2010年4月23日金曜日
独り言
いっそ、イタリアに移住してしまおうか。そんなことを考えている。この頃、鬱々とした感じはないのに、なぜか再び過去に対 面している。過去とは、決着をつけずに抑圧していても、つけは払わないといけないってことらしい。
センチメンタルになっているつもりもな いけれど、過去に向き合うのは難しい。強がっていたことを、少しずつ認めて、私も弱いし、私って孤独であると言うことを認めたうえでの前進と、否定し続け た前進とではやはり持久力が違ってくるのだ。
若かりしころ、根拠のない自信から、私だって捨てたモンじゃないと思っていた自分が、実は糞 でしかなかったと思い知らされ、ゼロから立て直さなくてはいけなかった壮絶な戦いを思い出す。
流石に、あそこまであがく必要はないだろうが、いま ひとつ、自分の立たされた状況に失敗や、後悔を認めるのは快くない。
後悔はないのだけれど、相変わらず、持ち前の行動力で飛び込みすぎた ために、色々なところで曲がり角を曲がりすぎている自分の過去を認めないわけにはいかない。
行動力は私を支えるバイタリティーでもあるけれど、も らわなくても良い傷を自分で拾っている感もある。
それを無駄と思うか、強靭な精神を築く糧と思うか…。
自分の人生対処は問題ない し、ますます下り坂どころか、がんばろうと言う意欲に燃えているのに、過去を思うと、やはり心苦しくなるのである。私が捨てられたのではない。私が捨てた 数々の現状。それを捨てるしかなかったから捨てたのだが、思い切りの良い破壊主義も、この歳になると自分に対する脅威となっている。
次は何を壊す のであろうか。
ものを大切にしないわけじゃないけれど、心にそぐわないものはことごとく切り捨てたい。少しも仮面をかぶって生きていたく ないという、非社会的とも言える馬鹿正直さなのかもしれない。
勝手である…。
これだけ望郷の念があっても、私などどこで生きても ダメなのだ。
どこで生きても、探し続け、孤独をかみ締め、そして放浪するのだと思う。
幸い、どこに住んでも出来る仕事を 持っている。
このまま、過去の震源地であるイタリアへ行って、思い切り対面して、思い切り切り裂いて、そして新しく生まれ変わりたいと言う気持ち もある。
しかし、私がこの町にいるのも、人間関係などという平面ではなく、もっと大きな平面で見た場合、ある種の運命なのだともう。
何 をこの街でするべきなのか、考えあぐねて、わかってきたような、実行しているような、あいまいな段階である。
もう人間と深いかかわりあい になろうと思うのは中断しようと思う。
自分で歩くことは十分学んできた。これからは、歩きながら自分らしい道を固めて生きたい。
も う人に迎合して生きるのは中断しようと思う。
お人よしなんだ、自分が思っている以上に。
そういうことが見えてきた今、私は本当に自分の中 心や核を保護できる力が出来るまで、人とは深くかかわらないようにしようと思った。
支離滅裂だ。
これもまた2日 後には、収まっていくだろう。
最近は、ネガティブな状況が続くことがなくなってありがたい。思考に思考を重ねるエネルギーすらない。
2010年4月16日金曜日
離婚考 ― Helen Fisher
随分前に読んだものだが、最近書いたテキストが出てきたので掲載する。私は手に入らず独語で読んだが、日本語でも手に入るようである。表題は「愛は何故終わるのか」。原文は英語。
Anatomy of Love: A Natural History of Mating, Marriage, and Why We Stray (ペーパーバック)
離婚や別れというのは、自然史的に見ると近代文明と関係があるというわけではないようだ。ローマ時代に、戦争で資産を築いた都市貴族たちは、例えばそれを義理の息子ではなく娘たちに託した。そうして女性が財産に関する権利を所持することによって、貴族的地位の上に立っていったという背景の中では、結婚を含む未来に対する決定権も多くの場合、女性にあったと言うことになる。こうした階層が増えてくるにあたり、離婚率が急増したという事実があった。
結婚生活中に、様々な不満や喧嘩の原因が渦巻くのは、どの文化でも同じである。イスラムでもユダヤ教でも、アフリカの部族間でも、アメリカのような先進国で も、蓋を開ければ似たような原因の諍いと不満にあふれている。
宗教改革前、キリスト教社会では聖職者の独身性を重んじ ていたが、その社会における結婚には、神の存在しない世界でのグロテスクな性的無規律性から、性交を聖なるリトスとして守ると言う意味があった。
ムハンマドのイスラム教には、聖職者の独身性は存在しない。性交や愛を重んじることにキリスト教にあるようなネガティブなイメージはなかった。
ところが、ムハンマドはもう一つの義務を与えた。
それは、結婚生活での厳しい役割分担であり、妻は子供を生み、料理し、夫に仕える必要があった。
し かしながら、イスラムの世界では、結婚はあくまでも法律的契約であったため、いつでも離婚が可能であった。これに対しキリスト教では、礼典に従った契約 が結婚であるため、カトリック教会は、離婚を認めていない。
現在でもイスラム世界での離婚は珍しくないと言う。
さて、離婚の理由 であるが、
ダーウィンの説によると子孫繁栄が結婚の目的であるので、これらが多くの離婚理由のトップに立っていることをFisherは疑問に思わないそうだ。
離婚は、深くセクシュアリティーと生殖にかかわっていることに間違いはない様である。
その証として、生殖能力のある年齢の離婚者は、約80パーセント再婚すると言う。
人間は、次のパート ナーに関しては、非常に楽観的であるらしい!
さて、そうは言っても離婚にはある種のモデルがあるらしい。社会学者のS. Johnson の説によると、パートナーの双方に、土地、家畜、支払い能力、情報、その他の財産や資源がある場合、さらに双方がその私財を家族間で分割したり交換したり する権利を所持している場合は、離婚が日常茶飯事であると言う。
つまり、生き残るために男女が経済的に依存しあっていない場合、良好では ない結婚生活はしばしば解消されると言う。
これはアフリカ原住民の間でも同じで、食物を得ることに関して互いに独立した能力を備えている場合は、離婚率が非常に高いと言う。つまりこうした部族間では次の結婚でも、同様の狭い部族社会で生きるため、背景は変わらない。よって生殖能力のある間、五回ほど結婚離婚を繰り返すこともまれではないという。
その理由の一つに、母親が食物を採取しにいっている間、子供たちの面倒を見るのは、残された父親ではなく、むしろこうした狭い家族部族間では、母親の兄や弟と言った場合が多い。父親が自分の子供の面倒を見るより、姉や妹の子供の面倒を見る 率が高いと言うのである。
南アメリカの部族間でも、同様の傾向が見られ、不幸な結婚は、双方が別れる能力がある場合、解消される。そして彼らはまた再婚する。
反対に、お互いが生計を立てるために、かけがいのない存在である場合は、離婚率がずっと低いと言う。
その典型が農家である。収穫するのは男性だが、収穫したものを加工するのは女性の役割であった。
産業革命以前の欧州で、離婚率が低い原因の一つである。
また、11世紀に結婚が典礼に加えられたことで、欧州での離婚率は、一部の地域で未だに低いままである。
この傾向は、産業革命後に大きな 変化を遂げた。
収入を得ている女性の場合、男性が夕食のパンを稼いでくる家庭の女性よりも、結婚の問題に対する耐性がかなり低くなる。
女性の経済力と離婚率が平行して上昇するのは、ローマ時代の例で明らかである。
結局、愛だけでは結婚生活は持たない。その他、文化的、経済的背景が大きく絡んでくる。
社会学者Martin Whyteが、アメリカのデトロイト459人の女性に質問をした結果が次にある。
さらなる利点をWhyteは挙げている。
これらの条件を満たさないと言うことは、リスクを抱えての結婚ということになるらしい。
さらに言えば、リスクを最小限に保つためには、相違への対処として妥協が求められる。
パートナーの一方でも、妥協する姿勢が少ない場合、離婚になる 確率が高い。
更なる点として、息子がいる家庭、就学前の子供たちがいる家庭では、離婚率がやや低く、反対に若年で結婚したカップルの大半は離婚すると言う。
母権制での離婚率も高い。これは女性が自給できるからであろう。
またポリガミー社会でも、嫉妬や男性の財産をめぐる女性間での喧嘩が多く、離婚率が高い。
イスラムなどのモノガミーでは、自分のために料理し、仕えてくれる女性を捨てると言う結果を男性が簡単に下すことは少ない。モノガミーが結婚を安定させている。
共に笑い、深いまなざしで見つめあい、恋に落ちた際の引き込まれるよう な感覚、共通の秘密、二人だけの冗談、ベッドでのすばらしい時、友人や家族と日夜一緒だったとき、二人の間の子供たち、一緒に築いた財産、多くの年月を 通して笑い、愛し、喧嘩しながら、共に体験してきた変化に飛んだ時間など…
なぜ、このようなすばらしい体験を男女は、捨ててしまうのだろうか?
