2010年8月22日日曜日

ONCE

夏休みに実家で見た映画。
私の原点ともいえる単調アコースティックソングの魅力を十分に表現している映画だった。
音楽とその繊細な感情のやり取り、そして野暮と言われようと、愛というものをごく純粋に信じている姿に感銘を受けた。




Lyrics | Glen Hansard - Falling Slowly lyrics

2010年6月16日水曜日

春の病気

五月中、天気が悪く、今頃やっと五月になったような気分である。
そよ風、春の匂い、まぶしい太陽の光、外に繰り出す人々。
すべてが、ほんの少しでも私の心を躍らせる。



詩人の恋 Op. 48
Part 1, Songs 1-6

Im wunderschönen Monat Mai,
いと麗しき五月に
Als alle Knospen sprangen,
全ての蕾が花開いた時
Da ist in meinem Herzen
僕の心の中で
Die Liebe aufgegangen.
愛が芽生えた

Im wunderschönen Monat Mai,
いと麗しき五月に
Als alle Vögel sangen,
全ての鳥たちが歌をさえずった時
Da hab ich ihr gestanden
僕は彼女に
Mein Sehnen und Verlangen.
憧れと想いを打ち明けた

Aus meinen Tränen sprieße
僕の涙から
Viel blühende Blumen hervor,
たくさんの花が咲き出して
Und meine Seufzer werden
そして僕のため息は
Ein Nachtigallenchor.
小夜鳴鳥たちの合唱となる

Und wenn du mich lieb hast, Kindchen,
君が僕のことを好きならば、愛しい子よ
Schenk ich dir die Blumen all,
僕は君にこの花全て贈ろう
Und vor deinem Fenster soll klingen
そして君の窓辺には
Das Lied der Nachtigall.
小夜鳴鳥たちの歌声が響く

Die Rose, die Lilje, die Taube, die Sonne,
バラ、ユリ、鳩、太陽
Die liebt ich einst alle in Liebeswonne.
かつて僕は愛の喜びの中でこれらを愛した
Ich lieb sie nicht mehr, ich liebe alleine
今はもう愛してはいない、僕は
Die Kleine, die Feine, die Reine, die Eine;
小さく、繊細で、純粋な、一人だけを愛している
Sie selber, aller Liebe Bronne,
全ての愛の泉である彼女自身は、
Ist Rose und Lilje und Taube und Sonne.
バラであり、ユリであり、鳩であり、そして太陽なのだ

Wenn ich in deine Augen seh',
僕が君の目の中を覗くとだけで
So schwindet all' mein Leid und Weh;
すべての苦悩と痛みが消えてゆく
Doch wenn ich küße deinen Mund,
僕が君の口にキスをすれば
So werd' ich ganz und gar gesund.
僕の身体中が健康になる

Wenn ich mich lehn' an deine Brust,
僕が君の胸にもたれかかると
Kommt's über mich wie Himmelslust;
無上の幸福が湧き上がってくる
Doch wenn du sprichst: ich liebe dich!
そして君が「あなたを愛しているわ!」と言うならば
So muß ich weinen bitterlich.
僕はさめざめと泣くしかない

Ich will meine Seele tauchen
僕は僕の魂の中に沈み込みたい
In den Kelch der Lilie hinein;
ユリの花房の中に
Die Lilie soll klingend hauchen
そしてユリのため息が響くだろう
Ein Lied von der Liebsten mein.
それは僕の最も愛する人の歌

Das Lied soll schauern und beben
この歌は震えて慄くだろう
Wie der Kuß von ihrem Mund,
彼女の口によるキスのように
Den sie mir einst gegeben
かつて彼女が僕にくれたあの口
In wunderbar süßer Stund'.
素晴らしく甘い時間

Im Rhein, im heiligen Strome,
ライン河の聖なる流れの中に
Da spiegelt sich in den Well'n
波の合間に
Mit seinem großen Dome
あの大きなドームが反射している
Das große, heil'ge Köln.
大きく聖なるケルン

