2011年2月15日火曜日

息子の成功

この日曜日、息子参加するTrioのコンクールがあった。

ドイツではJugend musiziertと呼ばれて親しまれている。


Anne-Sophie MutterやPeter Frank Zimmermannなども、このようなコンクールに子供のときから参加して、全国大会で、一位を収めてきているのである。


朝から夜8時まで縛られて、親子して疲れたが、結果として、彼らは満点で一位を獲得し、州大会への出場許可を手にした。

次回、また得点を獲得し一位になれば、今度は全国大会となるのだが、楽器も楽器だし、道は険しい。


ちなみに地域大会の点は25点が満点で、0~4点 参加しました、~8点 成功を収めて参加しました、~12点 大きな成功を収めて参加しました、~16点 三位、~20点 二位、~22点 一位、~25点 一位+州大会への資格


となっている。


息子たちは、よく練習を積んできた。

三人の両親は、私も含めて全員音楽家である。

親が口うるさく言いつつ、人の迷惑にならぬよう、それぞれが子供をけしかけたのがよかったのだろうか。


今回は、同類管楽器アンサンブル、同類弦楽器アンサンブル、ソロはピアノ、声楽、ハープ、アコーデオンであった。

年齢別に5グループほどの別れており、息子たちのグループは、12、3歳であった。

この年で、あの楽器を吹きこなす子供の数は圧倒的に少ない。

なので、それもあっての好状況だとも言えるが、ほかにフルート、クラリネット、縦笛など、年少からやってきているグループも多く、決して州大会への資格を手にすることは容易いことではなかったろう。


評価も批判はなく、特に息子の大きなフレーズの音楽性を褒められたのに驚く。

あの子には、音楽性がゼロだと先生に疑われ、親としてももうおしまい、違う学校へ行きなさいとまで叱咤してきただけあって、彼の殻がこの特訓で破れてくれたのはうれしい。


ところで、彼の学校からは同じクラスメートも含め、ピアニストや弦楽器アンサンブル、管楽器アンサンブルなど、10人以上が参加していたが、全員25点、もしくは24点で州大会へ出場となった。

あの学校は、この音楽コンクールに参加しないように、という意見もあるらしい。

確かに、一般の公立音楽教室での才能コースに通っている子供と比べても、訓練が違うので、昨日の結果を目にして、なるほどとうなるものがあった。

息子の学校には、ただ同然であれだけの教育を与えてくれて、感謝をするのみだが、5年生から音楽一本にしぼり、しごかれまくる姿を見るのは、特にバイオリン・チェロでは、胸が痛むこともある。

精神を病んだり、脱落する子供が、本当に多いのだ。

DDR体質を残したこの学校を批判する人も、多いのも事実である。


ちなみに、何年も前に娘のこのコンクールに参加し、20点でぎりぎり二位であった。

彼女は当時は、才能コースに通っており、公立音楽教室ではスターであったのである。

そのときに、25点満点で州大会へ行き、全国大会で一位をとった少女が、今息子のクラスに転校して来た。

バイオリンは、本当に生死の分かれ道が早い。

娘はやめさせてよかった。

今彼女は、違う道を探りながら、彼女なりの表現を見出しつつある。



さて、州大会への出場資格を得られなければ、学校の生徒としてあり得ないという雰囲気であるが、この地区戦は、実に甘い。

ここから州、全国へと移っていく中で、さすがにレベルはどんどん高くなる。

勝つことは考えずに、舞台に立つことを学んでほしい。

舞台が仕事場になるからには、舞台慣れしなければ、神経が持たない。

最近、新聞で目にするのは、音楽家の演奏会前にあがってしまう体質改善をするという精神科医たちの記事である。

あがってしまうと、管楽器の場合、息も上がってしまいとても吹けたものではない。

ピアノの場合、手が汗で湿り、震えることで、ミスタッチが出る。

暗譜をおそれることで、かえって穴が開く。


そういった不安を抱える音楽家は常にいたのであり、多くのオケの中でさえ、アルコールに頼ってきた音楽家の伝説は必ずある。

最近は、それを回りに知られないよう、匿名で厳正なる極秘主義を保ち、セラピーしてくれる医師が出てきたようである。

それだけプレッシャーが高まると同時に、商売と仕事が絡み、一切の弱みを見せられないという現状なのである。


子供に音楽をやらせることは、しかもこういった学校にまで入れてやらせることに、今でも抵抗がある。


しかし、今回息子を見ていて思うのは、やはり人間的な成長があるということに尽きる。

鍛えることで、心が鍛えられ、技術が鍛えられ、そして成功体験により、自信が出て、表現する勇気が出てくる。

野心が芽生える、意欲的になる。


息子は、やめるという言葉や、転校という言葉を一切口にしなくなった。

それどころか、学校でも、クラスで飛びぬけた成績を取りたいとまで言い出したのである。

もちろん一過性のものであるが、この意欲はこのコンクールからきている。


音楽をやらせることは、全人格教育であると改めて思うのである。


自分は、何を鍛えられたかといえば、つぶされてもつぶれないところだろうか。

練習したくなくてもやらねば、という意識から、ノルマや責任感があるのかもしれない。

そして、舞台に立った経験から、ちょっとやそっとのことで、びびったりしない。


たったそれだけだが、音楽もやらなければ、これすらなかったかもしれないのである。


息子は、これからが本番。

まずは州大会で全力を尽くしてほしい。

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