2009年1月9日金曜日

家族



この頃の寒さは厳しい。
今日もマイナス日であろう。雪がとけずに残っているなんて珍しい。
自宅のトイレからツララが見えた。本当にしんしんと寒い。

そういうわけで、オフィスに行くのがいやになった。自宅勤務ということにさせてもらうではないか。

そして、自宅勤務だと、仕事前にこうしてブログなんかを更新したくなるものなのだ。

イタリアで、義父母に会ってきた。
その話は、是非書かねばならないと思う。しかし、重いテーマなので、書き出しでさえ筆が重い。
感情的な問題でもあるので、会ってきたその日に書くのも心苦しい作業であった。
で、今、冷め切る前の暖かみという距離で、あの日のことについて書いてしまいたいと思っている。
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なぜかぼやけてしまったが、まるでこの逸話を象徴しているかのように幽霊じみている…。


ここ何年かだろうか。義父に会わねば、というより会いたい、更に言えば、孫を見せなくては、また違った側面からは、子供達におじいちゃんを会わせねば、などなど、様々な意味で、義父のことを考え続けて来た。

私と義父は、私の前夫と一緒にいた時期ずっとの付き合いなので、十年以上である。さらに、知り合ったのは、私達がひよっ子だったころに遡る。
真面目一本の警察官で、その中でも地味を極める記録係、書記のような仕事受け持っており、まるで、ゴーゴリの外套の主人公、アカーキー・アカーキエヴィッチを思わせるような人物である。
風采の上がらないという意味ではなく、その自ら上昇を拒否し、自分の風采の上がらない下級官吏として日々数字を正しく記入し続ける簿記という仕事に愛情を見出しているような人物と言う意味で。

話がそれました。

その義父は、もう80を超え、今や一時的に老人施設に入っている。
義妹が、義父を連れてきてくれて、彼女の家で昼食をとった。

義父は、この真面目一本な性格であったけれど、男性意識の強い人エミリア出身の男で、ローマで警察学校を出た後、Veronaを経てBolzanoに赴任になったわけである。
で、金髪の美しい女性に惹かれて、義母と結婚した。
ところが、この義母と言うのが、稀に見るような特殊な性質を持っていて、狂と美とキッチュが集合し、一つの人格を織り成しているような感じである。
イタリアには時々、嘘かと思うような不思議な人物がいることがあって、意外と村なんかでもBarに行くと名前で呼ばれて、みなから寛容されていると言うこともある。
言葉で言い表しがたいのだが、彼女もそんな一人で、知能が遅れているとか、身体に障害があるとか、そう言うことはまるでないのだが、普通とは言いがたいのである。

どちらかと言えば、天才的な知能の持ち主であり、時々、悪魔的な言動をして周囲を驚かせるが、他人には真似のできない深い洞察力で、ものごとを切り裂き、自分を主張し生き延びていく、そういう知恵に優れているのである。

金髪に毛皮、目立つ化粧に、大きな声。
しつこさを超えて病的と思えるほど強調された挨拶。繰り返される文章と身振り手振り。

普通なら圧倒されて卒倒してしまいそうな存在であるが、彼女にはどうしようもない哀愁が漂っているのである。
彼女はまるで、哀愁をそのまま人間にしたような人物なのである。

哀愁と言えば、この家族そのものが、耐え難いほどの哀愁に包まれている。
私は最初に家族を訪問した時、世間知らずの小娘だったが、その大きな深い哀愁だけは身体全体で感じ取って、その晩に精神が突き落とされしくしく泣いてばかりいた。

前夫に、馬鹿言ってんじゃないよ。僕は、この家庭で育ったんだから。もっと強くなってもらわないと。これしきのことでないてもらったら困る。
こういわれたほどである。

ドストエフスキーの貧しい人だとか、もっといえばプーシキンの世界を象徴したように、存在そのものが世界の哀愁のような背景なのである。

この夫婦がうまくいくはずもない。
不幸な結婚が終わったのは、末子である義妹が十歳ぐらいのときであった。
彼女は、父親と住み、義兄は母親と住み、前夫はさっさとドイツの大学に来てしまった。