Im Dom da steht ein Bildnis,
ドームの中には肖像画がある
Auf goldenem Leder gemalt;
金色の革に描かれおり
In meines Lebens Wildnis
僕の人生の荒野の中に
Hat's freundlich hinein gestrahlt.
優しくそれは輝き込んできた
Es schweben Blumen und Eng'lein
花や天使が
Um unsre liebe Frau;
僕達の愛する女性の周りに浮遊している
Die Augen, die Lippen, die Wänglein,
目、唇、そして小さな頬は
Die gleichen der Liebsten genau.
最も愛する人のものと同じ


(拙訳)

Dietrich Fischer-Dieskau (baritone)
Gerald Moore (piano)

_____________


サッカー戦で興奮したのだろう。
そうしてワインをいつも少しより大目に呑んだのだ。

子供達とサッカーを観戦しながら食事をし、私の家に連れて帰ってきた。
玄関先で、酔ったために目を潤ませて、私をまじまじと見る。
そして、何かを言いかけた。
いつもの茶番と同じことを、何年も何年も言い続けているあのことが、また口をついて出た。

酔っていても、真面目であっても、悲しく苦しい時にも、彼の気持ちに嘘は見えない。
けれども、いつまで過去に支配されて生きれば良いのだろうか。
過去に終止符を打ちたい自分と同時に、過去をどこまでも引きずって、この悲しみや痛みと共に、
私にとてつもなく深い信頼を与えてくれる見えない糸を切りたくないとも思うのだ。

酔っていても、笑っていても、涙を流していても、辛苦を噛んでいても、私達の空間にあるZuneigungは、必ずいつも存在し、そして決して消えることがない。

茶番だと笑い飛ばして、彼に礼を言って送り出した。

そして、キッチンに行くとそこにはいつの間にか、彼の新しいCDが置いてあったのだ。
以前、これは君のために演奏し、君のために録音したというあのCDが。

次の日彼は突然尋ねてきた。

昨日は悪かった。ああいうことを言ったりして、謝りたかったから立ち寄ったんだ。

良いのよ。何にも気にしていない。もうあなたの発言に惑わされるようなことはなくなったのよ。

そりゃそうだね。

一杯飲まない?


行こうか。

そして二人で向かいのカフェで一杯だけビールを注文した。
まだ太陽が斜めに差しており、手でその光をかざしながら、並木通りの緑をボーっと眺める。
きらきらと光る深緑の葉は、若干オレンジがかって、儚いほど美しかった。
何も話さず、向かい合って座り、目が合えば微笑んだ。
そして、お互い同時に、この素晴らしい友情と関係は、神に感謝しなければならないほどの宝ものなのだと納得しあう。

しかも、一切の言葉を必要とせずに。

これほどの関係は、もう二度と得ることはないだろう。

男女の関係などといった枠組みなどをすっかり取り外してしまったこの関係は、
自由に開放されており、私達の魂は互いの中を行ったり来たりできるのだ。

時に共鳴し合い、融合し合い、そしてまた離れてそれぞれの胸中に帰ってくる。
これは、一切の言葉がないからこそ可能なのかもしれない。
そして、私たちが分離しているからこそ、可能なのかもしれない。

エロスは、どんな影響を与えることもなく、私達の間に扉として存在し、そして私達の信頼を固め、尊敬を保ちつつ、私達の融合を可能にしてくれる。

春には、ある種の魔術が働いているのではないかと、自然の中にふっと小さな命の息吹を見出すたびに、感じてしまうのである。

2010年6月2日水曜日

音楽への道は過酷である。
やるからには、その辺の音楽教師で良いなどという気持ちでは、鄙びた町の片隅の教師にもなれない。芸術の一部であるにもかかわらず、現実は競争に競争を重ねた世界である。
スポーツとの違いはどこにあるかと聞きたい。

また表現といったって、内面に向かう声を音に聴く耳を持った人間は少なく、教師、教授クラスだって、そんな耳を持たないものが大半である。

所謂競技的な教育は、楽譜に書いてあるダイナミクスを大げさに身体で表現し、楽譜を忠実に聴き取れるというレベルであれば良いのである。それが音楽性といわれるもので、和声を汲み取っているか、本人にしかわからぬ程の、実に繊細な音質の変化、音符の間隔、合間の取り方などは、学生である間は、無視したとしても、楽譜に忠実に、大げさな強弱表現をして、大きく体を動かして舞台で堂々と演奏する能力こそ、期待されているのである。

