2011年3月30日水曜日

何も手につかないので書いてみる

あれ以来、何かが変わってしまった。
聞こえる音も、見える景色も、呼吸する空気も、みんな以前とは違う。

おなかの中に、重くて悲しいものが宿ってしまい、それがどこへも行ってくれない。
そして不思議なことに、どこへも行かないで欲しいと、大切にその塊を抱いている自分がいる。

それは、何かの、誰かとの共有なのだった。

朝起きたときに、眠い目でニュースをチェックした。
何の虫が知らせたのかわからない。
外国に暮らすようになって、日本で大変なことが起きても、私はまるで部外者のように、ニュースを知るのも現状を知るのも大幅に遅れる。

妊娠8ヶ月のあの時、何もかもが不安だった。
初めての子供をおなかに抱えながら、未来も見えず、夫がいてもいつも一人であった自分の地面は、何かがあればすぐに崩れるほど脆そうだった。
日本には帰らない、帰れないという決心も事情でもなく、帰ろうと思えば、すぐにでも帰れるほど、日本はまだすぐ近くにあった。

その朝早く、実家から電話が入った、
TVを見たら、神戸の町が燃え盛っていた。
頬を抱えて、テレビ画面の前で泣いていた。
地震災害のショック、被災されたかたがたへの思い、そういうものも当然あったのだけど、実際は、私の心こそ、心の中に起こる地震を恐れていたのであり、実際の自然の破壊力の大きさを見たときのショックは、私の心を直接揺さぶった。
生きている自分の世界が揺らぐ、そういう根本的な不安感だったのを覚えている。

しかし、インターネットもなければ、コンピューターすらなかった時代で、テレビ番組も今ほどチャネルが充実していたわけでもない。
大変な状況を画面に見つつ、多くの詳細を知らずにも済んだともいえる。

それ以来、私は殆ど毎日のように考えてきたことがある。
いつか、自分の実家に近いところに大地震が来て、オロオロすることがあるだろうと。

3月11日は、娘の誕生日だった。
前の晩にケーキを焼いて、テーブルにセットして寝た。
甘い匂いにつられて夜中に起きてきた娘が、ちょっとキッチンに立ち寄って、そのケーキを目にし、きっと満足そうに再び自室にもどった音を聞いた。

その朝、皆で朝食にそのケーキを囲んだ。
娘は新しい携帯をもらって、息子たちは忙しく登校していった。
日本で大地震があったよ。
それだけ伝えた気がする。しかし、自分の親にも連絡できていない。この分だと、昼ごろまで連絡がつかないだろうと思い、落ち着いてニュースを見ながら、時間を稼いだ。
難なく親には連絡がつき、父が渋谷からの帰宅に手間取っているという話は聞いたが、無事だったようで心配事は一つ消えた。

しかし、これは何か大変なことになったという予感は、非常に強くあり、午後レッスンだったのだが、手につかない、そういう状況だった。

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そうして始まった震災なのだが、今では震災という言葉よりももっと、何か背景を動かすような意味を持って、私の中の何かを変えてしまった。
遠くにいて、部外者のように、何の苦しみもなく、ただ画面を見つめてオロオロしている人間が、何かが変わったなどと、大げさなことを言うべきではないかもしれない。
しかし、事実何かが変わってしまったのだ。

たくさんの人の涙を見た。
家が流されるとき、思いでも歴史も、家族で共有した何もかもが、自分や家族が存在していたという証さえも一緒に流されてしまった。
考えただけでも言葉を失ってしまうようなことで、おそらく私自身が同じ境遇に遭遇したら、足がすくむだろう、泣き崩れるだろう、ただのどの底から嗚咽が漏れるのみだろうと、無力な姿しか思い浮かばない。
幾つかのニュースや動画で、そういった人々の嗚咽と叫び声を聞いてしまった。
そんなとき、自分のおなかが絞りあげられるような痛みを感じてしまう。
子供と手が離れてしまった話、子供の棺の上にぬいぐるみが置いてあり、その傍に佇む母親が号泣している土葬の様子、孫を抱くようにして無くなった祖母、他の人が流されるのを見た話をしながら、自らが泣き出してしまう人々。
数え上げればきりが無い。
そんな話と場面の数々が、毎日毎日私の目に飛び込んできた。
そして、そこに「彼らの悲しみ」とはとても言えない、個人の一人一人の慟哭を感じてしまった。

いったい、彼ら一人一人の悲しみの重さを集めたらどれほどの重みになるのだろうか、一体、彼らの流す涙を集めたら、どれほどの深みになるのだろうか。
そんなことばかり考えた。
そして悲しむ人の顔と姿は、血の気がなく、まるで血がめぐらずに冷え切ってしまったように、生命力を吸い取られていた。
そこには、早く天使が舞い降りて、一人一人の心臓を暖めて、再び鼓動を呼び起こし、血が流れ出すようにしてあげないと、いつしか氷のように凍ってしまう。
そんなとてつもないことを考えていた。

