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2010年11月8日月曜日

不潔よ

最近、左の肩に霊魂が宿ってしまったように痛みが激しい。激痛と言える瞬間もあり、内臓かとも思うのだが、明らかに筋肉痛である。
左の肩が象徴するものは何であろうか、などとユング風に考えてみつつ、左は無意識だなんて、昔覚えた馬鹿なことを言ってみる。しかし、身体はあらゆることの象徴であることは真実だ。
精神的に何かを吐き出す必要があるとき、人は原因不明のむかつきや嘔吐を患ったりする。
また、精神的にもうこれ以上、その事実を消化できない飲み込めない、と言ったときにも、首の息苦しさや、食事がのどを通らないという症状が出てくることもある。

それを考えると、左側のこの痛みはなんだろうか。背中が肩に移動し、それが今度は上腕にまで降りてきており、携帯を支えるのすら痛い。本を左手に持って右手でめくることさえ辛い。
まあ、そういうユング的アプローチは、あまりここでは意味を持たない。

大プロジェクトを終えた途端の清浄なので、体は正直だと思う。やはり無理があったのだ。
しかし、プロジェクトを終えたとき、過去清算のいよいよ最終段階に突入したことを象徴する請求書が弁護士から来た。ああ、この稼ぎは、全部泡のごとく消えていくんだと思い、一瞬不快になったが、無駄働きを一回せねばと言う覚悟はできていたので、もう仕方ない。クリックしてしまえば清算された事になるのだ。

夏前の日記を読むと、どうも過去を引きずっていた。過去が湯気を立てているなどと言う表現もあった。現在は、直近の過去は終了している。影響力も失い、過去としての位置も定着してしまった。
云わば、これからスタート地点という場所に立つ直前に私はいるらしいというのは分かる。

今後は、仕事上の更なる発展と見直しを予定しているので、その方向で前進して行ければと思っている。すっかりきれいごとの文章になってしまった。
___________


同僚が、小津安次郎の映画作品集を誕生日にくれた。20本弱を焼いてくれたのだ。そしてもう5本以上見た。そして毎回、静かに涙をこぼしている。小津が好きだと言ったら、彼が最近の特集を録画したものをどこかからダウンロードしてくれた。

小津に関してどうこう言うのは専門家に任せるが、本当にいつも思うのは、なんと美しい日本語であったかということ。当時の中流社会ではなされていた言葉、そして所作、そしてコミュニケーションの形式の美しさは、本当に背筋を伸ばしたくなるようなものがある。
古い道徳観念が、当時の女性を苦しめたことなど、今からは信じられないことであるが、私の母の男女関係における伝統的な道徳心、そして、まさにこの映画の中のような中流家庭に育った彼女の、あまりものを言わない辛抱強さと、凛としたその姿を今になって肯定的なものとして理解できる。

彼女は、本当にものを言わない。さすがに、今の時代「もう、いいんですの」などと言う上品な言葉遣いはしないが、彼女は取り乱すこともなく、嫌なことがあれば部屋に篭り、じきに出てきたときには、もう笑顔ですべてを忘れ去っているのだ。そんな母に、「何も考えなどないのか」という思いを抱いたこともあったが、それは大きな間違えであった。言わない辛抱は美徳であり、それ以前に礼節とたしなみであったらしい。

少女っぽい、世間知らずと母を優しい目で、しかし古いものとして見てきた私は、母の方に、よほど強い何かが宿っていたのだと改めて思った。

それにしても、言葉も劣化し、仕来りも所作も形式もすべて劣化したものだと思う。
小津の映画だからと言う理由を抜きにしても、当時は「美」というものが、文化の中に存在していたのかもしれないと思う。

そういえば、以前ドイツの新聞が、大市民層の崩壊を嘆く記事を書いていた。教養層の幅が、拡大し、中流層そのものの教養が高くなったが、それと同時に、当時絶対必須と考えられていた、神学、哲学、法学などのレベルが落ちたと言うのだ。大流行の経済学専攻の学生が最も多く、彼らはドイツでもディプロム証書なので、ちょっと前のマギスターの学生のように、三科目専攻する必要がない。今更哲学神学という地盤は、無用だと思う人間も少なくない。

話はそれたが、日本でも多かれ少なかれ、小市民層の豊かさが安定し、保証されたのと同時に、伝統的ななにか重厚な「美」に通じるような「形式」「精神」と言うものが失われたような気がする。

