2017年10月15日日曜日

娘の帰宅

娘が10か月ぶりに帰宅した。むろん家族に会うという目的ではなく、友人がオーガナイズするギグに参加するためにほんの3日間滞在するだけである。
楽しみかどうかといつも問われるのだが、それはどこかで楽しみであるけれど、実際は不安の方が大きいのだった。娘が成長した今、私たちが険悪になることはほとんどなくなった。だからそのことを心配しているのではない。そうではなくて、私は娘の心の一挙一動を感じ取り、自分の気持ちも100%彼女の気持ちに覆われてしまい、彼女の心の中にも全く同じことが起こってしまうという、その自分たちでは制御できない相互作用を恐れているのだった。

迎えに行った日、様々な都市からの旅行者が続々と到着口から噴き出してくる中、ロンドンスタンステッドからの客を見分けることはそう難しくはなかった。特にあの格安飛行機の乗客は、その若さとパーティー気分で直ぐにわかるのだ。ほろ酔い気分の若者が、旅の興奮に舞い上がって、大きな声でロンドン訛りの英語を響かせていた。服装も実に個性的で、ぶっ飛んだ格好の若者たちは、まるでショーディッチやダルストンの一角をもぎ取ってきたような様子だった。その中に、娘はいた。彼らの中に、一切の違和感なく溶け込んで、娘は私たちの方向に笑みを浮かべてずんずんと歩いてきた。元気そうだった。苦労経ても少し丸みを帯びたような気さえした。ここでも、無事到着した安堵は感じたが、嬉しいという気持ちよりも、目に見えない小さな不安の存在に気づいてしまったことで、小さな黒雲の入る隙ができてしまったことで、むしろ悲しみを覚えたほどであった。

その晩は、遅かったが前からカクテルをごちそうしてやりたいと思っていたので、バーに連れ出して二杯飲んで帰宅した。彼女はコミュニケーション能力に長けており、皆にオープンなのでその場が非常に楽しくなる。私は随分と静かな人間になってしまったので、彼女のエネルギーに驚かされた。このエネルギーをフルに回転させて、どんなに苦し事にも立ち向かい、一人で乗り越えている彼女はたくましくさえあった。彼女を見ていても昔感じたような憐れみは全く湧き起らなかった。随分大人になったのだと実感した。

次の日の晩は、娘を美味し夕食に連れ出した。これも兼ねてから食べさせてやりたいと思っていたので、存分に注文してもらった。娘は嬉々としてたくさん食べ、たくさんお礼を述べてくれた。子供がもりもりと食べる姿ほど親を喜ばせるものはない。私も満足であった。

3日目、いよいよ彼女が友人のためにギグをやるという日、ピアニストが来て練習をしていたのだが、どうやら友人のオーガナイズに不備があり、ピアニストは激怒し、娘も怒り出した。多くのファンや友人たちが、娘を聴きたいと思ってわざわざ来てくれたのである。ロンドンに飛び出して2年、今はどんな曲をどんな風に歌うのか、全員が楽しいみにしているそのプレッシャーを娘は背中に感じ取っていた。しかし友人には、そうした娘の立場は全く理解できておらず、じゃあ単に来てくれれば、音楽こっちでアレンジするから即興して歌ってよという態度を変えなかった。娘は、そうした半端なことを一切やりたくないと決心していたので、プレッシャーが募り、友人を蹴るわけにもいかず、かといって自分で客に説明するわけにもいかず、相当ないら立ちを見せていた。
そこで、彼女は男友達に電話を入れ、よくよく聞いてもらい、力つけたように見えたのだが、彼が違う女性シンガーとツアーに行くという話を聞いて、さらに悲しみに心が覆われてしまった。

私は彼女をその場所まで送って行ったのだが、私自身の神経がピリピリとなり、まったく慰めたり、心を楽にさせてやることができない。むろん、彼女は人に何を言われようが、慰めなどを受け取る人間ではない。それにしても、私はすっかりと深い悲しみに包まれてしまい、今すぐにでも涙が出そうなぐらいであった。
今回の彼女に襲い掛かったストレスは、決して彼女自身が引き起こしたことではない。友人のためにと思って飛行機をとり、ただで歌いに来たのに、何も自分のためにオーガナイズされておらず、サウンドチェックさえ終わらないまま、単に来て即興で歌えと言う態度をとられ、彼女のファンに対する責任を全く理解しないその友人に怒りがわくのも当然であった。その上、心配して何でも話してと言ってくれた男友達から、最後につまらない話まで聞かされ、自分のキャリアのために最近すべてを投げうった彼女にとって、その悔しさは彼女の今のストレスにさらに拍車をかけて、心を燃やしてしまうほどの火玉となって彼女の心の中で飛び散っていたのに違いない。

