい不安、怒り、自信、自尊心、失望が隠れているのを読むと、心が痛む。それを一体誰がまともに理解し、耳を傾けただろうか。

そういう意味では、ウェーバー家の影響も決して良いものではなかった。コンスタンツェは、当時まだ彼の恋人でもなかったが、彼女は後にも本当に彼の才能も、人格も音楽も分かってはいなかった。かわいらしい面はあったのだろうが、いささか子供で、とても天才を相手に出来るような深みも強さも無い。妻からの真の愛情も、聴衆からの愛情にも恵まれず、いよいよ悲劇の道をたどるわけだが、いろいろな側面から見ても、いろいろなことが重なって、非常に苦しい立場にあった。SalzburgからWienへと向かわせた本当の原動は、実は、先にも書いた、アイデンティティーへの渇望じゃなかったのかと、察しているが、これは、これから手紙を分析しないと分からない。

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昨日は、皆でタパスを食べに行った。それからヴィデオショップで「Habla con Ella」(「彼女と話せ」という日本訳ではないと思うんだけど)を借りてきてみた。スペイン映画というのは、なかなか遠慮がちな表現で、難しいことを多く言わせずに、深みを表現できるものだと感心した。 
イタリア映画は、とかくオペラ調な大げさドラマになってしまうし、かのフランス映画では、心理描写が過ぎて、見るものは殆どパラノイア化してしまうし、ドイツ映画だと、何でもかんでも理屈づけた会話をはめ込んで、せっかくの情緒も頭の製品にすり替わってしまう。また非常に鋭い視点を持ったイギリス映画だと、何だか知らない間にコンテクストに社会的背景が強調されて、社会映画になりがちだし、アメリカ映画だと、すぐに特定の感情を安い音楽や雰囲気描写で強制され、おばかなエンディングが待っていて、商業意識が丸見えで、いささか嫌になる。いや、スペインというのは、なかなか静かに流れつつものがあって良かった。

実は、George Bernanos原作の、「悪魔の太陽」という映画をもう十年以上前に見て、非常に興味を持ったことを思い出したので、それを借りたかったんだけど。中世後期に、カトリックの僧が悪魔と対決するんですが、確か悪魔が結局は勝つんだけど・・・。それをドパルデューとサンドリーヌ・ボネールという女優が見事に演じていた。確か、あのモーリス・ピアラ監督だった。まあ、ばりばりのカトリック作家が、十九世紀はじめごろに書いた作品で、フランスで育った人なら、スタンダードに知っているはずなんだけど、あとはヨーロッパでも、そうそう知られた作家ではない。まあ、テーマが殆ど神学の領域だから仕方ないんだけど。
しかし残念ながら、ドイツ語ではヴィデオになっておりません。英語かフランス語しかなかった。アマゾンでは。まあ、そのショップは非常にカルト的で、一応何でも揃っているんですが、ばかばかしいハリウッド映画以外は。たとえば日本の座頭市シリーズなんてものまで、何でも揃っているんだけど、さすがにそのベルナノスはなかった。ピアラのものは、ゴッホしかなかった。まあ、あの監督のを見ていると、眠くなるか、神経質になるかって、普通の人は思うのだろうと想像できるけど。私は、けっこう文学作品の映画化というのが好きで、しかも、ピアラのドキュメンタリー風リアリスティックな、直撃表現法も好きなんだよね。俳優もフランス国内で、本当に優秀とされる人たちが彼とやりたがるし。
悪魔がそのまま存在していた中世の宗教観というのを日常に描いた作品だと言うのを思い出して、どうしても見たかったんだけど、まあ仕方ない。