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2013年2月10日日曜日

心臓を貫かれて ―― 抜粋

訳者の村上が言うように、確かにかれは文章を書く間に、多くのどうどうめぐりのような状態に陥ってしまったのかもしれない。核心にすっとはいることができない彼のトラウマが原因で、その「ぐるぐるめぐり」が生まれたのではないかと村上が言うのは、読み終えてみて非常に納得できる。私自身、読みながら知らない間に、著者の無意識のトラウマによる『儀式的ロジックの根回し』に深く引き込まれ、私自身がいつまでも核心に入らないその物語と共に、この本に惹かれつつ読むことを躊躇したり、その先にあるべき重いものに無意識的恐怖を抱いて、読了するまで長い時間がかかってしまった。

本当は回答やきっかけ、それこそこの本でも出てくる言葉である「救済」が欲しかったのである。しかしそんな答えはあろうはずもない。
このような運命を生きることが、救済への道しるべに他の人よりも早くたどり着くわけではないのだということを、改めて思い知らされる。
このような世代を超える運命には、巻き込まれる以外に選択の余地がない、抗し難い力が働いており、それを生き抜くことで得るものは、救済への予感でもなく、知恵でもなく、希望でもなく、ただただ生きる力を失うような哀しみでしかないのだと、それだけははっきりと理解することができた。

それ以上にこの本には、家族を巡る多くのファセットが隠されており、私にとっては多くの側面から自分なりの術を学ぶためのきっかけとなる深い「事実」を見て取ることができた。
それらは、おそらく読者の心の中では、ヒントにしかなりえないものである。しかし家族の深淵を垣間見た、まさに見たくないその哀しみを見つけてしまった私にとっては、この本を読むことで、たとえこの本の根底には哀しみしか流れていないとしても、大きな勇気を得る結果となった。

すべては愛という言葉の裏に隠れるどろどろとしたものの織り成す運命であると感じる。愛がなければ人は一日たりとも存在できない、という心理学者フロムの言葉をまた思い出す。健康な愛は健康な愛を受けたことがなければ与えることはできない。愛ほど厄介なことはない。私自身、まさに自分の愛する能力に疑問を感じ、デーモン的なものに愛さえのっとられていると感じることもある。けれど、家族の歴史をさておき、こころを中和して和解さえすれば、すべてを癒す安らぎと赦しを与えることができるのも、また家族の愛だけなのであると知ることになる。
それも、この物語は十分に証明していた。

孤独な子供は、損傷が残る前に救われなくてはならない。おそらくもう遅いかもしれない。が、まずそれを肝に銘じている。

まだ感想などは書けない。が、どうしても心に残った文章を、ここに書き止めておきたかった。


P. 45
「おい坊主、死んだ人を踏みつけにしてはならん」と老人は指を突き出すようにして僕に言った。「断じてならん。いいか、お前は死者の残したものの上に生きているんだ。」

P. 125
最初の子供を土に埋めたほとんど直後に、新しく生まれた息子の顔を見て、フェイはそこに安らぎを見出せただろうか?最初の子供の時に対するときのように手放しの愛を注ぐことに、恐怖を感じることはなかっただろうか?[中略]「自分は愛されており、安心していいのだ」という感覚をフランクに与えられなかったのではあるまいか?

P. 183
そいつは、僕の人生にとって最悪のときに、僕をとらえてこういった。「あなたのことは知っているわ。あなたが最後の一人。あとのみんなはさっぱりと片付けた。次はあなたの番なのよ。」違う、と僕は自分に言い聞かせた。この幽霊は本物の幽霊ではない。いかにもそう見えるけれど、実は本当の幽霊じゃない。これは僕自身の内部の、暗くて深い場所から這い出てきたものなのだ。そのときだって、やはり僕はこう思っていた。幽霊なんかよりももっと恐ろしいものが、僕の襟首をつかまえることだってあるんだ、と。

P. 201
「それは俺の人生にはっきりとした感覚を残してくれた」と彼は言った。「自分を克服したような感覚だった。」もちろん、意識的にか無意識的にかは知らないが、兄は事実の半分しか語っていない。自分自身を克服するというとき、ゲイリーは恐怖を乗り越える能力について語っていたのかもしれない。でも彼がほんとうにそのような境地に達したことがあるとは、僕には思えないのだ。[中略]実を言えばゲイリーは自己の克服について語っていたのではなく、恐怖や痛みに泣き叫ぼうとする自らの一部を殺すか黙らせるかする術を学んだことについて語っていたのだ。それが真実だ。そのようなかたちでゲイリーが自らを克服したとき、彼は自分の生命を破壊させる力を、またその破壊を行使できるそうな他人を抹殺する力を、見出したのである。

P. 207
彼は反抗児になろうと志すくらいに――自分がどれくらいいろんなものを台なしにされたかを指し示すために、いろんなものを台なしにしてやろうと思い立つくらいに――利発で勇気のある子供だった。しかし世の中はそんな彼の反抗を受け入れもしなければ、容認もしなかった。[中略]僕はそこに損傷を受けた少年の顔を見る。もっと正確に言えば、僕はそこに堕ちた天使の顔を見るのだ。その顔は、ほかのみんなが見ている安定から目を背け、一度かぶったらはがすことのできない悪魔の仮面をつけようとしていた。

P. 262
フランク・ギルモアはベッシー・ギルモアを狂人と呼ぶことによって、彼女を本物の狂気の状態に追い立てることができたのだ。彼女の目は憤怒のためにぎゅっとつり上がり、顔つきは不思議な仮面のようになった。その仮面は堅く凍りつき、同時にめらめらと激しく燃え上がっていた。精神がこれ以上持ちこたえられないほどの激しい衝動を、母は抱え込んでいるみたいだった。[中略]母は怒りに煮えたぎった目で、父をしっかりと睨みつけていた。最愛の相手によって深く傷つけられた人間だけが浮かべることのできる、捨て鉢な決意のようなものがそこに浮かんでいた。

P. 298
ゲイレンは決して癒されることのない恐ろしい傷とともに生きていたけれど、それが彼を殺したわけではなかった。彼を殺したのは、彼が自分に向かってなし続け、なすことをやめられなかった何かだった。

P. 299
ゲイレンは僕を家の中に閉じ込めた。食堂の中から僕は、斧を使って彼がおもちゃをひとつひとつ叩きつぶしていくのを眺めていた。ゲイレンは潰れたプラスチックの塊をごみ缶に投げ込み、泣きながら家の中に戻ってきた、「いつか父さんはおまえのことだって嫌いになるんだ」と彼は苦痛に満ちた涙声で言った。「おまえにも今に分かる」

P. 338
それから頭にまず浮かんだのは、ああ、僕はこれからもっと孤独になるんだな、ということだった。でもまあそれはかまわない。僕はすでに、まわりの世界の多くのものに深く関わらずに生きていく術のようなものを身につけていた。

何年にもわたって僕は父と一緒に暮らしていたわけだが、ときおり父が一人で机の前に坐り、首をうなだれ、拳で机を叩きながら、何度も何度も「ああ、もう死んでしまいたい」と言っているのを目にしてきた。本当のところ、彼は死というものを恐れていたと思う。でも生きることは彼にとっては、絶え間のない審判のようなものであったのではないか。そして審判は、今まさに終わろうとしているのだ。

P. 359
母が父についてこんな話し方をするのを、僕はそれまで聞いたことがなかった。母の声の中に、そんな優しい響きを感じたこともなかった。それらの言葉の裏で、彼女の心が千々に乱れているのが僕にはわかった。
 キッチンで母と父の姿を見かけた夜、テーブルの前に坐って、母の手を取っていた父の顔に浮かんでいた表情を僕は覚えている。父の知らせを受け取ったときに、母がかくも深き喪失と孤独の地点から叫びをあげていたことを僕は覚えている。そう、彼らは互いに愛し合っていたのだ。[中略]一段と高いところから見れば、愛というものは――それがいかに深く切羽つまったものであれ――他人と悪い関係を持ち続けるための十分な理由にはならないと思う。とりわけその「悪さ」が結果的に他人を巻き込んで、傷つけ歪めていくような場合には。

P. 360
この結婚の継続が生み出したよりももっと悲惨な結果を、果たして離婚が生み出せたであろうかと。[中略]
人々はこう言う、何があろうと家族のためにひとつにくっついていろ。家族の尊厳と結束のためには、歯を食いしばれ。そんな御託が昔から今にいたるまで繰り返し説かれてきた――世の中に、家族の保全が失われるほど不幸なことはない。家族は保全されなくてはならず、その機能は秘匿されなくてはならない。
 ああ、僕は家族というものを憎む。僕はショッピング・モールで彼らが清潔な服を着て、一緒に歩いているところを見る。あるいは、友人たちが家族の集まりについて、家族のトラブルについて語るのを耳にする。彼らの家族を訪問することもある。そんなとき、僕は彼らを憎みたくなる。僕が彼らを憎むのは、彼らがおそらく揃って幸せな思いというものを味わっているからであり、僕が人生においてそういった家族を一度たりとも手にしなかったからである。僕が彼らを嫌悪するのは、家庭こそ善なりとする考え方が、子供たちがいい大人になってしまったあとでもまだ、過程の中で彼らを恥じ入らせたり、従属させるために、しっかりと運用されているからである。

P. 475
その日一日、僕らは母のうらぶれた家の、閉所恐怖症をもよおすような部屋に坐り、荒ぶれた我らが歴史をあいだに挟むようにして顔を向かいあわせていた。そこで僕はようやく理解することができた――母は常に、僕なんかよりもはるかに恐怖に近い場所で生きてきたのだと。

P. 483
誰かに死刑を宣告することはできる、でも生きることを宣告することはできないのだ――そう思った。

P. 538~539
あなたは自分の人生を生み出した源からすっぱりと切り離されてしまうのだ。母を失うことは、とその歌手は歌う、この世界の碇を失ってしまうことだ。あなたを生み出し、あなたを守ってくれたすべてのものはもう消えてしまった。あなたは今、波間をさまよっている。そしてあなたがもし自分の場所をどこかに見つけたとしても、あなたは自分の祖先につながる最も重要なリンクを永遠に失ってしまっている。聖なるものは、もう戻ってこない。

それから長い間、母ともう話ができないのだと思うと辛かった。いつの日にか母に素晴らしい知らせを持っていってあげようという希望が、潰えてしまったことを残念に思った。母はずっと長い歳月、数々の悪い知らせに耐えて生きてきたのだ。なんとかその埋め合わせをしてあげたいものだと僕は思っていた。

P. 549
突然恐怖が僕をとらえた。そんな時ベッドに横になり、何時間もそこに身を丸めて、暗闇が通り過ぎてしまい、なんとか正常に呼吸できるようになるのを待った。子供の頃、体の具合が急に悪くなったときにやっていたのと、まったく同じことをやるようになった。両手を固く握りしめ、手にひらに意識を集中させるのだ。思い切り手を握りしめていれば、手のひらの真ん中に、救済なり回答なりが見つけられそうな気がした。[中略]抑鬱症の経験を言葉で他人に伝えるのはむずかしい、理解することもむずかしい。しかし一度でも経験したら、忘れることはできない。あなたは周りの世界を少しばかりより同情的な目で見るようになるだろう。またあなたは自分の生活の片隅をよりしげしげと眺めるようになるだろう。そうすれば、あの暗黒がもう一度こっそりと忍び寄ろうとしたときに、すばやく感知することができるからだ。

P. 566
一家の荒廃はゲイリーの死によって終わりを告げたわけではなかった。何故ならそれはゲイリーによって始められたものではなかったからだ。
 その夜に僕はこう悟った。僕はもともと継続する見込みのない家庭に生まれ落ちたのだ。そこには四人の息子たちがいたけれど、誰一人として自分の家庭をもたなかった。誰一人として伝承や血縁を広めようとしなかった。それが心優しいものであれ残酷なものであれ、破壊されたものであれ良心的なものであれ、自分たちの望むものを、子供たちを通して拡張したり満たしたりしようとはしなかった。僕らは自らがかつてやられたように、殴りつけたり損なったりするための子供たちを持つことさえしなかった。そして僕は、確かに長い間みんなに、自分は家庭を持ちたいと言いまわってはいたけれど(ひとつにそれはそれによって、僕が自分の家庭で目にしてきた破壊の埋め合わせをすることができたらと思っていたためだった)結局のところ、どうでぃても家庭を持つことはできなかった。考えてみれば、その夢をかなえるために必要とされる選択の場面において、僕は常に間違った選択肢を選んでいた。となると、自分はそもそも家庭を持つことを最初から望んでいなかったんじゃないかと、疑わざるをえなくなってしまう。まるで僕はこう考えていたみたいだ。我が家に起こったことはあまりにも恐ろしいことであり、それらは僕らの代で終わるべきであり、止められなくてはいけないことであり、子供を持てばまた同じことが起きてしまうのではあるまいか、と。その荒廃の息の根を止めるただひとつの方法は、自分を抹消してしまうことである。

