2015年6月3日水曜日

二年ぶりに


「何かを書かなくてはならない」何度もそう思ってきた。「これもあれも書きたい」そういう瞬間もいくつもあった。書きながら突然自分の状況を理解しかけるというようなことを何度も体験したからこそ、書くことを止められなかったはずなのだ。

それが、突然何も書かなくなってしまった。
湧き出た思いが自分から離れていってしまうことがいやで、それだけは書き留めようとノートも買ったが、いつしか白紙のページばかりになってしまった。思ったことを素早く呟くことで、幾つかを何とか形にするということは辛うじて続けている。

文章を書きながら思いもよらなかった展開になる、という現象もすっかり忘れてしまった。
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デンマークで最後に見た海は美しかった。遠くを見るという行為は心を洗うような効果があると改めて実感した。
遠浅で、長靴を履いたまま海の中に歩いて行かれた。透き通った海水の下には白い砂が見えた。まりものような海藻がフワフワと水中で揺れていた。水の真ん中に立って、四方を見回した時、足元をすくわれる様な感覚に襲われた。ふと倒れてしまうかと思った。足首ほどの深さしかなく、長靴を履いているから、水に入っているという身体感覚はない。けれど周囲は一面海水だった。その時のぐらりとしためまいの感覚は今でも覚えている。

振り向いて砂浜の方を見た。たくさんの
木々が砂浜に沿って並んでおり、住宅地に対する風よけになっていた。耳を澄ますと、波の音はほとんど聞こえない。それほど静かな昼下がり、この木々の唸り声が良く聞こえた。ざわざわを音を立て、葉を裏返して風を受けていた。この音も、また私の心のなかのざわめき達と会話しているかのように聞こえた。

本当に人気のない場所で、飾り気のない自然に触れるということは、日常で最も大切なものをいとも簡単に確認させてくれることかもしれないと思った。
寂しいことや悲しいことがあった時に、この場所が直ぐうちの裏にあったら、それは家の部屋の片隅で、布団をかぶって泣くよりも、「何かとの触れ合い」があるのではないだろうか。そんな気がした。

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どんな生活形態をどんな人物と築いてゆこうが、自分との戦いは決して終わらないのだとわかった。何度も何度も戦い終えたと思ったが、それでも何度も何度も新しい戦いが始まった。いい加減、これは終わらないのだと、今の年齢になってようやく受け入れることができるようになった。しかし相手が自分と言う戦いは辛い。問題が起きても、それは常に他人た出来事ではなく、自分の情けないところ、弱いところ、醜いところに反映されてしまう。すべては自分に帰って来てしまう。元々ありもしない見栄も野心もすっかりなくなったので、自分がこれしきの人間でしかないということは、とうの昔に受け入れたはずである。しかし、醜い弱い姿を思い知らされるのは本当に心地よくない。他人と関わっていく以上、問題はつきつめれば、常に自分の取る立場と、自分の対処方法に頼るしかない。知能と賢さ、性格の強さと肯定的な性格がすべてを握っている。私には、こうした太陽に照らされている側面はない。常に陰性である。だから辛い。

そして、自分の自信のなさがここまで病的だったのかと未だに思い知らされている。
コンプレックスの強い人間には、必ず不当な優越感を伴っている。ダメだと言いながら競争したり、かなわないと言いながら、相手を憎んだりする。本当にダメなことを受け入れていれば、晴れ晴れとできるはずなのに、どこかで優越性を信じたい気持ちがあるのだ。
この厄介なコンプレックスとも長年葛藤を続けて対決したと思っていたが、この年になっても、色々とくすぶりを見せている。完全に消火できないらしい。
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時に、自分の手首を掻き切ってしまいたい、このまま消えるように死んでしまいたいと思うことがある。思春期の頃、あまりにも辛くてナイフを手に持って、手首を切ってみようかなと随分長いこと自室で考えていたことがある。思えば、私はボーダーラインなもかもしれない。
実際に切ったことも、摂食障害になったこともないが、常にぎりぎりの線で生き延びてきている。「生きるか死ぬか」という大げさなシナリオでなければ「生きた心地がしない」という病的な欲求を抱えていたのかもしれない。そのためには、正しい人を最初の夫に選んだ。

現在は平和である。平和と幸せという二重の保証をもらったような錯覚になることがある。しかし平穏は心を癒してくれるが、平穏は何も生まない。守りの姿勢だけなのだと実感した。守るという姿勢がそもそも好きではない。守る、囲うということは、他とは区別した領域を囲んで、守るということである。「自分がやっとつかんだ『〇〇』を失いたくない」という自分の生き方に耐えられない。面倒な性格だと思いながら、どんどん肌が分厚くなり、他人の痛みに鈍感になり、今の平穏を慈しみ、変化を排除せんとばかりに、一日を平和に終えることに始終する、という生き方をしていたら、定期的に精神がクラッシュすることを発見した。非常に定期的にやってくる。議論を避け、表面的な共同体を最も良しとするパートナーやその取り巻きまで、耐え難い存在に思えてしまう。すべてを一気に破壊したくなる。

改めて、面倒で厄介な性格だと思う。
人とは生きていけないのかと不安になるが、こうしたことで深く共感し合える異性にも何人も出会ってきた。こういう「言語」を話す人は確かにいる。今私は違う言語を話す人と暮らしている。事情があって、深く感謝し、尊敬しているが、ピリピリしている私を持て余し、温和な人だが、自分の取っている行動の意味すら把握し切れていない、そのドイツ的なウドの大木的などっしり感が、時々私を発狂させる。この性質に支えられているとは知りながら、それでもこの性質は、間接的に私を押し退け、私の感情を跳ね除け、私を孤独に突き落す。

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娘との関係には、とても人に伝えることはできないほど辛く苦く、そして深い悲しみや業のようなものがある。その関係は、彼女の父親と私との病理的な関係が奥深いところに根差しており、一筋縄でどうにかできるようなものではなかった。私には、一人では抱えきれない罪の意識がある。この罪の意識は、私が持って当然といえるものである。母親として、まるっきり懐の大きさがなかった。娘にも娘の本能的に持つ、人を苛立てたり挑発する才能があった。また娘との関係は、私と彼女の父親との関係とぴったり一致するようなものであったため、私自身が、娘に対して新鮮に向き合えなかった。最初からアレルギー反応を起こしてしまった。娘と私は実に不幸な関係だと、誰しも疑いようがなかった。

それが最近、娘の心の優しさや、私より何倍も強い意志の力、そしてまるで私との過去は「無」であったかのように、娘は私を未だに愛してやまないその姿勢に心を打たれている。心の底から天に向かって娘を授かったことに感謝している。
親子の不思議を思い、親を選べぬ子の不幸を思い、子から親へのたゆまぬ関係への働きかけ、親を愛すことを止められない子の運命、そういうことに思いを馳せている。
そして自分を恥じ、人生の残酷を思い、時間のもたらす予想もつかない展開という人生の不思議を噛みしめている。
これに関しては、とても詳しく書かねばならない。しかし今はとてもまとめられない。

本当に何があるかわからない。死んでしまった方がましだ、心中でもしようと、真面目に悩んだことがある。高速道路のトンネルにぶち当たって死んでしまえと、早朝車で飛び出して文字通り、自殺しようと思ったこともあった。けれど死んではならないのだと知る。絶対に何が起こるか、誰も知りうることはできない。良いことが起こるかどうかは、これも誰も知らないことである。けれど思いもよらぬ展開がいつかやってくることは確かなのである。