2017年5月2日火曜日

長男の試練

なんだかんだ言いながら、長男が父親の下に学びに出て以来、すでに8か月が過ぎた。あの地へ引っ越して以来、期待に胸を膨らませた最初の一か月を除けば、彼の精神状態は常にうつ状態であった。私の下を離れたのはすでに17歳半の時だったので、一人暮らしの寂しさが鬱を呼び起こしているのではないことは明らかだった。

ベルリンに帰宅するたびに、彼の話を聞くのだが、なにが鬱の原因なのかもはっきりしない。スイス人もスイスの街も何もかもが嫌だ、自分はベルリンで育ったのだから、あんな町では生きていかれないという子供じみた不満から、父親の教授の仕方が自分には合わない、楽器も音楽も愛せなくなったなど、こちらの心も暗くするような深刻な悩みも打ち明けてくれた。

彼は次第にクラシック音楽から遠のき、必要最低限の義務をこなしながら、次第にテクノの世界にのめり込み、自分で機材を整えて様々なサウンドを生み出し、テクノをアートとして見ているなどと語りだすようになった。母親というのはこうした場面で子供と一緒に揺れてしまいがちである。私も本気ならそういうものを大学で学んだっていいじゃないという、とんでもない発言をしてしまいそうになった。

元々長男は優秀で有名な学校に行き、コンクールを賞をたくさん獲得し、多くの青年や学生オケで経験を積み、ひっきりなしに演奏の仕事をもらい、ベルリンの音大に入った当時は引っ張りだこと言ってもよかった。そんな彼が、父親の下で学ぶという彼の人生で避けることのできない道を歩み出したとたんに、鬱に入ってしまったのである。
最初は、ベルリンのような成功体験がないから、友人を失ったから、あるいは迷うことなく一途に突き進んできた道を、遅い思春期を迎えて疑問に思い始めているのだろうが、それも時期に落ち着くことであろうと、このように楽観していた。

しかし、鬱が去る気配は見えず、練習もしたくない、夜中に涙が出てきたなどという話に発展してしまったのだ。テクノ音楽を生産しているときだけ、唯一「表現する人間として」自由に創作できるのだと訴えるような目で私に語るのである。多忙な父親は月に一回しかレッスンできない。技術のことは殆ど言わず、レッスンは音楽の解釈の話に始終する。強烈な個性を持った父親のレッスンは、息子の肌には全く合わないらしい。そんなことは行く前から親子で承知していたが、息子は父親に「あなたのところでは学ばない」と面と向かって言おうと思ったこともなかった。それはあの楽器をやるには、父親を通り過ぎて一人前にはなれまいと、彼が薄々わかっていたからである。
それでも、実際に行ってみれば音楽解釈を強制されるのに耐えられない、自分の人間には関心を持てもらえず、単にいわれたことをコピーするまであきらめてくれないだけのレッスンなのだと嘆く。彼のレッスンについては色々な見方があるが、私としては、どのような解釈にも発言にも必ず学ぶべきことが隠されていると、そう叱咤して励ますしかなかった。

復活祭の休みにまた帰宅した息子は、可愛らしい女の子を連れてきて、少しは元気になったようだった。大学は転校しない、ここで最後まで卒業する、これを中断したらすべてが中途半端になると、そういう決意をしたようである。しかし学位を取ればいいんだろ、と言ってみたり、本能的に進むべき道が見え、決心できたとしても、その根拠を説明できない危うさがあった。私はまだまだ不安であった。
10日間の滞在後、息子を西の果てのバスターミナルに送った。車の中で殆ど何も話さなかったが、人生には乗り越えなければいけない石がいくつかあって、これがきっとあなたの最初の石なのだから、絶対に乗り越えなければだめなのだと、それだけは私の中でも言葉としてまとめることができた。彼の迷いの中で、今の道ではない方向に行きたいという気持ちが見えたときに、私は決してその方向転換を手伝ってはならない、この石を乗り越えさせるのが親としての支えである、ということは、私の中でも本能的にわかったのだ。しかし息子自身の中に、すでに方向転換する考えはなかった。彼も私と同時期に、なすべきことを理解したのだった。そういうところは親子である。どこかが精神的にシンクロしているのである。しかし私たちのどちらも「根拠」は分かっていなかったのだ。
時間があったので、長旅に備えてビールを2本の他に、サンドイッチやお菓子も買い与えた。今回は、帰っても少し持ち直すのではないかという予感があった。頬をさすり、しばし抱擁し合ってしっかりしなさいと激励して息子に別れを告げた。