おそらく、日ごとの生殖活動に勤しんでいた暗黒の過去から発展した、深遠で永遠なる生殖に尽力する力からくる、絶え間ない精神の流れが理由であろうと締めくくっている。
さて、結婚は7年目が危ないと言われているが、実際は、長年の調査でも実証されているように、 3~4年目が危険らしい。
イスラム社会での相違などは略すとして、西洋社会では結婚後4年目の離婚が一番多いそうだ。
なぜなら、恋に落 ち、愛から結婚にいたるわけであるが、その愛と言うのは、私たちのごく私的な「私」というものを補うか強化するものであり、それはおおよそ4年ぐらい続くと言う。
それで、地味な事務職が、ブロンドの派手な秘書に恋をし、女性学者が詩人と一緒になることもうなづけると言う。
また人間の子供というのは、おおよそ4年ほどで一人で歩き、食事を取り、下の世話も要らなくなる。ここで、結婚し子供を共同で育てるという基本的な仕事に、一時的に終止符が打たれることも興味深い。
生殖的に、互いにまだ最高の状態であるにもかかわらず、である。
トリスタンとイゾルデの話にもあるように、恋というのは、大体3年ぐらいで終わるものなのだろうか?
またここからは簡略して述べるが、アメリカの例では、20~24歳で結婚したカップルでは離婚率が高い。
そして、女性は4年、男性は3年ほどで再婚する率が高くなっている。
子供がいても、 生殖能力の高い20代から30代のカップルは、離婚する確率が高いという。
Fisherがこの章を締めくくっているその総括に、私は自分の過去も合わせて妙に納得してしまった。
それをここに記したい。
人間のパートナーシップを形成するモデルは、女性の経済的 自立、都市化、世俗化、オーガナイズされた結婚などの多くの種類の文化的要素に影響される。この多岐にわたる影響にもかかわらず、両性共存に関しては、幾 つかの基本法則がある。
西シベリアから南アメリカの最南端まで、男女は結婚し、多くは再び離別する。大半は結婚後4年目に離婚し、多くは離別の時点でまだ若い年齢にある。一人目の子供が誕生した後、多くの男女は別れ、また再び再婚する。
毎年毎年、10年毎、あるいは100年毎、何世紀にもわたって、この太古のシナリオを演じ続け、自分たちに価値を与え、清潔にし、色目を使い、求愛し、互いに影響し合い、征服し合う。
その後、家庭的になり生殖する。そして、また新しい愛の冒険へと飛び出していく。
結婚という港を去るのである。
生殖能力のある期間、人は救いよう のない楽観主義者であり、途方もない生き物でもあり、やっと熟年になってから落ち着くようである。
なぜか?
答えは、Fisherの見解では、「高貴な野蛮人として森の中を自由に歩き回っていた」変化に富んだ私たちの過去にあると述べている。
長くなったが、結局私の二度目の結婚の個人的背景を重ね合わせてみると:
といった理由がくっきりと重なる。
さらに、夫側の経済的基盤の不安定さがあり、これが更にジェンダーの転回という問題につながった。
役割分担がなかった(例えば男が稼ぎ、私が家事をするといった分担)
さらに、私の私財の一部は、以前の男性から来るものであった。
夫の社会的背景が変わり続けるため、共通の友人を保ち続けることができなかった。
などという細部のリスクが加わってきた。
どちらにせよ、現在住んでいる欧州のこの街では、伝統的な価値観はすでにその基盤を失いつつある。ジェンダーが転回し、女性の経済的自立は、当然のこととなり、離別を繰り返す例が多くなり、それぞれ違う父親を持つ子供を三人抱える例も珍しくない。従って少子化の問題が増加する。
女性の経済的自立と共に、共同で子供たちを育てる契約をしないカップルが多くなり、子供を作らないと言う選択が 増えた。
以前、有名な女性ジャーナリストが、彼女の本で述べていたことであるが、
「ヒトラーの第三共和国時代のように、 女性もHERD(直訳はレンジ、比喩は家庭)に帰れ」
と言って顰蹙を買い、文字通りメディアから抹消されたという事実がある。
しかし伝統は悪くない。一理あると思う。
あまり進歩進歩と言って、 ジェンダーがあいまいになるのは、人間の生殖危機につながるというのもまんざら嘘ではないだろう。
私の現夫は、こうした安定した、つまり静止状態の生活のことをボヘミアンさながら
「超退屈で、軽蔑に値する」と豪語していた。
私がそのような生活を望むことに、非常に落胆させられたと言う。
しかし、それは結婚という枠に収まるには、あまりにもリスキーな生き方である。
結局夫は、森をさ迷い歩く人間本能を実現し続けているのだ。
決 して悪くない。
本能を生きるとは、エネルギッシュであり、変化に富み、新しいことが生まれる可能性がずっと高い。
しかし、私は子供を持つ親。しかも、三人というハイリスクな女性である。
スタティックな生き方を望むのは、自己防御なのである。
結局、この相違 と、私が糧を稼がずに帰宅するくせに、口だけは大きく、計画倒れである夫の男としてのプライドを大きく傷つけたことが直接の理由だろうと思われる。
彼は、今までもわりとすんなり、そして突然別れてしまう。
ぐずぐずと対策を練って、苦しい時を潜り抜けないのである。
それは、プライドの高い男のざっくりとした決断力であり、彼の自己防御でもある。
結局私達は、Fisherの言及しているモデルにすっぱりと納まる、凡人カップルであった。
それが、不思議と大きな慰めである。
私 の生殖年齢は、近い将来没になる。
で、いよいよ彼女の説によれば、落ち着くらしい。
いい加減、シャーマン的に静かに人の問題でも転がして生きていきたいと思う今日この頃。
しかし、私の無意識の[ICH]は、すでにうごめき始めている。
生殖能力のある人間の「救いようのない楽観主義」と言う点では、私も訓練をつんできた。
腕があるだけに?、この先静かになるのかどうか、空恐ろしい未来である。
また、最初の夫と今の「まだ夫」との人間性は、180度反対に当たる。なぜそのような事態が起きたのかと考えると、これもまた思い当たる節があるのだが、また後日書いてみようと思う。
Anatomy of Love: A Natural History of Mating, Marriage, and Why We Stray (ペーパーバック)
離婚や別れというのは、自然史的に見ると近代文明と関係があるというわけではないようだ。ローマ時代に、戦争で資産を築いた都市貴族たちは、例えばそれを義理の息子ではなく娘たちに託した。そうして女性が財産に関する権利を所持することによって、貴族的地位の上に立っていったという背景の中では、結婚を含む未来に対する決定権も多くの場合、女性にあったと言うことになる。こうした階層が増えてくるにあたり、離婚率が急増したという事実があった。
結婚生活中に、様々な不満や喧嘩の原因が渦巻くのは、どの文化でも同じである。イスラムでもユダヤ教でも、アフリカの部族間でも、アメリカのような先進国で も、蓋を開ければ似たような原因の諍いと不満にあふれている。
宗教改革前、キリスト教社会では聖職者の独身性を重んじ ていたが、その社会における結婚には、神の存在しない世界でのグロテスクな性的無規律性から、性交を聖なるリトスとして守ると言う意味があった。
ムハンマドのイスラム教には、聖職者の独身性は存在しない。性交や愛を重んじることにキリスト教にあるようなネガティブなイメージはなかった。
ところが、ムハンマドはもう一つの義務を与えた。
それは、結婚生活での厳しい役割分担であり、妻は子供を生み、料理し、夫に仕える必要があった。
し かしながら、イスラムの世界では、結婚はあくまでも法律的契約であったため、いつでも離婚が可能であった。これに対しキリスト教では、礼典に従った契約 が結婚であるため、カトリック教会は、離婚を認めていない。
現在でもイスラム世界での離婚は珍しくないと言う。
さて、離婚の理由 であるが、
- 一位 妻の浮気
- 不妊
- 夫の浮気
ダーウィンの説によると子孫繁栄が結婚の目的であるので、これらが多くの離婚理由のトップに立っていることをFisherは疑問に思わないそうだ。
離婚は、深くセクシュアリティーと生殖にかかわっていることに間違いはない様である。
その証として、生殖能力のある年齢の離婚者は、約80パーセント再婚すると言う。
人間は、次のパート ナーに関しては、非常に楽観的であるらしい!