ある家族は、身内の遺体を流された車の中に見つけてしまう。
どうしよう、どうしようと半ば取り乱して、車の中に声をかける。
そして警察が来て、遺体を運び出した。
その間、彼らはシート外で待ち、しゃがみ込んで、絶望と悔しさに声を出して泣いていた。
しかし、その後すぐに、彼女は立ち上がり、またやり直す。守るものがたくさんあるから、まだ若いから大丈夫。
そうして、泣きじゃくりながら、おそらくひざを震わせながら、笑顔を作って去っていくのである。
リポーターもその後に嗚咽していたのが聞こえた。

この動画に対する意見は様々に分かれているようだが、私自身には、とても大切なものだった。
悲しいみや痛みは、限りなく個人的なもので、人にとうていはかれるものではない。
しかし、人間は死を恐れている。死体はショックを与えるもので、死体に対面することは、想像しただけでも恐ろしい。
死は、そこにありながら、ずっと抑圧されているのであり、死は家族の中にずっと流れているにもかかわらず、それは病気、またはまれに起こる事故という形で、ある種のプロセスを与えてくれる。
しかし、今回のこの様相は、文明を一瞬にして波に飲み込んでしまい、まるでずっと昔の人間が、なす術も無く波にさらわれていったのと、なにも変わりないのではないか、そんな恐ろしさを見せ付ける。

しかし、命とはもしかすると実に単純なものかもしれない。
そういうことをこの動画を見た後に、またはこの震災のニュースを二週間追い続けて思った。
死んだらおしまいだということ。
そして死や運命をコントロールすることは誰にもできないということ。
死は人にショックを与え、人をどん底に突き落とすが、それは一瞬にして生きていることだけが実はすべてなのであって、それ以外に何も求めるべきではない、そういうことに、誰よりも早く気がつくのではないか。
そして何よりも強いのは家族の存在なのだと思い知らされた。
死に掛かった人々を生かしたのは、多くの場合家族の顔が浮かんだかららしい。
家族のために生きなくてはと、木にしがみついたという話もあった。

2011年3月9日水曜日

春の陰影

春の光があって

空気が透き通って

毎日芽吹き始めて

ひんやりとした風も、乾き始めた土のにおいを運んでくれて

木々の上にちらほら見える黄緑色がいとおしくなる

でも予想のつかないことを恐れるような不安感がどこかにあって

誰も見ていない、だれも責めていないのに、罪悪感が募って

光の中に身をおいても、その灰色がどこから来るのかわからないときがあって

それが思わぬときに、未熟な種のまま顔をあらわにして

殻が破れてしまうことがある

そんな話みたいに、光があって暖かくなってきたのに、

どうしても通じ合えないものにも光が当たって

身体の傷と一緒に心の傷も深くなるのだけど

探ろうとして、試みようとすればするほど

ミシミシと傷が切れ込んで行き

どう転んでも悲劇の穴にしか引力が通じていないという失望感が見えてしまう

春なのに悲しいことや

青空だからこそ涙が出ることがあるけど

それは悲しいことや未熟なものみんなに平等に光が当たってしまうからだろうか

光のおかげで幸せになるのに

光のおかげで新たな影ができてしまう



昨日はそんな日だった

2011年3月6日日曜日

保守の難しさ

さすがの当地も、そろそろ春の気配となってきた。

朝起きると明るい。
キッチンのカーテンを思わず開けたくなる。これは春の到来である。
暗闇の中、子供たちを登校させる不安がない。

そして、午前中掃除をする。そんな気になるのも、春のおかげである。
起きたって9時まで夜が明けないのに、誰が掃除なんかしたいものか。

10時半ごろ、まるで職人さんの休憩のようにお茶を入れる。
起き抜けには、いつもコーヒーなのだが、さすがに午前中の休憩はお茶。
気に入ったお茶をいくつか買ってあるのだけど、それを気に入ったポットに淹れて気に入ったティーカップを出して飲む。新聞を開いたりして、ちょっと贅沢。
こんな余裕も春ならでは。

Tee.jpg


午後になると、今度はリビングのほうから、斜めに陽が差してくる。
つまり、一階というあまり好ましくない立地条件でも、それなりにアパート全体が明るくなるのである。
これは嬉しい。
実 はもう22年も欧州にいながらにして、いまだに実感していなかったことであるが、Frühlingsputzというのは、春の掃除という意味で、日本のよ うに大晦日に掃除をするのは、実用的視点から見るとまったく意味がなく、やはり春になってやっと掃除をするエネルギーをもらえるということなのだった。
まるで、冬眠から覚めたようだ。

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実は、先日Guttenberg氏が、国防相を辞任して以来、なんだか寂しくて仕方ない。
思ったことを、ほろ酔い気分のまま(現在夜中)、ちょっと殴り書きしてみる。
正確な情報を確認しないまま、うろ覚えで書くので、間違っていたらすみません。


私は、彼は余儀なく失脚すると予想していたし、あの博士論文を見たからには、嘘つきと思わずにはいられなかった。
あんなものを提出したのは、冒涜とも取れるし、悪質であるといやな気分になったのも事実である。