昼食のお膳立てをしてくれたのは、可愛らしかった義妹である。
今は、彼女も大人になった。
駅前で見かけたときは、見違えるほど洗練され、どこのイタリアのかっちょう良い女かと思うほど、ステキななりをしていた。
彼女は、様々な苦労を経て、勉学を捨てたり、男達と苦労があったが、見事に看護婦になり、真面目に人々に尽くしている。

私はあれほど深く傷ついた少女が、めちゃくちゃをやった挙句の果てに、看護婦という職業を選び、しっかり生きている姿に、彼女の中に深く存在する「善」と「良心」の存在を感じないわけにはいかない。償いのようであり、自分に対する治癒のようでもある。

彼女の彼氏は、料理の天才で、素晴らしい昼食を用意して待っていてくれた。

彼女のアパートは新築で、彼女の人生が今や軌道に乗り、彼女自身が自分の道を築きつつあることが伺える。
ドアを開けた瞬間、義父が見えた。
何年も何年も心に描き、この時を待ってきた義父を見たら、私の涙腺はコントロール不可能になり、涙が流れひくひくなってしまった。
義父に何の思いがあったのだろうか。
孫を本当に愛し、心から会うのを楽しみにし、ことあるごとに私に電話をしてきて、子供の声をッ聞かせてくれといってきた人である。
私も自分の人生に忙しく、そういう義父をずっとおろそかにしてきた。
その後悔と、良心の呵責が、私がずっと義父への思いを募らせてきた原因だと思う。

皆でとった昼食は、本当に幸せで、心から寛ぐことができた。

私は離婚した妻であり、義妹の彼も、ここ4,5年の付き合いで、私達は知らなかった。
いってみれば、家族というのには、いささかおかしな組み合わせなのである。
ところが、卓を囲んで、美味しいものを口にしていると、家族がまた一緒になれたね、という暖かい気持ちがずんずんと湧き上がってくるのである。
なんとも嘘偽りのない気持ちなのだ。

事実、彼らはわたしのことを家族として扱ってくれたし、また再会する約束もした。
義妹とは、何回もSMSを交わし、本当に心を通わせることが出来たと思う。それが、離婚後こんなに経った後なのだから、人生とは不思議なものだ。
前夫の存在がなくても、私達は家族、いや家族ごっこをし、成り立っているのである。

血だといってしまえば、そんな簡単な答えはない。
血がかよった孫がいるから寄り集まる、といえばそうに違いないのだ。
しかし、そうだろうか。血がなければ、じゃあ家族ではないのか、時が関係を薄れさせるのだろうか。
それはそうかもしれないが、それでは私の今やっている人生こそ、家族ごっこの典型になってしまう。

時が家族を作るのだろうし、血が家族をつなげておくのであろう。
しかし、私はそういうことよりも、人間が家族という存在に苦しまされ続けるにもかかわらず、なによりもそれを求めて止まないという点に、気が付いたのだ。
というか、思い知らされた。
そして、それこそ、哀愁の影がおちる最たる原因だろうし、その悲壮な希望や理想からは逃れられない運命なのだということに気がついた。

そして、その望みを共有する以上、家族なのである。
血や社会的ステータスとは別に、家族であり続けられるのではないか。

家族というのもまた、結局一つの決心、決意なのだということもいえる。
愛するべき存在が集約され、同時に負われるべき大きな責任がそれぞれにある。

そういう意味で、愛という言葉にたどり着いたが、昼食を囲んだ食卓は、愛に満ち溢れていた。
子供達のために美味しいものを用意し、義父のことを思って、義妹はすべてを完璧にお膳立てしてくれた。私は義父と子供、さらに別れた夫のことを思って、この旅行を決行してのである。子供達は、始終良い子で、義父や親戚のなされるままになっていてくれた。
それぞれが、大きな愛という目的のために行動したのではないだろうか。

その関わった人間それぞれの心の奥そこに、また「善」と「良心」を実感するのである。

澄み切るほど純粋だったり、穢れのないほど善なものには、必ず哀愁が漂う。
寂しい心を刺激され、心は躍るよりしぼむのである。
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二時過ぎに、義母は遅れてやって来た。仲間はずれにされたとか、電話が来なかったとか、色々と文句を並べ立てて、周りを辟易させたが、子供達を見て、本当に嬉しそうだった。
義妹にも、あらママ、と言われただけだし、義父に至っては、入ってきた途端に、首を振られるほど、皆に困惑を与え続ける人間である。
私も、それはそれは付き合いにくかった。

