2010年11月11日木曜日

型、そして個性

 型にはめようとしても、どうしてもはみ出してしまうものがある。一見収まったかのように見えても、やはり徐々にはみ出してきて、溢れてしまったり、飛び出してしまったり。ゴムのような形態が、適応能力なのかもしれないが、抑圧が大きければ大きいほど、跳ね返りも大きい。


娘にはそんなところがあった。

小さい頃、手を引いてすぐそこのスーパーまで買い物に行くのに、一時間、いやに時間ぐらいかかった。彼女は、歩道のコンクリートタイルの目地に生えているコケ、道端の建物との境目にある蟻の巣、目に見えないほど小さな、けれどちょっと光沢のある石などを決して見逃すことがなかった。

効率重視の私は、そんな娘の手を引っ張りながら、やっとのことでたどり着くのであった。


しかし、娘は時間の許す限り、蟻の巣を見つけ、蟻が出てくるまで待ち、蟻が歩いていれば、蟻がどこまで行くのか見届けた。

それは、放っておけば、何分間も微動だにせずしゃがみこんで観察する能力であった。


彼女は、すでにその頃から、周囲を見届ける行為を怠り、ただ一点の、しかも他人には見えないような物体にフォーカスを当てて、それ以外のことは、時間であろうが、体の痛みであろうが、まったく心の中には浮かんでこないのであった。


2歳ぐらいから見えるようになった彼女の、この特殊な性質は、そのまま変わることなく持ち越され、色々な部分で軋みを見せている。


分析家や色々な人に言わせれば、きっと様々な「理由」を持ってきてくれるかもしれない。

いやこの、人には理解できないもの、見えないもの、重要ではないことへの限りないこだわりこそ、自閉症の傾向ではないか、ということ自ら疑ったほど、私も色々な情報を集め、自分を追い詰めもした。


けれど、そんなことは実は重要ではない。

彼女にはそういう顕著な傾向があるが、実際彼女のようなこだわりが、なにか他とは違うものを生み出すことになる「個性」というものなのだと納得すれば良いのかもしれないと思うようになった。


システムにはまらないことは、恐怖感を煽る。

他の子とは違うのかしら、なぜ他の子にできることができないのかしら。

外へ行って、自慢できる子といういうのは、親孝行なものだと思う。

けれど、苦労をかけられたからと言って、愛情が減るわけでもなく、社会に疑問を投げかけるその姿勢に、社会に順応することに全生涯をかけているような、つまり私のような親には、なにか違った気づきを与えられて、はっとするようなこともたまにはある。


しかし、彼女とのコミュニケーションは困難を極め、会話が成り立たない。蟻の巣や、コケ、小石集めのスペシャリストだった彼女には、他の音も声も聞こえないのである。


それは、もしかすると、喧嘩ばかりしていた、あるいは不安ばかり抱えていた私たち夫婦や、私と言う母親の世界から、自らを遮断するような行為であるとも取れる。

彼女が、そういう風になったのは、彼女の無意識と、私たち夫婦の深い不安定な平面とが、意識のもっとも深い面で通じていたことによって、形成されてしまったとも、言えなくもないのである。


コミュニケーション能力に問題があるのではなく、それは決して病理的なものでも、先天的な異常でもなく、彼女自身が、コミュニケーション能力を遮断して自分を守ったのかもしれない。


そういう過剰な繊細さが彼女には備わっているのだと、そういうことを改めて教えられ、とても悲しくなった。



しかし、型からはみ出すと言うことは、強いと言うことでもある。

つぶされない、収縮してしまわない。


昨日、末っ子の誕生日で、日本ではとっくに公開された「ポニョ」を見てきた。

なんでもない画面で、ポニョがどうしても父親の押さえつける型の中に納まらず、自らの内面の力を振り絞って、殻を破ってしまう場面がある。


そのなんでもない場面から、型にはまらない者には、ある種の大変強い神経と意志が備わっている場合もあるということを実感した。

娘には、そういう強さがあり、私がしばしば鋼のような壁と称しているのは、すでに知られていることだ。



私は、彼女にバイオリンをさせ、できるところまで一緒に努力し、才能児童用の奨学金をもらわせ、音大コースにまで乗せた。それは、私と先生の手柄だったのだ。

あるとき、彼女は、一切の手段を使ってバイオリンを拒絶し、きっぱりとやめてしまった。

手の施しようがないというのはこのことである。


娘は、去年の期末試験で、一切の答案を白紙で出して、落第した。

これは、宣戦布告だった。

しかし、彼女のことである、政治的に旗を立てて、教育方針や学校制度を批判して、親や先生を糾弾すると言う才能はゼロなのである。

突然、オバマとは、どこの誰か、と言う質問を飛ばすような強力な世間への無関心と言う才能を持っている子である。



現在、彼女はエネルギーを失いつつあり、制度という抑圧にとうとうつぶされかかっている。歌も歌わず、友人関係もずっと制限してしまった。理解できない人たちといるのは時間も無駄、と言う理由で。

