2004年5月21日金曜日

フランス司法の大恥とアメリカの逆さまな連帯感

今朝、新聞を読んでいたら、何かおぞましい記事を目にした。
フランスのオートローという小さな村で、2000年に、ある八歳の子供が、他の兄弟と共に、親戚のおじさんと隣家の子供の両親から性的に虐待され、暴力も振るわれたと語った。警察は隣の国、ベルギーの例もあって早速逮捕に踏み切った。そのうちに大人の数は、どんどんと膨らみ、合計十九人にもなる。中には、パン屋の売り子、聖職者、タクシー運転手、執達吏などの職業に就く者が含まれていた。フランスは、自国に、大きな児童虐待のリングがあるとし、彼らを最長三年間も留置している。
子供を持つ親であるものからは、当然自分の子供を青少年保護法により、もぎ取られた。多くの者は職を失いキャリアを失った。多くの家族は崩壊し、取り返しのつかない散乱状態になった。

ところがである。今まで大型の証人とされて、重要な証言をしてきた女性二人が一昨日こう公に語った。
「私は病気です。私は、大嘘つきです。」
もう一人も証言の嘘を認めた。
その瞬間、自分の三人の子供を三年前にもぎ取られた母親は、大きな叫び声を挙げて崩れたという・・・。

多くの人間が、ただその人間を見かけたというだけで、罪をきせる証言をし、中には見たことも無い知らない人間について証言した者もいた。
このスキャンダルの後もしかし、一人以外は、未だに留置されたままになっている。

フランスメディアは、「司法のディザースター」、「地獄の地、司法当局」と批判し、自国の裁判能力に大きな疑問を抱くようになった。裁判官、検察官、専門家共に、一切無実を証明する証拠に対しては、始終目くらであり続けた。精神科医はそろって、子供の証言も他の証人の証言も信憑性が極めて高いと断言した。

その嘘つき女性は、最初に証言した八歳の子供の親である。
「私は、自分の子供たちが嘘つきになって欲しくなかったので、今まで彼らの言うとおりに証言してきた。」
こう締めくくった。

おぞましい話ではないか。こんなことが人生に降りかかったら、すべておじゃんである。ベルギーのデュトロー裁判が強烈に頭に焼き付いていたとは言え、これは司法当局の大恥だ。裁判というもの自体が、ここまでメディアによる他の事件などの情報に左右されて、その先入観に振り回され、証言の信憑性すら真実とは程遠いところに位置し、無実の証拠も当局の眼には入らないのか。だとしたら、恐ろしい。そして裁判官たる者の重みを改めて考え直させる出来事ではないだろうか。人が人に判決を下すのである。十分すぎる証拠があろうと、無実の証拠がある限りは、そちらを証明しうる可能性も、有罪の可能性と同様に追求されなくてはならない。

_________________________

他のページを見たら、アメリカ兵の虐待写真の一部が公開されていた。変態野郎達のいやな写真である。捕虜を裸にしただけでも、非常に非人道的な行為であるのに、写真を取らせ、殺した死人の前で笑顔で勝利のポーズをとり、更には、性的行為をも強制した事に関しては、人間としての価値を疑わせていただくしかない。これは軍事システムの問題というほど、簡単なことでは無いのじゃないか。そうではなくて、むしろ一人一人の人間の行為判断能力である。一体なぜ、誰一人の頭にも、ジュネーブ条約に違反する行為ではないかと疑問に思わなかったのか。そんなものは知らんのか。システムや、規律を改善することでは解決しきれない問題である。一人一人がここまで、人間として程度が低ければ、そんなこととは関係なく、これからも起こってくる行為であろう。戦争は常に異常事態である。しかしその異常な状態の中で、自分たちには全く無抵抗な人間の集団を目にした時にも、最低限、尊厳を保つ扱いの出来ないものは、兵士になる資格すらない。しかし人間の真意を前もって知ることのできる基準というのはないのではないか。本人の価値が本当のところではどうか、ということが分かるには、異常事態に置くしかないのか。れっきとした人間である彼らの尊厳をここまで傷つけ、もてあそぶことが出来る神経というものを持った者は、程度が低い、そうとしか言いようが無い。
命令されて、呼び出され、写真を取らされたというどちらかというと気の毒な兵士が、昨日、位を下げられ、除隊させられた上に、実刑一年をもらった。重い罪であるが、これは始まりでしかない。ことの中心にいた人物にいかなる罪が下るのか、見ものである。どんなことをしてもイラク人を満足させる事は無いだろうが。