しかし、いつものごとく、彼女は一番大きな車をどこかのメルカートで買い、一番大きな人形を担いで、クリスマスにちなんだセラミックの置物を、4個も5個も持ってきた。
私は汽車で旅行しているのに何でこんなものを持たせるのかしらと思いかかったけれど、そう言えば、この人はいつもそうなのだ。
愛情が、大きなおもちゃにすりかわり、見せ付けるかのような大荷物にすりかわる。

そんな馬鹿馬鹿しいおちゃらけ自己主張劇場に付き合っている暇はないと、そういってしまうのは簡単であるが、この人に背中は、哀愁が一杯である。

そのおもちゃを開けるときの悲しさ。そのセラミック人形のオルゴールの奏でる悲壮なメロディーに、涙が零れ落ちてしまうのである。
まったくフェリーニの映画が、冗談ではないと実感できる、そういう背景なのだ。

昼食後、私は他の古い知人にあうため、Renon/Rittenという山に行かなくてはならなかった。
義妹とそのパートナーが、義父を連れて送っていってくれるという。
二台の車まで出してくれて、その手厚い心遣いに、本当に感謝した。

そして、義母は…。

では、アタシは帰るわ。

バスで帰るのである。

じゃあね、ママ。

娘はこの一言で、彼女の眼も見ない。嫌気がさす気も十分にわかる。
しかし、私はまたいつ義母に会えかわからない。
孫たちを見て、彼女が幸福そうであったことは間違えない、嘘のない気持ちである。

彼女の手を握る私の手に、自然に力がこもる。
また来るわね。必ず夏戻ってくるわ。

彼女の目には、見る見る涙が溢れ出し、はらはらと頬を伝うのだ。
彼女は、プライドがたかいから、それをぬぐうことなく、私の目をただただ見つめて手を離さないのだ。
この人は、なんと悲しい人なのだろう。私はどうしてもこの人をほうっておけない。
そう強く実感してしまうのである。
これは、ある種の魔法なのである。
それは、私が前夫と十年以上生活を続けて来たから知っていることである。

彼女は、なぜまだ持っているのかわからない、スーパーマーケットの袋を提げて、文字通りとぼとぼと背中を向けて歩き去っていった。
もうそのときは、哀愁こそ漂わせていたが、しっかりした面の彼女自身に戻っており、気丈な雰囲気が漂っている。

家族の中で、彼女だけが一人とぼとぼと歩いて帰宅していった。

そして、そう言えばここにも、大きく崩壊した家族があったという姿を見せ付けられ、昼食でのひと時こそ、幻だったろうし、希望的観測の生み出した状況なのだおちうことを痛いほど思い知らされるのである。

そして、私の家族は見事に崩壊し、今の家族が、家族と言える定義は法律文にしか、見出せていない。

私は、夏にでもまたイタリアに帰って、「家族」を訪問したい、と口をすべらせそうになるほど、またすぐに舞い戻りたいと思っているのは事実である。

これが、何なのか、理解するのは、なかなか難しいことであるが、それはともかく、前夫の家族と言うのは、まるで社会の傷口をこじ開けたような穴がぽっかり開いていると言えばよいのか、なにか、社会の忘れられた垢やかさぶたが集まっている世界への扉が、ぽっかり開いてしまっているような様相を見せている。

私は、私が始めて訪問した時に泣いてしまったのは、弱かったからでも、世間知らずだったからでもなく、そういう垢や傷として見捨てられた悲壮感や哀愁が、この一家の背景に渦巻き、この一家を取り囲み、この一家の傷口をこじ開けてしまったことを本能的に理解してしてしまった恐怖と、やるせなさからではないかと思う。

そして、繰り返すが、この一家の一人一人が、恐るべきほどの善と良心からなるのである。

アカーキー・アカーキエヴィッチは、良心の人であるが、死後幽霊となって出没する。
人生、善人として生きることで報われるわけではない。
祈っていれば、救われるという簡単な真理を証明しきれないキリスト教と同じに、その根本的に無慈悲な人生こそ、哀愁が生まれるのだろうし、善人こそ、一番報われないのではないかと、この一家を見ていると時々希望を失いそうになる。