さて、そうは言っても離婚にはある種のモデルがあるらしい。社会学者のS. Johnson の説によると、パートナーの双方に、土地、家畜、支払い能力、情報、その他の財産や資源がある場合、さらに双方がその私財を家族間で分割したり交換したり する権利を所持している場合は、離婚が日常茶飯事であると言う。
つまり、生き残るために男女が経済的に依存しあっていない場合、良好では ない結婚生活はしばしば解消されると言う。
これはアフリカ原住民の間でも同じで、食物を得ることに関して互いに独立した能力を備えている場合は、離婚率が非常に高いと言う。つまりこうした部族間では次の結婚でも、同様の狭い部族社会で生きるため、背景は変わらない。よって生殖能力のある間、五回ほど結婚離婚を繰り返すこともまれではないという。
その理由の一つに、母親が食物を採取しにいっている間、子供たちの面倒を見るのは、残された父親ではなく、むしろこうした狭い家族部族間では、母親の兄や弟と言った場合が多い。父親が自分の子供の面倒を見るより、姉や妹の子供の面倒を見る 率が高いと言うのである。
南アメリカの部族間でも、同様の傾向が見られ、不幸な結婚は、双方が別れる能力がある場合、解消される。そして彼らはまた再婚する。
反対に、お互いが生計を立てるために、かけがいのない存在である場合は、離婚率がずっと低いと言う。
その典型が農家である。収穫するのは男性だが、収穫したものを加工するのは女性の役割であった。
産業革命以前の欧州で、離婚率が低い原因の一つである。
また、11世紀に結婚が典礼に加えられたことで、欧州での離婚率は、一部の地域で未だに低いままである。
この傾向は、産業革命後に大きな 変化を遂げた。
収入を得ている女性の場合、男性が夕食のパンを稼いでくる家庭の女性よりも、結婚の問題に対する耐性がかなり低くなる。
女性の経済力と離婚率が平行して上昇するのは、ローマ時代の例で明らかである。
結局、愛だけでは結婚生活は持たない。その他、文化的、経済的背景が大きく絡んでくる。
社会学者Martin Whyteが、アメリカのデトロイト459人の女性に質問をした結果が次にある。
- 類似した人格性質
- 同様の習慣
- 共通の興味と価値観
- 共通の自由時間の過ごし方と共通の友人
さらなる利点をWhyteは挙げている。
- 成熟した年齢での結婚
- 深く恋に落ちた事実
- 白人 (これはアメリカの統計である)
- しっかりと結ばれた家族で育った背景
これらの条件を満たさないと言うことは、リスクを抱えての結婚ということになるらしい。
さらに言えば、リスクを最小限に保つためには、相違への対処として妥協が求められる。
パートナーの一方でも、妥協する姿勢が少ない場合、離婚になる 確率が高い。
更なる点として、息子がいる家庭、就学前の子供たちがいる家庭では、離婚率がやや低く、反対に若年で結婚したカップルの大半は離婚すると言う。
母権制での離婚率も高い。これは女性が自給できるからであろう。
またポリガミー社会でも、嫉妬や男性の財産をめぐる女性間での喧嘩が多く、離婚率が高い。
イスラムなどのモノガミーでは、自分のために料理し、仕えてくれる女性を捨てると言う結果を男性が簡単に下すことは少ない。モノガミーが結婚を安定させている。
共に笑い、深いまなざしで見つめあい、恋に落ちた際の引き込まれるよう な感覚、共通の秘密、二人だけの冗談、ベッドでのすばらしい時、友人や家族と日夜一緒だったとき、二人の間の子供たち、一緒に築いた財産、多くの年月を 通して笑い、愛し、喧嘩しながら、共に体験してきた変化に飛んだ時間など…
なぜ、このようなすばらしい体験を男女は、捨ててしまうのだろうか?
おそらく、日ごとの生殖活動に勤しんでいた暗黒の過去から発展した、深遠で永遠なる生殖に尽力する力からくる、絶え間ない精神の流れが理由であろうと締めくくっている。
さて、結婚は7年目が危ないと言われているが、実際は、長年の調査でも実証されているように、 3~4年目が危険らしい。
イスラム社会での相違などは略すとして、西洋社会では結婚後4年目の離婚が一番多いそうだ。
なぜなら、恋に落 ち、愛から結婚にいたるわけであるが、その愛と言うのは、私たちのごく私的な「私」というものを補うか強化するものであり、それはおおよそ4年ぐらい続くと言う。
それで、地味な事務職が、ブロンドの派手な秘書に恋をし、女性学者が詩人と一緒になることもうなづけると言う。
また人間の子供というのは、おおよそ4年ほどで一人で歩き、食事を取り、下の世話も要らなくなる。ここで、結婚し子供を共同で育てるという基本的な仕事に、一時的に終止符が打たれることも興味深い。
生殖的に、互いにまだ最高の状態であるにもかかわらず、である。
トリスタンとイゾルデの話にもあるように、恋というのは、大体3年ぐらいで終わるものなのだろうか?
またここからは簡略して述べるが、アメリカの例では、20~24歳で結婚したカップルでは離婚率が高い。
そして、女性は4年、男性は3年ほどで再婚する率が高くなっている。
子供がいても、 生殖能力の高い20代から30代のカップルは、離婚する確率が高いという。
Fisherがこの章を締めくくっているその総括に、私は自分の過去も合わせて妙に納得してしまった。
それをここに記したい。
人間のパートナーシップを形成するモデルは、女性の経済的 自立、都市化、世俗化、オーガナイズされた結婚などの多くの種類の文化的要素に影響される。この多岐にわたる影響にもかかわらず、両性共存に関しては、幾 つかの基本法則がある。
西シベリアから南アメリカの最南端まで、男女は結婚し、多くは再び離別する。大半は結婚後4年目に離婚し、多くは離別の時点でまだ若い年齢にある。一人目の子供が誕生した後、多くの男女は別れ、また再び再婚する。
毎年毎年、10年毎、あるいは100年毎、何世紀にもわたって、この太古のシナリオを演じ続け、自分たちに価値を与え、清潔にし、色目を使い、求愛し、互いに影響し合い、征服し合う。
その後、家庭的になり生殖する。そして、また新しい愛の冒険へと飛び出していく。
結婚という港を去るのである。
生殖能力のある期間、人は救いよう のない楽観主義者であり、途方もない生き物でもあり、やっと熟年になってから落ち着くようである。
なぜか?