彼女自身が、自分の意識の特殊性、そして自分の思考の深さ、そしてその複雑怪奇さ、そしてこだわりの強さと言ったものに、なんとなく気がつき始めているのではないか。


そう思うと、私もやはり悲しくなってくるのである。


個性のある人間が、常に寂しく孤独な思いをする。


私は、これを機に、学校が何だと思うようになった。

自分は学校の成績が怖くてびくびくし、いつも良い成績だった(どれもたいした学校ではない)が、それが何になったろうか。

研究者になったわけでもなく、自分の文章や性質は、やはり限りなく創作というジャンル・雰囲気に近く、学術界のように、「感」を横において、きっぱりと分類的思考ができない。

それも良さだと思うが、だったら、あんなに学校制度と、成績と世間に縛られなければ良かったと言う後悔しかない。


特にドイツは、ギムナジウム、レアルシューレ、ハウプトシューレと言う成績順に三段階の教育制度であり、これこそ、社会的カテゴリー化、社会層を反映させた、格差の象徴であると言わざるを得ない。

だからこそ、ギムナジウムの生徒たちは、レアルシューレとは一切付き合わないし、その逆も同じである。


ギムナジウムには、今でもどこかに、19世紀のスノッブの匂いがしていることが多い。


そんな中で、娘はギムナジウムの厳しい現実に疑問を投げている。

言われるように、与えられるままに知識を、半ば消費物のように吸収して飲み込んでいくと言う行為をどうしてもやりたくない、いや、生理的にできないらしい。

やりたくないことは徹底的にやらないという、彼女のこれまた鋼のようなエゴイスムであるが、これは嘆いてもしょうがない。再三にわたって、そうではない、人の立場、他の立場というものがあると、徹底的に言い聞かせねばならないが、それでも蟻しか見えない彼女には、聞こない。


私は、成績表もスノッブ意識もいらないと思った。かといってドラッグやミニ犯罪と背中合わせにある最下位の学校にも彼女の複雑な思考や意識には合わない。

16歳から職業実践学校に直通しているレアルシューレも、彼女のような世間音痴、使い物にならない現実離れま子供はついていかれない。


結局、私も周囲も、彼女に葉っぱをかけ、押さえつけ、強制し、脅し、罰してきたが、一歩たりとも前進していないどころか、後退していると気がついたのである。

抑圧は、彼女の場合何ももたらさなかった。

抑圧を基本とした学校制度が、他の兄弟の場合は、モチベーションになることさえあると言うのに。


意を決して、私は日曜日、オルタナティブスクールを見に行く。

あれだけ、反権威主義に反対したのに、反対することでよく調べた結果、彼女にはむしろ適しているのではないかと、逆思考を始めたからである。

抑圧と反対にある、解放教育が、一体どの成果をもたらすのか、社会的卒業証書を手にすることができるのか、それは、独立自尊で「自己決心」した彼女の、自己責任である。

大嫌い、且つ問題な用語が並んだが、賭けに出るしかない。


今なら、彼女なら大丈夫だろう。あの子なら、と言う思いが少しだけ生まれている。

抑圧して彼女を支配しようと教育に一生懸命だった頃には、不安しかなかったのにである。


私自身、彼女を通して、思いもよらず、多くのことを学んでいるらしい。

自慢できる子ではなかったことに、実は礼を言いたいぐらいである。


やはり、人生が紆余曲折、波乱万丈で、一般よりも苦しく険しいものになることが明らかであっても、やはり個性の中にこそ、発芽のチャンスがあるのだと、それこそ、自と他を分けているものなのだと、思い知ったところである。



最後に一言彼女は、「でも私歌いたくてしょうがない、体がうずいてしょうがない。だからちゃんと音大で歌を学びたい。そのために、何が必要か自分でも分かってるから。」と言い残して自室へ消えた。