P. 564
「フランク」と僕は声をかけた。彼は頭を上げた。でも誰だかわからないようだった。
「フランク、僕だよ。マイケルだ」。彼はそこに立ってじっと僕を見ていた。よくわからないという顔つきだった。まるで僕の言ったことが信じられないみたいだった。もし彼がそのまま僕を階段の下まで突き飛ばしたとしても、きっと抵抗しなかっただろうと思う。それはそれでかまわないと思っていた。
 でも彼は両腕を伸ばして僕を抱きしめた。その瞬間、まわりのうらぶれた光景は頭から消えてしまった。その瞬間、僕は家庭というものに抱擁されていた。

P. 569
そのとき俺は思ったんだ。おまえの邪魔だけはするまいってな。お前の前にのこのこ現れて、この姿をさらしてお前に恥ずかしい思いをさせたくはなかった。おまえはうまく過去を捨てられたんだ。そして俺は、その過去をもう一度蒸し返すような真似はしたくなかった。[中略]僕はそこに黙って坐って、じっと兄の姿を見ていた。そしてこう思った。これがこの広い世界で、僕に残された家族のすべてなのかもしれない。でもそれで不足はないじゃないか。僕はそれまで、この兄の心の深さや、その孤独の広漠さを、本当に理解したことはただの一度もなかった。[中略]僕には、血のつながりの中から生まれる信頼について、値打ちのある何かを学びとるための準備ができていた。

P. 587
そこで僕は目を覚ます。臓腑は苦痛に疼いている。自分が本当に泣いていることに気づく。僕は暗闇の中に横になって、すすり泣いている。実際に子供が死んでいないことはわかるのだが、それでも泣き止むことができない。それは実際に起こった喪失みたいに感じられるし、そんなものを抱えこんで生きていくことなんて、できないように思える。[中略]
 ウィスキーを飲み終え、布団の中に潜り込み、頭から枕をかぶって恐ろしい朝の光を避けようとする。僕はその光を憎んでいる。身を丸め、自分に向かって言う。「何もよくなんかならない。絶対に。絶対に何もよくなんかならない」。何度も何度も自分に向かってそう言い聞かせる。そのうちに僕はその言葉の中に安らぎを見出して、やっとまた眠りに落ちることができる。







2011年5月14日土曜日

「硝子戸の中」から



女の告白は聴いている私を息苦しくしたくらいに悲痛をきわ)めたものであった。彼女は私に向ってこんな質問をかけた。――
「もし先生が小説を御書きになる場合には、その女の始末をどうなさいますか」
私は返答に窮した。
「女の死ぬ方がいいと御思いになりますか、それとも生きているように御書きになりますか」
私はどちらにでも書けると答えて、あん)に女の気色けしき)をうかがった。女はもっと判然した挨拶あいさつ)を私から要求するように見えた。私は仕方なしにこう答えた。――
「生きるという事を人間の中心点として考えれば、そのままにしていて差支さしつかえ)ないでしょう。しかし美くしいものや気高けだか)いものを一義において人間を評価すれば、問題が違って来るかも知れません」
「先生はどちらを御択おえら)びになりますか」
私はまた躊躇ちゅうちょ)した。黙って女のいう事を聞いているよりほかに仕方がなかった。
「私は今持っているこの美しい心持が、時間というもののためにだんだん薄れて行くのがこわ)くってたまらないのです。この記憶が消えてしまって、ただ漫然と魂の抜殻ぬけがら)のように生きている未来を想像すると、それが苦痛で苦痛で恐ろしくってたまらないのです」
私は女が今広い世間せかい)の中にたった一人立って、一寸いっすん)も身動きのできない位置にいる事を知っていた。そうしてそれが私の力でどうする訳にも行かないほどに、せっぱつまった境遇である事も知っていた。私は手のつけようのない人の苦痛を傍観する位置に立たせられてじっとしていた。
私は服薬の時間を計るため、客の前もはば)からず常に袂時計たもとどけい)を座蒲団ざぶとん)のわき)に置くくせ)をもっていた。
「もう十一時だから御帰りなさい」と私はしまいに女に云った。女はいや)な顔もせずに立ち上った。私はまた「夜が)けたから送って行って上げましょう」と云って、女と共に沓脱くつぬぎ)に下りた。
その時美くしい月が静かな)を残るくま)なく照らしていた。往来へ出ると、ひっそりした土の上にひびく下駄げた)の音はまるで聞こえなかった。私は懐手ふところで)をしたまま帽子もかぶ)らずに、女のあと)に)いて行った。曲り角の所で女はちょっと会釈えしゃく)して、「先生に送っていただいてはもったいのうございます」と云った。「もったいない訳がありません。同じ人間です」と私は答えた。
次の曲り角へ来たとき女は「先生に送っていただくのは光栄でございます」とまた云った。私は「本当に光栄と思いますか」と真面目まじめ)に尋ねた。女は簡単に「思います」とはっきり答えた。私は「そんなら死なずに生きていらっしゃい」と云った。私は女がこの言葉をどう解釈したか知らない。私はそれから一丁ばかり行って、またうち)の方へ引き返したのである。
むせっぽいような苦しい話を聞かされた私は、その夜かえって人間らしい好い心持を久しぶりに経験した。そうしてそれがたっ)とい文芸上の作物さくぶつ)を読んだあとの気分と同じものだという事に気がついた。有楽座や帝劇へ行って得意になっていた自分の過去の影法師が何となく浅ましく感ぜられた。



不愉快に)ちた人生をとぼとぼ辿たど)りつつある私は、自分のいつか一度到着しなければならない死という境地について常に考えている。そうしてその死というものを生よりは楽なものだとばかり信じている。ある時はそれを人間として達し得る最上至高の状態だと思う事もある。
「死は生よりもたっ)とい」
こういう言葉が近頃では絶えず私の胸を往来おうらい)するようになった。
しかし現在の私は今まのあたりに生きている。私の父母ふぼ)、私の祖父母そふぼ)、私の曾祖父母そうそふぼ)、それから順次にさかの)ぼって、百年、二百年、乃至ないし)千年万年の間に馴致じゅんち)された習慣を、私一代で解脱げだつ)する事ができないので、私は依然としてこの生に執着しているのである。
だから私のひと)に与える助言じょごん)はどうしてもこの生の許す範囲内においてしなければすまないように思う。どういう風に生きて行くかという狭い区域のなかでばかり、私は人類の一人いちにん)として他の人類の一人に向わなければならないと思う。すでに生の中に活動する自分を認め、またその生の中に呼吸する他人を認める以上は、互いの根本義はいかに苦しくてもいかに醜くてもこの生の上に置かれたものと解釈するのが当り前であるから。
「もし生きているのが苦痛なら死んだら好いでしょう」
こうした言葉は、どんなになさけ)なく世を観ずる人の口からも聞き得ないだろう。医者などは安らかな眠におも)むこうとする病人に、わざと注射の針を立てて、患者の苦痛を一刻でも延ばす工夫を)らしている。こんな拷問ごうもん)に近い
所作しょさ)が、人間の徳義として許されているのを見ても、いかに根強く我々が生の一字に執着しゅうちゃく)しているかが解る。私はついにその人に死をすすめる事ができなかった。
その人はとても回復の見込みのつかないほど深く自分の胸をきずつ)けられていた。同時にその傷が普通の人の経験にないような美くしい思い出の種となってその人のおもて)を輝やかしていた。
彼女はその美くしいものを宝石のごとく大事に永久彼女の胸の奥に)き)めていたがった。不幸にして、その美くしいものはとりも直さず彼女を死以上に苦しめる手傷てきず)そのものであった。二つの物は紙の裏表のごとくとうてい引き離せないのである。
私は彼女に向って、すべてをいや)す「時」の流れに従ってくだ)れと云った。彼女はもしそうしたらこの大切な記憶がしだいに)げて行くだろうと嘆いた。
公平な「時」は大事な宝物たからもの)を彼女の手から奪う代りに、その傷口もしだいに療治してくれるのである。はげ)しい生の歓喜を夢のようにぼか)してしまうと同時に、今の歓喜に伴なう生々なまなま)しい苦痛も)り)ける手段をおこ)たらないのである。
私は深い恋愛に根ざしている熱烈な記憶を取り上げても、彼女の創口きずぐち)からしたた)る血潮を「時」にぬぐ)わしめようとした。いくら平凡でも生きて行く方が死ぬよりも私から見た彼女には適当だったからである。
かくして常に生よりも死をたっと)いと信じている私の希望と助言は、ついにこの不愉快に)ちた生というものを超越する事ができなかった。しかも私にはそれが実行上における自分を、凡庸ぼんよう)な自然主義者として証拠しょうこ)立てたように見えてならなかった。私は今でも半信半疑の眼でじっと自分の心を眺めている。


_____________

七に関して

若い頃には解らなかった漱石の文章が、今なら少しずつでも心に入ってくるようになった。
何故生きるべきなのか。それに適当な答えを見つけるのは難しい。宗教的に死を選ぶことが罪とされている場合には、理屈はいらないのかもしれない。しかし死の方が尊いと思う心も解らないではない。

私は相当の馬鹿で阿呆で、この文章を読んだときに、「その女の始末」という言葉を、この会話をしている女を苦しめている別の女性だと思っていた。

しかし、読み進めていくうちに解らなくなり、もう一度読み返してやっと、この女が自分のことを漱石に話して聞かせ、小説だとしたら、この女、つまりまぎれもない彼女自身は死ぬべきか、生かされるべきかと聞いているのだと、やっとわかったと言う次第である。

そして漱石は、
「生きるという事を人間の中心点として考えれば、そのままにしていて差支(さしつかえ)ないでしょう。しかし美くしいものや気高(けだか)いものを一義において人間を評価すれば、問題が違って来るかも知れません」

単に生きるという目的だけならば、生きていれば良い。しかし美しい、気高い心持こそが生きる理由になり得ると考えれば、問題は違うという。つまり単に息をして生きているだけでは、人間は生きていない方がましではないかという、女性自身の疑問を受ける形の答え方をしている。

そこで女が、
「私は今持っているこの美しい心持が、時間というもののためにだんだん薄れて行くのが怖(こわ)くってたまらないのです。この記憶が消えてしまって、ただ漫然と魂の抜殻(ぬけがら)のように生きている未来を想像すると、それが苦痛で苦痛で恐ろしくってたまらないのです」
と述べ、漱石は女が「広い世間(せかい)の中にたった一人立って、一寸(いっすん)も身動きのできない位置にいる事」を理解している。

そして漱石は、その後何も言わずに立ち上がって女を帰すのである。そのときのことを
その時美くしい月が静かな夜(よ)を残る隈(くま)なく照らしていた。往来へ出ると、ひっそりした土の上にひびく下駄(げた)の音はまるで聞こえなかった。」と書いている。
おそらく、漱石はこの女の悲痛な人生を聞かされ、誰にどうすることもできない、つまり言葉では到底解決や救いのない問題を聞き、胸苦しい思いで彼女の天涯孤独と切羽詰った状況を知るのだが、彼の夜空を見上げる心は、その描写のように清浄であった。そして外套や帽子のことも考えずに、女の後ろに、つまり女の人生に寄り添っている。

そして女は、最後に「先生に送ってもらって光栄」だと言う。漱石は本当にそう思うかと聞き返し、女はそうだと答えると、
「そんなら死なずに生きていらっしゃい」と伝える。
この光栄をどう解釈し、そして光栄ならば何故生きているべきなのか…。