さて、息子は、音楽のエリート校といわれる学校に通っている。自慢でもなんでもない。むしろあんなところに入れた親として、責任を感じている。
その学校で、バリバリに体育会系、つまり学生、生徒の「出来」栄えで、自分のキャリアを証明する教授の門下に入り、全くのダメ息子、音楽性ゼロといわれているのが、うちの息子である。

私は、有名であるとか、テレビなどの露出メディアだとか、そういうメディアに出演している演奏家との共演などを出来るだけ断り続けて、地味に徹し、マスメディアの価値観に、絶対に自分の芸術を持ち込まないという彼の父親と共に学び、共に暮らしてきた人間である。

息子の音楽性を聴く耳は、教授のそれとは真反対の価値観に匹敵し、まったく接点がない。教授が才能あるという子供達こそ、ロボットのように楽譜の強弱をつけて、見せる音楽をするために身体を動かして、絶対に間違えない「安定性」を最強の武器にしている。

私にしてみれば、その子たちの音楽を聴いて、一瞬たりとも、このような繊細な感性はすごい、このような深い情景が聞こえてきたのは初めてだ、といったような感想を持ったことはない。「すごいね、君のテクニック。ドイツ製のロボットのできは、最高レベルで、これなら野太い音で、素晴らしい土のにおいのする完璧音楽マシンになるね。」と言うお墨付きを与えるぐらいである。

息子のは、貧弱で、テクニックも危うく、比べてば見劣りがし、まったくこの怠け者は、聞いているものをひやひやさせる!と、こちらの怒りも心頭なのである。
しかし、音楽への感性、音への感性と言うものがあるとすれば、この息子なのだ。
バリバリと、割れるような野太い音で安全に演奏し、スポーツ選手のような、筋肉質な野心で、負けじと迫ってくる演奏では、私の心は動かない。競技を終えた後、なかなかでしたねという、技術への感心は出てきても、それは音楽だったと言われると、すっかりハテナ印が頭上を飛び交うほど、音楽であったと言う実感がないのである。

息子は、殆ど気付かないポイントとやり方で、感じていることを音にしているのが聞こえる。この子には才能があるなと、「聴く耳」にはわかるのである。
ところが、この怠け者と、この自信のなさから来る不安定性と、このときに繊細すぎる性格では、この過酷なスポーツの世界を生き抜くことは出来ない。

不本意であるが、勝ち抜くのは上述の野太い子供達である。

その中から時々、本物が出るが、そんなのは100分の1ぐらいで、殆どは凡庸な才能をどう扱うかという問題になる。

凡庸な才能と言えば、野太い子達も息子も似たような凡庸な才能である。
しかし、世界は聞こえるもの、見えるもの、迫り来るもの、そして「引っ込み思案」でないものを認めるのである。
それを愛するのがマスメディアの規準なのだ。

息子をこの学校から引っ張り出そうかと思っている。
あの子は、頭の良いしどこでもやっていかれる。
あんな凡庸で繊細な傷つきやすい才能で、このようなスポーツ競技系エリート校にいるのは、確かに難しい。

私は、その内情を知っているからこそ、昨今の主流音楽業界に吐き気がするからこそ、この辞めさせちまおうという病が出てきてしまう。

まあ息子に決心させよう。
あんなにスポーツ競技同様に、「一流音楽家の卵」を排出、あるいは生産し続ける教育とは何かと、段々はらわたが煮えくり返ってくるのである。

2010年5月30日日曜日

鬱状態

こういう曲は、クラシックとは違うが、私の心を良く表現しているような気もする。



自分が鬱病ではないということは、承知している。
泣き言を言うつもりもないし、自分を叱咤する元気すらある。日常生活もそれなりに機能しているのだが、自分自身の内向性をどうしても改善することが出来ない。全てを悲観的に見てしまい、いじけた根性に、自分でも嫌気が指してくるのだ。そしてそれがもう一ヶ月以上続いている。