母としての不安は、さておいておこう。

そして、不安とは切り離した部分で、本当に彼女を信頼しないと、彼女自身が大人になれないと、深く反省したのである。

2010年11月10日水曜日

フランス風田舎の夕べ

おととい、美味しい鳥の手羽が手に入ったので、にんにくを10片ぐらい丸ごとと、ローズマリーを若干入れて煮込んだ。水と塩コショウだけで、もの40分ぐらいである。

ホクホクとして美味しいワインのつまみになった。


寒かったこともあり、本格的にオニオンスープも。赤たまねぎで作ったので、色味は濃くなってしまったが、味はこくがあっておいしかった。

やはりブイヨンをしっかり牛からとることが大切かもしれない。


最近気にっている、シチリア産のMerlotと田舎風バゲットと一緒に、もぐもぐと頂いた。


こういう食が、知らない間に私の体に入り、私を癒しているのだと実感する。


今度は、ワインもフランスものにしてみないと。


冬は冬で、料理の楽しみがいっそう高まる。

夜中に焼くケーキ

夜中に、キッチンへ入った。

そっと小さなCDプレイヤーのスイッチを入れた。

美しいピアノの音色が聞こえてくる。


オーブンの火をつけて、私は卵とバターを取り出した。

ひたすら、ケーキを焼いていたのだ。


シンと静まり返った夜中に、私は末っ子のケーキ焼いた。

そして、虚しかった。

どこまでも虚しいので、ケーキ作りに専念した。

出来上がったケーキは、とても良いにおいがした。

レモンケーキが良いというリクエストだったのだ。

バターがたっぷりと入っており、息子も喜ぶに違いない。


それにしても、ケーキを焼くという暖かい作業に、喜びを感じられずに、ひたすら孤独感を押し付けられていたtのはなぜだろうか。


こんなケーキでは愛情が通じないと言う恐怖かもしれない。

一生懸命やるだけでは意味がないのだ、と言う恐怖であるかもしれない。


それでもケーキを焼かない誕生日はない。



明日、紅茶と一緒に、この甘いケーキを口に含んだときは、おそらくもっと具体的な悲しみが襲ってくるようで、陰鬱な気持ちを抱えつつ就寝する。


明日起きたら、また違う一日が始まる。

ケーキを焼いた人は、他人になるかもしれない。


空虚な便り

 ある人が、また突然メールを出してきた。

いつものごとく、すべては順調で、盛大なるパーティも行ったと、ご丁寧にパーティーの写真まで付けてくれた。

その最後の写真には、その人に深い関係のある人が、ピンボケで写っており、そこに添えてあ

コメントも、謎に満ちていながら、私には解読できてしまうという、シンプルな細工だった。


心は何も動かない。

硬直したように安定感を保っている。

それは、何もしりたくない、見たくない、聞きたくない、と言う姿勢があるからだろう。

嫌っているのでも好きなのでもなく、一切の感情がそこにはないのだった。

その自らの関与のなさに、殆ど驚きを感じるのだが、伝送されたメールの内容は、空虚そのものであった。


この界隈で開催されるプライベートパーティーを数えていたら。それはきりがないだろう。

人々は、一心にパーティーを計画し、さもインテリな議論を交わしつつ、朝まで飲み続け、踊りまくる。


しかし実際、それを練り歩くように見渡してきた私には、いかにそれらが希薄な関係であるか見えてしまうのだ。

関心も友情も利害関係も殆ど存在しない。

自分のクールネスとインテリジェンスと、いや知識を見せ合い、そして多くの肯定的確認を得るために、彼らは出かけていっているのではないか。

ひたすら吐き出される白い煙と、消費され続けるアルコールをどんどん喉下に注ぎ込む彼らを見ていると、麻酔薬をダブルで摂取しているのではないかと疑いたくなるほどであった。


この辺のインテリたちの危機感はなんだろうか。

インテリたちの、自己主張せずにいられない、あの衝動は何であろうか。

そして、インテリたちの、あのクールだという、しかし一個の石も積み上げていないような生き方は何の恐怖によるものであろうか。


しかし、それももう過去の話なのだ。

よくも、あんな世界に身を置いていた。

行く道が、いとも簡単に180度反対を向いてしまった。


振り返ることのない二人の間には、一切の残留物はなく、まるで空虚な時間をすごしてしまったような悲しみがある。


言い聞かせることもやめ、失敗も認め、つけも払い、すべてが清算された後、ほっとした気持ちで、身の回りを見回すと、自分の生活も、徐々に新しい軌道に乗り始めていると言うことが見える。