「おじさま、再婚なんて、なんだかきたならしいわ、不潔よ」

こんな台詞を今の時代口にする女性はいないだろう。
しかし、不潔を極めきっているような、云わば「あいつはあばずれさ」と言われて当然のこの私は、なぜかこの台詞に感銘を受けた。
生物的に考えれば、生き物は生殖活動を続けるために、常に番を捜し求めるのだが、人間はそれをモノガミーによって一人で落ち着けようと言う努力をする。最近は、その努力は無意味だとか、モノガミーは機能しないと言う意見もある。
キリスト教によって、男女関係が、不自由極まりなく縛られていただけでなく、ネガティブなものとして常に抑圧されてきた時代の不自然さは、異常なものがあるとしても、最近の、駄目なら、経済的に自立しているのなら、すぐに別れるという風潮も、やはり劣化と言ってもいい、何かネガティブな表れである気がしてならない。

社会に所属するためには、常にそれに対して犠牲を払わねばならないのは、どうやら事実である。
それが現代は仕事ということで、個としてのありかたを犠牲にして、経済的自立をするため、つまり金銭を稼ぐための会社に所属している。それは、就業している女性にも同じことが言える。つまり、家庭に入る、所属することによる犠牲は、女性からはすでに払われなくなっているということにもなる。

それは社会的には喜ばしいことであるが、では、どうやって二人三脚を組めばいいのだろうか。会社へ犠牲を払う男と家庭に犠牲を払う女が、性の営みで共同所属を象徴し合う形がないと、どうなるのであろうか。
女も男も犠牲は金銭を得るための活動に費やしているのである。家庭へは割り勘で犠牲を払う。精神が、経済的勘定をする機能になってしまい、まるで口座チェックをしあうような仲の男女関係ばかりのような気がする。

そこで、再婚は不潔、という一度きりの結婚への強い所属感情は、犠牲を払った本人の心の投入度を象徴しているように聞こえる。人生を文字通り、ささげ切った。個を捨てて、結婚に入った。その相手が死んでも私の場所は変わらない。
そんな覚悟が聞こえてくるのである。そして私は、それを美しいと感じる。

兼業主婦や社会で成功している女性の方が強く、実力があり、賢いというのは嘘だと思う。
母を見ていてもそうだが、人は社会的だからこそ、一人では生きていかれない。幸せとは、必ず一人ではなく、二人でつむぎ出してこそ、本当に深く根を張ってくるものなのだと思う。それには、自分を捨て嫁に行くというような時代の覚悟は、大いに結婚を助けたであろうし、二人の絆を強く結んだ例が多かったかもしれない。

駄目なら独り立ちできる、失敗したら経済的にも問題なくやり直せる、という状況が、結婚を危うくしているとは絶対に言わないが、そこに犠牲の精神は見えない。

やはり、熱愛ではなく、愛の基本は、犠牲に違いない。
失って、得るのが、愛なのだと思う。
そうして母を見ると、潔い。愚痴は短く、多くは言わない。
父も、家庭だけは懸命に守り、家族を深く愛してくれている。
私のように、論理立ててものを言う癖がつき、男女間の問題を徹底的に理性で解決し、「納得」した「妥協」を探す、などという現代的な人間は、なんだかむしろ劣化に思えて仕方ないのだが…。

2007年6月18日月曜日

Dogvilleと現実

二週間ほど前になるが、Lars von Trier監督のDogvilleを見た。

道の行き止まりになっているロッキーマウンテンの小さな村、Dogvilleにギャングスターの娘が迷い込んでくる。Tomという真面目な青年の計らいで、彼女は村に隠れていることができることになる。その礼に、彼女は村人達の仕事を助ける。やがて警察が、ギャングの娘である彼女を捜しているということがわかると、危険を恐れ、村人達はだんだん彼女を虐げ始める。
彼女は、村を逃亡しようとするが、裏切られ、また村に戻され、道徳の塊のような言い草で罪を着せられ、とってもいない金を盗んだと濡れ衣を着せられ、鉄の車輪を鎖でつながれ、二重の仕事を強いられ、大変な屈辱を味わう。さらには、トムを除く、村の男達すべてが夜な夜な彼女の元にやってきて、娼婦以下の動物的な扱いをし、村の子供達はそのたびに喜んで教会の鐘を鳴らす。

