2019年6月21日金曜日

長男のメッセージ

昨夜、過去の街から帰宅した。
そして今日は仕事を終え、散歩を嫌がる犬を車に乗せて、かつての飛行場跡地の公園に来た。広大な敷地に草花が育ち、傾いた太陽が小さな花をキラキラと輝かせていた。空は青く、白い雲がところどころ風に揺られて東に移動していた。
その空を見上げた途端、長男を思い、目頭が熱くなった。昨日まで2日間一緒に過ごしていたため、こうした気持ちになっても不思議はないのだが、実際にはもっと深い何かが潜んでいる気がしてならない。

一昨日、長男が学士試験を終えて、見事な演奏を披露してくれた。この間22歳になったばかりだというのに、その演奏は、若者ならではの荒々しさが一切なく、落ち着いた情緒があり、内面に深い音楽性の広がりを感じさせるものだった。まさに、本当は実に優しい長男の人柄が出ているのである。
昨今の音楽業界は、商業意識ばかりが先に走り、スター性のある演奏家ばかりが注目を浴びる。スター性とは極端に言えば、人を惹きつける万人の好む容姿と性格で、超絶技巧をこれ見よがしに披露し、「誰にでも分かりやすい音楽性」を「自ら見せびらかす」ことである。客が、派手な演奏と容姿に喜べば売れるからである。客層とは世代が常に入れ替わるもので、一部の忠誠的な客以外は成長しない。それに合わせているようでは、自らの内面も成長しないのである。

長男は、本能からだけでなく、自らの意志でこうした道を選ばずに、自分の内面と深く向き合いながら音楽を奏でている。内向的であるがゆえ、その技巧や音楽性をもっと前面にぐいぐいと出した方が良いという声もあるが、息子は「自分が見せるものではない、見せるなどおこがましい、作曲家に敬意を払えば、自分は黒子なのだ」と自覚している。だから、どこにもスポーツの匂いがなく、闘争心などというアグレッシブな音色が一つも聞こえてこないが、それでも内面の力強さは動かぬ土台として、十分な説得力のある演奏をしているのだ。それが私には誇りである。

若くして、有名になることをハングリーに求めず、音楽の神髄を追求していくその姿勢を私は非常に誇りに思っている。
本当に、成長の証としての卒業を嬉しく思う。そして、このような演奏を聴かせてくれた息子に心から礼を述べたい。

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息子がくれたものは、しかし音楽だけではない。
私は息子がその街で勉強することになったので、かつて家族が崩壊した土地を何度か再訪することとなった。
あの街に移り住んだのは21年前、そして離れたのもすでに15年前である。
それでも、空港に降り立ち、あの街の空を見上げるだけで、言いようのない悲しみに襲われ、突如嗚咽したくなる衝動に駆られるのである。それはまさに、衝動と言えるもので、決してだんだんと思い出が蘇って悲しくなるというものではなく、文字通り意識とは別の所から、情動が津波のように押し寄せてくる感じであるため、自分ではなかなか制御できない。
一昨日も、スーツケースを手にタラップを降り、素晴らしい天気に爽やかな気持ちを感じたのは一瞬で、地面に降り立ち、歩き出すや否や涙が流れてきた。バスに乗り換え、街中へ向かう途中、記憶によみがえるその景色を見ながら、気持ちがどんどん悲しくなっていくのを感じた。母を迎えに、または帰国の際に、何度となくこの道を走ったのである。中央駅に着いても状況は同じで、悲しみに包まれたまま、それでも15年経って変わってしまった駅前の様子を眺めていた。
別れて子供を連れて別居した後、初めて父親が幼い娘と長男を連れて2、3日遠出をすることになったとき、私はこの駅まで子供たちを送り、父親に引渡した後、一人で赤子だった末っ子を抱きながらボロボロ涙を流して、子供たちに手を振ったのだった。その時、家族を無残に引き裂いたのは、この私であるという事実を私は身をもって実感したのである。

その駅も背後に、新しくできた店で朝食を取り、しばし朝陽をたっぷりと浴びてから、私は大学へ歩いて向かった。そして長男が試験前の練習にやってくるのを一人カフェテリアで待っていた。

その後のことは、具体的に書く必要はない。

私は、最近になって、自分はやはり心理セラピーを受けなければいけないと実感するようになった。私は前夫と一緒にいた頃から、酷い神経症になり、パニック症候群や不安障害、連日の悪夢などで生活に支障をきたすことがあった。理由は前夫との関係にあったことは明らかである。別れた後最初の数か月は、いつ前夫が突然扉を叩いて静寂を破り、私に罵詈雑言を言ったり泣きついたりしてくるのではないかと不安で居てもたってもいられなかった。わずかな物音にも体が飛び上がり、存在を示すのが怖くて、テレビをつけるのも明かりをつけるのも躊躇したことさえあった。しかしそんな症状も数か月する頃から徐々に消えていった。

しかし、自分は幸せであると納得できる立場にいる今、突如また不安が襲ってくるのである。そして突然心臓の鼓動が高鳴り、いてもたってもいられない不安感に襲われ、発狂するのではと怖くなることがある。そしてこの不安感は、過去を消化できていないことに原因があるのだと、今になってようやく理解しかけているところなのだ。今まで思いもしなかったが、これはトラウマと呼べるのかもしれないと思うようになった。
そして、この乗り越えられない過去は、すべて昨日までいたあの街で起こったことなのである。
現にこれがトラウマでないのなら、15年前に去った街に降り立っただけで人は泣くものだろうか。そして何日間も鬱の状態から逃れられず、少女の声を聴けば涙を流し、小さな子供を見れば自分を責めずにはいられないなどということが起こるものなのだろうか。