夜の10時近く、ベルリンを西から東まで一人で車を走らせるのは本来なら気持ちよいはずだった。しかしその夜はやはり寂しかった。14時間もバスに乗って帰宅する息子が不憫に思えた。
次の日の朝、出勤中の車の中で私は突然理解した。これは息子の遅い思春期でもない、息子が楽器をへの思いを失いかけているのでもない、クラシック音楽への情熱が薄れたのでもない。そうではなくて、息子はあのとてつもなく強烈な父親との戦いに挑むために引っ越して行ったのだ。今、息子が立ち向かっているのは父親像であり、それをエディプスの話のように一度は殺さなければ、自我を形成し、立派な強い一人前の大人にはなれないのである。息子は8歳の時に父親と同じ楽器を選んだ。その決心は揺るぎのないものだった。そしてメキメキと力をつけたが、同じ楽器ゆえに父親とは違う道に進むわけにはいかない。その道での地位を確立した父親を避けて通り過ぎ、彼が自分なりの道を歩むわけにはいかないのだった。そして今父親と対立するときが来たのである。
彼の立ち向かっている父親は、確かに凄まじい人格である。私は10年以上に及ぶ戦いで、何度となく精神的に殺されかけ、体系的に自我を粉々にされたあと、初めて自分が跪くのではなく、自分を防護する権利があることを学び、実行に移した。その後私は当然別れを選んだ。なぜなら彼の下には彼を尊敬し、彼の教えを聞きながらそれに従う生徒のような関係でなければ共存できないからだた。
そうしためまいのするような巨大なエゴとして立ちはだかる父親の隣に存在するだけで、息子がエネルギーを吸い取られて枯れ果ててしまうと考えれば、今までの出来事がすべて納得できる。彼は他人のエネルギーを吸い取るのである。それは故意に行っているのではなく、存在の大きさの違いとしか言いようがない。しかし彼は常に信仰者に囲まれている。彼の妻も然り、彼の生徒たちも然りである。皆彼の言うなりに音楽を奏で、その解釈を心の底から信じているのである。
彼の音楽家としての実力も魅力も、何もかも認めなければならない。彼が好みの問題を超えたもっと高次の能力をもった人間であることには間違えない。
しかし、その息子が同じ道を選んでしまたことは、ある種の運命であるような気もする。長男は最も私に似ており、普通に人に合わせることができ、自分を過剰に突き通すことを好まない。しかし強い自我を突き通すことを疑いもしない他の子供たちではなく、よりによって長男が父親と対抗する羽目になったのである。

長男の孤独は深い。クラスにも彼を理解する者はだれ一人いない。全員が教授を崇め、言いなりに演奏することで、その震えるような音楽のかけらを一片ずつ自分の身に着けようとして彼に傾倒しているのである。息子だけが言われること、指図されるフレーズにことごとく内心逆らっているのである。四面楚歌という状況の中、親しい友人にもこの話の背景がわかろうはずもないのだった。彼はまさに孤独というものを初めてなめることになったのである。

その長男から今晩電話があった。自分が大人にならなければいけないということをひしひしと感じ、自分の精神衛生に一人きりで責任持たなければならないことを分かったという。モチベーションがなければ自分でモチベーションの源を見つけるように努力し、練習したくないからこそ、練習して没頭しなければならないと語る。言っていることはすべて正しい。特に、多くの学生初心者が共通して最初に乗り越えなければならない壁とは、まさにこの長男の言うことである。