今まで、Graceという名前をあらわすように聖母的に、善の塊であった彼女も、いよいよこの村を去りたいと、お互いに恋に落ちていたTomに打ち明ける。Tomは、いままでも、彼女を助ける人間だからこそ、彼女の側に立っていると村人にわからせてはいけないとか、道徳的口実で、本当の意味で彼女を地獄から助け出さなかった。
Tomは、二人で逃げようといいながら、いよいよギャングの父に連絡を取り、彼女を迎えに来るように取り計らう。

たった一人の頼りだったTomは、もはや自分の夢である作家になるために、彼女との出来事をまるで利用するかのように、自分のインスピレーションに入れ込んでいる。彼女の苦しみや、彼女の善良さをまるで踏みにじるように、それを題材に彼は、自分は今までかなえられなかったが、いよいよ社会から認められたいがために、エゴをむき出しにするが、それは常に道徳的なもっともらしい言葉で、覆いかぶされる。

聖母であり続けたGraceは、迎えに来た父とその仲間の黒い車を何台も見、Tomの裏切りを知る。
その父の残虐さを軽蔑していたGraceは彼と話しているうちに、「助けや恵をまったく受けるに至らないものもいる。彼らは、お前をこんな目に合わせて、まったく何の恩恵にも値しない人間達だ。」という意味の言葉を聴き、次第に、自分のなかに大きくアグレッシブにあふれ出していく感情を覚える。

彼女は、すべての人間を少なくとも自分が味わったと同じかそれ以上の苦しみを味わわせて殺せ、と命令をする。Tom自身は、そのギャングの残虐さにおののいていたが、最後にGrace自ら車から出て、「幾つかのことは自分自身でやらなくてはならない」と言い、彼を銃で殺す。

ストーリーとしてはこうだが、結局私が一番強く感じたのは、悪と善の裏返しとあいまいさであろうか。
キリスト教の思想に支配され、教会を中心として話し合いがなされ、善行として彼女は村にかくまわれるのだが、村自身に危険があるかも知れないという不安が、人々を不安定にする。安全が保証されない彼らは、よそ者である彼女を犠牲者のように祭り上げる。その悪の行為に限りはない。しかし、常に、それは村を守るためだとか、濡れ衣を着せて、罰せられるべきは彼女だと言う言葉の下に、善が守られる行為として、実際のところは悪が行われていると言うグロテスクさである。

それにも動じず、自分を自ら犠牲者として祭りたてるように、従順なGraceであった。ところが、このシステムには属さない人間、父との会話により、いかにその行為が酷いものであったかが、いよいよ意識に上り、彼女に復讐心がわく。善を貫き通していた人間の、善自体のもろさを見せ付けられた。

善を謳っている人間の、行為そのものは善の名の下に悪であったりする。
悪や汚い物として扱われている人間こそ、善の行為で埋め尽くされたような生き方をしている。これが、犠牲者のシステムで、そういう力関係は、実際にあるし、ある意味でイエスキリストも、このような犠牲者の枠にはめられたところが会ったといえるのだが、その後、このシステムの箍が外れると、彼女は、人間としてその仕打ちの残虐さに気づき、自分自身の残虐な復讐心が彼女を支配するのである。

善とはなんであろうか。
悪とはなんであろうか。
人間は、善悪を備えているものであり、世界は善悪を分けた行為をすることは不可能なのである。
善が、善のみでありうることは難しく、悪が悪のみであることも、これまた殆どありえないのである。

閉鎖的な村という設定は、世界をミクロコスモスのように描き出すことがある。
キリスト教の、特にプロテスタントの道徳的行為に対する批判かとも思えるような感じだったが、それは少々勘ぐり過ぎかもしれない。

昨日、ニュースで知った。
バイエルン地方の、とある小さな村である。
そこに、父親を早くなくしてしまったり、両親をなくしてしまったりした子供達が入る孤児院があった。

そこである少女は、二人の農民に、何年もにわたって、規則的に強姦され続ける。その少女は現在50近い。彼女は、ひょんな偶然から、村を早くに出て行った、もう一人の孤児少女に再会する。彼女が、やはり二人の農民に、定期的に何年間も強姦されていたと聞く。
二人は、その男どもが同人物だとわかり、ショックをうける。
男二人を訴える決心をした。

結果、すべての村に住む女性達が、彼女ら二人をコテンパンにけなすのである。
魔女に違いない。
変なフェミニスト思想に染められた。
どうせレズなのだろう。

下劣かつ低俗な言い草である。
中世かとでも問いたくなるような批判の仕方である。
こんなレベルで、村の女がかばったのは、強姦魔の農民男二人だ。

一人は、現在仮逮捕され、取調べ中である。
もう一人は、あれは全部嘘だ、という遺書を残して、首をつって自殺した。

村の女達の怒り心頭である。
どうしてくれる!
村をめちゃくちゃにした!