ああいう形のパーティーなど、もう二度と必要ない。

存在しない私など主張しても意味がなく、そしてどうせ通じない言葉を吐き続ける関係にも意味がない。


自分と関係しているかどうか、なによりも一番最初に問われるべきことではないだろうか。

洞窟の死人

 学生だった頃に夢を見た。ユング派に懲りだした頃から、よく夢を見るようになった。

いくつも強烈な夢を記憶しており、それは20年たった今でも薄れることはない。


その中でも特によく覚えているのは、洞窟の夢だ。

私はどこかの洞窟にたどり着いた。洞窟の前には、その洞窟に関する案内が、ガラスの箱の中に入って置かれていたような気がする。その内容は定かではないが、なんでも8人の古代人が洞窟に入ったきり、そこで死に絶えたと言うことだ。

闘士であったのかもしれない。鎧を着ていたのかもしれないし、原始人であった様な気もする。

どちらにせよ、象徴的なことが中で起こり、その8人は出てこれなかったと言うのだ。

夢の中で、私は洞窟に入り、そのすさまじい雰囲気を体験したのかもしれない。うっすらと亡霊のように、私は8人を見たのかもしれない。

しかし、それが何を意味しているのか、私には分からなかった。


先日、ひょんなことから、どうしても動画を見たくなり、なぜか「八つ墓村」を見た。なぜかと言えば、私はこの小説も知らないし、この映画も番組も見たことがなかったからだ。クラシックな推理映画を見たくなって、横溝正史のこの表題を思い出したのだ。


映画を見ながらびっくりした。

洞窟ではないが、8人の侍が鍾乳洞の中で、村人に殺されたと言う設定であった。

無論、これは小説であり、事実ではないのだが、夢のシンボルと言うのは、こうして小説のシンボルにもなりうる。つまり、小説家などは、無意識レベルまで自分の意識を下降させて、あるいは、無意識下のシンボルがアイデアとして浮上するような才能をやはり持っているのだと実感した。


洞窟、鍾乳洞、戦士など、やはりシンボリックな要素があるのだろう。


それにしても、8という数字の意味は何であろうか。


今度、今更ながらだが、ちょっと考えてみようと思う

2010年11月9日火曜日

反権威主義教育に一言申す

私は、まるっきり教育の素人である。教育論や教育学などを履修したらしいが、そんなものの内容すら講義室の様子すら覚えていない。

それでも、子供三人を持つと教育テーマとは縁を切れない。今日は、最近あまりにも身近に感じている反権威主義的な教育について、だからどうだと意見をまとめて、論じるまでは無理だが、思うままを書いてみたいと思う。

音楽教室で教えていると、時々信じがたい子供を目にする。練習する、しないの云々ではなく、とにかく場所にそぐわない大声を出し、「ここから弾いて、もう一度やってみて、指はこうよ、この音が間違っているわよ」といった指摘に、いちいち「もう~やだ~・やりたくない~・間違ってない~!・あんたが間違ったんだよ!・がはははは~」のいずれかの反応が入る。
こちらは、流石に3分後には怒鳴るのだが、怒鳴られたという状況が見えていないらしい。
つまり、音楽の先生は、楽器を教えてくれる人なので黙って習う、という姿勢はゼロで、この人にも私は何を言っても許されるし、ここでも私は家でいる時と同じような声を出していいのだ、という感覚しかない。
流石に、小学校1~3年生ぐらいまでだが、それにしてもひどすぎて頭に血が上る。

さらに、少し上級になると、たちが悪い。
「この曲はやりたくない・ここそうやって弾いたじゃん!・もう一度は弾きたくない・ここからはできないから、最初から弾く・こんなリズム書いた人がおかしい・ちがうよここの音指差したじゃん、この隣のやつ、だからそこから弾いたんじゃない・(手や指のフォームを直すと)私の好きなように弾きたい」
声量や爆笑などの問題は解決するが、さらに言い訳や好き勝手に拍車がかかる。

そして、とうとう私の堪忍袋の緒が切れると、私は声を荒らげたり、脅しをかけたりするわけでもないが、冷酷な人になる。そして楽譜を閉じて出て行きなさいと言ったり、今までの態度が、どれほど失礼なものか、その子の真似をしてみせ、こういうことをあなたは人に対してやっているのよ、あなたがそうやられたらどう思うの?と突きつけてやる。