それは女は初めて漱石に自分の人生を語りつくした。そして、語ると言う行為の間に、自分の人生に言葉を与えることによって、苦しみこそ生々しく浮き上がってきたが、それ以上に「これが紛れもなく自分の生である」ということを悟ったのではないだろうか。何を語ろうとも、どんな助言を請おうとも、自分の生は、自分にだけ与えられたものであると同時に、他の誰にもどうしようもできない。 なぜなら生を語るのは言葉であるが、自らの生とはやはり生きるものに他ならないからであろう。女は、これまでの苦労に満ちた人生を語りながら、同時に「美しい心持」をその生き様に実感し、それを失ってゆくことを極度に恐れている。
それを誰か、つまり漱石に語ったことで、彼女は捨てても良いと思った生を実感した。聞き手は言葉を与える代わりに、その苦悩も孤独も言葉を介さずに受け入れ、彼女の中に鼓動を打つような生命と生を尊いと思わせるような、覚悟や真剣さを見出し、寄り添うように送っていった。それを彼女にも、無言で理解できたからこそ、「光栄」だと言ったのではないだろうか。
だからこそ、「ならば生きていなさい」と云う答えになったのではないだろうか。
漱石は、死の方が尊い、と言いつつ、彼女の話の中に、生を尊いと思わずにいられないものを感じたのかもしれない。


「むせっぽいような苦しい話を聞かされた私は、その夜かえって人間らしい好い心持を久しぶりに経験した。そうしてそれが尊(たっ)とい文芸上の作物(さくぶつ)を読んだあとの気分と同じものだという事に気がついた。有楽座や帝劇へ行って得意になっていた自分の過去の影法師が何となく浅ましく感ぜられた。」

________

八に関して

「私はついにその人に死をすすめる事ができなかった。
その人はとても回復の見込みのつかないほど深く自分の胸を傷(きずつ)けられていた。同時にその傷が普通の人の経験にないような美くしい思い出の種となってその人の面(おもて)を輝やかしていた。
彼女はその美くしいものを宝石のごとく大事に永久彼女の胸の奥に抱(だ)き締(し)めていたがった。不幸にして、その美くしいものはとりも直さず彼女を死以上に苦しめる手傷(てきず)そのものであった。二つの物は紙の裏表のごとくとうてい引き離せないのである。」

これが女の背景である。

「私は彼女に向って、すべてを癒(いや)す「時」の流れに従って下(くだ)れと云った。彼女はもしそうしたらこの大切な記憶がしだいに剥(は)げて行くだろうと嘆いた。
公平な「時」は大事な宝物(たからもの)を彼女の手から奪う代りに、その傷口もしだいに療治してくれるのである。烈(はげ)しい生の歓喜を夢のように暈(ぼか)してしまうと同時に、今の歓喜に伴なう生々(なまなま)しい苦痛も取(と)り除(の)ける手段を怠(おこ)たらないのである。」

これが漱石の答えだった。

そして「深い恋愛に根ざしている熱烈な記憶」を取り上げたとしても、「彼女の創口(きずぐち)から滴(したた)る血潮を「時」」によって止血させようと試みた。なぜ「いくら平凡でも生きて行く方が死ぬよりも私から見た彼女には適当」と言ったのか、私にもそれは良くわからないのだが、それは彼女の奥ゆかしい生に対する姿勢が、命そのものをすでに尊いものとして捕らえている、それを漱石が感じ取ったからではないだろうか。

「かくして常に生よりも死を尊(たっと)いと信じている私の希望と助言は、ついにこの不愉快に充(み)ちた生というものを超越する事ができなかった。」
それは人間の営みは、真剣であればあるほど、また運命というものに逆らいすぎずに、それを一種の自分に与えられた生としてひたすら生き抜くと言う姿勢そのものが、すでに尊いからなのだと、私はそう解釈したい。
そうでなければ、

「有楽座や帝劇へ行って得意になっていた自分の過去の影法師が何となく浅ましく感ぜられた。」
という文章は表れないのではないだろうか。小話や人生劇など現実の生に比べれば、その存在の尊さにおいて、比較にならないということなのではないだろうか。

最後に、彼女に生きていなさい、と言ったことに対して、凡庸な自然主義者ではないかと揶揄するが、漱石もまた生に対してなんとも慎み深いのだろうかと読み取れ、その漱石の温かい人柄、そして生きていくということは、根本的に淋しいということを知っている、そのような孤独を感じ取り、この話を読んだ後、えらく心を打たれて、暫し硬直してしまった。

私自身に重ねれば、やはりなぜ生きるべきか、何故生きていなくてはならないのかと問い続けた日々があり、自分の生き方を肯定できずにいた。私は残念ながら今まで、人生の歩みを言葉にして語り、聴いてくれる人があったという機会には恵まれていない。
それどころか、私は自分の人生だけは、延々と言葉にしまいと誓ってすらいる。他人にとって、人の人生など、どうという関心はないのである。しかしこの作品を読んで、彼女が語らなかったら、決して生き続けていたかどうかはわからない、ということを理解した。
彼女は、生に言葉を与えたことで、自分の生をその手で握っていることを実感し、救われたのである。
そして漱石は、尊い小説を読んだ後のような、人間らしい良い心持を感じた。

ここに、まさに私自身も救われるような思いがしたのである。
美しいものを見たかと問われれば、見たことがあると答える。
美しい心持にめぐり合ったこともあれば、自分自身からも深い献身を試みた、純粋な深い思いを知ったとも答えられそうな気がする。
それならば、それは私の人生の最大の幸運であり、傷から血を滴らせながら、その美しい心持を現在のまま保つことが生きることではなく、それを言葉として刻み込み、私自身の事実として色あせても手中に持っているだけで、十分幸福なことであり、それ以外の不愉快なことは、死ぬ理由でもなければ、美しさや純粋さを失うことが死ぬ理由でもない、ということを知ったからである。

現在は常に色あせる。
そして激しさの中で、傷の癒える時間を待ちきれないとき、やはり「語り」は己の人生を救うのではないだろうか。そして漱石は、それを強力に肯定しているのではないだろうか。
そして、人は書き、記録し続けるのではないだろうか。

2011年5月4日水曜日

萩原朔太郎 ― 月に吠える 北原白秋の序、及び序文からのメモ

月に吠える

白秋の序

「[…]さうして以心伝心に同じ哀憐の情が三人の上に益々深められてゆくのを感ずる。それは互いの胸の奥底に直接に互いの手を触れ得るたった一つの尊いものである。」

「[…]さうして君の異常な神経と感情の所有者であることも。譬えばそれは憂鬱な香水に深く涵した剃刀である。而もその予覚は常に来る可き悲劇に向て顫へてゐる。然しそれは恐らく凶悪自身の為に使用されると云ふよりも、凶悪に対する自衛、若くは自分自身に向けらるる懺悔の刃となる種類のものである。何故ならば、君の感情は恐怖の一刹那に於て、まさしく君の肋骨の一本一本をも数へ得るほどの鋭さを持ってゐるからだ。」

「『詩は神秘でも象徴でも何でもない。詩はただ病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである。』と君は云ふ。まことに君が一本の竹は水面にうつる己が影を神秘とし象徴として不思議がる以前に、ほんとうの竹、ほんとうの自分自身を切に痛感するであらう。鮮純なリズムの歔欷はそこから来る。さうしてその葉の根の尖まで光り出す。」

「君の霊魂は私の知ってゐる限りまさしく蒼い顔をしてゐた。殆ど病み暮らしてばかりゐるやうに見えた。然しそれは真珠貝の生身が一粒小砂に擦られる痛さである。痛みが突きつめれば突きつめるほど小砂は真珠になる。それがほんとうの生身であり、生身から滴らす粘液がほんとうの苦しみからにじみ出たものである事は、君の詩が証明してゐる。」

「而も突如として電流対の感情が頭から爪先まで震はす時、君はぴよんぴよん跳ねる。さうでない時の君はいつも眼から涙がこぼれ落ちさうで、何かに縋りつきたい風である。」

「天を仰ぎ、真実に地面に生きてゐるものは悲しい。」

朔太郎の序

「詩の表現の目的は単に情調のための情調を表現することではない。幻覚のための幻覚を描くことでもない。同時にまたある種の思想を宣伝演繹することのためでもない。詩の本来の目的は寧ろそれらの者を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。」

「私の詩の読者にのぞむ所は、詩の表面に表はれた概念や「ことがら」ではなくして、内部の核心である感情そのものに感触してもらひたいことである。私の心の 「かなしみ」「よろこび」「さびしみ」「おそれ」その他言葉や文章では言ひ現はしがたい複雑した特種の感情を、私は自分の詩のリズムによつて表現する。併 しリズムは説明ではない。リズムは以心伝心である。そのリズムを無言で感知することの出来る人とのみ、私は手をとつて語り合ふことができる。」

「思ふに人間の感情といふものは、極めて単純であつて、同時に極めて複雑したものである。極めて普遍性のものであつて、同時に極めて個性的な特異なものである。
どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表現しようと思つたら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには音楽と詩があるばかりである。」

「けれども、若し彼に詩人としての才能があつたら、もちろん彼は詩を作るにちがひない。詩は人間の言葉で説明することの出来ないものまでも説明する。詩は言葉以上の言葉である。」

「人間は一人一人にちがつた肉体と、ちがつた神経とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。
人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。[…]とはいへ、我々は決してぽつねんと切りはなされた宇宙の単位ではない。[…]けれども、実際は一人一人にみんな同一のところをもつて居るのである。この共通を人間同志の間に発見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生れるのであ る。この共通を人類と植物との間に発見するとき、自然間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。そして我々はもはや永久に孤独ではない。」

「私のこの肉体とこの感情とは、もちろん世界中で私一人しか所有して居ない。またそれを完全に理解してゐる人も一人しかない。これは極めて極めて特異な性質をもつたものである。けれども、それはまた同時に、世界中の何ぴとにも共通なものでなければならない。こ の特異にして共通なる個々の感情の焦点に、詩歌のほんとの『よろこび』と『秘密性』とが存在するのだ。この道理をはなれて、私は自ら詩を作る意義を知らな い。」

「詩は一瞬間に於ける霊智の産物である。ふだんにもつてゐる所のある種の感情が、電流体の如きものに触れて始めてリズムを発見する。この電流体は詩人にとつては奇蹟である。詩は予期して作らるべき者ではない。」

「私どもは時々、不具な子供のやうないぢらしい心で、部屋の暗い片隅にすすり泣きをする。さういふ時、ぴつたりと肩により添ひながら、ふるへる自分の心臓の上に、やさしい手をおいてくれる乙女がある。その看護婦の乙女が詩である。」

「私は詩を思ふと、烈しい人間のなやみとそのよろこびとをかんずる。
詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである。
詩を思ふとき、私は人情のいぢらしさに自然と涙ぐましくなる。」


___________

言葉の一つ一つに息を吹き込んだという点では、Dichtungに通じる重みを感じた。
リズムが以心伝心だという言葉は実感できる。
ドイツ語をろくに理解できなかったときに、リルケの悲歌を音読し、ただただ涙が流れてきたのは、そういった韻の中にある、以心伝心、単語そのものの持っている命の存在の予感ではなかっただろうか。


危険な散歩

春になつて、
おれは新らしい靴のうらにごむをつけた、
どんな粗製の歩道をあるいても、
あのいやらしい音がしないやうに、
それにおれはどつさり壊れものをかかへこんでる、
それがなによりけんのんだ。
さあ、そろそろ歩きはじめた、
みんなそつとしてくれ、
そつとしてくれ、
おれは心配で心配でたまらない、
たとへどんなことがあつても、
おれの歪んだ足つきだけは見ないでおくれ。
おれはぜつたいぜつめいだ、
おれは病気の風船のりみたいに、
いつも憔悴した方角で、
ふらふらふらふらあるいてゐるのだ。




さびしい人格

さびしい人格が私の友を呼ぶ、
わが見知らぬ友よ、早くきたれ、
ここの古い椅子に腰をかけて、二人でしづかに話してゐよう、
なにも悲しむことなく、きみと私でしづかな幸福な日をくらさう、
遠い公園のしづかな噴水の音をきいて居よう、
しづかに、しづかに、二人でかうして抱き合つて居よう、
母にも父にも兄弟にも遠くはなれて、
母にも父にも知らない孤児の心をむすび合はさう、
ありとあらゆる人間の生活らいふ)の中で、
おまへと私だけの生活について話し合はう、
まづしいたよりない、二人だけの秘密の生活について、
ああ、その言葉は秋の落葉のやうに、そうそうとして膝の上にも散つてくるではないか。

わたしの胸は、かよわい病気したをさな児の胸のやうだ。
わたしの心は恐れにふるえる、せつない、せつない、熱情のうるみに燃えるやうだ。
ああいつかも、私は高い山の上へ登つて行つた、
けはしい坂路をあふぎながら、虫けらのやうにあこがれて登つて行つた、
山の絶頂に立つたとき、虫けらはさびしい涙をながした。
あふげば、ぼうぼうたる草むらの山頂で、おほきな白つぽい雲がながれてゐた。