答えは、Fisherの見解では、「高貴な野蛮人として森の中を自由に歩き回っていた」変化に富んだ私たちの過去にあると述べている。
長くなったが、結局私の二度目の結婚の個人的背景を重ね合わせてみると:
- 生殖しなかった
- 女性側が経済的に私財に関する権利を所持していた
- 互いに生計を立てるために依存していなかった
- 女性が他の男性の子供たちを連れていた
- 子供たちが就学した後であった
- 一緒になって7年、結婚4年目で あった
といった理由がくっきりと重なる。
さらに、夫側の経済的基盤の不安定さがあり、これが更にジェンダーの転回という問題につながった。
役割分担がなかった(例えば男が稼ぎ、私が家事をするといった分担)
さらに、私の私財の一部は、以前の男性から来るものであった。
夫の社会的背景が変わり続けるため、共通の友人を保ち続けることができなかった。
などという細部のリスクが加わってきた。
どちらにせよ、現在住んでいる欧州のこの街では、伝統的な価値観はすでにその基盤を失いつつある。ジェンダーが転回し、女性の経済的自立は、当然のこととなり、離別を繰り返す例が多くなり、それぞれ違う父親を持つ子供を三人抱える例も珍しくない。従って少子化の問題が増加する。
女性の経済的自立と共に、共同で子供たちを育てる契約をしないカップルが多くなり、子供を作らないと言う選択が 増えた。
以前、有名な女性ジャーナリストが、彼女の本で述べていたことであるが、
「ヒトラーの第三共和国時代のように、 女性もHERD(直訳はレンジ、比喩は家庭)に帰れ」
と言って顰蹙を買い、文字通りメディアから抹消されたという事実がある。
しかし伝統は悪くない。一理あると思う。
- 役割分担がある
- 経済的に依存しあっている
- 子供は二人まで
- 成熟してから結婚する
- 共通の文化的背景を持つ
あまり進歩進歩と言って、 ジェンダーがあいまいになるのは、人間の生殖危機につながるというのもまんざら嘘ではないだろう。
私の現夫は、こうした安定した、つまり静止状態の生活のことをボヘミアンさながら
「超退屈で、軽蔑に値する」と豪語していた。
私がそのような生活を望むことに、非常に落胆させられたと言う。
しかし、それは結婚という枠に収まるには、あまりにもリスキーな生き方である。
結局夫は、森をさ迷い歩く人間本能を実現し続けているのだ。
決 して悪くない。
本能を生きるとは、エネルギッシュであり、変化に富み、新しいことが生まれる可能性がずっと高い。
しかし、私は子供を持つ親。しかも、三人というハイリスクな女性である。
スタティックな生き方を望むのは、自己防御なのである。
結局、この相違 と、私が糧を稼がずに帰宅するくせに、口だけは大きく、計画倒れである夫の男としてのプライドを大きく傷つけたことが直接の理由だろうと思われる。
彼は、今までもわりとすんなり、そして突然別れてしまう。
ぐずぐずと対策を練って、苦しい時を潜り抜けないのである。
それは、プライドの高い男のざっくりとした決断力であり、彼の自己防御でもある。
結局私達は、Fisherの言及しているモデルにすっぱりと納まる、凡人カップルであった。
それが、不思議と大きな慰めである。
私 の生殖年齢は、近い将来没になる。
で、いよいよ彼女の説によれば、落ち着くらしい。
いい加減、シャーマン的に静かに人の問題でも転がして生きていきたいと思う今日この頃。
しかし、私の無意識の[ICH]は、すでにうごめき始めている。
生殖能力のある人間の「救いようのない楽観主義」と言う点では、私も訓練をつんできた。
腕があるだけに?、この先静かになるのかどうか、空恐ろしい未来である。
また、最初の夫と今の「まだ夫」との人間性は、180度反対に当たる。なぜそのような事態が起きたのかと考えると、これもまた思い当たる節があるのだが、また後日書いてみようと思う。
2010年4月14日水曜日
絹糸の一すじ
人生は、まったく止まることを知らずに流れていくものだと思う。その日を生きる生活に追われつつ、さまざまな感情に襲われては、また通りすぎと、すべてが限りある時間という流れの中で、時に私の心を揺さぶりながら、時に私の心を硬直させて、また形の無いものとなって流れ去っていく。
私の人生もめまぐるしい動きの中で、様々な物を失ってきたけれど、それでもある中心だけは、まだ失わずになんとか持ちこたえている。
私の人生もめまぐるしい動きの中で、様々な物を失ってきたけれど、それでもある中心だけは、まだ失わずになんとか持ちこたえている。
「存在しようと!」と心に決めた以上、
欠乏がこの世にあるなどという迷いにおちいるな。
絹糸よ、おまえは織物の一すじなのだ。
たとえおまえが心の中でどのような模様に織り込まれていようと
(それがたとえ痛苦の生の一こまであろうと)
讃めたたうべき壁掛けの全体こそ、おまえの志であったことを忘れるな。
R.M. Rilke "Die Sonette an Orpheus"
日々、単調に生活を続けていく中で、まるでこの国土にすっかり魂を吸い取られてしまったかのように、あの予想していた孤独感にふっと襲われる。それは、決して具体的に言葉にできる感情ではなくて、もっと動物の本能のように、胸の中から嗚咽するように、吐き気にも似た形で、思いもよらぬ瞬間に、私の喉元にやってくるのだ。
もはや誰かに思いを告げて、慰められるような類のものではなく、日常に口をついて出てくる言葉を失ってしまったかのような、恐ろしい孤独感である。
死を意識しているのではない。むしろ、死が美しい安らぎのように思えるほど、この孤独感は、黒く深く、不気味なのである。止むを得ず、私はそれに立ち向かい、まるでそれこそ絹糸の一すじとして、模様全体を相手に、糸を切られない様に、波に全身をゆだねるしか手立てがない。
不思議なことに、そうしていつ私を襲うかわからぬ孤独感にしっかり向き合い、瞬間に目を背けずにしっかりと見つめ耐え忍んでいると、まるで浮き彫りになるように自分の中心というものが形どられて来るのを感じる。
生は私を見捨てたどころではなく、しっかり私という存在を手中に収めて、一すじの絹糸となるために、何がしかの意味を与えてくれようとしている。何処か特定できぬ中心から、これで良いという肯定の感情がふつふつとわいてきて、生が私を見捨てるわけは無いはずだという深い信頼感が生まれてくるから不思議なものである。
今までの失敗も、今までのおろかな行為も、今までの軽はずみも、今までの気分の行動も、一つ一つに判断や評価を与える必要は無く、私は、次々と私の目の前に現れる出来事と正面から見つめあうこと。そしてその際、意味があるのは唯一私自身の心の中に見るべきものを見る訓練をつんでいくことだけである。
それまで多くの悲しみも痛みも、絶え間なく襲ってくるに違いないであろうが、必ずや私は生き延びるであろうし、それでこそ、やっと織物の模様の一すじとなって形跡を残すことができるかもしれない。その程度のものである。
数えることも計算することもせずに、何が自分にとって幸福であるとか、何が不安であるとか考えることなく、ひたすら生に信頼感を持って生に自らをゆだねきってしまうことにより、生きるという本質が、実は野生のように荒涼としており、苦痛というのは、「肉体に対する鈍い誤解」にしか過ぎないということを発見するのかもしれない。
それは夢のなかでのこと ―― 僕の心は 悲しかった。
君は蒼白めて 不安そう。 と 君の魂は 鳴り出すのだった。
かすかに かすかに 僕の魂も鳴った。
二つの魂は 歌いあった ―― 「わたしはつらい」と。
すると僕の心の奥ふかく 安らぎが生まれ、
夢と昼とにはさまれた 銀の空に 僕はいるのだった。
R.M. Rilke "Briefe I"
この詩を読むと、私は何をしていても、まるで身体反応のように涙が出てきてしまう。ドイツ語もわからない頃、Rilkeの詩を音読することが楽しみだった。意味を解していないのに、音読を重ねていると、必ずどこかで突然の嗚咽に襲われる。日本語訳を見ると、そこには必ずや、深い悲しみや失望や、それでも純粋に終わることの無い生と神へのしっかりとした信頼感が書かれているのだった。
まるで、ドイツ語など理解せずとも、言葉には独立した力と生命力が宿っているかのように、私の心に襲い掛かってきたのであった。
その時、初めて言葉の持つ威力に気がつき、詩作というもののひたすらに重いその質量を感じ取ったものだ。
何故なんだろうか、この詩にあるよう「悲しい」という言葉には、すべての言語にまるでこの悲しみの感情が刷り込まれているかのよう効力がある。einsam, traurig, sad, sorrow, triste, lacrimosoなど、どんな言葉にもそれに応じた魂が宿っているのではないか。そんなことを考えるほど、Rilkeの詩から発せられる生命力は大きかったのを覚えている。
