2012年2月19日日曜日

エンガディンの谷間で


教会は谷間にあった。空は晴天で穏やかだった。教会の前に広がる小さな広場に私は座っていた。髪の毛を揺らす優しい風が吹くたびに、乾燥した髪の毛の香りを気持ち良く鼻先に感じていた。
この土地の日差しは強い。標高が2000メートルを超えているため、3日目に私の肌はボロボロとはがれて来た。

足下で可愛らしく頭を揺らせているのはカモミールの小花達だった。カラカラに乾いた土の中から顔を出し、夜には恐ろしく冷え込むのに、この花達は元気そうに輝いていた。私は幾つか花を優しく摘み取って、ポケットに入れた。教会の中に置いて来たリュックサックの中に、常に持ち歩いている日記帳があった。そこに挟んでおくつもりだった。

しばらくして太陽の光があまりにも眩しかったため、立ち上がった。プローベの行われていた教会の中に戻って行くためではなかった。私は駅へ向かって突然歩き出したのだ。歩いているうちに、どんどん気持ちが急いて行く。後ろを振り返ると教会は、若干小さくなっていたが、まだそこにすぐそこにあった。しかし教会の中からもう音楽は聞こえてこなかった。

駅の前には薬局があった。私は日焼け止めのクリームを買い足すために手に取り、店内に突っ立ったまま考え事をしていた。旅行客が何人かいたその薬局の売り子は、白衣を着ててきぱきと客の注文に応えていた。列に並んでいたのか、いなかったのか、記憶はすっかり消えている。が、いつしか私は白衣を着た薬剤師の女性の前に立っていた。手に持っていたクリームを差し出し、顔の顔がボロボロと向けてしまい、痛くて仕方ないと訴えた。彼女はやけどをしたようになった私の肌を見て気の毒がり、すぐその角にある医者を紹介してくれた。紙切れを受け取り、礼を言って出てこようと思った時、本来なぜ私は薬局に立ち寄ったのか、その理由が私の首を絞めるように押し寄せて来た。
私は付け加えるように、意を決したような様子もなく、妊娠検査キットをくださいと言った。薬剤師の女性はニコニコしながら引き出しからキットを取り出して、クリームと一緒に白い小さな紙袋に入れてくれた。慣れないフランでお金を払い、飛び出すように店から出た。

私は薬局の白い小さな紙袋を握りしめていた。薬局の外はすぐに小さな駅である。それでもレティシェ・バーンの駅の中では、一番大きな駅である。その駅に向かって左手には割と大きな書店があった。私は紙袋を握りしめたまま書店に彷徨うように入って行った。

入り口の本棚の前に立って、様々な本を見つめていた。しかし題名は頭に入ってこない。背表紙をするりと触って、意味もなく一冊の本を取り出した。ニーチェの「ツァラトストラはかく語りき」であった。ニーチェの過ごしたSils Mariaまでは、何キロもなかった。私はその本の冒頭を開いた。

Als Zarathustra dreißig Jahre alt war, verließ er seine Heimat und den See seiner Heimat und ging in das Gebirge. Hier genoß er seines Geistes und seiner Einsamkeit und wurde dessen zehn Jahre nicht müde. Endlich aber verwandelte sich sein Herz, - und eines Morgens stand er mit der Morgenröte auf, trat vor der Sonne hin und sprach zu ihr also.........

アインザムカイト!ハイマート!ゲビルゲ!ドライスィッヒヤーレ!