自然はどこでも私を苦しくする、
そして人情は私を陰鬱にする、
むしろ私はにぎやかな都会の公園を歩きつかれて、
とある寂しい木蔭に椅子をみつけるのが好きだ、
ぼんやりした心で空を見てゐるのが好きだ、
ああ、都会の空をとほく悲しくながれてゆく煤煙、
またその建築の屋根をこえて、はるかに小さくつばめの飛んで行く姿を見るのが好きだ。

よにもさびしい私の人格が、
おほきな声で見知らぬ友をよんで居る、
わたしの卑屈な不思議な人格が、
鴉のやうなみすぼらしい様子をして、
人気のない冬枯れの椅子の片隅にふるえて居る。


山に登る
旅よりある女に贈る

山の山頂にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつてくち)にあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。

おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。

孤独

田舎の白つぽい道ばたで、
つかれた馬のこころが、
ひからびた日向の草をみつめてゐる、
ななめに、しのしのとほそくもえる、
ふるへるさびしい草をみつめる。

田舎のさびしい日向に立つて、
おまへはなにを視てゐるのか、
ふるへる、わたしの孤独のたましひよ。

このほこりつぽい風景の顔に、
うすく涙がながれてゐる。

雲雀の巣

おれはよにも悲しい心を抱いて故郷ふるさと)の河原を歩いた。
河原には、よめな、つくしのたぐひ、せり、なづな、すみれの根もぼうぼうと生えてゐた。
その低い砂山の蔭には利根川がながれてゐる。ぬすびとのやうに暗くやるせなく流れてゐる、
おれはぢつと河原にうづくまつてゐた。
おれの眼のまへには河原よもぎの草むらがある。
ひとつかみほどの草むらである。蓬はやつれた女の髪の毛のやうに、へらへらと風にうごいてゐた。
おれはあるいやなことをかんがへこんでゐる。それは恐ろしく不吉なかんがへだ。
そのうへ、きちがひじみた太陽がむしあつく帽子の上から照りつけるので、おれはぐつたり汗ばんでゐる。
あへぎ苦しむひとが水をもとめるやうに、おれはぐいと手をのばした。
おれのたましひをつかむやうにしてなにものかをつかんだ。
干からびた髪の毛のやうなものをつかんだ。
河原よもぎの中にかくされた雲雀の巣。

ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと空では雲雀の親が鳴いてゐる。
おれはかわいさうな雲雀の巣をながめた。
巣はおれの大きな掌の上で、やさしくも毬のやうにふくらんだ。
いとけなくはぐ)くまれるものの愛に媚びる感覚が、あきらかにおれの心にかんじられた。
おれはへんてこに寂しくそして苦しくなつた。
おれはまた親鳥のやうに頸をのばして巣の中をのぞいた。
巣の中は夕暮どきの光線のやうに、うすぼんやりとしてくらかつた。
かぼそい植物の繊毛に触れるやうな、たとへやうもなく DELICATE の哀傷が、影のやうに神経の末梢をかすめて行つた。
巣の中のかすかな光線にてらされて、ねずみいろの雲雀の卵が四つほどさびしげに光つてゐた。
わたしは指をのばして卵のひとつをつまみあげた。
生あつたかい生物の呼吸が親指の腹をくすぐつた。
死にかかつた犬をみるときのやうな歯がゆい感覚が、おれの心の底にわきあがつた。
かういふときの人間の感覚の生ぬるい不快さから惨虐な罪が生れる。罪をおそれる心は罪を生む心のさきがけである。
おれは指と指とにはさんだ卵をそつと日光にすかしてみた。
うす赤いぼんやりしたものが血のかたまりのやうに透いてみえた。
つめたい汁のやうなものが感じられた、
そのとき指と指とのあひだに生ぐさい液体がじくじくと流れてゐるのをかんじた。
卵がやぶれた、
野蛮な人間の指が、むざんにも繊細なものを押しつぶしたのだ。
鼠いろの薄い卵の殻にはKといふ字が、赤くほんのりと書かれてゐた。

いたいけな小鳥の芽生、小鳥の親。
その可愛らしいくちばしから造つた巣、一所けんめいでやつた小動物の仕事、愛すべき本能のあらはれ。
いろいろな善良な、しほらしい考が私の心の底にはげしくこみあげた。
おれは卵をやぶつた。
愛と悦びとを殺して悲しみと呪ひとにみちた仕事をした。
くらい不愉快なおこなひをした。
おれは陰鬱な顔をして地面をながめつめた。
地面には小石や、硝子かけや、草の根などがいちめんにかがやいてゐた。
ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと空では雲雀の親が鳴いてゐる。
なまぐさい春のにほひがする。
おれはまたあのいやのことをかんがへこんだ。
人間が人間の皮膚のにほひを嫌ふといふこと。
人間が人間の生殖器を醜悪にかんずること。
あるとき人間が馬のやうに見えること。
人間が人間の愛にうらぎりすること。
人間が人間をきらふこと。
ああ、厭人病者。
ある有名なロシヤ人の小説、非常に重たい小説をよむと厭人病者の話が出て居た。
それは立派な小説だ、けれども恐ろしい小説だ。
心が愛するものを肉体で愛することの出来ないといふのは、なんたる邪悪の思想であらう。なんたる醜悪の病気であらう。
おれは生れていつぺんでも娘たちに接吻したことはない、
ただ愛する小鳥たちの肩に手をかけて、せめては兄らしい言葉を言つたことすらもない。
ああ、愛する、愛する、愛する小鳥たち。
おれは人間を愛する。けれどもおれは人間を恐れる。
おれはときどき、すべての人々から脱れて孤独になる。そしておれの心は、すべての人々を愛することによつて涙ぐましくなる。
おれはいつでも、人気のない寂しい海岸を歩きながら、遠い都の雑閙を思ふのがすきだ。
遠い都の灯ともし頃に、ひとりで故郷ふるさと)の公園地をあるくのがすきだ。
ああ、きのふもきのふとて、おれは悲しい夢をみつづけた。
おれはくさつた人間の血のにほひをかいだ。
おれはくるしくなる。
おれはさびしくなる。
心で愛するものを、なにゆゑに肉体で愛することができないのか。
おれは懺悔する。
懺悔する。
おれはいつでも、くるしくなると懺悔する。
利根川の河原の砂の上に坐つて懺悔をする。

ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと、空では雲雀の親たちが鳴いてゐる。
河原蓬の根がぼうぼうとひろがつてゐる。
利根川はぬすびとのやうにこつそりと流れてゐる。
あちらにも、こちらにも、うれはしげな農人の顔がみえる。
それらの顔はくらくして地面をばかりみる。
地面には春が疱瘡のやうにむつくりと吹き出して居る。

おれはいぢらしくも雲雀の卵を拾ひあげた。



________________

壮絶な孤独と、精神にあふれている愛に形を与えて他者に与えたい欲求とが、本人の心を苦しめては罰している。これは、白秋の言うように「凶悪に対する自衛、若くは自分自身に向けらるる懺悔の刃」として表出しているように思うのだが、何故これらの詩には救いがあるのだろうか。

何か、確かに朔太郎の言うように、宇宙的な次元では、永遠に孤独ではないからなのかもしれない。
至る所に、自然との会話を感じる。

それは春であったり、寂しい木陰であったり、飛んでゆくつばめの群れであったりする。
一面に広がる海、そして身体に感じる風、そして歩きながら口に押し付けている小石。
そして孤独でも、日向に立っている、自然とどこかが触れ合っている。
感覚的に、私も読みながら、自分の中にある深い孤独や罪悪感を共感しつつ、身の回りの空気や自然を感じて、それに慰められるのであろうか。どこか実に日本的であると思う。

自然を描写し、自然を融合した文章を書く人は多く居るが、朔太郎の言葉は、日常なのだけれど、心の深い窓の中に小さなコスモスへの入り口があり、それがなぜか小さいけれど、深い傷口を鎮めてくれる。

癒すのではない。鎮めてくれる。
それが日本的だと感じてしまう。

2011年1月8日土曜日

ヘルダーリン ヒュペーリオン 第一部 引用

私の鼻のかおりだけをかぐ人は、その花を知る人ではない。それを摘んで、ただ学ぼうとする人もまた、それを知る人ではない。

いいかい、ベラルミン。ときおり僕がこんな言葉をもらし、怒りのあまり涙まで浮かべていると、きまって、きみたちドイツ人のあいだに出没する賢い御仁がやってきたのだ。悩めるこころこそ、格言を吹き込むのにうってつけだと信じて疑わない哀れな連中が。かれはぼくに言うべき言葉を思いついてうれしそうだった。「嘆いてはいけない、行動せよ」と。
ああ、行動などすべきではなかったのだ。どんなに多くの希望が残され、どんなにゆたかでいられたことだろう。――

その風のやわらかな波がこの胸にたわむれると、ぼくの全存在はもだし、耳をすます。はるかな空の青さにこころを奪われ、しばしば、アイテールを仰ぎ、聖なる海を見おろす。すると、親しい霊が僕に向かって両手を広げ、孤独の苦痛も神々しい生に溶けていくような気がする。
いっさいとひとつであること、これこそは神の生、これこそは人間の天だ。
生きとし生けるものとひとつであること、至福の忘我のうちに自然のいっさいのなかへはいってゆくこと、これこそは思想と喜びの頂点、聖なる山頂、永遠の安らぎの場なのだ。そこでは真昼は不快な暑さを、雷は声を失い、沸き立つ海は麦畑の穂波にひとしくなる。

ぼくはきみたちのもとでじつに理性的になった。自分と自分を取り巻くものを区別することを徹底的に学んだ。その挙句に、こうしてうつくしい世界の中で孤立し、ぼくを育て、花開かせてくれた自然の園から投げ出され、真昼の太陽のもとで干からびている。
おお、人間は夢見るとき神であり、思いをめぐらせるとき物乞いである。感激がうせれば、父親から追い出された出来そこないの息子同然に立ち尽くし、憐れみが餞別として投げ与えられたわずかな小銭を見つめている。

子供はまったくあるがままにある。だから、あんなにも美しい。
掟と運命の強制は、子供に手を触れない。子供には自由だけがある。
子供には平和がある。子供はまだ自分自身との不和を知らない。富は子供の中にある。子供は自分のこころを知っている。生の乏しさは知らない。子供は不死である。死についてなにも知らないからだ。

自然の一番奥深くにあるもの、それは父ではないだろうか。だが、ぼくはそれを捉えているのだろうか。ほんとうにそれを知っているのだろうか。
それが見えるように思われることもある。だが、そう思うそばから、見たものは自分の姿だったではないかと愕然とせずにはいられない。友人の暖かい手のように、じかに世界の霊にふれたような気がすることものある。だが、目が覚めると、握っていたのは、自分の指かと思うのだ。

まったき感激の全能に比べれば、人間の勤勉はどれほど自発的であってもなんと無力なことだろう。
感激は、表面にとどまっていない。そこかしこでわれわれを捉えるものでもない。時間も手段も必要とせず、命令も強制も説得も必要としない。感激は、あらゆる側面、あらゆる深み、あらゆる高みにおいて瞬時にしてわれわれをつかみ、われわれの眼前に姿を現すよりも早く、われわれがわが身に何が起こったか問うよりも早く、われわれを変化させ、あますところなくその美と至福にひたらせる。

そのようにして内面が素材にふれて強化され、自他を区別し、いっそう固く結びつき、われわれの精神が徐々に武器を操れるようになると、めったに味わえない快感が生じる。

2011年1月7日金曜日

駈落 ― リルケ

「…僕だってもう子供ではありません。けふでもあしたでも、少し収入があるやうになりさへすれば、あなたと一緒にどこか遠いところへ行きませうね。意地ですから。」

中略

「あなたは本当に私を愛していらっしゃって。」

中略

「なんともかとも、言ひやうのない程愛しています。」かう云って少年は、何か言ひさうにしている娘の唇にキスをした。

中略

「そのあなたがわたくしを連れて逃げてくださると仰るのは、いつ頃でせうか。」
少年は黙っている。

中略

娘は少年の肩に身を寄せ掛けて、あっさりとした調子で云った。「あなたそう心配なさらなくても好くってよ。」
こんな風にもたれ合って、ふたりは暫くぢっとしていた。
突然少年が頭を挙げて云った。「僕と一緒に逃げてください。」
娘は涙のいっぱい溜まっている、美しい目で、無理に笑はうとした。そして頭を振ったが、その様子が奈何にも心細げに見えた。