一見当然のようなこの言い草だが、
めちゃくちゃにされたのは、当時少女であった二人の女性である。
何もないのに、訴えるわけがない。

閉鎖的な村は、日本でも村八分という言葉や、楢山節考などの映画にもあるように、村独特の法律がある。法律というかシステムと言った方がいいであろうか。
そこには、独特の道徳や倫理が定められている。

しかし、日本では、道徳観念が欧州とは違うと思う。

楢山節考でもそうだが、悪を犯した家族は、悪でもって処分される。
あんな奴ら、殺しちまえ!

ところが、キリスト教社会では、
あんな奴ら、殺しちまえ
とは言えない。

そこで、もっと複雑な善的発言の下に、真実は悪の行為がなされるのである。
しかし、これは自他共に認められる善行とみなされるわけである。

その辺が、私はDogvilleを見て、胸糞が悪くなった原因であろうし、
この村の話を聞いても、胸が悪くなるのでる。

しかし、Dogvilleを象徴するような出来事が実際にあるのだ。

小さな閉鎖的村では、障害者、独り者、孤児、などの社会的弱者が、犠牲者として祭り上げられることが多い。

それこそが、この村の安定を保っている軸である。

この辺の理論は、ルネ・ジラールを参照されたい。

2005年1月31日月曜日

Mozart :映画「Amadeus」

 2005年1月31日
今日もまた雪です。
この間、四回目かなんかだが、また「
Amadeus」を見た。Mozartのあの映画は全く奥が深い。たいした手柄だと思っている。おそらくあのような気性だったろうし、知ることができる以上でも以下でもない情報が元になっているようだ。 コロレド大司祭と大喧嘩をして去ったザルツブルグ。私が伝記、手紙を読み、またゼミで分析した経験から言うと、Mozartには義務と要求のバランスが欠けていたという感じであった。もちろん恐ろしいほどの才能に恵まれていた訳で、本人もそれを承知していたが、やはり時代を突き破るような新しさをもたらす才能と言うものが、社会に認められるのにはかなり時間がかかるようだ。 Mozartの才能を確信していたのは、極限られた者たちだったと思う。妻であるコンスタンツェは、何も批判されるような人間ではないはずだが、彼の才能を自覚するにはあまりにもナイーブな人間だった。彼女の及ぶ範囲ではなかったのだ。 しかし、そのような才能を宿した彼の周りには、すでに深い音楽文化が築かれており、大司祭をはじめとした教会が主権を握っていたザルツブルグにも、大都会であったウィーンにも、それなりの体制があり、そこに属す者には従わなくてはならない規則と言うものがあった。 今の時代もそうだが、芸術だけを追っていては、生活と言うものができない。才能を発揮するには才能を発揮できる場を確保しなくてはならない。そういう自覚が彼にはなかった。当然の権利と言えばそうだが、ある種の傲慢さがあった上、それを全く省みる態度ではなかったのが、色々と摩擦を生んだ。
コロレドは、実に彼の才能をわかっていた者の一人だが、どうもこれがけち臭い人間で、芸術家から生き血を吸い取り、報酬はできるだけ少なくといったところがあったのもいけない。これを調整しようとして苦労したのが、
Mozartの父親だった。Mozartは払いが悪いといっては仕事をしなかったともいえる。また、入った金もことごとくばら撒いてしまった。普通の小心者には信じられない神経である。
こんなこともあって、ウィーンに行くことにしたのだが、それは耳の肥えたウィーンだけあって、大変だった。最初の扱いは素晴らしかったが、彼らは新し物を次々に求める。そのわりには、古いスタイルから抜け出ないと言う、大都会の保守的側面を表しているようなところがあった。
Mozartは本格的に苦労するのだ。 このようなあらすじは誰しも知っているだろうが、やはりその時代背景と、事情の詳細を知っているかいないかで、映画の楽しみも一段と違ってくるのだ。ありきたりの伝記では、こうなってくると足りない。手紙の分析をも盛り込んだ、本格的心理的側面から迫った伝記を読む必要性が出てくる。それが、Wolfgang Hildesheimerのこれ
紹介にもあるように、アポロ的理想像とはかけ離れたMozartの姿を暴き出す。音楽とは何にも関係のない人にもお勧めで
Mozartといえばすごい作品に溢れています。とめもこれがお勧めとはいえない。しかしその中でも、ピアノ協奏曲はやはり彼らしさに溢れています。楽しい性質と、悲しい性質が見事に溶け合っている。それが更には、楽しいメロディーさえ悲しくしか聞こえないと言う作用になるからすごい。20212225は非常に有名なだけでなく、泣けます151617も非常に良い。木管楽器が後ろでばっちり映える。 誰の演奏が良いかと言うことになると、私も一言では言えません。皆それぞれに違った形がありますから。気分と言うこともあるし。 でも、やっぱりオーストリアの人の演奏が断然光っている気がします・・・。問えば、大体絞り込まれると思いますが・・・。ご自分で聞いてください。こういう曲ですと、失敗はないんです。MozartCDに、演奏の云々はあれ、曲が良くなかったということはないはずです。改めてすごい才能を感じます。最敬礼