私は迷わずその本を掴んでレジに向かった。静かな書店の中で、無言で金を払い、また外に出た。日差しは真昼の高みに達していた。
未だに右手に握りしめていた紙袋は、手のひらの汗で湿り気を帯びていた。私は書店でもらったビニールの手提げに小さな紙袋を入れた。十歩ぐらいトコトコと坂を下れば、もう駅である。一駅乗ろうか、それともどこかへ行ってしまおうか。彷徨うように、小さな駅構内に入った時には決心がついていた。
村のどこを見ても高級ホテルや高級車に溢れ、高価な山岳グッズや名物の食品を売っている店ばかりである。そんな高級観光地の駅は小さく、公衆便所に至っては、とても使用できるような代物ではなかった。こんなところに、シーズンを過ぎれば忘れ去られてしまう山脈の合間にある小さな村にいるのだということを実感させられる。

トイレは駅の裏に板を貼付けて即席で作った壁に囲まれていた。そこに二つの木の扉があり、ねじで取り付けてある緑色の古めかしい錠がかかっていた。しかし電車が来る前なのか、その二つは閉まっていた。しばらく待つと、中から中年の女性が出て来た。同時に隣からは男性が出て来た。二人とも登山靴を履いてリュックを背負っていた。

私は忍び込むようにトイレに入り、中から古めかしい錠を閉めた。そしてその酷く劣悪な環境に一瞬場所を変えようかと思ったが、私の決心は固まっており、もう待ったなしというところまで緊張は高まっていたのだ。
板張りの壁の隙間から、太陽が差し込み、光の筋が内部を照らす。汲取式の酷いものであったが、私にはそんなことは目に入らなかった。床は地面であったため、手提げ袋を取って似かけ、キットを取り出す。ありがたいことに電車は去ってしまい、人の気配はなくなった。これで後一時間は汽車は来ないだろう。

ビリビリと包装を破き、生まれて初めて手にするスティックを持つ手は震えていた。目をつむり、意識はどこかへ飛んだまま、何を期待するでもなく、何を拒絶するでもなく、用を足した。それはそれは惨めな数分であった。それでも、私は今そこで、知らずにはいられなかったのである。それは子供を宿したことが真実かどうか分からなかった不安からではなかった。そうではなくて、私の人間としての本能が、子供を宿したに違いないと強く私の耳元でささやき続け、そのささやきを聞いていることで発狂しそうであったからなのだ。もう私は知っていた。それを確かめる儀式を行う、それだけの話だったのだ。

そしてそのセレモニーは孤独で寂しかった。揺れるカモミールは、皆で群れて揺れていたのに、私はたった一人で背中に太陽を浴びているだけだった。誰も周りにはいない。故郷は何万マイルも離れ、友人と言える人にも想像のできない穴の中に落ちたまま、一人で立っているのが精一杯であった。
薬剤師の女性の清潔そうで、自信に満ちあふれた仕事ぶりに圧倒され、小さな小娘が妊娠検査キットを買う等滑稽で、端から見たらままごとにしか見えないだろうと私は怯えていた。書店に逃げ込んだ、その時だけ、心の中に静けさが訪れた。見えないけれど、そこには数えきれない無数の言葉が宙を舞っていた。耳を澄ませばその言葉がささやいているのが聞こえるような気さえしていた。そこにある言葉は、絶対に私を責めることはない。私を救おうとして、人間を救おうとして、生きようとする人皆を救おうとして書かれたものに違いない。書くということは、それをしなければ書き手が先へ行かれないから書くものなのだ。その言葉さえ、私を見捨てるはずはない。そういう無意識につられ、私は書店に行ったのであった。

公衆便所の板張りの中に突っ立ったまま、私は時が過ぎ去るのを待った。堪え難いほど鼻を突くアンモニア臭を今でも思えている。息が浅いまま、私はスティックを見つめていた。吸収された水分がスティックの小窓を過ぎたその瞬間、二本のブルーの線がくっきりと現れた。私はそれを知っていたはずだ。既にその事実を知っていたはずであるが、打ちのめされ、衝撃を受け、何度も何度も線を見て、もう一分待って、線が消えやしまいかと最後のあがきを繰り返していた。

やがて、外に人の声がした。私は緑の錠を開けて、外に出た。薄暗い小屋の中にいたせいか、太陽の光は目に刺さるように痛かった。

私は駅の前の小道を左に上って、美しく雄大な景色が見えるベンチまで歩いて行った。私のお気に入りのベンチだった。何度も一人で散歩し、駅の周辺で果物や飲み物を買い終えた私は、このベンチに座って読書をしたり、日記を書いて、深呼吸をして、また歩いて私を待っているはずの人がいる場所へと重い足取りで帰って行ったのだ。