しかし、なにかが心に引っかかった。
あの辞任の表明が、あまりにも潔く、kurz und knapp、つまり何かのせりふを聞いているかのような、ある種の美しささえ感じただけに、またそこから皮肉なことに「嘘」の匂いさえ嗅ぎ取ってしまったのだ。

貴族の出である。
フランケン地方の古いGuttenberg家出身で、男爵の称号を持つ。
父親は指揮者であり、母親は彼が5、6歳のころに離婚して家を出ている。
弟と共に、腹違いの兄弟4人と共に育った。ローゼンハイムのギムナジウムを卒業した後、法科では有名なバイロイト大学で法律を学び、博士号を取得したわけである。

この一家は、古くから自分の家系の財産管理会社を運営するほか、病院の株を持っており、実質的に彼も監査役であった。そのほか、プファルツ地方にワイナリーも所有し、いわゆる屈指の貴族なのである。

そういう慈善行為、ワイナリー経営、病院監査役などの役割をこなしていくことで生活していく貴族のボンボンに納まりきれなかったのが、このKTと略される、Karl Theodor zu Guttenbergなのであろう。
そういう意味では、あまりぱっとしない指揮者である父親にも、そうした野心があったと考えてもよいのかもしれない。

政治、あるいは学術の世界で「も」認められたい。
この「も」は重要で、彼はカヴァリエ祭で賞を授かるなど、貴族の息子としてスポーツの世界でも、紳士的な価値を認められている。つまり、コンプレックスを持つ理由などどこにもないはずなのである。

しかし、今朝読んだTAZでは、最近の保守派の在り方を問う書き方をしており、なかなか興味深かった。
つまり、現在の保守は、保守であるだけでなく、その伝統を重んじる生き方に、さらにモダンな価値観をも実現しなくてはならない側面があるということである。
つまり、リベラル保守という位置であろうか。

Guttenberg自身、剽窃問題が明らかになった当時、若い家族の父親としての役目、政治家としての役目を果たしつつ、100パーセントの実力を出し切れないまま書き終えたもの、ということを強調していた。

そういえば、彼の周囲は完璧なのである。
Otto von Bismarckのひひ孫にあたる、シュテファニという、これまた見せるために存在するかのような金髪の美女を妻に迎えている。もちろんそこには愛情あっ ての結婚生活に違いないが、若いころから、描いてきた一つの人生地図を汚すような人物を妻にはしまい、ということはしっかり念頭にあったに違いない。

知れば知るほど、意地悪な言い方をすれば、人生を隅々完璧に演出してきたのである。
そして「暴走する野心」で手にした博士号であったが、やはり付け焼刃で手にできるような代物ではないはずで、こうしてぼろが出てしまった。野心は、それに見合った用意周到な計画と実践がなければ、形となって実現されることはなかなか難しい。

ある新聞は、これをリベラル保守のひびなどと見ている。
Ursula von der Leyenは、突然斬新な髪型にしイメージを一新した。が、家庭には7人の子供たちが待っており、幸せな一家の母親でもある。
若手のKristina Schröderも、今まで一度もぼろを出したことがない上、古い形のウーマンリブをせせら笑い、本当の女性解放主義を実践すべく、国会議員として妊娠していることをカミングアウトした。

こうなると、もう子供を持つこと、幸せで機能する家庭を持つことが、キャリアの妨げになるという言い訳すらできない。家庭もキャリアも、というのが当然教養ある女性の生き方の指針となってしまうのである。

また、外務大臣Guido Westerwelleの完璧主義は、若干形を変えて、外見の完璧さとしても現れているという。
つまり、ドレスコードがカジュアルといえば、彼の場合隙のないほど完璧なカジュアルないでたちとなってしまい、そこにはかつてのSchröderやFischerといったロックなラフな感じはない。

そんなことを考えていると、なるほど、このCDU/CSUまたはFDPといったリベラル保守の人たちの、すさまじい野心と完ぺき主義には、驚いてしまう。

実際、保守でいることは現代では難しいのではないかと、そんなことを考えた。
そして、そのシンボリックな出来事が氏の辞任であり、だからこそ、なにか後を引きずるような悲しさが残るのだろうかと、少し新しい視点をもらった。

メルケル女史の博士号も、物理学のナントカであるが、現代ではまったく役にも立たず、なんの革新も含まれない実に退屈なものであるらしい。
しかし論文の中に、すくなくとも、この元大臣のような、初期的間違えは見られないだろう。

し かし、なぜ政治家は博士号を欲しがるのだろうか。緑の党の党員は、何が何でも博士号を欲しがるだろうか。Die Linkeはどうであろうか。SPDにいたっては、元首相のSchrödernなど、Realschules出身で、後で非常に苦労して弁護士になった人 である。博士号の比率は少なそうだ。

そう考えてみると保守派というのは、リベラルでも堅苦しい。
何に追われているのだろうか。
そして、この暴走する野心の裏にある、本当の上昇志向原動力は、いったい何なのであろうか。

ほろ酔いで書いたので、書いたことを忘れた。意味をなしているかどうか。

おやすみなさい。