中略

机の上のラテン筆記帳の上には手紙が一本ある。

中略

「…あなたの仰った通りだと思ひます。御一しょに逃げませうね。アメリカでも好いし、そのほかどこでも、あなたのお好きな所へ参りますわ。…わたくしきっと待っていてよ。六時ですよ。どうしてもあなたとは死ぬまで別れません。アンナより。」

中略

少 年は手紙を読んでしまってから大股に室内を歩き出した。なんだか今までの苦痛がなくなったやうな心持がする。動悸が激しい。兎に角一人前の男になったとい ふ感じがある。アンナが己に保護を頼むのだ。己は女を保護する立場に立つのだ。保護して遣れば、あの女は己のものになるのだと思ふと、ひどく嬉しい。血が 頭に昇ってくる。

中略
机の上にあった筆記帳は部屋の隅へ投げた。
「己はもう出て行くからこんな所に用はない」と、壁に向って威張っていると云う風である。

中略

横になってから、又どこへ行かうかと考へた。そして声を出して云った。
「なに。真の恋愛をしている以上はどうにでもなる。」

中略

時計がこちこちと鳴っている。窓の下の往来を馬車が通って、窓硝子に響く。時計は十二時まで打って草臥れていると見えて、不性らしく一時を打った。それ以上は打つことができないのである。
少年は、その音を遠くに聞くような心持で、またさっきの「真の恋愛をしている以上は」と云う詞うを口の内で繰り返した。
その内、夜が明け掛かった。

中略

フ リッツは床の上で寒気がして、「己はもうアンナは厭になった」と思っている。なんだか頭がひどく重い。「兎に角アンナは厭だ。あれが真面目だらうか。二つ 三つ背中を打たれたからと云って、逃げ出すなんて。それにどこへ行くといふのだらう。」中略「どうもわからない。それに己はどうだ。何もかも棄ててしまは なくてはならなくなる。両親も棄てる。何もかも棄てる。そして未来はどうなるのだ。馬鹿げ切っている。アンナ奴。ひどい女だ。そんな事を言ふなら、打って 遣っても好い。本当にそんな事を言ふなら。」

中略

やはり停留所に行った方が好いやうに思はれる。行ってあいつの来ないのを見てやらうと思ふのである。時間が来ても娘が来なかったらどんなに嬉からうと思って見てやるのである。

中略

茶色のジャケツはどこにも見当たらない。
フリッツはほっと息をした。

中略

「来ないには極まっている。己には前から分かっていた。」

中略

フリッツがふいとその方向を見ると、茶色のジャケツを着た、小さい姿が、プラットフォオムの戸の向うへ隠れるのが見えた。帽子の上に揺らめいている薔薇の花も見えたのである。
フ リッツはぢっとそれを見送っていた。その時少年の心に、この人生をおもちゃにしようとしている、色の蒼い弱弱しい小娘に対する恐怖が、圧迫するやうに生じ てきた。そして娘が跡へ引き返してきて、自分を見附けて、知らぬ世界へ引き摩って行くのだらうとでも思ったらしく、フリッツは慌てて停車場を駆け出して、 跡も見ずに町の方へ帰っていった。


_______________

女は子供でもすぐに決心できる。決心したら無茶でも盲目にやり通す。
男は、合理的疑問が心をよぎり、決心が揺らぐ。
ラテン語に精を出し、プラトンのシンポジウムを読んでいる彼は、自分の未来を不安に陥れ、邪魔するものは、やはり一夜で厭になるようだとも言えるし、合理の世界に浸りきって、そこに信頼の基盤をおいているからこそ、恋愛に陥ってしまったとも言える。

少年のロマンチックな恋心の告白に対して、娘はすでに具体的な答えを要求し、「あっさりと」心配しなくて好いのよと、肝を据えて少年を勇気付けている。
女は目に涙をためて、物語のクライマックスとなるのだが、この涙は正直でもあり、無意識にとまどいもあるのではないか。

あっ さりと心配するなと言えるまで、娘は変わらぬ愛の気持ちに従って、①愛を告白させ、②一緒に逃げようと願わせることを達成するために、本能的に相手を導い てきたのに違いない。しかし、この二つが達成されてしまったその時、物語のクライマックスと同時に、娘の中に本当にそれが欲していることなのかどうかとい う不安が無意識下にもたげてくるのではないか。

それでも、物語を実行に移す力を支えているのは、女の陶酔力であろう。
陶酔こそ、現実を作っていくもので、リアルな合理的世界は、偽りの世界にしか見えないのではないだろうか。

そして決心した女を前に、男は恐れをなすのである。

少年にこそ、逃げる意地があったのに、それを信頼し切って洒落をきどった女の帽子の上に揺らめく薔薇が、一層哀れを物語っている。

やはり健康な男性なら、老若に関係なく、捧げきる捨て身のような献身の愛の形は受け止めれないのではないか。
更に、少年は恋愛云々より、男を実感すること、自分を男たる存在にしてくれる娘に恋をしていたのであり、逃げることで男の意地を見せ、格好をつけて筆記帳を投げつけてみたものの、真の愛などやはり信じきれないのである。


私自身、本気の気持ちをぶつけることで、拓けていくものがあると信じていた時期が長かった。
献身は報われると信じて疑わなかった。
あまりにも過ちに気づくのが遅かった。

この物語は、娘が一人で汽車に乗ったまま裏切られる形で終わるのだが、成熟した大人が読めば、この少年の決心は卑怯であるが、十分に正しく、これで互いの人生を見失うことを避けたのではないかと思うのではないだろうか。

ところで、この作品の原題は「Die Flucht(逃走または逃亡)」と言うが、駆落以外の比喩的な意味も含まれているように思う。
厳しい父親の下に育っている娘の企画化された生活の退屈さと父親への恐怖からの逃走とも言えるし、少年が現実での成長過程を飛躍して、大人の男として新たに出発したいという逃走であるとも考えられる。
愛という基盤は、実は偽装でもあり、それぞれに逃亡願望・理由とも十分に備わっていたのではないかとも取れる。

もっと良い表題があったかと考えても分からない。駆落ちという題名からでも、十分に「逃げ」の要素を読み取れる。


午後のひと時、休憩時間に小品を読んで感じたことの備忘録。

2010年5月10日月曜日

書くということ

ドストエフスキー「地下室の手記」より引用

… たんに思い出すだけでなく、書きとめようとさえ決心した今となっては、せめて自分自身に対してぐらい、完全に裸になりきれるものか、真実の全てを恐れずにいられるものか、ぜひともそれを試してみたいと思う。ついでに言っておくが、ハイネは、正確な自叙伝などまずありっこない、人間は自分自身のことではかならず嘘をつくものだ、と言っている。
[中略]
ハイネが問題にしたのは、公衆の面前で懺悔した人間のことである。ところがぼくは、ただ自分一人だけのために書いている。そして、きっぱりと断言しておくが、僕がまるで読者に語りかけるような調子で書いているのも、それはただ外見だけの話で、そのほうが書きやすいからにすぎない。これは形式、空っぽだけの形式であって、僕に読者などあろうはずがないのだ。このことはもう明言しておいた。
僕はこの手記の体裁については何物にも拘束されたくない。順序も系統も問題にしない。思いつくままに書くだけだ。
[中略]
だが紙に書くと、何かこうぐっと荘重になってくるということもある。そうすると説得力が増すようだし、自分に対しても批判的になれるし、うまい言葉も浮かんでくると言うものだ。そのほかに手記を書くことで気持ちが軽くなるということがある。


ぼた雪にちなんで

迷いの闇の深いそこから
火と燃える信念の言葉で
おちぶれた魂を引き上げたとき
おまえは 深い苦悩に満たされ
両の手をもみしだいて
おまえをとらえた悪を呪った。
物忘れがちな良心を
思い出のかずかずで責めながら
私の知るまでのすべてを
おまえはものがたってくれた。
そして ふいに両の手で顔をおおい
羞恥と恐怖におののきながら
おまえとは 心ゆく涙にくれた、
怒りと 心のたかぶりを
どう抑えようもなくて…云々

N・A ネクラーソフの詩より

2010年4月23日金曜日

才能のある子供のドラマ

かなり前、こんな本を読んだ。
あまりにも落ち込むので、読んだ後しばらく放って置いた。
ピアノの上にあったので、再び広げてみた。内容を忘れないように、最後のまとめをメモ的に記す。

ちなみに日本語のタイトルは、「才能のある子供のドラマ」。




子供時代のあの不幸な時期にいつも感じていたものは、そう、恐怖と不安感だったのだ。
僕自身が、禁止され、犯罪的だとまで感じていた、あの罰を受ける恐怖、自らの良心に対する不安、自らの魂が荒れることに対する不安の数々…
Hermann Hesse



母親が全くナルシスティックでないと言うことは不可能である。と言うことは、多かれ少なかれ、子供達は、繊細であったり、知能が高かったり、周りを察する能力に優れているほど、母親自身の欲求に気付き、それを満たすように対応してしまう。自らの感情を母親との共有した感情として体験できなかった子供は、その感情をどんどん抑圧してゆき、自らが失望しないように、その加害者とも言える母親を理想化してしまう。Habermasが「Die Universalitäts der Hermeneutik」の中で"Spiel"と呼んだこの関係のゲームの意義を解読するのは、精神分析を使用するしかない。「マスクをかぶったセルフ(自己)」は、深く無意識に埋もれてしまったまま、未知の一部としてずっと認識されることはないのである。それが、空虚という感情になって表出し、鬱へと発展してゆく。

母親が不安の多き時代に子育てを行うだけで、子供はすでに母親の不安を取り除こうと、つまり母親のために存在することを始めてしまうのである。

そして、特別でなくてはいけない自分、平均的な自分を許容できなくなり、壮大な自分を多くは、インテレクチャルな道を取得することで可能にしてゆく。そしてナスシズムスとデプレッションの狭間に落ち込む。

これらが、子供の虐待や苛めの現象をつまり防ぐには、犠牲者がこの循環を絶つ必要がある。つまり、分析を受け、抑圧され全く体験されることのなかった真の自分を呼び起こすしかないと言うのだが。

彼女は、Winnicott派のような気がする。



私のメモは、ドイツ語からなので、訳書とは異なります。

  1. 子供には、常に罪がない
  2. 全ての子供は、安全、安心感、保護、接触、誠実さ、暖かさ、優しさを絶対的に必要としている
  3. この要求は滅多に満たされることはなく、しばしば大人たち自身の目的のために悪用される(子供虐待のトラウマ)
  4. 虐待は生涯にわたる影響を及ぼす
  5. 社会は大人の側に立ち、子供の受けた行為に対して子供を非難する
  6. 子供が犠牲者となる事実は、従来どおり否定される
  7. 従ってこの犠牲によるその後の経過は見過ごされる
  8. 社会から見放された子供は、トラウマを抑圧し、加害者を理想像に仕立て上げる以外選択がない
  9. 抑圧は、ノイローゼ、精神異常、心身障害、さらに犯罪に導く
  10. ノイローゼでは、独自の要求が抑圧・否定され、その代わり罪の意識を感じるようになる
  11. 精神異常では、虐待が妄想へと変移する
  12.  心身障害では、虐待の痛みに苦むが、実際の苦しみの原因は隠されたままになる
  13. 犯罪では、当惑、誘惑、虐待が繰り返し、新しい形で演じられる
  14. セラピーによる治療努力は、患者の子供時代の真実が否定されない場合にのみ、効果があるとされる
  15. 「小児性欲」の精神分析理論は、社会の盲目さを助長することになり、子供への性的虐待を正当化する。子供を罰することになり、大人は罪を逃れる結果となる
  16. 空想は、生存し続けるための役割を果たし、耐えられない子供時代の現実を明確に述べていく助けとなり、更にはそれを隠したり無害としてしまう。所謂「でっちあげられた」妄想の体験またはトラウマが、真実のトラウマを覆い隠してしまう
  17. 文学、芸術、神話、夢の中には、しばしば幼少時の抑圧された経験が、シンボルの形をとって現れる
  18. 子供の置かれた本当の状況に対する我々の慢性的な無知によって、我々の文化に潜むこの苦悶のシンボル的証言は、寛容されてしまうだけでなく、尊重されてしまうのだ。この暗号化されたメッセージの裏にある真実の背景が理解されることがあるとすれば、それはおそらく社会から拒絶されてしまうだろう
  19.  犯罪行為の結果は、加害者と犠牲者が盲目で、混乱していたと言う事実を通して取り消されることはない
  20. 新しい犯罪は、犠牲者が見ようとするならば回避することが可能である。これにより、再犯強迫観念が取り消されるか、少なくとも減少される
  21. 子供時代に起こったことに隠されている知識源を誤解なく確定的に曝しだすことができれば、当事者の報告は、一般的には社会、さらに特に学術における意識を変えてゆく助けになるであろう
次の項は、この本を読んだ後に思いついたLennon考である。