2004年6月5日土曜日

Morzart 手紙

昨日、1781年3月から、8月までのモーツァルト手紙を読んだ。ちょうどザルツブルグの大司祭と決裂してウィーンへ行くまでの間の話。

もう何度も手紙を読んではいるけど、今回はドイツ語で読んだのもあって、新鮮に楽しませてもらった。全くもって自由奔放な人間で、そういう面だけ見ている周囲の者には、本当に軽薄な人間に映っていたんだろうなと思う。でも、手紙をきちんと読み込むと、彼のかなり芯の強いエネルギーが感じられた。

結局大司祭と決裂したのも、自分自身の価値を本当には認められずに、虫けらみたいな扱いをされたからだと言うことだけど、実のところ、彼の才能を本当に分かっていた人間なんて、一握りだったんじゃないだろうか。大司祭には何も分かっていなかったろう。そもそもあの頃のザルツブルグは司祭が仕切ってい手、それに雇われている音楽家の身と言うのは、まさに惨めなものだったと思う。そもそも、その後何年もしないうちに、ブルジョワの力が勝って、宮廷文化が壊れてフランス革命という運命がやってくるわけだけど、そういう時代の狭間に生まれたモーツァルトは、ある意味で、自分でもわけの分からぬ時代の運命の波にのまれていたところもあったのではないか。事実彼の周りにも、たくさんの上流階級や小市民たちが集まって経済的に支援する動きも一時的にはあったわけだし、宮廷から離れようとする彼の決意は、50年前ではちょっとできないことだったに違いない。作品も注文だし、嗜好も宮廷文化に沿うもののみが良しとされたわけだし。

天才というのは、どこか爆発的なエネルギーをもっているから、そういうつまらぬ、真価とは全く違う規準で判断されるシステムの中で、小さなことを大司祭かなんかのためにこつこつやるなんてことは出来るものではないんだよね。司祭のために作曲しているのではなく、あくまでも音楽に対する尊敬であり、そこには驚くほどの完璧性を求めているわけだから、作品に関して、嗜好にあわせるとか言う妥協は、侮辱だったんだよね。

彼も、自尊心だけは非常に高くて、自分の価値を分からないもののために演奏したり、仕えたくないと言っていた。いくらお金が少なかろうとも、音楽を理解してくれる宮廷に仕えたいと思っていたわけだし。事実、ウィーンでは、フリーランスとして自立を試みるわけだけど、いつまで経っても、モーツァルトはどこかの宮廷で仕えたいと願っていた。やはり、そういう面は、父親の影響もあるけど、世代的な価値観念から抜け出しきってはいなかった。彼の作品は、全くもって宮廷風であり、それだからこそ、今でも愛されているわけなんだが。まあ、彼としては、何があってもウィーンで成功したかった。カイザーがいるところであったし、自分の才能としては、そんな田舎で小さく活動する者ではないと、本能的に感じ取っていた。ところが、ウィーンのような文化的大都会では、次々に新しいものが求められる。これはアルコ伯爵も言っていたことだけど、ウィーンというのは信用ならないところだった。優れたものには惜しみなくお金を出すけど、消費が激しいから、次々と流行が移り変わる。音楽かも使い捨て的な側面もあった。それをモーツァルトは、聴く耳も持たず始終楽天的に構えていたのは、子供と言えば子供だけど、世間のこともお金のことにも長けている天才なんていないだろうが。ある意味で、作曲だけしていればよいというような環境に恵まれなかったことが悲劇。しかし、音楽家は、もうずっとずっと昔から、経済的にはInstitutionにいつでも依存していたのだから、このジレンマはついてまわるものであろう。

