2004年5月20日木曜日

楢山節考

今朝は、朝九時に元旦那宅まで小猿たちをお迎えに行った。彼は、今ポツダムでオペラを指揮しているので毎日大忙し。夕べ八時に小猿と食事に行って、今朝またポツダムへ戻る。私としては、せっかくの休日だから、八時半なんかに起きたくなかったんだけど、しょうがないか。おかげで、午前中は家事をしまくった。お昼もちゃんと作ったし、まあ、良い気分だろうか。

昨日、今村監督の映画、楢山節考を見た。二回目だったんだけど、もうずいぶん前だったので、新鮮。
当時のモラルというのは、今の社会ではまったく想像の出来ない基準によるものであって、そこで取り決められている、様々な冷酷、粗暴なしきたりも、突き詰めれば、自己防衛なのかと納得した。そんな難しい言い方じゃなくても、東北の山深い貧しい農村では、目的はただ、冬を越えて生き残ることのみだった。つまり子孫繁栄という基本的な条件が確保されること。それを危うくするような事柄は、人殺しという手段をとろうが、ことごとく抹消されたということだろうか。作物を盗むということは、人殺しよりも重い罪とされる理由かと思う。男の嬰児を育てて冬を超えられないような場合は、それを殺すのも致し方ないというような状況であった。それほど生活が苦しいから、姥捨てというしきたりもあったのだろう。

映画は、最後の十五分が決め所という感じと私はとった。まあいろいろと目を背けたくなるような、冷酷な場面があるのだけれど、私にはそれをどのようにとって良いのか分からなかったのだが、最後の場面を見ながら急に謎が解けたような思いがした。
生き残りのためには、感情的なことなど構っていられない。自らの父母を背負って山に捨てに入らなくてはならない。今まで誰もそれを疑問に思ってきたものはいない。元気がよかろうが、七十になれば山へ入った。自分の食べる量を他の家族のためにまわした。ところが、主人公の息子は、母親を骸骨の敷き詰められた谷へ置いて去る時、最後に泣き崩れる。そういう繊細さが、こういうしきたりへのひそかな反発を一瞬呼び起こす。が、それは本人の意識までは上らず、やり過ごすしか出来ない。
暴力と冷酷さと死、そして厳しい自然のおきてが、日常というレベルで深く入り交ざった生活では、死や殺人すらしらけた目で見過ごされるという、恐ろしさではなく、むしろ深い悲しみが深く根付いていると感じた。厳しい日常は、感情などというものをことごとく無視し、麻痺させる。そして人は春になると、動物のように狂ったように交尾する。何か非常にストイックな生活からの爆発のような反応に見え、それが何か無性にもの悲しくさせる。
重いテーマではあったが、今村の淡々としたリアリズムにも似たスタイルが、見る側の感情を必要以上にあおったり、支配したりすることが無く、それでいて、最後まで見る側の感覚を奈落の底までも落としてしまうような重みと深みにあふれていた。83年にカンヌで賞を取ったのもまったく頷ける。非常に考えさせる作品だった。

しかしこういった記録は、書かれているものは皆無で、口で言い伝えられてきたものに違いなく、大変なリサーチだったのではないだろうか。非常に忠実に語られていて、その点でも素晴らしい業績ではないだろうか。

しかしモラルとは、なんとも押し付けがましいものだろうか。人間の中心にあるような本能的な良心、(そういうものがあればだが)そういうものとは少しも関係ない。モラルとは社会が作り上げるもので、まったく恐ろしい威力を持っている。いろんな意味で唸ってしまった。

小猿たちが、中庭で叫びまくっているから、さっさと呼び寄せないとだめだろう。そろそろ切れたらしい。

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