子供達はすでに自分の支配下にはなく、彼らは行動的には自立してしまった。
しかし、先立つものはなく、映画に行くにも外に行くにも小遣いというものをせびりに来る。
まるでお金が湯水の如く降ってくるとでも思っているのであろうか。

私は、行きたくないと思う日にも、毎日外出して仕事をしてくる。
そして、6時過ぎた頃、疲労を感じながら買い物をし、急いで夕食を作り片付けるともう9時を回るのである。

おいしかった。ありがとう。

子供たちが、こういうまともなことを言えないのは、全く私のしつけが悪いのであろう。
疲れていても、子供にクタクタだと告白したところで、何の交流もできない。子供の話を聞いてやることのほうが先決なのだ。子供はそもそも守られ、平和に育っていく権利があるのだから。

夜、ベッドにPCを持ち込んで、インターネット世界を垣間見たり、楽しみの読書に熱中するのが、私の唯一の逃避方法である。
思いを打ち明ける人間もいないが、例え打ち明ける相手がいたとしても、もうあまりそういう思いに熱をこめて話すような年齢でもない。すべてをそのまま受け入れてしまう自分がいるのである。期待度を下げ、幸福要求度を最低限まで下げいているのである。
そのため、私自身、本当に幸福だとは思うのである。金銭に困ることもなければ、子供も私も父親も健康である。思春期の渦中にあって、様々な問題が押し寄せては来るが、そんなもの、人生を長い目で見れば、おたおたする様なことではない。教育ママの理想もなければ、子供たちにエリートの道を行ってもらおうなどという、エゴイスティックな野心も見栄もないのだ。

人間の価値は、実は生きている、それだけで十分なはずである。
何を成し遂げなくとも、誰のためにならなくとも、社会における安全と平和を乱さない限り、どの人間も、生き続けているということだけで、十分なのだと常に言い聞かせている。
死にたくなる時もあるけれど、授かった命を自ら絶ってしまうのは、根本的に世界や人生そのものの否定になってしまう。自殺の手段すら与えられない情況というものがこの世の中には存在し、やはり私は生を全うすることはやり遂げたいと思うのだ。

子供というのは、やはり親のものなどであったためしはなく、親は授かった子供を大切に自立へ向けてしっかりと育てる義務があるが、子供達は親に礼を尽くす義務もなければ、親に感謝の気持ちを表さなくてはいけないという義務もない。
子供は、社会に出た瞬間に、彼ら自身の人生を生き抜いていかなくてはならず、それ自体が困難であるからには、親という過去を振り返ることなど出来ないのは、当然だろうと思うのだ。

しかしそれでも、私は人生のなんと過酷なことだろうと、改めて思うのである。
毎日単調に仕事に行き、買い物を済ませ、食事を作り、掃除をして瞬く間に日々が過ぎていく。
子供達は成長すればするほど、親から自立し、親に反抗してくるようになる。正しい成長過程である。私も、家庭や家族を守るために労働をし、感謝を期待せずに、毎日謙虚に人に尽くせと言い聞かせている。

それでも、心の奥深くに沈殿した垢の中には、多くの悲しみがあり、孤独があり、失望があり、存在の無意味を感じてしまうのである。

子供達の父親に赤ん坊が生まれ、彼らはこれでれっきとした家族としてのスタートを切ったわけである。今まで、父親の三人の子供を一人で育てている私への関心は高く、気を使ってくれたり、義務を果たしたりする中で、彼の妻の感じていた疎外感、または二番目の存在である自分という感覚は、とても辛かったと思う。
しかし、彼女は今、晴れて家族を持ち、夫と自らの子供を授かり、日々「我が家」という名の下に、人生を構築している最中なのだ。
一方、私の「我が家」は、私自身が崩壊させた過去がある。私の我が家と言う響きには、どれほどの罪悪感がこめられているか、自分には想像できない。