しかし、当人達は、他の人と比べれば、こんなしわあわせな人生はないのだと、信じて疑わないのである。

私は、嗚咽しそうになるが、この哀愁のインテンシティーを持った背景から、前夫のような天才性が生まれたのは、やはり偶然ではないのだと実感している。

愚であるほどの善から、時々思わぬ宝が出てくる。
それが神からの褒美なのかもしれない。

しかし、その褒美を授かった人間の人生は、茨に満ちている。

まったく人生は無慈悲だと思う。

2007年6月18日月曜日

Dogvilleと現実

二週間ほど前になるが、Lars von Trier監督のDogvilleを見た。

道の行き止まりになっているロッキーマウンテンの小さな村、Dogvilleにギャングスターの娘が迷い込んでくる。Tomという真面目な青年の計らいで、彼女は村に隠れていることができることになる。その礼に、彼女は村人達の仕事を助ける。やがて警察が、ギャングの娘である彼女を捜しているということがわかると、危険を恐れ、村人達はだんだん彼女を虐げ始める。
彼女は、村を逃亡しようとするが、裏切られ、また村に戻され、道徳の塊のような言い草で罪を着せられ、とってもいない金を盗んだと濡れ衣を着せられ、鉄の車輪を鎖でつながれ、二重の仕事を強いられ、大変な屈辱を味わう。さらには、トムを除く、村の男達すべてが夜な夜な彼女の元にやってきて、娼婦以下の動物的な扱いをし、村の子供達はそのたびに喜んで教会の鐘を鳴らす。

今まで、Graceという名前をあらわすように聖母的に、善の塊であった彼女も、いよいよこの村を去りたいと、お互いに恋に落ちていたTomに打ち明ける。Tomは、いままでも、彼女を助ける人間だからこそ、彼女の側に立っていると村人にわからせてはいけないとか、道徳的口実で、本当の意味で彼女を地獄から助け出さなかった。
Tomは、二人で逃げようといいながら、いよいよギャングの父に連絡を取り、彼女を迎えに来るように取り計らう。

たった一人の頼りだったTomは、もはや自分の夢である作家になるために、彼女との出来事をまるで利用するかのように、自分のインスピレーションに入れ込んでいる。彼女の苦しみや、彼女の善良さをまるで踏みにじるように、それを題材に彼は、自分は今までかなえられなかったが、いよいよ社会から認められたいがために、エゴをむき出しにするが、それは常に道徳的なもっともらしい言葉で、覆いかぶされる。

聖母であり続けたGraceは、迎えに来た父とその仲間の黒い車を何台も見、Tomの裏切りを知る。
その父の残虐さを軽蔑していたGraceは彼と話しているうちに、「助けや恵をまったく受けるに至らないものもいる。彼らは、お前をこんな目に合わせて、まったく何の恩恵にも値しない人間達だ。」という意味の言葉を聴き、次第に、自分のなかに大きくアグレッシブにあふれ出していく感情を覚える。

彼女は、すべての人間を少なくとも自分が味わったと同じかそれ以上の苦しみを味わわせて殺せ、と命令をする。Tom自身は、そのギャングの残虐さにおののいていたが、最後にGrace自ら車から出て、「幾つかのことは自分自身でやらなくてはならない」と言い、彼を銃で殺す。

ストーリーとしてはこうだが、結局私が一番強く感じたのは、悪と善の裏返しとあいまいさであろうか。
キリスト教の思想に支配され、教会を中心として話し合いがなされ、善行として彼女は村にかくまわれるのだが、村自身に危険があるかも知れないという不安が、人々を不安定にする。安全が保証されない彼らは、よそ者である彼女を犠牲者のように祭り上げる。その悪の行為に限りはない。しかし、常に、それは村を守るためだとか、濡れ衣を着せて、罰せられるべきは彼女だと言う言葉の下に、善が守られる行為として、実際のところは悪が行われていると言うグロテスクさである。

それにも動じず、自分を自ら犠牲者として祭りたてるように、従順なGraceであった。ところが、このシステムには属さない人間、父との会話により、いかにその行為が酷いものであったかが、いよいよ意識に上り、彼女に復讐心がわく。善を貫き通していた人間の、善自体のもろさを見せ付けられた。

