2010年10月31日日曜日

今年の誕生日

 



去年の誕生日は混沌としたものだった。
友人ともいえない知人とつるんで、夜遅くまで飲んだのではなかったか。
彼らは私が作った友人ではなかったのだ。

私が誰かの取り巻きでしかなかった時代の、不思議な誕生日だった。
自分ひとりで築いたのではない、誰かの世界に属している人々を知人としてあてがわれた形の人々との関係は、不安と義務に満ちており、無理強いしても好意を膨らませていかなくてはならないという強迫感。
リラックスもできず、いつかは切れてしまうのも当然の結果なのだ。

そんな檻から自分で再び這い出したのは、もう8ヶ月ぐらい前の話になる。
それ以来、私の周りには新しい何かが作用し始めて、多くの人と知り合うことができた。

友人とは、本当に知り合うべくして知り合うものだとつくづく思う。
知り合いが、私の人生に及ぼす影響は限りなく少ないとしても、友人の意味するところ本当に大きい。
外国生活が長くなっても、ドイツ人の性質というのもあってか、私のこの引きこもり的性格による原因の方が大きいとは思うのだが、あまり友人と呼べる人がいない。
引越しを重ねてきたのもひとつの理由だろう。
そして、私の変な人の良さが、友人関係に疲れを覚えてしまう要因であるのかもしれない。

ところが、ここ最近、檻から抜け出した途端に、さまざまなことが再び動き出したのだ。
家族に心配事が起きたり、仕事面で大きなターニングポイントが訪れたり。
私自身の身の回りの扉が一斉に開きだしたように、問題は私と誰かとの関係ではなく、私の身の回りに絞られ、私に与えられた強制的友人は消え去り、替わりに思ってもいない偶然で知り合ったり再開したりする人間との発展があった。

そうして、これまで仕事を通して共同作業をしてきた人々とは、仕事以外の面でも大きな人間的意味を持ち始めて、私はすでに彼らにたいして、仕事上の乾燥した会話だけではない関係を感じ始めている。

その皆と、昨夜私の誕生日には、鍋を囲んで楽しく会話が弾んだ。
仲間が集まって、打ち解けて話し出すと、実は信じられないほど相手が遠い世界に存在していることを知ってしまい、どうしても噛み合わない歯車に孤独を覚えた、ということは数多くある。知っていたようで、知らなかった人々。それは友人ではなく、互いに友人を探している人々であったのかもしれない。

しかし、昨夜はそうでなかった。
仕事の仲間なので、悉くドライに振舞おうとしてきた仲間である。それが、どこからともなく集まろうという話になって、期待もせずに集まってみたけれど、それが思わず暖かい集まりとなって、話せば話すほど、お互いのシンパシーが高まっていくという、本当にまれにみる幸運だったのだ。

私が檻から出たことによって、いろいろなことが動き出し、私は無意識に選び、無意識に選ばれている。孤独を恐れずに、自分とあまり意味のない繋がっていただけの糸を切ってみると、私自身の糸は、孤独の中にも、自由に自分自身の物語をつむぐための前準備をしてきたのかもしれない。

その下地が、今ある仕事の発展であり、彼らと共に、それぞれがプライベートでも近づきになっていくこの過程なのかもしれない。

一番近しい彼の奥さんが、私を見て、会が終わった後に、すぐさま言ったらしい。
「彼女は、あなたと双子なのね」

彼女は、華奢でメイクもないもしないその素顔が、惚れ惚れするほど美しい。
パリで大学を出て、彼のいるベルリンに移り住んできたのだが、才女とは思えないほどのやわらかさ、しなやかさを持っている。私より10歳も若いと思われるが、少女の面影はなく、彼女は立派な魅力的な女性である。

彼女が、何を持って彼女の夫である彼が私と双子だと称したのか謎なのだが、私はそれを美しい女性からの好意だと受け取った。
彼と私は、会った瞬間から意気投合したし、何より仕事の段取りでのテンポや優先順位のつけ方、または効率に対する考え方がぴったりと一致している。二人三脚のように二人で組むと仕事が上手くいくのである。
そういう彼に、私は大きく一目を置いている。そして、おそらく彼自身も、私と仕事をすることを「楽しい」と表現する気持ちに嘘はないのだと思う。

常に家にいて、まだ小さな子供の面倒を見ている彼女は、私のことを聞き伝にしか知らない。けれど、私たちの仕事の楽しさは、彼女に伝わっていたのだろうし、その相棒を現実に見たら、なんと似たもの同士じゃないの、といった彼女に、私はどんな理由なのかさっぱり分からないが、底なしの信頼と好感を持っている。

おそらくそれは、男女の仲にも、本当に信頼できる友情というものが、あってもおかしくないのだという、そういう友情の始まりに対するひとつの肯定的な証明に感じたからなのかもしれない。
結婚している男性と近しくなると、必ず私はある種の不安感と罪悪感を抱く。
それは、私自身が結婚していた当時に、そういった夫の同僚女性のせいで言い尽くせぬほどの孤独を味わったからであり、そういった女性達がやはり女である立場を決して忘れているわけではないという場面を、嫌というほど見せ付けられてきたからに違いない。

私は、偽善ぶる気持ちなどまったく抜きに、彼女にそういう不安感を抱かせることになったとしたらは本当に心苦しい。
それと同時に、男性と友人関係であるという状況に陥らないように距離を保つべきであるという、多くの場合正しい選択を時に非常に残念だと感じていたのかもしれない。

そこで出会ったこの彼とも、まったく友情という言葉も、プライベートという言葉も抜きに接してきたが、仕事上の意気投合はすべてにおいて肯定的で、隠し立てするような問題ではないのだが、わけの分かららぬ不安が沸き始めていたのかもしれない。