どのような苦しみがつらいかと言えば、自分ではどうしようもできない状況で、自分の名を汚さねばならない現実と、自分が手にしかけている最初の一歩の手前で、一番大切な男友達がすでにその一歩を踏み出した違う女性シンガーのサポートでツアーに出ると言う、その何とも言い難い悔しい気持ちより辛いことは、今の彼女にはあり得ないだろうと言うのが、私にはつくづく感じられるのであった。それで涙腺が弱っている。一緒に苦しんでしまうのだ。彼女の気持ちが生のまま、彼女の心の中で起こるのと同時に私の心の中に伝わってくるのである。

あの子は、必ず何かをなし遂げる。仕事に対する心構えと、プロ意識が実にしっかりしている。ドラッグや酒にまみれずに、カジュアルなくせに根本で絶対に自分を見失わずに、酒を飲んでもシンガーになるという目的を一秒たりとも失わずに、呪文のように唱えて一直線にそれに向かっている。そのために無駄なことは一切せず、全てをかけている。そういう生き方は、当然父親譲りなのだが、見ている者の心を打つのである。私は娘の気持ちに乗っ取られたから悲しいということに間違えはないが、それとは別に、娘の歌に賭けるすさまじいまでの精神力と闘争力と、その真剣さに心を打たれるのである。

彼女の父親の隣に生きた12年間はすさまじかった。エネルギーを吸い取られたが、感動の毎日であった。彼の音楽を聴けたから感動していたのではない。そんな即物的な感動ではなく、彼と言う存在が人を揺り動かすのである。その血走った生きざま、精神力、闘争力、そういったものが、私の皮膚が直接感じ取り、鳥肌が立つまでに圧倒され続けた、その感動なのだった。そして、それを娘は持っている。だから彼女に人が感動するのである。だからあの男友達が、彼女を「必要」としているのである。娘は凄まじい力を持った人物なのだと改めて実感させられるのであった。

彼女は、成し遂げる。それは確実なことである。でもそこに至るまでの彼女の過剰なまでの心の揺れに私自身も揺さぶられてしまうのである。親子だからというよりは、彼女の存在そのものが、人を揺り動かす、その力によって揺さぶられているのだ。彼女が大きく花開くまでのその苦渋に満ちた道のりを私は一緒に体験しているということなのだった。

舞台に立つ彼女の父親は素晴らしいオーラを醸し出している。びくともしないプロの自信と人を感動させるカリスマがあった。しかしその裏で、彼は自分を罵倒し、時に人を罵倒し、泣き崩れ、どん底に落ち込み、そしてしばらくすると得体のしれないところから、再び血走った様相でエネルギーを振り絞り、確実に立ち上がるのである。それをただただ繰り返しているその姿を私は長年見てきた。人の心を動かす才能を持って生まれた者の苦しみは、傍にいる人を一緒にむしり取って気持ちに渦に巻き込む、そういう激しさがある。娘との再会に一抹の不安を感じてしまう私は、そうした彼らのエネルギーに巻き込まれるしかないことを知っているからこその不安なのであった。

私には何の才能もなんの実力もない。しかし彼らの心へ通じる扉を私自身の心の中に持っているらしかった。だから彼らは私を選び、その扉を意識もせずに開き、私の心の中にずかずかと入ってくるのであった。しかし、私はその扉があるからこそ、苦しまなければならないことがあるとしても、彼らの生きざまをその扉を超えて、まさに一心同体で体験できることで、何度心を打たれてきたかしれない。人間として、私はそれを垣間見れただけでも素晴らしいことであったと実感している。創造でき、人の心を動かすことのできる芸術家を観客として味わうことは素晴らしい。かけがえのない心への刺激を感じ、心臓が揺さぶら思いを体験できる。しかし創造でき、人の心を動かすことのできる芸術家の生きざまを、一心同体に生きることは、時にその同伴者を破滅に導くこともある。道半ばで血まみれになり、息も絶え絶えになったとしても、その相手を見上げると、太刀打ちできない血走ったエネルギーに圧倒され、ある種の感動としてその同伴者は中毒状態に再び陥ってしまうのである。

そうした種類の人間の隣に、自分の破滅直前まで、寄り添えたことが私の人生のすべてであり、そうした人間の子供を得たことで、私は人生を全うしたとさえいえるのであった。どのぐらいの頻度でこうした血が受け継がれるのかわからない。しかし、こうした人間はその後世の中の文化して大切なものを残す可能性がある。娘を語るとき、だからこそ私は彼女の父親を語らないわけにはいかない。娘には彼の何かが確実に受け継がれているのだった。私はそうしたことに本当に今更になって気が付き出しているのである。