    2010年4月16日金曜日

    離婚考 ― Helen Fisher

     随分前に読んだものだが、最近書いたテキストが出てきたので掲載する。私は手に入らず独語で読んだが、日本語でも手に入るようである。表題は「愛は何故終わるのか」。原文は英語。

    Anatomy of Love: A Natural History of Mating, Marriage, and Why We Stray (ペーパーバック)
    0449908976

    離婚や別れというのは、自然史的に見ると近代文明と関係があるというわけではないようだ。ローマ時代に、戦争で資産を築いた都市貴族たちは、例えばそれを義理の息子ではなく娘たちに託した。そうして女性が財産に関する権利を所持することによって、貴族的地位の上に立っていったという背景の中では、結婚を含む未来に対する決定権も多くの場合、女性にあったと言うことになる。こうした階層が増えてくるにあたり、離婚率が急増したという事実があった。

    結婚生活中に、様々な不満や喧嘩の原因が渦巻くのは、どの文化でも同じである。イスラムでもユダヤ教でも、アフリカの部族間でも、アメリカのような先進国で も、蓋を開ければ似たような原因の諍いと不満にあふれている。

    宗教改革前、キリスト教社会では聖職者の独身性を重んじ ていたが、その社会における結婚には、神の存在しない世界でのグロテスクな性的無規律性から、性交を聖なるリトスとして守ると言う意味があった。

    ムハンマドのイスラム教には、聖職者の独身性は存在しない。性交や愛を重んじることにキリスト教にあるようなネガティブなイメージはなかった。
    ところが、ムハンマドはもう一つの義務を与えた。
    それは、結婚生活での厳しい役割分担であり、妻は子供を生み、料理し、夫に仕える必要があった。


    し かしながら、イスラムの世界では、結婚はあくまでも法律的契約であったため、いつでも離婚が可能であった。これに対しキリスト教では、礼典に従った契約 が結婚であるため、カトリック教会は、離婚を認めていない。
    現在でもイスラム世界での離婚は珍しくないと言う。

    さて、離婚の理由 であるが、
    1. 一位 妻の浮気
    2. 不妊
    3. 夫の浮気
    となっている。

    ダーウィンの説によると子孫繁栄が結婚の目的であるので、これらが多くの離婚理由のトップに立っていることをFisherは疑問に思わないそうだ。
    離婚は、深くセクシュアリティーと生殖にかかわっていることに間違いはない様である。
    その証として、生殖能力のある年齢の離婚者は、約80パーセント再婚すると言う。
    人間は、次のパート ナーに関しては、非常に楽観的であるらしい!

    さて、そうは言っても離婚にはある種のモデルがあるらしい。社会学者のS. Johnson の説によると、パートナーの双方に、土地、家畜、支払い能力、情報、その他の財産や資源がある場合、さらに双方がその私財を家族間で分割したり交換したり する権利を所持している場合は、離婚が日常茶飯事であると言う。

    つまり、生き残るために男女が経済的に依存しあっていない場合、良好では ない結婚生活はしばしば解消されると言う。

    これはアフリカ原住民の間でも同じで、食物を得ることに関して互いに独立した能力を備えている場合は、離婚率が非常に高いと言う。つまりこうした部族間では次の結婚でも、同様の狭い部族社会で生きるため、背景は変わらない。よって生殖能力のある間、五回ほど結婚離婚を繰り返すこともまれではないという。
    その理由の一つに、母親が食物を採取しにいっている間、子供たちの面倒を見るのは、残された父親ではなく、むしろこうした狭い家族部族間では、母親の兄や弟と言った場合が多い。父親が自分の子供の面倒を見るより、姉や妹の子供の面倒を見る 率が高いと言うのである。

    南アメリカの部族間でも、同様の傾向が見られ、不幸な結婚は、双方が別れる能力がある場合、解消される。そして彼らはまた再婚する。

    反対に、お互いが生計を立てるために、かけがいのない存在である場合は、離婚率がずっと低いと言う。
    その典型が農家である。収穫するのは男性だが、収穫したものを加工するのは女性の役割であった。
    産業革命以前の欧州で、離婚率が低い原因の一つである。

    また、11世紀に結婚が典礼に加えられたことで、欧州での離婚率は、一部の地域で未だに低いままである。

    この傾向は、産業革命後に大きな 変化を遂げた。
    収入を得ている女性の場合、男性が夕食のパンを稼いでくる家庭の女性よりも、結婚の問題に対する耐性がかなり低くなる。
    女性の経済力と離婚率が平行して上昇するのは、ローマ時代の例で明らかである。

    結局、愛だけでは結婚生活は持たない。その他、文化的、経済的背景が大きく絡んでくる。

    社会学者Martin Whyteが、アメリカのデトロイト459人の女性に質問をした結果が次にある。

    • 類似した人格性質
    •  同様の習慣
    •  共通の興味と価値観
    •  共通の自由時間の過ごし方と共通の友人
    などが、安定した結婚生活に最も有効な条件である。
    さらなる利点をWhyteは挙げている。

    • 成熟した年齢での結婚
    • 深く恋に落ちた事実
    • 白人 (これはアメリカの統計である)
    • しっかりと結ばれた家族で育った背景

    これらの条件を満たさないと言うことは、リスクを抱えての結婚ということになるらしい。
    さらに言えば、リスクを最小限に保つためには、相違への対処として妥協が求められる。
    パートナーの一方でも、妥協する姿勢が少ない場合、離婚になる 確率が高い。

    更なる点として、息子がいる家庭、就学前の子供たちがいる家庭では、離婚率がやや低く、反対に若年で結婚したカップルの大半は離婚すると言う。

    母権制での離婚率も高い。これは女性が自給できるからであろう。
    またポリガミー社会でも、嫉妬や男性の財産をめぐる女性間での喧嘩が多く、離婚率が高い。
    イスラムなどのモノガミーでは、自分のために料理し、仕えてくれる女性を捨てると言う結果を男性が簡単に下すことは少ない。モノガミーが結婚を安定させている。

    共に笑い、深いまなざしで見つめあい、恋に落ちた際の引き込まれるよう な感覚、共通の秘密、二人だけの冗談、ベッドでのすばらしい時、友人や家族と日夜一緒だったとき、二人の間の子供たち、一緒に築いた財産、多くの年月を 通して笑い、愛し、喧嘩しながら、共に体験してきた変化に飛んだ時間など…

    なぜ、このようなすばらしい体験を男女は、捨ててしまうのだろうか?

    おそらく、日ごとの生殖活動に勤しんでいた暗黒の過去から発展した、深遠で永遠なる生殖に尽力する力からくる、絶え間ない精神の流れが理由であろうと締めくくっている。

    さて、結婚は7年目が危ないと言われているが、実際は、長年の調査でも実証されているように、 3~4年目が危険らしい。
    イスラム社会での相違などは略すとして、西洋社会では結婚後4年目の離婚が一番多いそうだ。
    なぜなら、恋に落 ち、愛から結婚にいたるわけであるが、その愛と言うのは、私たちのごく私的な「私」というものを補うか強化するものであり、それはおおよそ4年ぐらい続くと言う。
    それで、地味な事務職が、ブロンドの派手な秘書に恋をし、女性学者が詩人と一緒になることもうなづけると言う。

    また人間の子供というのは、おおよそ4年ほどで一人で歩き、食事を取り、下の世話も要らなくなる。ここで、結婚し子供を共同で育てるという基本的な仕事に、一時的に終止符が打たれることも興味深い。
    生殖的に、互いにまだ最高の状態であるにもかかわらず、である。
    トリスタンとイゾルデの話にもあるように、恋というのは、大体3年ぐらいで終わるものなのだろうか?

    またここからは簡略して述べるが、アメリカの例では、20~24歳で結婚したカップルでは離婚率が高い。
    そして、女性は4年、男性は3年ほどで再婚する率が高くなっている。
    子供がいても、 生殖能力の高い20代から30代のカップルは、離婚する確率が高いという。

    Fisherがこの章を締めくくっているその総括に、私は自分の過去も合わせて妙に納得してしまった。
    それをここに記したい。

    人間のパートナーシップを形成するモデルは、女性の経済的 自立、都市化、世俗化、オーガナイズされた結婚などの多くの種類の文化的要素に影響される。この多岐にわたる影響にもかかわらず、両性共存に関しては、幾 つかの基本法則がある。

    西シベリアから南アメリカの最南端まで、男女は結婚し、多くは再び離別する。大半は結婚後4年目に離婚し、多くは離別の時点でまだ若い年齢にある。一人目の子供が誕生した後、多くの男女は別れ、また再び再婚する。

    毎年毎年、10年毎、あるいは100年毎、何世紀にもわたって、この太古のシナリオを演じ続け、自分たちに価値を与え、清潔にし、色目を使い、求愛し、互いに影響し合い、征服し合う。
    その後、家庭的になり生殖する。そして、また新しい愛の冒険へと飛び出していく。
    結婚という港を去るのである。

    生殖能力のある期間、人は救いよう のない楽観主義者であり、途方もない生き物でもあり、やっと熟年になってから落ち着くようである。
    なぜか?

    答えは、Fisherの見解では、「高貴な野蛮人として森の中を自由に歩き回っていた」変化に富んだ私たちの過去にあると述べている。

    長くなったが、結局私の二度目の結婚の個人的背景を重ね合わせてみると:

    • 生殖しなかった
    •  女性側が経済的に私財に関する権利を所持していた
    •  互いに生計を立てるために依存していなかった
    •  女性が他の男性の子供たちを連れていた
    •  子供たちが就学した後であった
    •  一緒になって7年、結婚4年目で あった

    といった理由がくっきりと重なる。

    さらに、夫側の経済的基盤の不安定さがあり、これが更にジェンダーの転回という問題につながった。

    役割分担がなかった(例えば男が稼ぎ、私が家事をするといった分担)
    さらに、私の私財の一部は、以前の男性から来るものであった。
    夫の社会的背景が変わり続けるため、共通の友人を保ち続けることができなかった。

    などという細部のリスクが加わってきた。

    どちらにせよ、現在住んでいる欧州のこの街では、伝統的な価値観はすでにその基盤を失いつつある。ジェンダーが転回し、女性の経済的自立は、当然のこととなり、離別を繰り返す例が多くなり、それぞれ違う父親を持つ子供を三人抱える例も珍しくない。従って少子化の問題が増加する。
    女性の経済的自立と共に、共同で子供たちを育てる契約をしないカップルが多くなり、子供を作らないと言う選択が 増えた。

    以前、有名な女性ジャーナリストが、彼女の本で述べていたことであるが、
    「ヒトラーの第三共和国時代のように、 女性もHERD(直訳はレンジ、比喩は家庭)に帰れ」
    と言って顰蹙を買い、文字通りメディアから抹消されたという事実がある。

    しかし伝統は悪くない。一理あると思う。

    • 役割分担がある
    •  経済的に依存しあっている
    •  子供は二人まで
    •  成熟してから結婚する
    •  共通の文化的背景を持つ
    これが結婚の味方である。

    あまり進歩進歩と言って、 ジェンダーがあいまいになるのは、人間の生殖危機につながるというのもまんざら嘘ではないだろう。

    私の現夫は、こうした安定した、つまり静止状態の生活のことをボヘミアンさながら
    「超退屈で、軽蔑に値する」と豪語していた。
    私がそのような生活を望むことに、非常に落胆させられたと言う。

    しかし、それは結婚という枠に収まるには、あまりにもリスキーな生き方である。
    結局夫は、森をさ迷い歩く人間本能を実現し続けているのだ。
    決 して悪くない。
    本能を生きるとは、エネルギッシュであり、変化に富み、新しいことが生まれる可能性がずっと高い。

    しかし、私は子供を持つ親。しかも、三人というハイリスクな女性である。
    スタティックな生き方を望むのは、自己防御なのである。

    結局、この相違 と、私が糧を稼がずに帰宅するくせに、口だけは大きく、計画倒れである夫の男としてのプライドを大きく傷つけたことが直接の理由だろうと思われる。

    彼は、今までもわりとすんなり、そして突然別れてしまう。
    ぐずぐずと対策を練って、苦しい時を潜り抜けないのである。
    それは、プライドの高い男のざっくりとした決断力であり、彼の自己防御でもある。