善を謳っている人間の、行為そのものは善の名の下に悪であったりする。
悪や汚い物として扱われている人間こそ、善の行為で埋め尽くされたような生き方をしている。これが、犠牲者のシステムで、そういう力関係は、実際にあるし、ある意味でイエスキリストも、このような犠牲者の枠にはめられたところが会ったといえるのだが、その後、このシステムの箍が外れると、彼女は、人間としてその仕打ちの残虐さに気づき、自分自身の残虐な復讐心が彼女を支配するのである。

善とはなんであろうか。
悪とはなんであろうか。
人間は、善悪を備えているものであり、世界は善悪を分けた行為をすることは不可能なのである。
善が、善のみでありうることは難しく、悪が悪のみであることも、これまた殆どありえないのである。

閉鎖的な村という設定は、世界をミクロコスモスのように描き出すことがある。
キリスト教の、特にプロテスタントの道徳的行為に対する批判かとも思えるような感じだったが、それは少々勘ぐり過ぎかもしれない。

昨日、ニュースで知った。
バイエルン地方の、とある小さな村である。
そこに、父親を早くなくしてしまったり、両親をなくしてしまったりした子供達が入る孤児院があった。

そこである少女は、二人の農民に、何年もにわたって、規則的に強姦され続ける。その少女は現在50近い。彼女は、ひょんな偶然から、村を早くに出て行った、もう一人の孤児少女に再会する。彼女が、やはり二人の農民に、定期的に何年間も強姦されていたと聞く。
二人は、その男どもが同人物だとわかり、ショックをうける。
男二人を訴える決心をした。

結果、すべての村に住む女性達が、彼女ら二人をコテンパンにけなすのである。
魔女に違いない。
変なフェミニスト思想に染められた。
どうせレズなのだろう。

下劣かつ低俗な言い草である。
中世かとでも問いたくなるような批判の仕方である。
こんなレベルで、村の女がかばったのは、強姦魔の農民男二人だ。

一人は、現在仮逮捕され、取調べ中である。
もう一人は、あれは全部嘘だ、という遺書を残して、首をつって自殺した。

村の女達の怒り心頭である。
どうしてくれる!
村をめちゃくちゃにした!

一見当然のようなこの言い草だが、
めちゃくちゃにされたのは、当時少女であった二人の女性である。
何もないのに、訴えるわけがない。

閉鎖的な村は、日本でも村八分という言葉や、楢山節考などの映画にもあるように、村独特の法律がある。法律というかシステムと言った方がいいであろうか。
そこには、独特の道徳や倫理が定められている。

しかし、日本では、道徳観念が欧州とは違うと思う。

楢山節考でもそうだが、悪を犯した家族は、悪でもって処分される。
あんな奴ら、殺しちまえ!

