こんなタイトルの番組があった。
久しぶりに風邪を引いて、寝込んでいる。
水曜日に気分が悪くなり、木・金と仕事を休んだ。
休んだとは言え、翻訳の仕事を休むわけには行かない。
引き受けたものには締め切りがあるし、今回の案件は、翻訳ソフトウェアを扱える人間が私しかいなかったため、ほかに人に代わってもらうことができなかったのだ。
私の同僚に、優秀な中国人がいる。
同じ案件を違う言語で引き受けていたので、打ち合わせもあって風邪だということを伝えた。
風邪を引く時点でだめなんでしょうね。
自己管理能力の欠如なんだわね。いや、しかし子供が風邪を持ってくるわけだし。
と自己叱咤とも言い訳ともつかぬ半端なことを言ったわけだ。
しかしね、子供が三人もいて、一人きりで二つの仕事を掛け持ってやっているというのは、それだけでパワフルじゃないの。
僕なんか、子供が一人で妻が世話をしていても、時々死にそうになる。
そういう意味で、君のことはいつも、よくやってるなと思うんだよね。
普段こういうことを私に敢えて言ってくれる人はほとんどいない。
私自身、誰かに何かをやってもらったことがない、つまりそういう人にめぐり合わない、選択しない、または無意識に拒否しているところがあるので、自分の立場を比較できる状況を知らない。
だから、あまり泣き言も言わないのかもしれない。
泣いても、一人でなくと白けるのだ。
しかし、それとは別に、父のことを思い出す。
私の父は頑固で、厳しかった。厳格で長身、インテリ、という素敵なお父様じゃない。
気風の激しい、東京育ちの厳しさである。
私が何かを相談しようと思っても、一切相手にされなかった。
そして一言、居間に掛けてある額縁を指差して、でかい声で言う。
「不言実行!」
この額縁は、鎌倉の浄智寺の先代のご住職に書いていただいたもので、父は大切にしているのだ。
やりたいこと、言いたい事があったら、物言わず実行し、結果を見せて相談に来い!
まあ、単に面倒くさかっただけ。しつけも教育も、一切関心なかった、といってしまえばそれだけ。
まったく便利な額縁であったのだ。
しかしながら、不思議なことに、彼の熱いバイタリティは私の中に宿っているらしい。
私がすばらしく努力家であるとか、すばらしい成果を上げているとか、とんでもない。
そんな世界とは180度反対の、くすんだ世界にいるのだが、好き勝手にやりたい代わりjに、泣き言を言わずに自分で生きていく、という部分は似ているらしい。
そこで、結果は全部ハチャメチャなのだが、責任は引き受けているつもりなので、許してほしい。
話がそれた。
熱がある頭では、あまり文章を書けない。
その同僚は、上海出身のそれなりの家柄の中国人であるのだが、ベルリンでメディア学の修士を取り、小津安二郎に関する論文を書いたというほど日本びいきなのだ。
その彼に、いよいよ中型プロジェクトが入った。
まだ熱はあるけど、ファイルが来たので、仕事配分をしたり、ファイルの変換をしたりと準備していたら、結局仕事を始めちゃったわ。
というメールを書いた。
すると彼から、一つのリンクが送られてきたのだ。
この番組の主役に、君ならなれるなと、僕はいつも思ってたんだよね。
懐かしくない?これ?
君を見ると、この主題歌がなっちゃうんだよね。
メールの最後にウィンクマークがついている。
私は、実は人生に一つの戦略しかもっていなかったと気づく。
根性。
効率も、道筋も、論理も何にも考えずに、ただ相撲取りがぶつかっていくように、前面に体当たりしていくだけという、超原始的な戦略。
人生の時間を無駄にしまくり、壊したくないものが壊れ、(ポイント!自分で壊したものは一応壊して正解でした)、未だに先が見えていない。
根性のどこが悪いんだと思うのだ(今の時代馬鹿にされます)。
効率だけが人生じゃない(言い訳)。
でも、これ、毎日見てました。
歌ってたよ、一緒に。
私の人生戦略は、燃えよアタックだったのか。
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