    結局私達は、Fisherの言及しているモデルにすっぱりと納まる、凡人カップルであった。

    それが、不思議と大きな慰めである。
    私 の生殖年齢は、近い将来没になる。

    で、いよいよ彼女の説によれば、落ち着くらしい。

    いい加減、シャーマン的に静かに人の問題でも転がして生きていきたいと思う今日この頃。

    しかし、私の無意識の[ICH]は、すでにうごめき始めている。

    生殖能力のある人間の「救いようのない楽観主義」と言う点では、私も訓練をつんできた。
    腕があるだけに?、この先静かになるのかどうか、空恐ろしい未来である。

    また、最初の夫と今の「まだ夫」との人間性は、180度反対に当たる。なぜそのような事態が起きたのかと考えると、これもまた思い当たる節があるのだが、また後日書いてみようと思う。

    2010年4月14日水曜日

    絹糸の一すじ

    人生は、まったく止まることを知らずに流れていくものだと思う。その日を生きる生活に追われつつ、さまざまな感情に襲われては、また通りすぎと、すべてが限りある時間という流れの中で、時に私の心を揺さぶりながら、時に私の心を硬直させて、また形の無いものとなって流れ去っていく。

    私の人生もめまぐるしい動きの中で、様々な物を失ってきたけれど、それでもある中心だけは、まだ失わずになんとか持ちこたえている。


    「存在しようと!」と心に決めた以上、
    欠乏がこの世にあるなどという迷いにおちいるな。
    絹糸よ、おまえは織物の一すじなのだ。

    たとえおまえが心の中でどのような模様に織り込まれていようと
    (それがたとえ痛苦の生の一こまであろうと)
    讃めたたうべき壁掛けの全体こそ、おまえの志であったことを忘れるな。
    R.M. Rilke "Die Sonette an Orpheus"


    日々、単調に生活を続けていく中で、まるでこの国土にすっかり魂を吸い取られてしまったかのように、あの予想していた孤独感にふっと襲われる。それは、決して具体的に言葉にできる感情ではなくて、もっと動物の本能のように、胸の中から嗚咽するように、吐き気にも似た形で、思いもよらぬ瞬間に、私の喉元にやってくるのだ。
    もはや誰かに思いを告げて、慰められるような類のものではなく、日常に口をついて出てくる言葉を失ってしまったかのような、恐ろしい孤独感である。
    死を意識しているのではない。むしろ、死が美しい安らぎのように思えるほど、この孤独感は、黒く深く、不気味なのである。止むを得ず、私はそれに立ち向かい、まるでそれこそ絹糸の一すじとして、模様全体を相手に、糸を切られない様に、波に全身をゆだねるしか手立てがない。

    不思議なことに、そうしていつ私を襲うかわからぬ孤独感にしっかり向き合い、瞬間に目を背けずにしっかりと見つめ耐え忍んでいると、まるで浮き彫りになるように自分の中心というものが形どられて来るのを感じる。
    生は私を見捨てたどころではなく、しっかり私という存在を手中に収めて、一すじの絹糸となるために、何がしかの意味を与えてくれようとしている。何処か特定できぬ中心から、これで良いという肯定の感情がふつふつとわいてきて、生が私を見捨てるわけは無いはずだという深い信頼感が生まれてくるから不思議なものである。

    今までの失敗も、今までのおろかな行為も、今までの軽はずみも、今までの気分の行動も、一つ一つに判断や評価を与える必要は無く、私は、次々と私の目の前に現れる出来事と正面から見つめあうこと。そしてその際、意味があるのは唯一私自身の心の中に見るべきものを見る訓練をつんでいくことだけである。

    それまで多くの悲しみも痛みも、絶え間なく襲ってくるに違いないであろうが、必ずや私は生き延びるであろうし、それでこそ、やっと織物の模様の一すじとなって形跡を残すことができるかもしれない。その程度のものである。

    数えることも計算することもせずに、何が自分にとって幸福であるとか、何が不安であるとか考えることなく、ひたすら生に信頼感を持って生に自らをゆだねきってしまうことにより、生きるという本質が、実は野生のように荒涼としており、苦痛というのは、「肉体に対する鈍い誤解」にしか過ぎないということを発見するのかもしれない。

    それは夢のなかでのこと ―― 僕の心は 悲しかった。
    君は蒼白めて 不安そう。 と 君の魂は 鳴り出すのだった。

    かすかに かすかに 僕の魂も鳴った。
    二つの魂は 歌いあった ―― 「わたしはつらい」と。
    すると僕の心の奥ふかく  安らぎが生まれ、
    夢と昼とにはさまれた  銀の空に  僕はいるのだった。
      R.M. Rilke "Briefe I"

    この詩を読むと、私は何をしていても、まるで身体反応のように涙が出てきてしまう。ドイツ語もわからない頃、Rilkeの詩を音読することが楽しみだった。意味を解していないのに、音読を重ねていると、必ずどこかで突然の嗚咽に襲われる。日本語訳を見ると、そこには必ずや、深い悲しみや失望や、それでも純粋に終わることの無い生と神へのしっかりとした信頼感が書かれているのだった。

    まるで、ドイツ語など理解せずとも、言葉には独立した力と生命力が宿っているかのように、私の心に襲い掛かってきたのであった。
    その時、初めて言葉の持つ威力に気がつき、詩作というもののひたすらに重いその質量を感じ取ったものだ。
    何故なんだろうか、この詩にあるよう「悲しい」という言葉には、すべての言語にまるでこの悲しみの感情が刷り込まれているかのよう効力がある。einsam, traurig, sad, sorrow, triste, lacrimosoなど、どんな言葉にもそれに応じた魂が宿っているのではないか。そんなことを考えるほど、Rilkeの詩から発せられる生命力は大きかったのを覚えている。

    つらい時、何度も何度もこの詩を音読し、何度も何度も涙を流し、読んでいるうちに、次第に心の中に、絶対に大丈夫だという力がわいてくるのを待った。

    詩は、言葉の錬金術という表現に最近こだわるのは、それをこれまで以上に実感するからである。紡ぎだされる言葉には、作者の全人生が投入されており、そこに、彼の流血を見、彼の不安を感じ、それが一つの言葉の中に、さまざまにいりこんだ深い感情となって、刷り込まれている。一語の生まれるまでの彼の生きてきた過去とその悲痛な孤独を何故こうして瞬時に感じることができるのだろうか。

    それは天才といってしまえばお終いであるが、私個人の肯定感情が、作品の中で生まれ、そこに私はとてもではないけれど、自らは表現することの不可能な、広大な広がりを見て、自分を埋没させ、作者の助けを借りて、私自身をそこに見つけるのである。

    私自身を見つけるために結局生きているのであるが、それは死を目の前にしても、以前見つかることの無い答えでもある。
    自分の生が何であったのか、それを判断するのも考えることも人生の役割ではない。
    そうではなくて、その過程で、孤独を味わいつくし、深淵まで恐れることなく下って行き、自分と何年にも渡って対話することが役割なのかもしれない。
    そうして、やっとこの魂を伴った言葉をたった一語生み出すことができるのかもしれない。




    2005年1月31日月曜日

    Mozart :映画「Amadeus」

     2005年1月31日
    今日もまた雪です。
    この間、四回目かなんかだが、また「
    Amadeus」を見た。Mozartのあの映画は全く奥が深い。たいした手柄だと思っている。おそらくあのような気性だったろうし、知ることができる以上でも以下でもない情報が元になっているようだ。 コロレド大司祭と大喧嘩をして去ったザルツブルグ。私が伝記、手紙を読み、またゼミで分析した経験から言うと、Mozartには義務と要求のバランスが欠けていたという感じであった。もちろん恐ろしいほどの才能に恵まれていた訳で、本人もそれを承知していたが、やはり時代を突き破るような新しさをもたらす才能と言うものが、社会に認められるのにはかなり時間がかかるようだ。 Mozartの才能を確信していたのは、極限られた者たちだったと思う。妻であるコンスタンツェは、何も批判されるような人間ではないはずだが、彼の才能を自覚するにはあまりにもナイーブな人間だった。彼女の及ぶ範囲ではなかったのだ。 しかし、そのような才能を宿した彼の周りには、すでに深い音楽文化が築かれており、大司祭をはじめとした教会が主権を握っていたザルツブルグにも、大都会であったウィーンにも、それなりの体制があり、そこに属す者には従わなくてはならない規則と言うものがあった。 今の時代もそうだが、芸術だけを追っていては、生活と言うものができない。才能を発揮するには才能を発揮できる場を確保しなくてはならない。そういう自覚が彼にはなかった。当然の権利と言えばそうだが、ある種の傲慢さがあった上、それを全く省みる態度ではなかったのが、色々と摩擦を生んだ。
    コロレドは、実に彼の才能をわかっていた者の一人だが、どうもこれがけち臭い人間で、芸術家から生き血を吸い取り、報酬はできるだけ少なくといったところがあったのもいけない。これを調整しようとして苦労したのが、
    Mozartの父親だった。Mozartは払いが悪いといっては仕事をしなかったともいえる。また、入った金もことごとくばら撒いてしまった。普通の小心者には信じられない神経である。
    こんなこともあって、ウィーンに行くことにしたのだが、それは耳の肥えたウィーンだけあって、大変だった。最初の扱いは素晴らしかったが、彼らは新し物を次々に求める。そのわりには、古いスタイルから抜け出ないと言う、大都会の保守的側面を表しているようなところがあった。
    Mozartは本格的に苦労するのだ。 このようなあらすじは誰しも知っているだろうが、やはりその時代背景と、事情の詳細を知っているかいないかで、映画の楽しみも一段と違ってくるのだ。ありきたりの伝記では、こうなってくると足りない。手紙の分析をも盛り込んだ、本格的心理的側面から迫った伝記を読む必要性が出てくる。それが、Wolfgang Hildesheimerのこれ
    紹介にもあるように、アポロ的理想像とはかけ離れたMozartの姿を暴き出す。音楽とは何にも関係のない人にもお勧めで
    Mozartといえばすごい作品に溢れています。とめもこれがお勧めとはいえない。しかしその中でも、ピアノ協奏曲はやはり彼らしさに溢れています。楽しい性質と、悲しい性質が見事に溶け合っている。それが更には、楽しいメロディーさえ悲しくしか聞こえないと言う作用になるからすごい。20212225は非常に有名なだけでなく、泣けます151617も非常に良い。木管楽器が後ろでばっちり映える。 誰の演奏が良いかと言うことになると、私も一言では言えません。皆それぞれに違った形がありますから。気分と言うこともあるし。 でも、やっぱりオーストリアの人の演奏が断然光っている気がします・・・。問えば、大体絞り込まれると思いますが・・・。ご自分で聞いてください。こういう曲ですと、失敗はないんです。MozartCDに、演奏の云々はあれ、曲が良くなかったということはないはずです。改めてすごい才能を感じます。最敬礼

    2005年1月6日木曜日

    Kristeller

    2005年1月6日

    今日はずっと頭に引っかかっていたことがひらめいた。Monteverdiは、彼の人生後半で、すでにバロックの時期にあったにもかかわらず、何故、もう一度マドリガルやオペラの中で、百年以上も前のヒューマニズムの詩人、ペトラルカなどを取り入れる必要があったのかと言うことが分からなかった。何故、イタリアに、ルネッサンスの終わりに、ヒューマニズムのリヴァイヴァルがあったのかと言うことを説明することができない。色々と調べたが、どこにも載っていない・・・。しかし、かの有名なルネッサンス学者、Kristellerの本を開いたら、やはりあった。


     
    ルネッサンスでは、すでに音楽理論的には、自由な作法が許され、ポリフォニーからの自立がゆっくりとだが行なわれていた。その続きで器楽音楽がさかんになり、Camerataが生まれ、更にいよいよJacopo Periのエウリディーチェを筆頭に、オペラが成り立つ訳だ。その時代に、非常にポピュラーであったMarinoの詩を使う、Marinismをしかし、古い姿勢の古典的批判家は、徹底的に拒否する。マリにスムは、言葉の技巧と言っても良く、表面的なきらびやかな内容で、たくさんのテーマを扱い、人々の人気であったが、バロックの詩であり、いわゆるルネッサンス初頭のヒューマニズム時代のような、内省的な、精神の奥深くを探究せざるを得ない情感の表現とは全く違うものだった。この古典的批判家たちは、ペトラルカなどの作家の詩は、歌われ演奏されることを目的として書かれたものであるという点から、また再び認識し始めたと言うのだ。 うーん。大体これで説明がつく。オペラが成り立ったことにより、再び、詩と音楽の一体感が問われる様になったということか。しかし、Monteverdiは果たして、1607年にオルフェオがかかれる前に、器楽曲に集中したり、詩と音楽に執着しない作法を取っていたのだろうか・・・。ここのところ、もう少し調べてみる必要あり。記憶には残っていないところが恐ろしい。全部メモっておいたのに。 ところで、ここに、Kristellerの本をご紹介。ルネッサンスとヒューマニズムといったら、この人です。私は、この本から必要な点を発見した訳じゃないが、ドイツ語版のせいか、同様なものが無いので、これをここに付ける。しかし、この一冊で、ルネッサンスの思想は、すべて理解できるであろう。

