2020年8月26日水曜日

走り書き

 30年ほど前に、私はパニック障害を患った。その頃、パニック障害などという病名はまだなかった。もちろんインターネットもない、何の情報もない。しかも私はドイツという外国に来て、まだ3年ぐらいしかたっていなかったから、まったくもって情報に乏しい環境にいた。
卒業試験を終え、これからという時、私は進路に迷っていた。自分の専攻楽器が大嫌いで、こればかりは今に始まったことではなく、その楽器を始めたときから好きだとも思えなかったのだが、親に楽器と恩師まで与えられたので、嫌と言えなかった。それでずっと続けてきた。
その楽器で留学することにしたのは、それが唯一の脱出の手段だったからである。

学生中に最初の夫に出会い、そのかつて見たことのないスケールの才能に巡り合い、私は大きく打ちのめされた。最初は恋愛のれの字もなかった。互いに他に好きな人がいたと、そう記憶している。

私たちは友人関係として会っていたが、いつしか別れると電話するようになり、相手にまた会う日を楽しみにするようになっていた。そうして純粋な友人関係としてスタートした私たちの関係は、その後私が死ぬまで書くことはできないと思われる経緯をたどって終焉を迎える。

それほどの人間に巡り合った私は、自分のようなディレッタントな人間が、音楽家になるよりも、このようなすでに世界に十分に貢献している素晴らしい演奏家を支えるべきだと決心し、試行錯誤の後、自分の本業を捨てることにした。

今思えば、それからパニック障害が始まったのである。
最初はとにかく心臓が凄まじい速度で破裂しそうに脈打つので、心臓病に違いないと思った。何もわからない学生の身分(本業をやめた後の試行錯誤の間、私はさらに別の学業を続けることにしたのだ)で、私は近所の内科医に駆け込んだ。その女医は私の健康診断を行い、2回会っただけで、おそらく身体は健康だから、心療内科の分野ではないかと思うと私に伝えた。そして精神科医を紹介してくれたのだった。

精神科医を受診した頃、私は藁にも縋る思いだった。毎週何回も発作に襲われ、とても生きた心地がしなかったのである。

女医は、何回か面談をした上で、私にそれはパニック障害という病気なのだと診断を伝えた。そして心理療法を進めたが、私は他の国に引っ越すことになっていたので、彼女の患者になることはできなかった。薬を出すかと聞かれたが、私は「引っ越し後、そこで他の医師を見つけ、自分で何とかしたいから薬はいらない」と断って最後の面談を終えた。

その後、私は数年にわたりパニック障害と闘った。それについては、いつかまた書くことができればよいなと思っている

しかし、パニック障害は完治していないのだ。未だに私はパニック障害に襲われるのである。
ある数年影を潜めていたが、上二人の思春期が去り、少しは幸せを実感できるようになったというのに、未だにパニック障害が静かに姿を現すのである。

つまり、原因を追究できていない。最初の女医は、間違えなく結婚生活と夫に原因があると言い切った。
国が変わった後に会った心理療法士も上記と同じことを確定した。それは当時はそうだったのだ。夫が帰ってくると空港に迎えに行くと、空港で発作に襲われた。明日夫が帰ってくるというその前の日に青天の霹靂の様に発作が襲ってきた。当時はあれが原因だったのだ。

しかし、その後も続くのは何故なのか。私にトラウマがあるのか、私が何かを抑圧しているのか、今の私には謎が解けないのである。
しかし、私は「家族」「団欒」「幼い子供、特に幼女」「結婚の崩壊」「夫婦喧嘩」「子供への罪悪感」というテーマに触れただだけで、心が崩壊する。二度と訪ねられない土地というのいくつもある。その土地を踏んだだけで嗚咽し続けるような場所である。
これはいささか尋常ではなく、やはりまともに心理療法士に会ってこの消えぬパニック障害のことを話すべきだという気が今さらしている。

単に大きな蓋を被せてしまっただけの過去だが、その中にはとてつもないマグマが潜んでいる。今までだれ一人私は自分の過去を話したことはない。それは私がそれについてまったく話せないからなのだ。しかし、いよいよ蓋を開けなければならない、そんな気がしている。

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本業をやめたあと30年近く経つが、私は今でも全く同じパターンの悪夢を見る。
試験会場にいる。舞台のそでである。自分の番はもう目前だというのに、楽器がない。血眼で探す。忘れてきたのか。そして焦って気が狂いそうになりながら探し回るというパターン。
楽器がない、友人に借りる。恥ずかしくて穴があったら入りたいというのに、楽譜を見ると一度も目にしたことがない曲だ。一日も練習していないので、初見で演奏するしかないというパターン。
楽器はあっても、必要な道具がない。またはその道具だけが新品で、一度も試奏したことがないから、一体どんな音色になるのかもわからないというパターン。
卒業試験のプログラムは3曲である。そのどれも入学して以来2、3回しか練習していない。突然できるようなものではない。というのに目前に迫っており、舞台に引きずり出されるパターン。
試験ではないが、自分はレッスンに行かなくなってしまい、教授とのスケジュール合わせに参加しなくなって何か月も経ち、しかし教授も何も言ってこない。風のうわさに私はもうやめたいということを知っているのだろうか。ということは卒業証書はもらえない、だって練習などもう何年もしていないのだから、卒業試験ができるわけがない、と言って教授の顔が頭から離れず恐怖でノイローゼになるというパターン。


どちらにせよ、3歳から26歳まで毎日練習練習練習と脅され、追い回され、追いつめられたのに、そこから逃げたという事実があると、この夢から逃れることができないらしい。

私のパニック障害の原因は、どこにあるのか、それが全く見えないのである。しかしこのアイデンティティの放棄からすべては始まった。それだけは間違えない。