それにしても、社会的背景にもあれだけの父親ががっちり自分の古い価値観でモーツァルトの絶対的成功を願っていたわけだし、尊敬する父親には逆らえなかった彼の、板ばさみ的状態というのは苦しかったと思う。しかし、本当のところ、いくら猫なで声を出してお父様と言おうが、彼は一切自分の信念を曲げることは基本的に無かったわけで、そこに底力を感じたわけだ。天才の、ほかの者を押しのけるような自信。
自分のアイデンティティーを確立できる地を探して迷いまくっていたと言うのが私の印象です。ザルツブルグでは、父親と司祭の力でそれは不可能だった。真価を認めてくれるものがアイデンティティーを可能にするのであって、経済的な安定ではないので、一時のウィーンでの生活すら本当の満足は得られない。それどころか、寝返ってしまう聴衆と支援者に絶望するわけで。なかなかアイデンティティーというのは難しい。
自分の描く形と、他人が自分に期待する形が一致するのは、まれです。

悲劇と言えば、彼の時代背景と、彼の行きすぎたユーモアじゃないだろうか。むっつりとしていれば、それなりだが、あれだけのおどけやユーモアの隙間に、ひどい不安、怒り、自信、自尊心、失望が隠れているのを読むと、心が痛む。それを一体誰がまともに理解し、耳を傾けただろうか。

そういう意味では、ウェーバー家の影響も決して良いものではなかった。コンスタンツェは、当時まだ彼の恋人でもなかったが、彼女は後にも本当に彼の才能も、人格も音楽も分かってはいなかった。かわいらしい面はあったのだろうが、いささか子供で、とても天才を相手に出来るような深みも強さも無い。妻からの真の愛情も、聴衆からの愛情にも恵まれず、いよいよ悲劇の道をたどるわけだが、いろいろな側面から見ても、いろいろなことが重なって、非常に苦しい立場にあった。SalzburgからWienへと向かわせた本当の原動は、実は、先にも書いた、アイデンティティーへの渇望じゃなかったのかと、察しているが、これは、これから手紙を分析しないと分からない。

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昨日は、皆でタパスを食べに行った。それからヴィデオショップで「Habla con Ella」(「彼女と話せ」という日本訳ではないと思うんだけど)を借りてきてみた。スペイン映画というのは、なかなか遠慮がちな表現で、難しいことを多く言わせずに、深みを表現できるものだと感心した。 
イタリア映画は、とかくオペラ調な大げさドラマになってしまうし、かのフランス映画では、心理描写が過ぎて、見るものは殆どパラノイア化してしまうし、ドイツ映画だと、何でもかんでも理屈づけた会話をはめ込んで、せっかくの情緒も頭の製品にすり替わってしまう。また非常に鋭い視点を持ったイギリス映画だと、何だか知らない間にコンテクストに社会的背景が強調されて、社会映画になりがちだし、アメリカ映画だと、すぐに特定の感情を安い音楽や雰囲気描写で強制され、おばかなエンディングが待っていて、商業意識が丸見えで、いささか嫌になる。いや、スペインというのは、なかなか静かに流れつつものがあって良かった。

実は、George Bernanos原作の、「悪魔の太陽」という映画をもう十年以上前に見て、非常に興味を持ったことを思い出したので、それを借りたかったんだけど。中世後期に、カトリックの僧が悪魔と対決するんですが、確か悪魔が結局は勝つんだけど・・・。それをドパルデューとサンドリーヌ・ボネールという女優が見事に演じていた。確か、あのモーリス・ピアラ監督だった。まあ、ばりばりのカトリック作家が、十九世紀はじめごろに書いた作品で、フランスで育った人なら、スタンダードに知っているはずなんだけど、あとはヨーロッパでも、そうそう知られた作家ではない。まあ、テーマが殆ど神学の領域だから仕方ないんだけど。
しかし残念ながら、ドイツ語ではヴィデオになっておりません。英語かフランス語しかなかった。アマゾンでは。まあ、そのショップは非常にカルト的で、一応何でも揃っているんですが、ばかばかしいハリウッド映画以外は。たとえば日本の座頭市シリーズなんてものまで、何でも揃っているんだけど、さすがにそのベルナノスはなかった。ピアラのものは、ゴッホしかなかった。まあ、あの監督のを見ていると、眠くなるか、神経質になるかって、普通の人は思うのだろうと想像できるけど。私は、けっこう文学作品の映画化というのが好きで、しかも、ピアラのドキュメンタリー風リアリスティックな、直撃表現法も好きなんだよね。俳優もフランス国内で、本当に優秀とされる人たちが彼とやりたがるし。
悪魔がそのまま存在していた中世の宗教観というのを日常に描いた作品だと言うのを思い出して、どうしても見たかったんだけど、まあ仕方ない。