ベンチに腰掛けると、そこにはいつもの静けさと、いつもの美しい光景があった。目下には村が広がり、遠くには無数の峠が見える。
その峠の向こうには何があるのだろう。そのまた向こうの峠を超えれば、あの辺だろうか。そんなことを考えると、今すぐにでも逃げ出したい気分になって来た。しかし逃げると言って、どこへ逃げるというのだろうか。私は知らない間に、お腹に手を当てていた。一度さすり、二度さすったら、涙があふれて止まらなくなった。私は子供である。28才と言っても、意識の中では中学生や高校生のあの頃とは少しも差がないのだった。何も知らずに、何も分からず、なんの自信もないまま、子供を宿したって?情けなくて涙が流れ続けた。自信のありそうな言葉を選び、自信のありそうな言い方をすることをやっと少しだけ身につけた、そんな時であった。ところが、一度さすり出したら、その手は止まずに、ずっと何か愛おしいものがそこに入っているかのように、ずっとさすり続けていたのである。そして確かにそこにあるはずのものは愛おしいのだった。
命がそこに新しく生まれたという確信は、今真実になった。それを確かめることは辛かったが、今となっては自分の中に別の命がいるという事実に、驚愕し、うろたえ、申し訳ないと謝り、それでも愛おしくて仕方ないのか、本能的にさすり続けていたのである。いや、確かに愛おしかった。私はそのベンチで初めて、後に生まれる娘に「話しかけた」のである。その最初の一言は「こんなママでごめん」であった。次の一言は「何があっても頑張るから」という誓いであった。

泣きはらしたら、太陽は峠の道をオレンジ色に照らしていた。
昼過ぎに急いて歩いて来た道を今度は重く引きずるような足取りで帰って行った。教会の前の広場に近づくに連れ、またどこからともなく音楽が聞こえて来た。まだプローベをしているのだ。私が駅に行っていた何時間かの間も、彼らは変わらず練習をし、今夜の演奏家に備えていたのだ。それが彼らの仕事であり使命である。

広場の土はもう冷たかった。カモミールは相変わらず揺らめいていたが、それは寒さに震えているように見えた。
私は教会の古めかしい扉を開けた。小さかった音が、突然大音響のように耳に入る。同時に、彼らは私を一瞥したが、何事もなかったかのように演奏し続けた。楽章が終わり、彼らは演奏を止めた。私の立ち向かうべき相手は、私の方に再び顔を向け、「やあ、何して来たのかい?どこに行っていたの?」と訪ねて来た。その目は優しいめではなかった。その目は明らかに警戒していたのだ。何も知らないはずの彼は、私を警戒していた。

今の私なら、この男はどこまでも私を愛し続けてくれるだろうが、それは私が彼から髪の毛の一本も奪わない、欲しいと口にしないという条件があっての話であるということが分かる。彼が与えたいと思えば、いくらでも惜しまず与えてくれる。それは感動を超え、圧倒されるような愛情である。しかしそれは彼が与えたいときであり、その時はいつ来るかわらず、どのぐらいあるのかも分からず、あるいはもう二度と来ないのかもしれなかった。私は待つだけが許され、与え続ける代わりに、こちらから欲しい、必要だということは言ってはならないのだった。それが彼の警戒したあの目である。それが私には分からず、普通のまなざしであるはずなのに、なぜ、私は怯え続けていたのだろうと、何年間も来る日も来る日もノイローゼになるまで自問し続けていたのだ。しかし、当時の私に、何故それが分かるはずがあろうか。

