2010年10月19日火曜日

写真箱

新しいプリンタを買って、それがあまりにも優れているので、写真を整理しながら印刷したり、スキャンしたりという作業を行おうと思った。

そうでなくても、この頃の過敏さは尋常ではなく、ちょっとヘルダーリンを読んだだけで、涙がぽろぽろとこぼれてくる有様だったのだ。
心が、何かを探している。それはよりどころなのか、それとも希望なのか、慰めなのか、共感なのか、あるいは孤独なのか。

封筒に入った写真を取り出してみると、6年前に亡くなった祖母のお葬式の写真だった。長生きしたので、ひっそりと家族だけで出したお葬式だが、母は気を使ってか、こまめに写真を撮ってくれ、私に送ってくれたのだ。
当時、私はあまりにも思いが新鮮だったため、その写真を見ても、おそらく何かがブロックされており、あまり何も感じることが出来なかった。まるで、写真の向こうの遠い祖国での出来事に思え、自分のここでの生活との接点を見つけ、私の身に起こった身内の不幸なのだと言う実感を持つことが出来なかったのかもしれない。

何の心の準備もなく、祖母のお棺を見て、そして入棺されるまえ、ふっくらとした布団に寝ている祖母の姿を見た途端、思わず涙がこぼれてきて、しばらく写真をそっと大切に胸に抱きながら、泣いていた。

あれだけ親しくなついて、色々世話もしてもらったおばあちゃんのお葬式にすら、私は出られなかったし、彼女を見取るどころか、世話すらする機会にも恵まれなかった。
同じようなことを両親にはやはり出来ない、一生の後悔になると、まるで一瞬にして、今の状況にある自分自身がどこに属するべきなのかを悟ったような「錯覚」を覚える。
錯覚と書くわけは、やはり子供のことや、ここにいた年月を考えると、やはりさっと決心できないだけの複雑な問題があることを承知しているからなのだが、それすら、もうどうでも良いと言う疲れも覚える。

写真箱を整理しつつ、涙は続けて流れてくる。
何年も見ることのなかった、私の過去。PCを買ったのは98年だが、写真を保存し始めたのは2000年あたりで、それ以前はアルバムに貼ったり、整理できないものは箱に小分けしていた。
つまり、そこには、離婚も病気も、どんな死も終局もない私と、私の子供たちと家族が写っている。
悩みを抱えた私は、それでも生き生きとし、若くエネルギーに満ち溢れている。苦しみがあっても、やはりそこには憎しみと同時に愛が存在していたのだろう。
がんばる甲斐とか、ものを継続させる甲斐というものを実感していたに違いない。

子供たちはしかし、誰をとっても不安そうな顔で、時折ニコニコとして写る写真のその顔は、本当にはかないほど繊細で、純粋で、傷つきやすい表情をしている。
こんなにかわいい子供たちを持つ喜びを一切十分に味わうことなく、私は葛藤を続け、夫を愛し、愛しきれず、自分に集中している年月を過ごしてしまった。
後悔は後を絶たない。

この写真箱は、2000年あたりから更新されなくなってしまった。同時に私も第二の人生を始めたわけだが、その後の写真は、常にPCやHDDに保存してあり、頻繁に目にする。
それだからと言うわけではないが、子供たちの目覚しい成長の記録以外は、私の人生はまるで、仮の人生を歩んでいるように、デジタルとしてしか存在しない写真のように、手ごたえのない軽いものに見えてしまうのはなぜだろうか。
苦しみの質は以前とは比べ物にはならないが、苦しかったと言う記憶は多くあり、考えずにすごすようになったわけでもなく、それなりに常に真面目に取り組んできたつもりであるのに、私の写真箱の中には、生々しくまだ息をしているような過去があるが、最近の写真はまるっきり訴えてくるものがない。

そして、自分でデジカメを所有するようになって、数こそ撮るようになった。昔は、デジカメすら持っていなくて、使い捨てカメラや安いカメラで少しだけ撮っていた。趣味でもなく、写真を撮るのが嫌いで、カメラは常に忘れるのが癖であった。
それでも撮った写真には、意味があるのだろうか。残したい思い出、そして心に焼き付けておきたい瞬間だったのだろう。


過去に癒されたり、過去に埋もれたりするのは、年をとったのか、今不幸なのか、そんなことぐらいしか思い浮かばない。
けれど、写真は心が出るのだと、本当に目からうろこのような体験をした。
今の私は、カメラもってどこへでも行き、撮るのが楽しいと思う。しかし愛が欠けている。生活にうそがあったから、それが写真に出たのだ。こなれた写真や、腕を磨いた写真、そんなものはいくらでもあるが、迫力のある写真がない。

昔は、写真には興味がないが、対象を愛する気持ちを一杯に込めて、一瞬のシャッターを切っていた。
親の心であり、妻の心であり、娘でもあり、その生き方のどこにも嘘はなかったのである。

今後、私が何かの折りに過去を振り返った時に、やはりこうして祖母の人柄や祖母との思い出がにじみ出てくるような、または幸せだと信じて疑わなかったあの頃の生活が、写真から踊りだしてくるような、そういう写真を子供たちと共に撮って行きたいと思った。
一歩ずつ、自分の人生からうそを取り払っている今、それも出来るかもしれないと希望を持っているが、若くないということは、何かを生み出すとき、無垢な姿勢には戻れないので、これは修業だと思うことにする。

一瞬、写真箱の中に目を通しただけで、愛おしいものが何で、何を大切にしなくてはならず、何に感謝をすべきで、何を忘れるべきではなく、そして私が何を失ったのか、はっきり見えた。
悲しみもあったけれど、心の中に、またひとつ小さく細いろうそくのともし火が点いた。

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