子供達にとっても、父親の家庭と言うものが、段々本物の家庭になってきた。我が家に父親が帰宅したときの、なんとも表現しがたい新鮮な風と言う感覚を私は忘れることができない。それは関係が必ずしも良くない時でさえ、父親の帰宅というのは、ある種の祭りのような空気が漂っていたのである。
そこには、そこはかとなく、人間の小さな営みの幸福というものが、見え隠れしているのであり、子供という動物的臭覚をもった者は、それを素早く嗅ぎ取るのである。

子供達の中心は、もはや私の家に父親が来ることではなく、子供たちが父親宅へ出向き、新しい命を含む、父親の家族の中へ、子供たち自身が融合されると言う形に変化しつつあるのだ。

おそらく、それが私の鬱の中心なのだろうと思う。
気持ちの良い家庭を与えてやることも出来ずに、必死にはした金を稼ぎに走り、毎日栄養のあるものを食べさせようと苦心し、泣き言一つ言わずに、不言実行を唱えて生きていても、一体誰がそれを良し、あるいは悪しとするのであろうか。
これだけ子供達から「我が家」を奪ったことを申し訳なく思いながら、なるべく「普通」に育てようと必死になっているのに、その「必死」は、子供達にとって「当然」であるどころか、それでもまだ何かが欠けていることは否めないのである。

私がどうしても一人では乗り切れないのではないかと言う境地にあっても、父親は不在であるし、一人きりで背中を震わせて泣きながら、子供を守るために、社会に対抗してきたつもりである。子供が情けない問題を起こした時も、何度でも頭を下げて、夜誰にその悔しさを打ち明けることも出来ずに、一人で気晴らしをし、一人きりで泣いてきたのは、この私である。
そして、この私こそ、子供達は今、中途半端、余裕がない、十分に時間を与えてくれない、という刻印を押して、罰しようとしているかのような有様なのである。

この場に及んで、私の存在価値とは、食事と金と掃除ではないかと疑ってしまうのも、無理もないのではないか。
もちろん、子供たちとて、そこまで馬鹿でもないだろうから、後で分かるとか、本心は違うとか、そういうことは想像できるのだが、私だって日々生き抜いていくに渡って、何処かから、おまえはそれでよいのだ、十分頑張っているのだと、許しをもらいたい。

二度目の結婚は、恋愛に過ぎず、子供に何をしてくれたわけでもなく、経済的に世話になったわけでもないので、彼自身は、私の恋人として存在していただけで、子育てに関して、直接支えてもらったことはない。話しても、実用的な側面までで、当然と言えば当然だが、他人の子供のことは、あまり関わりたくいないのである。それは父親と解決してくれという姿勢だった。

つまり、私のこの一人で背負ってきたと言う感覚は、別離以来、一度も中断されたことはない。

私は、私のやり方が正しいと言う話も聞きたくなければ、私自身の人格を肯定してもらう必要も感じない。

ただ、誰かが私を許してくれれば良いと、それだけが私の望みなのだ。
そんなに責めるな、何をしなくても、仕事もなく、食事もできず、寝たきりだとしても、お前が生きているだけで、周囲の人間には十分であり、課せられた任務を実行し続けなければ、価値がないとは思うなと、そういう許しを受けたいのである。

君は、それでよい。


それだけを言って欲しいと思う。
そして、それだけは、誰も言ってくれない。子供達はおそらく、将来礼こそいうことがあるかも知れずとも、許しと言うのは、子供にもらうものではないのだ。
自分を許さなくてはならないのは、実はこの私自身で、それをする自信が微塵もないため、ずっと自分は愛されていないと言う不安があるのである。
私が、立派な家庭を築いて、裕福な生活を与えない限り、子供達は私から去るだろう、つまり私の価値と言うのは、存在しているだけで十分ではない、そう生きているのが現在の私なのである。

どうやって、自分とこれ以上対決し、どうやって自分から自分に許しを与えてよいのか、本当に分からない。
そして、この鬱の渦巻きから、永遠に抜け出すことが出来ずに、他の人間より、おそらくほんの少し多く、人生の過酷さを実感しているのである。