ところが、キリスト教社会では、
あんな奴ら、殺しちまえ
とは言えない。

そこで、もっと複雑な善的発言の下に、真実は悪の行為がなされるのである。
しかし、これは自他共に認められる善行とみなされるわけである。

その辺が、私はDogvilleを見て、胸糞が悪くなった原因であろうし、
この村の話を聞いても、胸が悪くなるのでる。

しかし、Dogvilleを象徴するような出来事が実際にあるのだ。

小さな閉鎖的村では、障害者、独り者、孤児、などの社会的弱者が、犠牲者として祭り上げられることが多い。

それこそが、この村の安定を保っている軸である。

この辺の理論は、ルネ・ジラールを参照されたい。

2005年1月31日月曜日

Mozart :映画「Amadeus」

 2005年1月31日
今日もまた雪です。
この間、四回目かなんかだが、また「
Amadeus」を見た。Mozartのあの映画は全く奥が深い。たいした手柄だと思っている。おそらくあのような気性だったろうし、知ることができる以上でも以下でもない情報が元になっているようだ。 コロレド大司祭と大喧嘩をして去ったザルツブルグ。私が伝記、手紙を読み、またゼミで分析した経験から言うと、Mozartには義務と要求のバランスが欠けていたという感じであった。もちろん恐ろしいほどの才能に恵まれていた訳で、本人もそれを承知していたが、やはり時代を突き破るような新しさをもたらす才能と言うものが、社会に認められるのにはかなり時間がかかるようだ。 Mozartの才能を確信していたのは、極限られた者たちだったと思う。妻であるコンスタンツェは、何も批判されるような人間ではないはずだが、彼の才能を自覚するにはあまりにもナイーブな人間だった。彼女の及ぶ範囲ではなかったのだ。 しかし、そのような才能を宿した彼の周りには、すでに深い音楽文化が築かれており、大司祭をはじめとした教会が主権を握っていたザルツブルグにも、大都会であったウィーンにも、それなりの体制があり、そこに属す者には従わなくてはならない規則と言うものがあった。 今の時代もそうだが、芸術だけを追っていては、生活と言うものができない。才能を発揮するには才能を発揮できる場を確保しなくてはならない。そういう自覚が彼にはなかった。当然の権利と言えばそうだが、ある種の傲慢さがあった上、それを全く省みる態度ではなかったのが、色々と摩擦を生んだ。
コロレドは、実に彼の才能をわかっていた者の一人だが、どうもこれがけち臭い人間で、芸術家から生き血を吸い取り、報酬はできるだけ少なくといったところがあったのもいけない。これを調整しようとして苦労したのが、
Mozartの父親だった。Mozartは払いが悪いといっては仕事をしなかったともいえる。また、入った金もことごとくばら撒いてしまった。普通の小心者には信じられない神経である。
こんなこともあって、ウィーンに行くことにしたのだが、それは耳の肥えたウィーンだけあって、大変だった。最初の扱いは素晴らしかったが、彼らは新し物を次々に求める。そのわりには、古いスタイルから抜け出ないと言う、大都会の保守的側面を表しているようなところがあった。
Mozartは本格的に苦労するのだ。 このようなあらすじは誰しも知っているだろうが、やはりその時代背景と、事情の詳細を知っているかいないかで、映画の楽しみも一段と違ってくるのだ。ありきたりの伝記では、こうなってくると足りない。手紙の分析をも盛り込んだ、本格的心理的側面から迫った伝記を読む必要性が出てくる。それが、Wolfgang Hildesheimerのこれ
紹介にもあるように、アポロ的理想像とはかけ離れたMozartの姿を暴き出す。音楽とは何にも関係のない人にもお勧めで
Mozartといえばすごい作品に溢れています。とめもこれがお勧めとはいえない。しかしその中でも、ピアノ協奏曲はやはり彼らしさに溢れています。楽しい性質と、悲しい性質が見事に溶け合っている。それが更には、楽しいメロディーさえ悲しくしか聞こえないと言う作用になるからすごい。20212225は非常に有名なだけでなく、泣けます151617も非常に良い。木管楽器が後ろでばっちり映える。 誰の演奏が良いかと言うことになると、私も一言では言えません。皆それぞれに違った形がありますから。気分と言うこともあるし。 でも、やっぱりオーストリアの人の演奏が断然光っている気がします・・・。問えば、大体絞り込まれると思いますが・・・。ご自分で聞いてください。こういう曲ですと、失敗はないんです。MozartCDに、演奏の云々はあれ、曲が良くなかったということはないはずです。改めてすごい才能を感じます。最敬礼

2005年1月6日木曜日

Kristeller

2005年1月6日

今日はずっと頭に引っかかっていたことがひらめいた。Monteverdiは、彼の人生後半で、すでにバロックの時期にあったにもかかわらず、何故、もう一度マドリガルやオペラの中で、百年以上も前のヒューマニズムの詩人、ペトラルカなどを取り入れる必要があったのかと言うことが分からなかった。何故、イタリアに、ルネッサンスの終わりに、ヒューマニズムのリヴァイヴァルがあったのかと言うことを説明することができない。色々と調べたが、どこにも載っていない・・・。しかし、かの有名なルネッサンス学者、Kristellerの本を開いたら、やはりあった。