つらい時、何度も何度もこの詩を音読し、何度も何度も涙を流し、読んでいるうちに、次第に心の中に、絶対に大丈夫だという力がわいてくるのを待った。
詩は、言葉の錬金術という表現に最近こだわるのは、それをこれまで以上に実感するからである。紡ぎだされる言葉には、作者の全人生が投入されており、そこに、彼の流血を見、彼の不安を感じ、それが一つの言葉の中に、さまざまにいりこんだ深い感情となって、刷り込まれている。一語の生まれるまでの彼の生きてきた過去とその悲痛な孤独を何故こうして瞬時に感じることができるのだろうか。
それは天才といってしまえばお終いであるが、私個人の肯定感情が、作品の中で生まれ、そこに私はとてもではないけれど、自らは表現することの不可能な、広大な広がりを見て、自分を埋没させ、作者の助けを借りて、私自身をそこに見つけるのである。
私自身を見つけるために結局生きているのであるが、それは死を目の前にしても、以前見つかることの無い答えでもある。
自分の生が何であったのか、それを判断するのも考えることも人生の役割ではない。
そうではなくて、その過程で、孤独を味わいつくし、深淵まで恐れることなく下って行き、自分と何年にも渡って対話することが役割なのかもしれない。
そうして、やっとこの魂を伴った言葉をたった一語生み出すことができるのかもしれない。
まるで、ドイツ語など理解せずとも、言葉には独立した力と生命力が宿っているかのように、私の心に襲い掛かってきたのであった。
その時、初めて言葉の持つ威力に気がつき、詩作というもののひたすらに重いその質量を感じ取ったものだ。
何故なんだろうか、この詩にあるよう「悲しい」という言葉には、すべての言語にまるでこの悲しみの感情が刷り込まれているかのよう効力がある。einsam, traurig, sad, sorrow, triste, lacrimosoなど、どんな言葉にもそれに応じた魂が宿っているのではないか。そんなことを考えるほど、Rilkeの詩から発せられる生命力は大きかったのを覚えている。
つらい時、何度も何度もこの詩を音読し、何度も何度も涙を流し、読んでいるうちに、次第に心の中に、絶対に大丈夫だという力がわいてくるのを待った。
詩は、言葉の錬金術という表現に最近こだわるのは、それをこれまで以上に実感するからである。紡ぎだされる言葉には、作者の全人生が投入されており、そこに、彼の流血を見、彼の不安を感じ、それが一つの言葉の中に、さまざまにいりこんだ深い感情となって、刷り込まれている。一語の生まれるまでの彼の生きてきた過去とその悲痛な孤独を何故こうして瞬時に感じることができるのだろうか。
それは天才といってしまえばお終いであるが、私個人の肯定感情が、作品の中で生まれ、そこに私はとてもではないけれど、自らは表現することの不可能な、広大な広がりを見て、自分を埋没させ、作者の助けを借りて、私自身をそこに見つけるのである。
私自身を見つけるために結局生きているのであるが、それは死を目の前にしても、以前見つかることの無い答えでもある。
自分の生が何であったのか、それを判断するのも考えることも人生の役割ではない。
そうではなくて、その過程で、孤独を味わいつくし、深淵まで恐れることなく下って行き、自分と何年にも渡って対話することが役割なのかもしれない。
そうして、やっとこの魂を伴った言葉をたった一語生み出すことができるのかもしれない。
2010年4月10日土曜日
孤独な老婆の目から湧き出てきたこと
今日久しぶりに、動物の目を見たような気がする。いや人間の目なのだけれど、動物の光を放っていた目。
先ほど買い物に出かけた。食べるものぐらいは美味しいものをと心がけているが、やはり高いスーパーで一週間分の買い物をするのはもったいない。
安いスーパーに行って、そこで、できるだけ新鮮なものと良い商品を見つけて買い込んでくると言う習慣。
末息子と共に入ったいつものスーパー。なかなか広々としており、普通二台の大型買い物ワゴンが通り過ぎる余裕は十分ある。そこに、一人の初老の夫人が通りがかり、どうもそのワゴンの角が、そこでパンを選んでいたもう一人の初老の女性に当たったらしい。
当てられた女性は、
「ちょいと!あなた人間の子供でしょう?見れば分かるもの、何でぶつかってくるのよ!」
と怒鳴る。他方の女性は、すでに通り過ぎた後、振り返りもせずに背中を向けていた。傷ついたといった風情でもない。
私は、家の裏庭の桜の木が 満開になったことに快くしており、美味しいものを子供たちにサービスしようと実に気分が良かったため、あまりにもその残酷な反応に、半ば腹が立って、その怒鳴った女性を見つめた。だれが、此れしきのことで、人々の気分を簡単に翻すのか見てやりたかった。
その女性は、くたびれた綿のジャンパーを着て、なんともしまりのない姿でそこにたたずんでいた、買い物ワゴンに身体を寄りかからせ、半分白髪で、ハリネズミのようにただ散切り頭に刈ってあるそのショートカットは、妙に貧乏くさく不潔に見え、付かれきった顔には、まるで今までの人生の苦労が全て刻み込まれているような萎れ方である。白い肌は、蒼白に見え、落ち窪んだ目の下には灰色の隈ができている。飲酒で身体を痛めたのではなく、苦労と不満と欲求の塊として、長年生きてきたために、顔に生気を失ってしまった。そういう様相であった。
しかし、その目には、恐ろしい光沢が光っていたのである。シチリアの知人宅に滞在していた時、夜外出したのだが、あの時丘の上の空き地に、10匹以上集まっていたであろう、あの恐ろしい野犬の目に良く似ていた。
自動車のライトは、その粗い体毛を照らし、灰色の混ざった硬い毛並みを光らせていた。黄色がかった目をぎらぎらと光らせて、野犬たちは一斉に自動車に乗った私達に向かって吠え立てる。
飼い犬の、媚びたような愛らしい目ではなく、人間に触れずに、人間に対向して生き延びてきた野生の光は、鋭く、まるで突き刺してくるような恐ろしさがある。
その初老の女性は、うつろな目蓋の下に、そのような鋭い光を放っていたのである。まるで、目だけを見れば野生化した人間のような、孤独な光であった。
ドイツに生きていると、ネガティブなエネルギーに時々、陰鬱な気分を移されることがある。それは、生きる階級とは関係なく、フランクフルトの空港で、図体のでかいビジネスマンに突き飛ばされても、横を歩け!と怒鳴り散らす人間も少なくない。前を見ろ!ならまだしも、横を歩け!とは、一体その言葉の背景に、どのような傲慢さが隠されているか、想像するに難くない。
官庁に行けば、目も見てもらえず、まるで一枚の書類のように扱われることもしばしばであるし、サービス業に至っては、注文させていただき、買い物をさせていただくと思わせる場面もしばしば。個人の敏感度にもよるが、人種差別の話題に至っては、何をかいわんやである。
この国には、陰鬱を誘う何かが隠されていることは事実だし、天候と同じように、暗い雲に包まれたように、社会が沈黙しているとも感じられる。議論も平等で正当性も謳われる国だが、それでも一番大切な何かは、すっかり国土の下に凍り付いて埋まったままになったかのように、ただただ重い圧迫感として感じること以上、探りようもないのである。
合理的な理論が、ここまで簡単に受容され、賛同を持って生活に組み込まれている国は、他に例を見ないのではないか。私には、体感的な事実としてしか、説明のしようがないのだが、合理的な考えが、最も正しく、最も理にかなっていると納得するほど、この人たちには、生活には「必要のない」想像力が備わっていない。 ファンタジーがないのである。
人の心や、気持ち、言葉の意味を考える時に、頭脳の明晰さとは別に、ファンタジーとも言える想像力が、とても大切な役割を果たすと思うのだが、この国の人々には、すっかり重要ではないものだとみなされて、削除されてしまう。まるで、キリスト教の五感の楽しみが、削除されてしまったように。まるで理解に及ばないラテン語のミサが、すっかりなくなってしまったように。もしかしたら、そこには響きという体感があり、響きを通した神の存在や、心の何かとの遭遇があるかもしれないのに、そういうことは証明できない。よって、必要なき物とされてしまうらしい。
私個人にとっては、生きにくい国である。 機能的だけれど、機能的なことばかりしていると、人間は、発狂しそうになる。
この野性の目を持った初老の女性は、このような背景で、貧しい環境に不幸を募らせて生きてきたようである。不幸の愚痴をこぼすにも、お金がない、失業した、浮気された、子供が犯罪を犯した、といったような、ある事実を述べ立てていくことしかできないのだろう。そこで、絶対に体の奥深く似蓄積しているはずの、辛苦の感情は、言葉の形をとって発散されることができないのである。教養の問題ではないと思う。そうではなくて、心を感じる能力が、彼女にはあまりなく、彼女の性質もあるが、それには間違えなく、この陰鬱な国土からじわじわと表出している、社会全体の沈黙の圧迫感に抑圧されたまま、存在せぬものとして葬られてきたのだ。
