2004年6月17日木曜日

Mozart 手紙2

またMorzartの日。
必死になって、手紙を分析コード付け。まだこんなことしてる。七月までこれなんだから。
それにしても昔は、手紙読んでも、大天才様様だから、普通の人間であるはずがないと思って読んでいたけど、今回は、その普通ではないところが嫌に目立ってしまう。いくら天才でも、やっぱり社会に適合しないといけません。
彼は、権利の主張はしっかりするけど、義務の方は一体どうなっているのかなあという感じがするんです。もちろん作曲やコンサートは、天才の常で義務以上のことを成すわけですが、やはり使われている身だということがある。嫌でも階級や、それに応じた態度の形がある。それは一切省みることはなかった。だから、コロレドが、もうMozartがそこにいるだけで、話も聞きたくないというのにもわけがある。別に、どちらが正しいというわけじゃなくて。時代には時代の習慣があるということ。
あれだけ宮廷が支配していた時代に、あれだけ好き勝手をしたって言うところが、しかし大物だ。

そういう意味で、時代の狭間にいた彼の辛さはわかりますが、彼の人物判断力にも、大きな問題がある。見方の人は良い人、自分を批判する人、全員悪人なんです。そういう短絡さも、読んでいて、ウヘー、こいつこんなことじゃ生きていけるわけないじゃないかあ、とあきれてしまう。父親にも、心配するナとか、金を送るとか、僕の幸せはあなたの幸せとか、もうあのことに関してはお話したくありませんとか、つまり、一切口を挟んでもらいたくないのに、非常にどこかで不安を抱えているというジレンマがあるんです。難しい問題です。しかし、父親だって、コロレドに仕えていたのに、それを気にしながらも、彼は結局好きなことを通しますから、別に同じなんですね、人に気を使おうが使うまいが。困った者なんです、天才って。周りが振り回される。

昨日はスコア演奏で、MozartのRequiemだった。すっごく難しかった。バセットホルンはドと書いてあってファだし、つまりin Fということです。トランペットはin D、ティパニ-はin D に四度上をつける。もちろんファゴットはト音記号とテノール記号がころころ変わるし、合唱のバリトンも、記号がころころ変わる。弦も音がめちゃくちゃ多い上に、ヴィオラはアルト記号だし、これに四声の合唱も入れて、全部弾こうとすると、とんでもない集中力が・・・。
しかしだ。すごい発見があるものなのだ。カノン風に、まあ殆どフーガの形で、テーマが繰り返される。合唱のテーマは木管楽器が平行して演奏する。まさにレクイエムとしてのおどろおどろしさが、にじみ出てくる構造で作曲されている。ものすごい短いフレーズの中で、オケ、合唱の中に様々なことがおきている。スコアを見るとそれが分かるんです。そして、色々なアイデアを尊敬していたヘンデルからいただいている。リズムとか、伴奏のフレーズを見ると分かる。まいった。天才だと実感する。

講師がMozartが書いたとおりのスコアも見せてくれたんですが、もちろん未完でしたから、何しろ木管が欠けている。コーラスは、しっかりと書いたみたいです。しかし、その白紙の部分をこの目で見ると、全く胸が痛みました。彼の存在を何だか頭の上に感じてしまった。こんなきちがいじみた経験は初めてだった。で、鳥肌が立ち、もうMozartの魔力に、胸を打たれた。恐ろしかった。たかがその辺の学生が、へろへろピアノでスコアを弾いているのを聴いて、ちょっとそのオリジナルスコアを見ただけでこうなのだ。

何だか。非常に個人的な話になってしまった。
しかしそういう意味で、今日は新たな発見をした。

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