2010年5月15日土曜日

荒れ狂う散文

この頃の欝は酷くて、突然泣き出しては、自分でも何を考えているのかわからなくなることがある。
何が欠けていてそれをどうやって手に入れたらいいのかも全く見通せない。

Massimoに会って以来、不思議なことがおきているのだ。
Massimoからは、二通形態のメールをもらった。
一つは再会がすばらしかったと。もう一つは週末の小旅行が終わったら連絡すると。

それ以来、私は一日中はなしたイタリア語が口をついて出てしまい、家でもイタリア語のラジオばかり聞き、夜中にはイタリア語の音楽を聴きながら、涙が流れてしょうがないと言った有様なのである。

今も、ワインの入った頭で、思うに任せて書いている次第である。

恥をさらそうが、無教養なことを書こうが、そんなことはどうだってよいじゃないか。
何が、私をこう熱くし、何が私の心をこう締め付けるのか、それをなかなか受け入れたくないのである。

Massiomoというのは、私にとって男性でもなく、友人でもなく、イタリアへの扉である。
もちろん、彼は私に良くしてくれるし、今後も友人だと思って、交流がしばらく途絶えることはないと思う。
けれど、私は彼など全く眼中にないのではない。

私が、ここ何年も、毎年のようにイタリアに休暇に行き、思い出の地ばかり訪れ、写真に収め、新しい色に塗り替えようとし、涙を流して、永遠に続くと思われる丘陵に落ちる夕日を脳裏に焼き付けて帰ってくるのは、他でもない、一心に、彼を忘れようとしている行為なのである。

しかし、あの魔物は、夜になれば襲ってきて、私を悲しみの世界に陥れ、再び、私はこの思いから開放されることはないのだと実感する。

Massimoでもなければ、イタリアでもない。
彼が日本人であれば、日本であるし、彼がドイツ人であったなら、それはドイツなのだ。

ええ、はっきり言わせてもらえば、私は孤独だし、それでも背筋を伸ばして凛と生きているつもりだけれど、自分の有り余る感情に振り回されて、まるで愛することのできない自分が、気が狂ってしまったように暴れだしてしまいそう、と言った状態なのだ。

何の儀式をすれば解放されて、何のまじないをすれば、私があの愛から逃げ出すことができるのかはわからない。

とりあえず、愛することも知らない人間に、愛していると言うふりをされ、束縛されると言う苦痛からは足を洗えた。
再び、あの問題に向き合った私は、一生その影を背負い続けると思うと、本当につぶれそうになるのだ。

自分の人生を思い描くだとか、自分の人生を物語るとか、そんな冗談を言っている場合じゃない。
私は、自分の物語の方が私を支配していることを実感している。
渡してしまった魂を取り戻すために、私は何をすればよいのか。

思いっきり、自分を痛めつけ、汚してしまえばよいのか。
いや、救われるべきは、許されるべきは、実は私なのだから、残されるは、殆ど祈りしかないと言うことなのだろう。
本当に、本当の意味で、コミットしてしまうことは、ここまで一人の人生を支配し、ある一つの牢獄に閉じ込めてしまうものなのか。

早く、鬱が過ぎ去るのを待つしかない。

2010年5月10日月曜日

書くということ

ドストエフスキー「地下室の手記」より引用

… たんに思い出すだけでなく、書きとめようとさえ決心した今となっては、せめて自分自身に対してぐらい、完全に裸になりきれるものか、真実の全てを恐れずにいられるものか、ぜひともそれを試してみたいと思う。ついでに言っておくが、ハイネは、正確な自叙伝などまずありっこない、人間は自分自身のことではかならず嘘をつくものだ、と言っている。
[中略]
ハイネが問題にしたのは、公衆の面前で懺悔した人間のことである。ところがぼくは、ただ自分一人だけのために書いている。そして、きっぱりと断言しておくが、僕がまるで読者に語りかけるような調子で書いているのも、それはただ外見だけの話で、そのほうが書きやすいからにすぎない。これは形式、空っぽだけの形式であって、僕に読者などあろうはずがないのだ。このことはもう明言しておいた。
僕はこの手記の体裁については何物にも拘束されたくない。順序も系統も問題にしない。思いつくままに書くだけだ。
[中略]
だが紙に書くと、何かこうぐっと荘重になってくるということもある。そうすると説得力が増すようだし、自分に対しても批判的になれるし、うまい言葉も浮かんでくると言うものだ。そのほかに手記を書くことで気持ちが軽くなるということがある。