ところで、この兵士の故郷では、皆、彼の味方であるのは言うまでも無い。可愛そうに、命令に従っただけというならまだしも、そう言った見解では無いようだ。
彼の故郷の町の神父は、こう語った。
「私は、彼のような青年がそんな行為を犯したとは、信じられない。私達は、彼がそんな事はしていないと硬く信じております。」
本人は、写真をとったと認めているのに、である。
全くここにアメリカの恐ろしさが隠されていて、こういう社会の逆さまモラルと逆さまな連帯感が、ああいった変態を生み出すのかなと考えてしまった。恐ろしい国である。

2004年5月20日木曜日

楢山節考

今朝は、朝九時に元旦那宅まで小猿たちをお迎えに行った。彼は、今ポツダムでオペラを指揮しているので毎日大忙し。夕べ八時に小猿と食事に行って、今朝またポツダムへ戻る。私としては、せっかくの休日だから、八時半なんかに起きたくなかったんだけど、しょうがないか。おかげで、午前中は家事をしまくった。お昼もちゃんと作ったし、まあ、良い気分だろうか。

昨日、今村監督の映画、楢山節考を見た。二回目だったんだけど、もうずいぶん前だったので、新鮮。
当時のモラルというのは、今の社会ではまったく想像の出来ない基準によるものであって、そこで取り決められている、様々な冷酷、粗暴なしきたりも、突き詰めれば、自己防衛なのかと納得した。そんな難しい言い方じゃなくても、東北の山深い貧しい農村では、目的はただ、冬を越えて生き残ることのみだった。つまり子孫繁栄という基本的な条件が確保されること。それを危うくするような事柄は、人殺しという手段をとろうが、ことごとく抹消されたということだろうか。作物を盗むということは、人殺しよりも重い罪とされる理由かと思う。男の嬰児を育てて冬を超えられないような場合は、それを殺すのも致し方ないというような状況であった。それほど生活が苦しいから、姥捨てというしきたりもあったのだろう。

映画は、最後の十五分が決め所という感じと私はとった。まあいろいろと目を背けたくなるような、冷酷な場面があるのだけれど、私にはそれをどのようにとって良いのか分からなかったのだが、最後の場面を見ながら急に謎が解けたような思いがした。
生き残りのためには、感情的なことなど構っていられない。自らの父母を背負って山に捨てに入らなくてはならない。今まで誰もそれを疑問に思ってきたものはいない。元気がよかろうが、七十になれば山へ入った。自分の食べる量を他の家族のためにまわした。ところが、主人公の息子は、母親を骸骨の敷き詰められた谷へ置いて去る時、最後に泣き崩れる。そういう繊細さが、こういうしきたりへのひそかな反発を一瞬呼び起こす。が、それは本人の意識までは上らず、やり過ごすしか出来ない。
暴力と冷酷さと死、そして厳しい自然のおきてが、日常というレベルで深く入り交ざった生活では、死や殺人すらしらけた目で見過ごされるという、恐ろしさではなく、むしろ深い悲しみが深く根付いていると感じた。厳しい日常は、感情などというものをことごとく無視し、麻痺させる。そして人は春になると、動物のように狂ったように交尾する。何か非常にストイックな生活からの爆発のような反応に見え、それが何か無性にもの悲しくさせる。
重いテーマではあったが、今村の淡々としたリアリズムにも似たスタイルが、見る側の感情を必要以上にあおったり、支配したりすることが無く、それでいて、最後まで見る側の感覚を奈落の底までも落としてしまうような重みと深みにあふれていた。83年にカンヌで賞を取ったのもまったく頷ける。非常に考えさせる作品だった。

しかしこういった記録は、書かれているものは皆無で、口で言い伝えられてきたものに違いなく、大変なリサーチだったのではないだろうか。非常に忠実に語られていて、その点でも素晴らしい業績ではないだろうか。

しかしモラルとは、なんとも押し付けがましいものだろうか。人間の中心にあるような本能的な良心、(そういうものがあればだが)そういうものとは少しも関係ない。モラルとは社会が作り上げるもので、まったく恐ろしい威力を持っている。いろんな意味で唸ってしまった。

小猿たちが、中庭で叫びまくっているから、さっさと呼び寄せないとだめだろう。そろそろ切れたらしい。