彼女が、私をすんなりその輪に受け入れてくれたことは、私の誕生プレゼントのひとつであり、私は大きく安堵して、仕事上でもプライベートでも、この心からシンパシーを感じている彼と、そして彼のすばらしい家族とを友人だと思って良いのだというお墨付きをもらった気分なのだ。

欧州では、男女というものがやはり表面に常に浮き彫りにされており、それを超えて勝手に友情だと思い込んで、好き勝手に仲良くし、関係を築こうとするのは、無礼にあたるし、あまりにも世間知らずで無知である。
そしてたいていの場合、そんな友情は存在しないのである。
けれど、だからといって、あきらめてしまうには、あまりにももったいない「興味」というのがある。それをなんとか形にしてゆくには、自分で私は女ではない、といっているだけではまったく十分でなく、自分のセクシュアリティをニュートラルにする要因が必要となる。それは、互いの結婚だけでも十分ではなく、友人関係となる相手のパートナーにも、同じように深い愛情を抱くことである。その人を何があっても傷つけないという、二人一組と友情を築いていく、そういう思いやりがないと上手くいかない。そんな風にしか、私は男女の友情には可能性がないのじゃないかと思っている。

今後、この仲間たちとどうなってゆくのか分からないけれど、彼らは私にあてがわれた人間ではなく、私が一人きりで生きていく中で、必然的に私の人生を通り過ぎてゆく人々で、そしてすでにこの短い期間で、幾ばくかの影響を与えてくれている。

このめぐり合い、そしてこの作用のダイナミクスからも、私の人生が再び過渡期に差し掛かり、今もまだ浮遊を続けているのだと実感する。
そして彼らも、おそらく新しいなにか見つけるべく、彼らなりの流れに乗っていることだろう。私が彼らのつむぐ物語の中で、ただの動く知り合いでしかないのか、なんらかの痕跡を残すことになる友人となりうるのか、私には知る由もないが、願わくば、友人となって行きたいと、ひそかに願っている。そして、彼らにはそのために必要な、小さな愛情の積み重ねを、本当に厭わずに注ぎ込んで生きたいという気持ちがあることを、私は昨夜実感した。

本当に素敵な誕生日だった。

6 件のコメント:

  1. お誕生日おめでとうございます。
    いずれまたメールを・・と思っていて、ずいぶん時間が過ぎてしまいました。
    私など思い切り遠くの部外者ですが、今回の日記は読んでいて私まで嬉しくなってしまいました。
    泣きたくなる位いつも誠実なMoさん、こんな素敵なお誕生日、本当に良かった・・(涙)
    特別な人との出会いって奇跡ですね。素敵な日記をありがとうございます。

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  2. Pearlさん

    ご挨拶ありがとうございます。
    先日、そちらの日記を拝見したばかりです。思春期のお嬢様のこと、またご家族のことで色々とご苦労があるようですが、私も同じようなものです。一生懸命だと言う意識毎日のようにあるのですが、時間があまりにもあっという間に過ぎて、何も築いていない、何もなし得ずに日々が過ぎていくと言う虚しさは、あまり気分が良いものじゃないです。
    帰国も考えているのですが、決心すら下し切れない。歯がゆいですが、子供のためなどという言葉で言い訳をしています。
    久しぶりにご挨拶をいただけて、大変うれしく思っています。いつでもお暇なときには覗いてください。

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  3. ミクシーの方でお祝いしたんだけど、気がつかなかったかしら?
    お誕生日祝いなんて、年々大して重要なイベントだと思わなくなっているはずなのに、やはり自分がこの世に生を受けた日に、心温まる出来事に出会うと幸せになれるものですね。
    また一つ年輪を重ねる、記念すべき誕生日。
    良い一年になりますように。
    (実はぶーやん)

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  4. ピグローナさんとは、なんて名づけ方かしらとおもっていたら、君だったの。気がつきませんでしたよ。ミクシーもあんまり見ないので、どこでどういう形でお祝いを頂いたか…。ふがいない奴ですみません。
    おかげさまで、健康ですが、相変わらず色々と思うところは渦巻いております。
    日本でも成功しているようですね!
    冬は会えるね?息子Tが雪みたいと言ってますが、私は今年は街でもいいかなと…。

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  5. おめでとうございます。はじめまして。
    twitter でfollow させていただいているものです。
    いろいろなエントリーで思いの深い所に触れるものがあって、
    勉強させていただいたり追体験させていただいたりしています。
    ときに森有正さんのエッセーのドイツ版を読んでいるような
    気がいたします。
    もっとも伝えたいことを伝えることばをまだ持ち合わせていないのですが、大切に読ませていただいています。
    たいへんなこと多いかと思いますが、
    あらたな1年にひそやかな糸が、Moさんにとって素晴らしい物語をつむぎますよう。

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  6. kayさん

    最初は英語の呟きでその後に、ラテン語を垣間見たりしたもので、国際的な背景をお持ちなんだろうと想像しておりました。森先生というお名前があがりましたが、無知な私は流石にお名前は存じていても、エッセイを読んだことはないのです。早速手に入れたいと思います。ですが、そんな雰囲気を感じられたというお言葉は、いくらなんでも行き過ぎです。頭で考えずに、湧き出るままに書いているのですが、同じように感じられる部分、過去に重ねることができる部分を少しでも見つけられたとしたら嬉しいです。
    私も伝える力も言葉もないのですが、書くことが心を静めると発見して以来、習慣のように半ば惰性で書いております。
    コメント、残してくださりありがとうございました。

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