 
ルネッサンスでは、すでに音楽理論的には、自由な作法が許され、ポリフォニーからの自立がゆっくりとだが行なわれていた。その続きで器楽音楽がさかんになり、Camerataが生まれ、更にいよいよJacopo Periのエウリディーチェを筆頭に、オペラが成り立つ訳だ。その時代に、非常にポピュラーであったMarinoの詩を使う、Marinismをしかし、古い姿勢の古典的批判家は、徹底的に拒否する。マリにスムは、言葉の技巧と言っても良く、表面的なきらびやかな内容で、たくさんのテーマを扱い、人々の人気であったが、バロックの詩であり、いわゆるルネッサンス初頭のヒューマニズム時代のような、内省的な、精神の奥深くを探究せざるを得ない情感の表現とは全く違うものだった。この古典的批判家たちは、ペトラルカなどの作家の詩は、歌われ演奏されることを目的として書かれたものであるという点から、また再び認識し始めたと言うのだ。 うーん。大体これで説明がつく。オペラが成り立ったことにより、再び、詩と音楽の一体感が問われる様になったということか。しかし、Monteverdiは果たして、1607年にオルフェオがかかれる前に、器楽曲に集中したり、詩と音楽に執着しない作法を取っていたのだろうか・・・。ここのところ、もう少し調べてみる必要あり。記憶には残っていないところが恐ろしい。全部メモっておいたのに。 ところで、ここに、Kristellerの本をご紹介。ルネッサンスとヒューマニズムといったら、この人です。私は、この本から必要な点を発見した訳じゃないが、ドイツ語版のせいか、同様なものが無いので、これをここに付ける。しかし、この一冊で、ルネッサンスの思想は、すべて理解できるであろう。

2005年1月2日日曜日

Monteverdi マドリガル



http://www.amazon.com/Monteverdi-Ottavo-Libro-Madrigali-Vol-1/dp/B000005W5F

2005年1月2日
早速だが、このCDをここに残しておきたい。Monteverdiについて研究するにあたって、いろいろなCDが推薦されていると思うが、私の現在のテーマには、このCDがもっとも興味深い例をそろえている。これは、Monteverdiが1620年代から温めていた、新しい形式が実に良く表現されているもので、いわゆるstile oncitatoがデモンストレートされている。もともとはオーストリアのフェルディナンド二世にささげられたものだが、公式に出版されたのは、フェルディナンド三世の時期になってからで、三十年戦争の勝利を内容に加えて出版された。興奮した形式と呼ばれるが、もともとは、百年前に過ぎ去ったヒューマニズムの流行にのっとって、ギリシア古典時代のピリキウスの典型的戦争舞踏のリズムを再生しようとすることをモンテヴェルディは試みた。全音を十六分音符に分解することによって、興奮に対する音楽的表現を作り出したと言える。しかし本当の意味でのオリジナリティーは、モンテヴェルディが愛の詩の間にこそ、この戦争的リズムを取り入れたことにある。この時期の詩は、愛に敵対心を持って歌われることが多く、心を守る防御の壁を打ち破るものが愛だとされている傾向が見られる。その愛による心の乱れの部分に、この新しいスタイルが戦争的リズムをとって取り入れられ、いわゆる、メタファーとしての役割を果たしていると言えよう。つまり、愛によってかもし出される興奮を戦争的リズムが表しているといえる。このメタファーの使用、ギリシア古典の伝統の再使用などは、典型的なヒューマニズムの動きであり、1450年から150年にわたって、最盛期を迎えていたこの活動がすっかり過ぎ去ったあとに、Monteverdiが、もう一度このようなものを取り入れたことは、興味深い。彼は、実際、ルネッサンスに終焉の鍵を渡した人間で、バロックへとつないだ作曲家である。それが、こうして古典から生まれだした新しいスタイルを発展させたことによって、音楽史上、全く新しいディメンションが生まれたことは実に素晴らしい現象だ。 色々な録音も出ている模様だが、私はこのCDを強くお勧めしたい。学問的な興味が無くても、非常に美しい曲がそろっている。チェンバリスト兼指揮を受け持つRinaldo Alessandriniは、Monteverdiの第一人者と言っても良く、素晴らしい音質で録音され、スタイル的にも、他の音楽家の質も、素晴らしい出来上がりだと思っている。決め手はテンポ感で、速すぎても、遅すぎてもいけない。それには、エポックのスタイルを熟知している必要があり、彼はその点で素晴らしい感覚を見せていると私は思う。ルネッサンス時代の歌曲がすべてそうであるように、詩が躍り出るように前面に出て、音楽がその内容を更に強調するような解釈がなされなくてはいけない。その実力をアレッサンドリーニ率いるEnsemble Concerto Italianoは最大限に発揮している。音楽と詩が織り成す、魔術的とも言える、命のみなぎりと、力強さの効果はここで十分に証明され、これらがMonteverdiのもっとも生き生きとした作品に属することが分かるだろう。