孤独とは、こういうことで、社会に属しているから、連帯感があるというものではない。一人ひとりが、自分の目に見えぬ心に、言葉を与えて、そして形にして表出させていくことから生まれる、コミュニケーションこそ、何かを生むのであって、それ以外の言葉など、実は機能させるための道具の言葉でしかない。
しかし、こうして本当の自己の言葉を失ってしまった人々に、一体なんと声をかけてゆけばいいのか。本当のコミュニケーションを忘れてしまった社会で、辛苦の極みを舐めてきた人間は、社会からすら葬り去られ、その目には、ぎらぎらとした野犬のような光を秘めているのである。それはぞっとするような孤独とアグレッシブさを突きつけてくる。
機能と合理を追求していくと、忘れ葬り去られた無意識の次元は、すっかり太古的になり、野生化しているのかもしれない。
けれど、それがゲルマン人であり、その陰鬱から、時に、他の民族には例を見ない論理性と感受性、そして内観を伴った芸術が生まれると言う不思議がある。
孤独と対決しながら、常に己を知るために、言葉を捜し、言葉をつむぎ、言葉の錬金術と言えるほど、その抽出過程に人生全体を投入する作業を続けることで、きっとそういうゲルマンの文学や芸術が生まれてくるのである。
最近考えたDichtungという言葉は、アンドレ・ブルトンが以前シュールレアリズムに当てはめた、「言葉の錬金術」に他ならないと、買い物のあとふっと思いついたため、備忘として書き記した。
ツイッターのフォロワーの方から、マンがDichtungをデモーニッシュと例えたという教えを頂いたが、まさに錬金術のように、化学反応を起こさせ、同類から同類を生み出すような錬金術の過程は、デモーニッシュと言えるほど、複雑で時に自分の制御を超えてしまう反応が起こることがある。本当の自己の言葉とは、発するまでに実は、気の遠くなるような年月と経験が必要なのだと、改めて実感した。
陰鬱な地では実に明白なことだが、生きるに当たってその絶対的な孤独に打ち負けない方法は、ひたすら己との対話を探し出していくこと以外にはないと、そんなことを考えた。
2010年4月6日火曜日
フアナの狂気
今日考えたことは、正常と異常の境目は当然つながっていて、その線は曖昧だということ。フアナの本を読んでいても、彼女が病理学的に異常、つまり二大精神病である、総合失調症や躁うつ病だというには資料も少ないが、言い切れないわけで、症状もボーダーライン上にあるという気がしてならない。
そもそもボーダーラインと呼ばれる性格、性質があるように、人間は誰しも正常な部分と異常な部分を持ち合わせている。
私は医者でもなければ、いかなる専門家でもないので、これについて語ることはできない。そういうのは専門書を読めばいい。
ただフアナの本を読みつつ思ったのは、嫉妬する女は怖いとか、嫉妬は愛情の形とか、嫉妬深いとか嫉妬心というのが、大問題になっているけれど、嫉妬心は性格特性だけによるものじゃないと思う。
状況によって、嫉妬心が強くでてくることもあるのは、誰でも知っていることだと思うけれど、私の個人的体験では、様々な要因が重なって嫉妬心が煽られることがあると実感する。
まず、本人自身のコンプレックスの度合い。コンプレックスを持たない人間はいないが、そのコンプレックスが強いと、自信のよりどころが不安定である。なので、ちょっとした変化や出来事は、割りと簡単にその閾値を越えて、ストレス状態を生み出してしまうことがある。こうなると嫉妬はストレスによって左右されるとも言えるのではないか。
そしてその変化や出来事は、おそらく第三者や環境によってもたらされる。
何を仮定したいかと言えば、世の中には、もちろん故意にではなくとも、相手をヤキモキさせて常にストレス状態の閾値あたりに縛り付けておくような行動があるのではということ。
これも個人的体験によるものであるが、当人はあっけらかんとしてるが、果てしない灰色状況を保ち、信頼関係を築こうと努力はしてくれるものの、そのコミュニケーションに本人の魂が宿っているのかどうか、どうひっくり返しても分からないという場合。
何度慰められて、何度信じてくれと言われても、魂の宿らない言葉は、神経のむき出しのセンサーのようになったストレス下の嫉妬心には、あまり効き目がない。
もっと酷いのは、相手自身の行動が神経症じみていて、さまざまな人格を操るかのように複数の仮面で接してくる場合。
ある日は愛情深く、本人も愛していると信じて疑わないので、こちらも100パーセント心を開いてしまう。開かざるを得ないような正直さで、真摯に愛されるのである。つまり、こちらは傷つきやすい面を相手に委ねていることになる。
ところが、予想できないきっかけにより、相手はいつ豹変するか分からないことから、ストレス状態への閾値にいるという緊張感は、一向に変わらない。
そして、文字通り、昨日あれだけ愛されていたはずが、今日は罵倒され傷つけられ責められるといったことが起きる。こちらは、言い返すも元々通りが通っていない相手の行動である。道理で勝負すること自体が無意味と言うストレス。
つまり、このような態度をとられると、売り言葉を買えば大喧嘩になり傷つけあい、売り言葉を買わずに相手の言葉に迎合すれば、お前は本当は聞き流していると罵倒され、無視すればどの部屋までもどんなところまでも追いかけてきて放してくれないという事態になるのである。
よって、相手がこうなると、うずくまって耳をふさいでいようとも、嵐は必ずやってくるのであって、売り言葉を買おうが買うまいが、そのストレスの度合いはどれをとっても同じと言う結果。
こういう相手の行動を私は、精神的テロ行為だと位置づけているが、こういう男性と例えば何年も生きていると、一体どちらの言い分が正論を述べており、健全であるか分からなくなってくることがある。
正常と異常の境目は、完全に煙にまかれてしまうのだ。
フアナは、アンテナのように繊細な心を持ち、不安感を抱え、政治的にも社会的にも若くして過剰な役割を担ったと言うストレスがかかっていた。そして言葉の分からないブリュッセルに嫁ぎ、夫フィリップだけが頼りであったが、このいわゆる浮気者で有名な王子は、おそらくフアナの情熱的で不安定な性格に疲労したのもそうであろうが、当人自体の行動も、大いに灰色ゾーンに包まれた上、彼女に対して熱くそして冷たく当たり、約束をし、それを破りと言う行為を続けたに違いない。さらに政治的な権謀数述が関わってきて、信頼関係の土台は崩れ去ったにもかかわらず、彼らは殆ど最後まで、男女としての交わりは止めなかったのである。
狂女として彼女を知り、狂女として何世紀も有名になってしまった彼女についてより多く知ったとき、私は非常に悲しくなった。何日も何週間も、悲しみに明け暮れて、彼女の生きた世界から抜け出すことができなかったことを覚えている。
当時、私は近世の死者のミサやMemoriaについて勉強していたので、死者が現存するものとしてごく当然に扱われていた当時の世界観に浸りきっていたともいえる。その中で、夫の遺志を遂げるべく、棺桶を引きずりながらスペインの乾いた国土を厳冬の中グラナダを目指し、さまよい続けていたフアナの姿を思い浮かべると、これが原因で狂女と言われたけれど、やはり納得がいかない気持ちで一杯になった。
彼女は、常に想像を絶するストレスに曝され、ストレス症状(現代ではパニック症候群やノイローゼといった神経症)を発し、それが唯一甘えの対象、頼りの対象であったフィリップへの嫉妬心として向けられた。しかし、実はこのフィリップ自身が、彼女の嫉妬心を静めるべく術を知らず、精一杯の愛を持ってなだめても、彼女の深く繊細な心の奥までは到達できず、彼女にとっては灰色の答えでしかなかったり、また彼自身の行動の支離滅裂さが、一層嫉妬心を強めてしまったと言う結果になったとも言えるのではないか。
何故今、またフアナに舞い戻って 考えているのか、私自身の中にある原因はわからない。
けれど、正常も異常も、私はそんなことどうだって良いと今日考えた。
病理としての精神病が発見されたなら、薬を飲んで治療する必要があるが、そんな症例は少ないだろう。
今日、ツイッターである方が、「そういう精神病患者は一目見ればわかる、フアナの場合は、精神病ではなかった。環境がそうした。私の感がそう言う。」と返事を下さった。
おそらく医師であろうと思うが、ずっしりと信頼できる言葉であった。
フアナをみても、現代の医師は、おそらく神経症と診断するのではないか。
そして、神経症なら、私達皆、多かれ少なかれ神経症であるということは、間違えない。
今日の思考は、こんなところであった。
2010年4月4日日曜日
マタイ受難曲聴きてみたいが
1. Arie.
Erbarme dich, mein Gott,
Um meiner Zähren Willen!