子供たちが成人した今、私はできることなら、子供たちに明るい家庭を与えてやれず、一緒に遊んでやる時間も少なく、子供たちと過ごした記憶すらしっかりと思い出せないという、この終わりのない悲しみから逃れたい。
長男は半ば必然的にあの街で勉強することになった。ここには書けないが、そうせざるを得ない理由があったのだ。それで私は、再び過去に引き戻されることのなったのだが、それを私は一つのチャンスであると思うようになった。
記憶を上書きすることなどできない。それには起きた傷があまりにも大きすぎる。しかし私は長男を通してあの街を再訪し、街角をくまなく歩き周り、過去に遭遇してありとあらゆる思い出を消化すれば過去を乗り越えられるのではないかと思うようになった。長男は、子供時代に別れを告げ、自立での第一歩として幼い頃の記憶が一切ない状態で学業を1から始めた。そして父親と対峙することで、影の部分も含めて自分というものを知り、和解とまでは行かずとも、父親をも他者としてあるがままを受け入れるということを深い苦しみを通して学んだ。他者をあるがままに受け入れるためには、必ず自分を切り刻んで見直す作業を経なければできない。長男はそのすべてを体験したうえで、自分を再建したのである。長男が、まさにあの街でこの作業を行わなければならなかったことには、ある種の運命を感じざるを得ない。だからこそ、私にとっても、あの街には違う意味が生まれたとも言えるのである。私自身もまた、長男と同じように自分自身が老年に入る前に、乗り越えておかねばならぬ過去に直面していると考え始めている。それに至る前に、私は長男を通して、どうしてもあの街を再訪する必要があったのだと、今では考えるようになった。

子供たちの成長というのは非常に興味深いものである。思春期から青年期に入り、子供たちが人格を形成するちょうどその時期に、私自身も人生の岐路に立たされているわけである。老後の価値観と生き方自体を時間が迫るように問いただされているのだ。
子供たちの成長を見守りながら、常に何かがシンクロしているのを感じていた。娘の恋愛模様を見ながら、私は過去を何度も何度も振り返って娘に助言していた。間違えを避けてもらおうとは思わない。そうではなくて、人生で避けては通れない大事なターニングポイントをむしろしっかりと体験してほしい、苦しくても乗り越えてほしいと応援していた。そして、自分が一緒に泣き、悲しむ過程で、自分の過去を再体験していることに気が付いた。長男も同じである。彼と父親との対立は、私と前夫との対立と100パーセント同じパターンを示していったといっても良い。それを見守りながら、私はすべての感情を再体験していたのである。
すべての鞘の外にいた末っ子だけ、鬱という暗闇に呑まれてしまった。今やありがたいことにしっかりと回復しつつあるが、これも思い返せば、当然の成り行きなのである。別居してしまい、父親との接点が最も少なかった彼は、「家族」という感覚がないまま、当然のごとく思春期に鬱に入ってしまったのだった。

こうした子供たちの様子を見ながら、私は年々自分の罪の意識を知らずのうちに深めてきていたのかもしれない。だからこそ、不安発作に襲われ、悲しみが深まるばかりであったのかもしれない。

長男と私は、物事に対するハンドリングと考え方が非常に似ているのである。そして長男が大人になる過程で、私に素晴らしい贈り物を置いて行ってくれたのだ。それは素晴らしく成熟した演奏だけではない。私がどうしても乗り越えなければならない過去と直接直面させる代わりに、少しクッションを挟んで柔らかく直面させてくれた。彼の姿を通して、過去にすべてが起きた街を見て、再体験し、新たな意味を見出して、希望と共に乗り越えてほしいというメッセージをくれた3年間であったのである。そして彼の一昨日の演奏の中にこそ、その希望の光が象徴のように揺らめいているのが私には見えたのだ。だから、私は犬の散歩で自分の街に帰ってきたことを実感し、急に寂しくなったのである。長男からの贈り物の意味があまりにも大きかったからこそ、私は彼を恋しく思い出していたたまれない気持ちになったのである。
長男と試験前に過ごした慌ただしい午前中、試験後に皆で過ごした昼下がり、長男と二人での夕食、その後訪れた彼のアパート、次の日の朝食、そして一緒にじっくりと見て回った美術館、大雨に打たれて歩いたバス停までの道。互いに「そのこと」に触れることはなかった。が、こうした時間の中で、無意識のうちに長男は私に信号を送ってくれていたのである。

「ママ、大丈夫だよ。僕はしっかりと大人になったから。もう一人で生きて行かれる。ママもこの街を恐れることはない。僕たちはもう皆無事に大人になったんだから。皆過去をしっかりと見つめて乗り越えられる力をもらったんだ。それはママがまっすぐに目を背けずに生きていくことをしっかりと教えてくれたからに他ならない。だから、この街を恐れずに、怯むことなく歩き回って、ママも過去を過去のものとしてほしい。それが僕たちの願いなんだから。」

私は、演奏を何度も何度も繰り返し聞いてから、やっとこの思いに至ったのである。公園ではもやもやとしてはっきりとはわからないまま、長男のことを思い出し、とても悲しくなっただけだった。が、今こうしてやっと、自分が彼の試験を一人で聴きに行き、一人の時間をもってあの街で過ごしたことの意味と課題が明らかになったのである。

子供たちは一人一人が違った形で、こうした信号による素晴らしい教示を送ってくれる。
私はいつまでも自分の至らなさを反省しながらも、人が成長する、その麻のようにまっすぐに伸びようとする自然の力を心から信頼するようになった。そして、私は子供たちから少なくともまっすぐに伸びていこうとする力を奪うほどにひどいことはしなかったのだという事実も信じて良いのかもしれないと思うようになった。

長男に、そして子供たち全員に、心から礼を言いたい。

(長男の試練:https://tokyoniobe.blogspot.com/2017/05/blog-post.html)