プローベを終わりにして、軽く何か食べ、演奏会まで休もうということになって、彼らは立ち上がった。彼らの生きている世界と、私の生きている世界には、見えないがバリアのような断絶があった。私はあの午後、完璧に取り残されたのである。いや先に行かねばならなかったと言っても良い。どちらにせよ、私はあの世界にいたままでは、身体の中に宿った新しい命を守る力は吸い取られ尽くすはずだと知っていた。
私と彼を結ぶことになった命が、私と彼を断絶させたのである。
私のエネルギーを彼以外の他に注がねばならない、そう言うれっきとした事実が生まれてしまったのである。彼が止むことなく命を一日一日と削りながら音楽に献身して、文字通り捧げ尽くしているその姿と同様に、私は私の命を一日ずつ彼のために削り、献身を尽くし、情熱を絶えさせてはいけなかったのである。

ところが、望むと望まざるに関係なく、私はあの日の夕方誓ったのである。人生初めての誓いをしたのである。「何があっても頑張る」と。私は生まれて初めてお腹と会話をした代わりに、自分では気づかないまま、永遠に彼に別れを告げる決心をしたのである。新しい命は崩壊であり、私たちを繋げて家族にしたこの運命は、私たちの魂をしかしぱっくりと裂いてしまった。

だからである。言い訳ではないが、だからである、私がなぜ演奏会の後まで待たずに、いやホテルで二人だけになった瞬間を待たずに彼にこの真実を告げたのは。
ぶっきらぼうに「妊娠した」と吐き捨てるように全員の前で言ったのは、決別であり、彼からも決別させるために、挑発したのである。それが私の心の底からの、娘のために人生を掛けた覚悟だったのだ。別れようと決心していたのだ。その夜荷物をまとめて旅立とうと思っていたのだ。

その夜ツァラトゥストラの第一部七章を読んで泣いた。

予定通り、その後の私の人生は「失敗」が続き、繰り返し孤独に陥り、繰り返し起き上がることの繰り返しであった。しかし、私が生きているのは、未だにこのストーリーの中であり、あれ以来新しく始めること等できていないのである。そもそも新しく始める等、誰にもできない。私の人生はこの一つのストーリーであり、登場人物を変えたからと言って、私は何からも逃れられないのである。

Inzwischen kam der Abend, und der Markt barg sich in Dunkelheit: da verlief sich das Volk, denn selbst Neugierde und Schrecken werden müde. Zarathustra aber sass neben dem Todten auf der Erde und war in Gedanken versunken: so vergass er die Zeit. Endlich aber wurde es Nacht, und ein kalter Wind blies über den Einsamen. Da erhob sich Zarathustra und sagte zu seinem Herzen:

Wahrlich, einen schönen Fischfang that heute Zarathustra!
Keinen Menschen fieng er, wohl aber einen Leichnam. Unheimlich ist das menschliche Dasein und immer noch ohne Sinn: ein Possenreisser kann ihm zum Verhängniss werden. Ich will die Menschen den Sinn ihres Seins lehren: welcher ist der Übermensch, der Blitz aus der dunklen Wolke Mensch.
Aber noch bin ich ihnen ferne, und mein Sinn redet nicht zu ihren Sinnen. Eine Mitte bin ich noch den Menschen zwischen einem Narren und einem Leichnam.

Dunkel ist die Nacht, dunkel sind die Wege Zarathustra’s. Komm, du kalter und steifer Gefährte! Ich trage dich dorthin, wo ich dich mit meinen Händen begrabe.


これが、私の人生の本当の始まりのゴングであった。ここから全てが始まり、この7章のIch trage dich dorthinという言葉を信じて先へ一緒に歩んでしまったことで、私は夜に始まったその人生の相応しく、未だに迷路の中にいるままである。 これが愛なのかどうか、それは実は愛ではないと思うのだが、逃れられないほど強烈な体験に巡り会えたことが、私の人生の全てであり、それ以降の事物は、余りにも色あせて見え、生きている心地がしない。そうして未だに過去のストーリーを読み返して生きているだけという、実に閉鎖的な生き方しかできない。しかしそれで死んでしまっても、もう良いと本当に納得できる。それは悲しみの伴う大きな幸せである。