Schaue hier, Herz und Auge
Weint vor dir bitterlich.
Erbarme dich, erbarme dich!
1. Aria.
Have mercy, my God,
for the sake of my tears!
Look here, heart and eyes
weep bitterly before You.
Have mercy, have mercy!
Chapelle Royale.
Rene Jacobs (Countertenor).
Dir. Philippe Herreweghe.
外で鳥が鳴いている。もう七時を回ったが、まだまだ明るいからだろう。春となると一気に明朗な雰囲気に溢れるから不思議。
今日は復活祭だが、昨日に引き続き、重々しい心を引きずりながら、でも内面の中心には、溶岩のように熱いものが沸き立っているのを感じる。
それがナンなんだか、全く分からないが。
イエスの生涯を考えながら、やはり無抵抗な生き方に思いを馳せた。
人の心を動かすことは大変なことだが、無抵抗に人が死を選んでいく姿は身にしみる。
マタイ受難曲の断片を聴いた時、 Eli, Eli, lama asabtani? とイエスが最後に嘆いた言葉が思い浮かんだ。どのような思いで、どのような意味があるのか。
アラム語がヘブライ語に翻訳された時点でasabutaniの意味が変わったというのを何処かで読んだことがあるが、記憶にあるのは、これはイエスの嘆きや、感情があらわになった失望の言葉ではないということ。
イエスが人間の罪を一手に背負ったため、精霊に見放され、神の存在を感じられなくなり、最期にこうした言葉となったとする説も多くあり、それはそれで正しい解釈であると思うが、実際は、次のようではないか。
神よ、神よ、今自分には分かった、何のためにあなたが私を選んだのか
結局、自ら無抵抗に死を選んだことの意味、そしてその死が無駄ではなく、そこに大きな役割、つまりそのために他の人間たちを救えるのだということを理解した瞬間なのではないか。
やはりあの死をもって、イエスはイエスたり得たのであり、あの言葉は感情的な嘆きではなく、彼の死を前にした納得ではなかったかと思いたい。
そういう思いで聴くと、マタイ受難曲は、耐え難い苦悩に満ち満ちているが、最期にはイエス自身が神の元へ戻ってゆくというAuflösung 解放があるのだという救いがある。
私達を救済したのはイエスであったが、彼もまた、十字架の死によって救われたのだと思うことで、少しはこちらも慰められるのではないか。
そんなことを考えた日であった。
2010年4月3日土曜日
悲劇の循環に自ら入ってゆくこと
Ci sono porte, lucchetti, finestre, imposte e cancelli fra noi.
Io li ho chiusi tutti, e sull’ultimo mi sono appoggiata - sono rimasta ad aspettarti per troppi giorni.
Ora ho gettato per terra le chiavi e ho voltato le spalle.
Devo solo iniziare a camminare di fronte a me, lontano da te.
Ti ho lasciato andare, non è amore anche questo?
私は一歩前に歩みださなくては
あなたからは遠いところへ
あなたを解放したわ
これだって愛とは言えない?
Starcrossedより引用
涙がボロボロとこぼれることは、今まで何度となくあった。けれど、何分間にも渡って涙が滲んでいるという状況は、今回が初めてではないだろうか。
普通は感情が高まるから涙が出るのだが、感情の方は至って冷静であるのに、まるで身体反応のように涙が滲むのだ。それも何分間にも渡って。
何のことはない。理由はいくらでも挙げることができる。
私の前夫は再婚したのだが、彼らの子供が昨晩生まれた。
今日は私の、いや私達の子供3人を連れて、彼は病院へ赤ん坊と妻を見舞いに行ったのだ。
私が、彼と別れを決心し、私が乳飲み子を含む3人を連れて一方的に家を出て来た。それを今更後悔だとかトラウマだとか、そんなセンチメンタルな言葉で嘆くつもりも愚痴るつもりもない。
事実は事実として、すでに受容してきており、涙を流したことも慰めを求めたこともあるが、今となっては全て消化してしまった現実である。
自らが選び取った能動的選択だったという一点が、私に精気を残してくれ、一歩一歩それこそ自分の足で前進する力になったのである。
しかし、前夫の今日の話は、いささか複雑な気持ちにさせるものがあった。複雑というのも正しくないかもしれない。それより実感していなかった壁を目の当たりに突きつけられ、今まで考え想像してきた未来というものが、覆されてしまうような事実を突きつけられたと言う気分だったのである。
しかし、そういう何重にも重なって横たわる問題を実感し理解するまでには、多少時間がかかるものである。それが不思議なことに、怒涛の感情となって私を襲う代わりに、身体が先に反応して静かな一縷の涙として眼を湿らせては、時折頬を伝って流れていくと言う実に意外な形として現れた。
こうして文章を書いている現在、やっと自分自身がターニングポイントに立たされていることを認識し始めたという感じである。
私と前夫は、10代の頃から知っており、始めは何の屈託もない学生同士の友情として交流していただけである。彼の異常な背景は、その後もっと親密になり時間をかけた上で知っていくことになったのだが、その当時もすでに彼の存在は特別であり、コメディの中に深く計り知れない悲しみが潜んでおり、その不安定な体つきと身のこなしから、何か特別の能力を持っていることだけは、彼を知っている人間全員が心得ていた。
何年も後、彼の崩壊した家族や育った環境を知るに連れて、その家族全体がゴーゴリの外套の主人公、アカーキエフ・アカーキエビッチ、またはドストエフスキーの貧しき人々の主人公、マカール・ヂェーヴシキンにつながるような悲劇が潜んでいることを発見する。
誰よりも清い、いや無垢な魂を持った人々が、清貧な人生の中で自分を幸福だと言い切る謙虚さを持って、その生き様を肯定する。しかしその無垢さゆえ、まるで黒い穴がぽっかりその一家の中心に開いているかのように、次から次へと難題や不幸が容赦なくのしかかってくるのである。キリスト教的に言えば、まるヨブの話のように、何故彼らにという疑問が残る。
無垢は愚鈍だという人間もおり、貧乏が自業自得という人種もいる世の中である。
その世の中にあって、このような魂を持った者達は、一様に孤独感を募らせてゆく。さらに、孤独を骨の髄まで味わった者達は、それだからこそ、たとえ常軌を逸した形でも、愛さずにはいられない人々なのである。
彼の育ちとその家族は、あまりにも深い悲劇性、つまり本人達にはこれ以上の幸福はないと認識されるような、悲劇的な清貧と謙遜によって、同じ空間にいるだけでも心が苦しくなり、悲しみのあまり泣き出してしまいそうな窒息感を感じざるを得ない。
そういう彼との関係は、言葉の会話も要らないほど、底深い次元でつながっているという実感が伴うものであった。 友情が博愛になり、それが気がついたら互いの献身につながっていたのである。しかし、アカーキエビッチもヂェーヴシキンも決してその人生で報われることはなかった。まるでそれが法則であるかのように、正直と清らかさは、まったく誰の目にも気付かれないまま忘れ去られ、その中心にある愚鈍という黒い穴に、渦を巻くように不幸が襲ってくるばかりなのである。
それと同じように、私達のように無垢だが無謀で無知な若者2人の間には、ありとあらゆる無理難題が襲ってきたのである。
そして、彼の芸術家としての社会的成功が大きくなるに連れ、彼はサタンと聖者が同居したような複雑さを見せ、予想のつかない状況で、予想のつかないきっかけにより、予想のつかない度合いで、人格を変えていったのである。