ぼた雪にちなんで

迷いの闇の深いそこから
火と燃える信念の言葉で
おちぶれた魂を引き上げたとき
おまえは 深い苦悩に満たされ
両の手をもみしだいて
おまえをとらえた悪を呪った。
物忘れがちな良心を
思い出のかずかずで責めながら
私の知るまでのすべてを
おまえはものがたってくれた。
そして ふいに両の手で顔をおおい
羞恥と恐怖におののきながら
おまえとは 心ゆく涙にくれた、
怒りと 心のたかぶりを
どう抑えようもなくて…云々

N・A ネクラーソフの詩より

2010年5月5日水曜日

Con chi condivido le proprie passioni?




今日は春らしかった。
最近は気温が上がらず、コート無しで素足で外に出るわけには行かないが、それでも太陽の光はまぶしいほどであった。

昼前、私はマッシモに会いに行った。
マッシモに知り合ったのは最近なのだ。とあるパーティーで顔を合わせた。
彼はイタリア語しかできない。英語もそこそこで、まともに自己表現できるのは母語であるイタリア語のみなのだ。東洋人の顔をした私が、突然それならばとイタリア語を話しだしたのが珍しかったのか、その後もコンサートなどに誘ってもらった。
彼はコンセルヴァトリオでチェロを学んだのだが、ディプロムを取ることなく、彼にはアカデミックに見えた高等教育を嫌悪してドロップアウトした。
その後、散髪屋の父親の下で、修業をし少し散髪などもできるらしい。

訪れたコンサートで、彼の自然な才能に驚いて、その後何回か呑みに行ったという仲でしかない。

彼の母親は半分ドイツ人で、20歳の時イタリアに移住したと言う。
自分のルーツを知るために、変化を保つために、自分の可能性を知るために、根なし草生活を続けているという。
彼は、週末Boxhagener通りの大きなフリーマーケットで店を出し、若干お金を稼いだり、知り合いのイタリア人の店を手伝うなどして食いつないでいる。

頭の切れる男性だが、アカデミックなものやインテレクチュアルなものに対するアレルギーが強いらしい。尤も、学校が大嫌いで、ドロップアウトした当時も何の職業も習得せずにいたというから、なかなか私などには理解できないライフスタイルだ。

家の要らなくなったもの、子供たちのおもちゃやそういった古いものを彼に処分、つまり彼のフリーマーケットで売りさばいてもらうために久しぶりに連絡を取ったというだけの話である。

地下の荷物を車に運び込んだだけで、階上のアパートに他の荷物を見に行ったまま、私達は4時間も話しこんでしまった。何を話したか。そんなことはあまり覚えていない。少なくとも、政治の話でも本の話でも、共通の知り合いが入るわけでもないので、誰かの話をしたわけでもない。互いの人生を延々と説明したわけでもない。

しかし、何か大切なことを話したような気がする。

ベルリンの生活がどうだとか、今現在、私が夫と別れたあとどんな気持ちなのかなど、そんなことを話したのだと思う。
友達というには、あまりにも知らない人なので、知人と言う感覚だ。私はそういう人は、殆どカードの内を見せない。極実用的に会話をしていただけである。

ところが、何気なく話していると、何度か涙が湧き出てきそうになった。
もちろん相手にはそんなことおくびにも出さなかったつもりだ。私は親しくない人には、弱みを見せない人間なのだ。

目頭が熱くなるたび、自分の中の感情は、まだ新鮮なのだと実感した。まだ湯気が出ているほど、「現在」に属する感情で、それに触れただけで、一瞬でも理性が負けそうになるのである。

