2011年1月17日月曜日

燃えろアタック

 こんなタイトルの番組があった。


久しぶりに風邪を引いて、寝込んでいる。

水曜日に気分が悪くなり、木・金と仕事を休んだ。

休んだとは言え、翻訳の仕事を休むわけには行かない。

引き受けたものには締め切りがあるし、今回の案件は、翻訳ソフトウェアを扱える人間が私しかいなかったため、ほかに人に代わってもらうことができなかったのだ。


私の同僚に、優秀な中国人がいる。

同じ案件を違う言語で引き受けていたので、打ち合わせもあって風邪だということを伝えた。


風邪を引く時点でだめなんでしょうね。

自己管理能力の欠如なんだわね。いや、しかし子供が風邪を持ってくるわけだし。


と自己叱咤とも言い訳ともつかぬ半端なことを言ったわけだ。


しかしね、子供が三人もいて、一人きりで二つの仕事を掛け持ってやっているというのは、それだけでパワフルじゃないの。

僕なんか、子供が一人で妻が世話をしていても、時々死にそうになる。

そういう意味で、君のことはいつも、よくやってるなと思うんだよね。



普段こういうことを私に敢えて言ってくれる人はほとんどいない。

私自身、誰かに何かをやってもらったことがない、つまりそういう人にめぐり合わない、選択しない、または無意識に拒否しているところがあるので、自分の立場を比較できる状況を知らない。

だから、あまり泣き言も言わないのかもしれない。

泣いても、一人でなくと白けるのだ。


しかし、それとは別に、父のことを思い出す。

私の父は頑固で、厳しかった。厳格で長身、インテリ、という素敵なお父様じゃない。

気風の激しい、東京育ちの厳しさである。


私が何かを相談しようと思っても、一切相手にされなかった。

そして一言、居間に掛けてある額縁を指差して、でかい声で言う。


「不言実行!」


この額縁は、鎌倉の浄智寺の先代のご住職に書いていただいたもので、父は大切にしているのだ。

やりたいこと、言いたい事があったら、物言わず実行し、結果を見せて相談に来い!


まあ、単に面倒くさかっただけ。しつけも教育も、一切関心なかった、といってしまえばそれだけ。

まったく便利な額縁であったのだ。


しかしながら、不思議なことに、彼の熱いバイタリティは私の中に宿っているらしい。

私がすばらしく努力家であるとか、すばらしい成果を上げているとか、とんでもない。

そんな世界とは180度反対の、くすんだ世界にいるのだが、好き勝手にやりたい代わりjに、泣き言を言わずに自分で生きていく、という部分は似ているらしい。


そこで、結果は全部ハチャメチャなのだが、責任は引き受けているつもりなので、許してほしい。



話がそれた。

熱がある頭では、あまり文章を書けない。


その同僚は、上海出身のそれなりの家柄の中国人であるのだが、ベルリンでメディア学の修士を取り、小津安二郎に関する論文を書いたというほど日本びいきなのだ。


その彼に、いよいよ中型プロジェクトが入った。

まだ熱はあるけど、ファイルが来たので、仕事配分をしたり、ファイルの変換をしたりと準備していたら、結局仕事を始めちゃったわ。


というメールを書いた。

すると彼から、一つのリンクが送られてきたのだ。


この番組の主役に、君ならなれるなと、僕はいつも思ってたんだよね。

懐かしくない?これ?

君を見ると、この主題歌がなっちゃうんだよね。



メールの最後にウィンクマークがついている。


私は、実は人生に一つの戦略しかもっていなかったと気づく。


根性。


効率も、道筋も、論理も何にも考えずに、ただ相撲取りがぶつかっていくように、前面に体当たりしていくだけという、超原始的な戦略。


人生の時間を無駄にしまくり、壊したくないものが壊れ、(ポイント!自分で壊したものは一応壊して正解でした)、未だに先が見えていない。



根性のどこが悪いんだと思うのだ(今の時代馬鹿にされます)。


効率だけが人生じゃない(言い訳)。



でも、これ、毎日見てました。

歌ってたよ、一緒に。

私の人生戦略は、燃えよアタックだったのか。

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