しかし、問題が降りかかると言うのは、ドラマ性があり、2人の人間の間の色づけとさえ言えるのが、若者の人生である。無知のおかげで大人であればさっさと切りをつけたろう、同じパターンの関係構図を繰り返し繰り返し描き出し、同じ過ちを犯し、一切向上を見せないコミュニケーションを取っていた。
それだから愛ではなかったとは言いたくない。紛れもなく愛であったのだ。だからこそ、こうして終わりを告げてしまった。
しかし、関係は終わりを迎えても、時とは恐ろしいもので、嫌悪や怒りが消えてしまうと、残るのは愛の断片や、美化された相手への親近感なのである。
私は再婚し、また別れを遂げると言う一連のストーリを終え、彼は私を取り戻そうと、ヂェーヴシキンがワーリンカの乗った馬車を追いかける、あのみっともない場面にそっくりなやり方で、様々な努力をしたが、おろかな私は俗物のような相手にすがりついたままであった。
何故、俗物が良かったのか。俗物には、安定感があった。しかし私がその年月で学び得たことは、一見効率的で有能に見える俗物こそ、愚鈍で無神経であるという事実である。半ばそれに耐えられなくなった私は、ましても独り者になり、その魂の自由を味わい、金輪際、能動的な愛の行為のない生き方はやめると自らに誓いを立てたのである。
そして、彼は私を取り返すことができないとわかると、運命のように自分の弟子と再婚し、第2の人生を始めたのである。
よく思うのは、自ら関係を断ち切って離婚に踏み出すのは女性が圧倒的に多い。しかし、別れられた男性のほ方が意外にもその後新しい連れ合いを見つけ、長いこと幸せに寄り添い続ける。一方当事者の女性の方は、次々と相手にめぐり合うが一向に幸せになれないという例を多く見受ける。
私の場合もその例に漏れず、苦しんだ彼の方がむしろ近道で新たなる人生で成功し、先にスタートを切ったはずの私は、未だに宙ぶらりんであるという事実である。
今日、彼は病院から子供達を連れて帰り、ひとしきりその場の話をしてから、さらにもう1つの話をした。
彼の率いていたオーケストラを彼が去ったのは何年か前である。中庸なキャラクターと政治的活動という義務に嫌気が差して去ったのであるが、そのスポンサーがハウスコンサートに彼を招き、その後に彼の一切の活動を支持すると宣言したと言う。
もちろん彼は大学に教授職もある身なので、何の苦労もないのであるが、自分でオケを作ったり、大学を作ったりするようなことには携われない。それをその紳士がパトロンになってスポンサーになるというのである。
この話は具体化し、この秋ごろイタリアに行って広大な敷地とヴィラを買い、そこに前夫一家を住まわせ、将来は、夫の願いであった故郷イタリアで、他に例を見ないポストグラデュエート的な高等教育機関を設立すると言うのである。
彼が若かりし頃から、伝説に残るような成功をしてきたことは自覚していた。が、成功を断り、メディアを軽蔑して関わらず、ことごとく宣伝しない人物であったため、世間の俗物さながらのソリストとは、全くかけ離れた位置にいたわけである。
それが私と離婚して10年後、このような展開を見せて彼は故郷へ帰り、ヴィラに住まうことになり、新しい妻との間に立った今子供が生まれ、まさに前途洋洋、やっと家族の中でただ一人、新星と呼ばれたこの男には、悲劇の循環から抜け出せる兆しが見えてきたのである。これはある意味、大変なことだと思う。
その話を聞かされた私は、俗人そのものである。自分を不幸だとは思ったことがない。苦しんでいることは、むしろ力を試されているような気持ちがして、どんなことにも挑んできた。よって、それなりの自信も持っているのである。だから彼とその新しい妻を妬ましいと思っているとは言い切れない。
ただ、私は私の「あれからの人生」と、彼の「あれからの人生」に、取り返しが付かないほど大きな距離ができてしまっているのをまざまざと見せ付けられたことに傷ついているのである。
一つ録音が終われば、私のところに駆けつけて、ワインを飲みながら、これは君に捧げたものだと言い、その目に涙をためるのである。
彼の人生の中で、大きな転機となった局面では、私に一先に電話をしてきて、電話口で泣き崩れたのである。
時々夕食を共にすれば、手を取り合って見つめあい、若かっただけだ、若さがいけなかっただけだと繰り返し、互いにオイオイと泣くのである。
そうして10年間過ごしてきて、妻がいようとも私に夫なるものがいようとも、私たち2人にはまったく問題にならない、いや眼中に入らないほど、その絆はまるで家族、兄弟のように強いと言う信頼感があったのである。
実は、私がこの地で歯を食いしばって自立のために力を尽くしたのも、日本に帰国しないと言い切ってきたのも、実は全ては夫どころではない、彼のためであったと薄々認めてはいたが、今晩はそれが自分の目の前に暴かれたのである。
彼の未来には私の居場所はなく、彼の赤ん坊に興味を持てない自分は、おそらく妬んでいるのではなく、実はまだつながっているようで、まったく違った線路の上にいたとはっと気がついたのである。
彼は国家公務員なので、将来の心配は一切ない。
私は、3人の子供達を抱え、外国人、母子家庭、フリーランスという傍から見たら三重苦の不安と問題に溢れる地位である。
確かに私には、これから思春期の子供たちと自分の老後、日本の両親、自分の更年期と、ろくでもない現実的な問題に曝されている。それは安定し、保証された彼の生活とはあまりにも違うものであり、まったく違った種類の緊張感に溢れている。
彼の妻に至っては、私とはまったく違う絨毯の上にいるのである。彼女に、この緊張感はないだろうし、この不安感はないのではないか。
はっきり言ってしまえば、苦労している私には、このような華々しい幸福を喜べない。なぜならその差異を見せ付けられるだけであり、ねたみたくないと言う良心との葛藤が起き、さらには想像のできない世界だからなのである。
一軒のアパートも買えない人間に、ヴィラに住むだろうから、君もいつでもくればいい、良ければ一緒に移住すればよいと言われたところで、冒頭のように、麻痺した感情の下、涙がただにじむだけなのである。
けれど、私はこれでも何も後悔していないし、惨めだと実感することもできない。
私は自分が精神病院に入るのを防ぐために出てきた。結婚を救うために血を吐くような努力をし、全てを試みてもダメだったという確信があったから出てこれた。
それよりも、何の打算をすることもなく離婚を決心し、社会的地位や経済的恩恵などの一切を投げ捨てても、自分で自分の足で歩こうと決意し、今もそれをほぼ守り通していることに、少しは誇りも抱いているのである。
自立も離婚も、女性には勧めたくない。
女性を早く年取らせるおそれがあるが、それは本来生物学的に、このような生き方が女性の自然と逆を行くからなのである。
私は、逃げてでてきた。つまり選択も何も、それ以外の道が他になかったから出てきたのである。どうじゃなければ、離婚など選ぶものではない。
けれど、いったんこの線路を歩みだしたからには、惨めだと思ったこともないし、ここまで来れた事を神に感謝したいほどである。
周囲に同情を買うような私の人生状況であるが、それを私自身は、幸せを毎日実感でき、自分で歩んで行かれることに感謝さえすれど、後悔したことはないと言い切るあたり、だんだんアカーキエビッチやヂェーヴシキンに似てきたとさえ思える。
あのような種類の愚鈍さを身につけだしたのである。
それを証明するかのように、身の回りには黒い穴を巡り、問題が山積である。もはや私のまいた種ではない問題まで、私の人生に足を突っ込みだしている。
しかし彼のような人間、いや私の今でも愛している前夫が、あの悲劇の循環から抜け出すことで、本当の社会的な成功を手にし、清貧を通し、世俗を拒否し続けたからこそ、このような褒美が転がり込むのであると思えば、私は自ら好んでこの悲劇の循環に変わりに入ってもよいと思うのである。
愚鈍だからこそ、悲劇の中でも生き生きとし、人を愛せるような立場になくても、深い謙遜を持って、人に献身できるのである。
本当のヒューマニズムは、やはり宗教とは切り離せないものである。
今後は、あの人々が味わったようなどん底の孤独感が、断片的に私を襲うだろう。でも、私は違う線路に乗ってしまった前夫を心の支えに生きていくことをそろそろ止めなくてはいけないのである。それには、孤独を味わい味わいつくして他を愛せざるを得ない状況に陥るしかない。
登録:
投稿 (Atom)