2004年5月20日木曜日

楢山節考

今朝は、朝九時に元旦那宅まで小猿たちをお迎えに行った。彼は、今ポツダムでオペラを指揮しているので毎日大忙し。夕べ八時に小猿と食事に行って、今朝またポツダムへ戻る。私としては、せっかくの休日だから、八時半なんかに起きたくなかったんだけど、しょうがないか。おかげで、午前中は家事をしまくった。お昼もちゃんと作ったし、まあ、良い気分だろうか。

昨日、今村監督の映画、楢山節考を見た。二回目だったんだけど、もうずいぶん前だったので、新鮮。
当時のモラルというのは、今の社会ではまったく想像の出来ない基準によるものであって、そこで取り決められている、様々な冷酷、粗暴なしきたりも、突き詰めれば、自己防衛なのかと納得した。そんな難しい言い方じゃなくても、東北の山深い貧しい農村では、目的はただ、冬を越えて生き残ることのみだった。つまり子孫繁栄という基本的な条件が確保されること。それを危うくするような事柄は、人殺しという手段をとろうが、ことごとく抹消されたということだろうか。作物を盗むということは、人殺しよりも重い罪とされる理由かと思う。男の嬰児を育てて冬を超えられないような場合は、それを殺すのも致し方ないというような状況であった。それほど生活が苦しいから、姥捨てというしきたりもあったのだろう。

映画は、最後の十五分が決め所という感じと私はとった。まあいろいろと目を背けたくなるような、冷酷な場面があるのだけれど、私にはそれをどのようにとって良いのか分からなかったのだが、最後の場面を見ながら急に謎が解けたような思いがした。
生き残りのためには、感情的なことなど構っていられない。自らの父母を背負って山に捨てに入らなくてはならない。今まで誰もそれを疑問に思ってきたものはいない。元気がよかろうが、七十になれば山へ入った。自分の食べる量を他の家族のためにまわした。ところが、主人公の息子は、母親を骸骨の敷き詰められた谷へ置いて去る時、最後に泣き崩れる。そういう繊細さが、こういうしきたりへのひそかな反発を一瞬呼び起こす。が、それは本人の意識までは上らず、やり過ごすしか出来ない。
暴力と冷酷さと死、そして厳しい自然のおきてが、日常というレベルで深く入り交ざった生活では、死や殺人すらしらけた目で見過ごされるという、恐ろしさではなく、むしろ深い悲しみが深く根付いていると感じた。厳しい日常は、感情などというものをことごとく無視し、麻痺させる。そして人は春になると、動物のように狂ったように交尾する。何か非常にストイックな生活からの爆発のような反応に見え、それが何か無性にもの悲しくさせる。
重いテーマではあったが、今村の淡々としたリアリズムにも似たスタイルが、見る側の感情を必要以上にあおったり、支配したりすることが無く、それでいて、最後まで見る側の感覚を奈落の底までも落としてしまうような重みと深みにあふれていた。83年にカンヌで賞を取ったのもまったく頷ける。非常に考えさせる作品だった。

しかしこういった記録は、書かれているものは皆無で、口で言い伝えられてきたものに違いなく、大変なリサーチだったのではないだろうか。非常に忠実に語られていて、その点でも素晴らしい業績ではないだろうか。

しかしモラルとは、なんとも押し付けがましいものだろうか。人間の中心にあるような本能的な良心、(そういうものがあればだが)そういうものとは少しも関係ない。モラルとは社会が作り上げるもので、まったく恐ろしい威力を持っている。いろんな意味で唸ってしまった。

小猿たちが、中庭で叫びまくっているから、さっさと呼び寄せないとだめだろう。そろそろ切れたらしい。