べらべら話していたら、彼は突然声を大きくして遮った。

そんな風に身体の前で腕を組むのをやめろよ。それは自分を閉じている証拠だよ。

そう言うと私の腕を解き、手をとって、とても暖かく、私を楽にするために抱擁してくれた。それは、私が悲しい顔をして夫との話をしていたからではない。
彼の目には、私がこぶしを握ってドイツの大地に脚を付き、戦闘的に生きているその姿が、私の話しっぷりから見えたのだと思う。
それを哀れに思ってくれた彼は、おそらく人間として私を楽にしたい、いやそんな言葉ではなくて、単に抱きしめてやりたい、そう感じたのだと思う。

触れあいは、距離をずっと縮める。その感触が暖かければ、正直な信頼感が生まれてくる。

その後もしばらく話し込んだ。そして、私は何ヶ月もこのように、自分のおなかの中にずっとしまっておいた私自身の話をしたことがなかったことに気がついた。

私は殆ど誰にも私の魂を見せないし渡さない。その辺は石橋を叩くように思慮深い。傷つくのが嫌なのだ。ならば孤独を耐える方が数倍楽なのである。
魂を見せるということは、私が裸となって自分をゆだねることと同様なのだ。

今日、彼は私に歩み寄って、私に触れて、私の魂をちょっとだけ動かした。

君はね、大事なものを持っているよ。君には、たくさんのことが隠れている。自分を解放してやりな。君はリラックスしているし、ナーバスでもなければ、内気だとも思えない。けれど、君の家族や君の家族が背負ってきたものが、君を形成しているじゃないか。それを本当の意味で切り離すのは簡単じゃない。経済的、物理的独立は、本当の意味の切断とは違うよね。
君の中には、たくさんの整頓された引き出しがあって、それが融合していないんだよ。
Lasciati andare.....   (自分を自由にしろよ)
君は、見る限り、とても強い女性だね。とても芯が強い。

その強さが私の過去の産物。

もう男の人など要らないとは思うなよ。
人間は社会的な動物なんだから、一人なんかで生きられるはずがない。心をオープンにして。

彼の言葉を今振り返ると、如何にも私は肩肘張って生きているのか分かる。

男の人なんか要らないのかって、自分でも思うよ。

そうそう、そういう風に見える程だよ。


今のこの現状では、私は幸福だと思うのだ。
しかしどうであろうか。クリスマスに壊れた家族を思って悲しくなり、子供の誕生日に、父親と祝ってやれずに悲しくなる。

過去を取り戻す気はないが、私の中には一種の不治の悲しみが宿ってしまっており、それ以来感情というものを半ば凍らせるようにして生きてきたのかもしれない。
それで、冷静に先週の話や、仕事の話をしているだけで、目頭が熱くなるのである。

心の開ける人の前では、私は絶対的な信頼感を彼に与えざるを得ないらしい。嘘の会話などできないのだ。白々しい会話をしていると、涙が滲むのだ。

太陽の光が美しい季節である。
あまり美しすぎるので、時々ふっと横に微笑みかけてしまう。
しかし、私の横には、誰もいない空間が広がるばかりである。

喜びを分かち合えない孤独ほど、それが如実に孤独であると強調されることはない。

悲しみも苦しみも分かち合って、慰めあいたいなどと、考えたことはないのだ。人間は、一人で苦しむものだし、また他人は、傍らに存在すること以上できないのである。
しかし、全く意識的には気がついていないのだが、毎日が重く、苦しく、闘いであるからこそ、私が生活に喜びを見つけたときは、飛び上がるほど幸福なのである。子供の笑顔や、美味しい食事、雨上がりの太陽、窓辺に小鳥が来て水を飲む時。そういう時、私はこれを皆に見せてやりたいと言う衝動を抑えることができない。生活の隅々にある。小さな発見。それは、言葉にできぬ重く辛いものをそれぞれが背負い、それぞれがそれぞれに与えられた孤独を生き抜かなくてアならないからこそ、この小さな美しい発見を分かち合うことに意味があるのではないだろうか。
この取るに足らない小さな喜びを分かち合える間は、つながっているのである。

私の不幸は、この喜びを分かち合えるパートナーがいないということだけであろう。

その他の問題など、実は取るに足らないことなのである。