しかし、私は長男が力をつけ、決心を固めたのを察して、私の解釈を告げた。あなたが乗り越えなければならないものは、もちろんあなた自身であるけれど、本当は父親に対抗しなければならない。父を認め越えなければ、あなたは残念ながら大人になれない。けれど絶対に打ち勝つことができる戦いしか、人生にはやってこないはずだから、どんなことがあっても自分を見失ってはならないと伝えた。
すると息子は目から鱗が落ちたように、自分の今までの出来事が腑に落ちたようである。
「パパのように夢中になり、発見されていない楽曲を掘り出し、編曲し、寝る間も惜しんでそのことしか考えないようでなければ、自分は音楽を愛しているとは言えないと名指しされているような気がした。どれだけ頑張って努力してもしなくても、どれだけの成果を出しても出さなくても、常に才能を褒めてくれ、実際どれほどの関心があるのかはわからず、自分の存在は透明のような気がした。他の学生は全員一致で言われた通りにやっている。自分だけが父親の解釈ややり方に疑問を持っていた。しかし誰も口にできない。僕も口にできない。しかし、父親とは違う奏で方や音楽の愛し方があってもいいはずだ。それが父親には全く通じない。」

私は息子の言葉を繰り返して、それがあなたの行くべき正しい道なのだと諭す。「何度も何度も、今言ったその自分の道を父親に揺らがされ、その道はおかしい、こっちの道が正しいと言われ続け、とうとう自分の意志にさえ疑問がわいてくるでしょう。折れそうになるでしょう。しかし、絶対に自分を見失うな。言われたことはすべて言うとおりにやりなさい。それでも今言ったことがあなた自身であることを忘れたらいけない。折れたら彼を崇めている他の皆と同じになり、あなたは父親の傘下に入る。あなたが息子でなければ、それだけで充分に音楽家として学ぶところがあるだろうが、あなたは息子だから傘下に入るわけにはいかない。あなたの道を父親とは違う地盤に築かなければならない。凄まじい威力で立ち向かわれるから至難の道になるだろうが、これがあなたの課題なのだと私にもわかった。いままで一年近くもやもやとしていたことが、いまやっと頭でも理解できたから、必ず次の段階に上って行かれる。また違う景色が見えてくる。そうして一歩一歩歩みなさい。最後に父親が無言で送り出してくれるような卒業演奏をしなさい。それにはあなた自身が人をつまり父親を感動させなければならない。それにはあなた自身があなたの心臓と直結した音楽を奏でなければならない。そうでなければ誰の心も動かない。父親に言われたことを100%実践して完璧に演奏すれば、それも素晴らしい演奏になるでしょう。でもあなたは『違う在り方があるはずだ』と言った。だからそれを探り、確立し、あなたのやり方で人の心を動かさなければならない。あなたの父親はそれを一人きりで築いてきた。そして多くの人の涙を誘う演奏をしてきた。あなたも一人きりでそのあなた自身の演奏を築かなければならない。それには孤独を愛し、孤独に負けることなく立ち向かいなさい。それが父親という壁を超える最大の基盤になるはず。」

私は思いにかませて、これだけのことを精一杯に息子に伝えた。息子はやはり今までの気持ちの動きに納得するだけでなく、背景を理解できたと考えることで、少し元気が出たという。もやもやというのは人の心を不安にする。その一つ一つが文字になり、理解することにより、ずっと晴れやかな風景になるのだ。電話を終えて、やっとここまで来たかと胸をなでおろした。これで息子は必ず前進できる。どこまで前進できるかわからないが、また大きく成長を遂げる。あとはまた遠くから見守ていれば十分なのだった。

やはり母親だけでは育たない。だから息子はあえて父親を求めて彼の下に学びに行ったのである。そして彼は理解するもっとずっと前に、無意識に父親との対決に腹を決め、覚悟の上で出て行ったのである。父親は子供の成長にはほぼ関わらなかった。関われなかったというのもあるが、音楽が何よりも重要な彼にとって、子供に割く時間はどうしても取れなかったのだろう。それぐらいでなければ一流などにはなれないのである。しかし、父親がただの壁だたとしても、存在しているだけで息子の成長にとっては重要なことだったのだ。それを乗り越えるだけでも、重大な課題となるのである。

殴り書きで、まったくうまく書けないが、人生の節目となる出来事だったので、どうしても書き記しておきたかった。今後期待と不安をもって、見守ってゆこうと思う。