    2004年6月17日木曜日

    Mozart 手紙2

    またMorzartの日。
    必死になって、手紙を分析コード付け。まだこんなことしてる。七月までこれなんだから。
    それにしても昔は、手紙読んでも、大天才様様だから、普通の人間であるはずがないと思って読んでいたけど、今回は、その普通ではないところが嫌に目立ってしまう。いくら天才でも、やっぱり社会に適合しないといけません。
    彼は、権利の主張はしっかりするけど、義務の方は一体どうなっているのかなあという感じがするんです。もちろん作曲やコンサートは、天才の常で義務以上のことを成すわけですが、やはり使われている身だということがある。嫌でも階級や、それに応じた態度の形がある。それは一切省みることはなかった。だから、コロレドが、もうMozartがそこにいるだけで、話も聞きたくないというのにもわけがある。別に、どちらが正しいというわけじゃなくて。時代には時代の習慣があるということ。
    あれだけ宮廷が支配していた時代に、あれだけ好き勝手をしたって言うところが、しかし大物だ。

    そういう意味で、時代の狭間にいた彼の辛さはわかりますが、彼の人物判断力にも、大きな問題がある。見方の人は良い人、自分を批判する人、全員悪人なんです。そういう短絡さも、読んでいて、ウヘー、こいつこんなことじゃ生きていけるわけないじゃないかあ、とあきれてしまう。父親にも、心配するナとか、金を送るとか、僕の幸せはあなたの幸せとか、もうあのことに関してはお話したくありませんとか、つまり、一切口を挟んでもらいたくないのに、非常にどこかで不安を抱えているというジレンマがあるんです。難しい問題です。しかし、父親だって、コロレドに仕えていたのに、それを気にしながらも、彼は結局好きなことを通しますから、別に同じなんですね、人に気を使おうが使うまいが。困った者なんです、天才って。周りが振り回される。

    昨日はスコア演奏で、MozartのRequiemだった。すっごく難しかった。バセットホルンはドと書いてあってファだし、つまりin Fということです。トランペットはin D、ティパニ-はin D に四度上をつける。もちろんファゴットはト音記号とテノール記号がころころ変わるし、合唱のバリトンも、記号がころころ変わる。弦も音がめちゃくちゃ多い上に、ヴィオラはアルト記号だし、これに四声の合唱も入れて、全部弾こうとすると、とんでもない集中力が・・・。
    しかしだ。すごい発見があるものなのだ。カノン風に、まあ殆どフーガの形で、テーマが繰り返される。合唱のテーマは木管楽器が平行して演奏する。まさにレクイエムとしてのおどろおどろしさが、にじみ出てくる構造で作曲されている。ものすごい短いフレーズの中で、オケ、合唱の中に様々なことがおきている。スコアを見るとそれが分かるんです。そして、色々なアイデアを尊敬していたヘンデルからいただいている。リズムとか、伴奏のフレーズを見ると分かる。まいった。天才だと実感する。

    講師がMozartが書いたとおりのスコアも見せてくれたんですが、もちろん未完でしたから、何しろ木管が欠けている。コーラスは、しっかりと書いたみたいです。しかし、その白紙の部分をこの目で見ると、全く胸が痛みました。彼の存在を何だか頭の上に感じてしまった。こんなきちがいじみた経験は初めてだった。で、鳥肌が立ち、もうMozartの魔力に、胸を打たれた。恐ろしかった。たかがその辺の学生が、へろへろピアノでスコアを弾いているのを聴いて、ちょっとそのオリジナルスコアを見ただけでこうなのだ。

    何だか。非常に個人的な話になってしまった。
    しかしそういう意味で、今日は新たな発見をした。

    2004年6月5日土曜日

    Morzart 手紙

    昨日、1781年3月から、8月までのモーツァルト手紙を読んだ。ちょうどザルツブルグの大司祭と決裂してウィーンへ行くまでの間の話。

    もう何度も手紙を読んではいるけど、今回はドイツ語で読んだのもあって、新鮮に楽しませてもらった。全くもって自由奔放な人間で、そういう面だけ見ている周囲の者には、本当に軽薄な人間に映っていたんだろうなと思う。でも、手紙をきちんと読み込むと、彼のかなり芯の強いエネルギーが感じられた。

    結局大司祭と決裂したのも、自分自身の価値を本当には認められずに、虫けらみたいな扱いをされたからだと言うことだけど、実のところ、彼の才能を本当に分かっていた人間なんて、一握りだったんじゃないだろうか。大司祭には何も分かっていなかったろう。そもそもあの頃のザルツブルグは司祭が仕切ってい手、それに雇われている音楽家の身と言うのは、まさに惨めなものだったと思う。そもそも、その後何年もしないうちに、ブルジョワの力が勝って、宮廷文化が壊れてフランス革命という運命がやってくるわけだけど、そういう時代の狭間に生まれたモーツァルトは、ある意味で、自分でもわけの分からぬ時代の運命の波にのまれていたところもあったのではないか。事実彼の周りにも、たくさんの上流階級や小市民たちが集まって経済的に支援する動きも一時的にはあったわけだし、宮廷から離れようとする彼の決意は、50年前ではちょっとできないことだったに違いない。作品も注文だし、嗜好も宮廷文化に沿うもののみが良しとされたわけだし。

    天才というのは、どこか爆発的なエネルギーをもっているから、そういうつまらぬ、真価とは全く違う規準で判断されるシステムの中で、小さなことを大司祭かなんかのためにこつこつやるなんてことは出来るものではないんだよね。司祭のために作曲しているのではなく、あくまでも音楽に対する尊敬であり、そこには驚くほどの完璧性を求めているわけだから、作品に関して、嗜好にあわせるとか言う妥協は、侮辱だったんだよね。

    彼も、自尊心だけは非常に高くて、自分の価値を分からないもののために演奏したり、仕えたくないと言っていた。いくらお金が少なかろうとも、音楽を理解してくれる宮廷に仕えたいと思っていたわけだし。事実、ウィーンでは、フリーランスとして自立を試みるわけだけど、いつまで経っても、モーツァルトはどこかの宮廷で仕えたいと願っていた。やはり、そういう面は、父親の影響もあるけど、世代的な価値観念から抜け出しきってはいなかった。彼の作品は、全くもって宮廷風であり、それだからこそ、今でも愛されているわけなんだが。まあ、彼としては、何があってもウィーンで成功したかった。カイザーがいるところであったし、自分の才能としては、そんな田舎で小さく活動する者ではないと、本能的に感じ取っていた。ところが、ウィーンのような文化的大都会では、次々に新しいものが求められる。これはアルコ伯爵も言っていたことだけど、ウィーンというのは信用ならないところだった。優れたものには惜しみなくお金を出すけど、消費が激しいから、次々と流行が移り変わる。音楽かも使い捨て的な側面もあった。それをモーツァルトは、聴く耳も持たず始終楽天的に構えていたのは、子供と言えば子供だけど、世間のこともお金のことにも長けている天才なんていないだろうが。ある意味で、作曲だけしていればよいというような環境に恵まれなかったことが悲劇。しかし、音楽家は、もうずっとずっと昔から、経済的にはInstitutionにいつでも依存していたのだから、このジレンマはついてまわるものであろう。

    それにしても、社会的背景にもあれだけの父親ががっちり自分の古い価値観でモーツァルトの絶対的成功を願っていたわけだし、尊敬する父親には逆らえなかった彼の、板ばさみ的状態というのは苦しかったと思う。しかし、本当のところ、いくら猫なで声を出してお父様と言おうが、彼は一切自分の信念を曲げることは基本的に無かったわけで、そこに底力を感じたわけだ。天才の、ほかの者を押しのけるような自信。
    自分のアイデンティティーを確立できる地を探して迷いまくっていたと言うのが私の印象です。ザルツブルグでは、父親と司祭の力でそれは不可能だった。真価を認めてくれるものがアイデンティティーを可能にするのであって、経済的な安定ではないので、一時のウィーンでの生活すら本当の満足は得られない。それどころか、寝返ってしまう聴衆と支援者に絶望するわけで。なかなかアイデンティティーというのは難しい。
    自分の描く形と、他人が自分に期待する形が一致するのは、まれです。

    悲劇と言えば、彼の時代背景と、彼の行きすぎたユーモアじゃないだろうか。むっつりとしていれば、それなりだが、あれだけのおどけやユーモアの隙間に、ひどい不安、怒り、自信、自尊心、失望が隠れているのを読むと、心が痛む。それを一体誰がまともに理解し、耳を傾けただろうか。

    そういう意味では、ウェーバー家の影響も決して良いものではなかった。コンスタンツェは、当時まだ彼の恋人でもなかったが、彼女は後にも本当に彼の才能も、人格も音楽も分かってはいなかった。かわいらしい面はあったのだろうが、いささか子供で、とても天才を相手に出来るような深みも強さも無い。妻からの真の愛情も、聴衆からの愛情にも恵まれず、いよいよ悲劇の道をたどるわけだが、いろいろな側面から見ても、いろいろなことが重なって、非常に苦しい立場にあった。SalzburgからWienへと向かわせた本当の原動は、実は、先にも書いた、アイデンティティーへの渇望じゃなかったのかと、察しているが、これは、これから手紙を分析しないと分からない。

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    昨日は、皆でタパスを食べに行った。それからヴィデオショップで「Habla con Ella」(「彼女と話せ」という日本訳ではないと思うんだけど)を借りてきてみた。スペイン映画というのは、なかなか遠慮がちな表現で、難しいことを多く言わせずに、深みを表現できるものだと感心した。 
    イタリア映画は、とかくオペラ調な大げさドラマになってしまうし、かのフランス映画では、心理描写が過ぎて、見るものは殆どパラノイア化してしまうし、ドイツ映画だと、何でもかんでも理屈づけた会話をはめ込んで、せっかくの情緒も頭の製品にすり替わってしまう。また非常に鋭い視点を持ったイギリス映画だと、何だか知らない間にコンテクストに社会的背景が強調されて、社会映画になりがちだし、アメリカ映画だと、すぐに特定の感情を安い音楽や雰囲気描写で強制され、おばかなエンディングが待っていて、商業意識が丸見えで、いささか嫌になる。いや、スペインというのは、なかなか静かに流れつつものがあって良かった。

    実は、George Bernanos原作の、「悪魔の太陽」という映画をもう十年以上前に見て、非常に興味を持ったことを思い出したので、それを借りたかったんだけど。中世後期に、カトリックの僧が悪魔と対決するんですが、確か悪魔が結局は勝つんだけど・・・。それをドパルデューとサンドリーヌ・ボネールという女優が見事に演じていた。確か、あのモーリス・ピアラ監督だった。まあ、ばりばりのカトリック作家が、十九世紀はじめごろに書いた作品で、フランスで育った人なら、スタンダードに知っているはずなんだけど、あとはヨーロッパでも、そうそう知られた作家ではない。まあ、テーマが殆ど神学の領域だから仕方ないんだけど。
    しかし残念ながら、ドイツ語ではヴィデオになっておりません。英語かフランス語しかなかった。アマゾンでは。まあ、そのショップは非常にカルト的で、一応何でも揃っているんですが、ばかばかしいハリウッド映画以外は。たとえば日本の座頭市シリーズなんてものまで、何でも揃っているんだけど、さすがにそのベルナノスはなかった。ピアラのものは、ゴッホしかなかった。まあ、あの監督のを見ていると、眠くなるか、神経質になるかって、普通の人は思うのだろうと想像できるけど。私は、けっこう文学作品の映画化というのが好きで、しかも、ピアラのドキュメンタリー風リアリスティックな、直撃表現法も好きなんだよね。俳優もフランス国内で、本当に優秀とされる人たちが彼とやりたがるし。
    悪魔がそのまま存在していた中世の宗教観というのを日常に描いた作品だと言うのを思い出して、どうしても見たかったんだけど、まあ仕方ない。