その際に、大人に向かってそういう言い方はない、先生に向かってそういう失礼なことは言わない、と口をついて出そうになるのだが、そんなこと、この子供たちは聞いたこともないし、親から文句が出るのが恐ろしい。

「そういう上から押し付けるような言い方は止めてください。」
言われたことはないが、言われそうになったことはある。

例えばチューインガムをかんだまま弾くので、冗談じゃない、口を動かしながら、指も動かして楽譜も見るなんて無理でしょ、と言えば、ガムを噛んで唾液を分泌させると集中力が増すと返してくる。
授業中にもやっているの?と聞けばそうだと言う。先生は何も言わないの?と聞いても別にだそうだ。

そりゃあ、どの先生も何も言わないとは思えないが、このような反権威主義、子供を自由活発に、自分の意志を尊重し、決して強制することなく教育する、という風潮があまりにも強すぎる。

だから、そうして私に冷酷に怒られた子は、突然大声を出して泣き出し、楽譜をかっさらって、さようならも言わずに出て行くか、下を向いて知らぬ顔をして解放されるのを待っているか、怒られたことすら自覚できずに笑い続けて追い出されるかに別れる。

さて、親たちに目を向けてみよう。
どのような親なのだろうか。放任主義で、自分勝手、自分のプライベートや仕事に忙しくて、どうにも時間がない。子供より私の人生なのだろうか。

それは正反対なのである。
親たちは、揃って高学歴で、非常に教育意識が高い。無害な木製のおもちゃを与えて育て、夫婦で高収入の仕事につき、街中なのに一軒屋のような家に住み、ベビーシッターも複数抱えているような家庭がほとんどである。
そして、母親たちがレッスンを一緒に聴くと、事態は更に悪化し、妹が平気でお菓子を食べ出したのを見て、レッスン中の姉はずるいと号泣し、母は、「○○ちゃん、そんなに泣くのはおよしなさい。アイス食べに行くんでしょう?ママはもう聞きに来ないわよ」、などとひそひそ声でたしなめているのである。利口で美しい母親だが、私なら下の子のお菓子をもぎ取って、その子を抱きかかえて謝って、即刻退室するだろう。未だにそれが最良の選択だと思うが、その母は号泣し、周囲の部屋に迷惑をかけ、レッスン妨害しているその子をもてあましているだけである。

また、4歳児が来たので、鍵盤に慣らせようと色々と違った方法をその子に教えていたのだが、その子は、突然ピアノのいすに飛び立って、踊りだしたり、鍵盤をがんがん叩く。
母は、私のほうを見て、「この子、今日水泳の時間があったので今日はもう無理みたいです」という。「無理って、毎週この時間だし、たかが30分だから、しっかり座ってもらえばできることですから」と答えると、「でも強制しても意味がない」と。「でも強制しないと、この年頃の男の子って、いつまでも座らないじゃないですか」といえば、「いえ、この子、疲れていなければ、おとなしくて集中力のある良い子なんです」という。「それは疑ったことはないですけど、ここは時間も少ないし、ピアノの前に座って話を聞いて、いわれたことをやるのが基本中の基本で、それができないなら、今はレッスン受けるのは無理でしょう」と答えた。そうしたら、それ以来私のやるようにやらせてくれるが、それでもその坊やも猿の気が抜けない。

これはほんの一部である。

子供の好きなように、子供がどれだけの分量をこなし、これ以上無理かを決める。強制はしないというスタンス。

私には理解できない。私は強制され、無理強いされ、仕方なくやったから身についたことがどれほどあったろうと言う記憶しかない。そして自らやりたくて努力し覚えたこともあるのだが、強制されて覚えたことの量にはかなわない。量ではなく質だと言われれば、確かに自主的な方が記憶も鮮明かもしれないが、小さい子は、好きにどうぞだけでは、彼らの不安が膨張するばかりにもなり兼ねない。
それで、耐性がなく、すぐに泣いてしまったり、レッスンを止めてしまうのだ。

はっきり言おう。
このような子供たちの中で、しっかり着実に、まともに上達している子はいない。
みんな、でれでれとただ来ているだけで、そのただ通っている範囲内でしか上達しないのである。練習も誰にも強制されずに、家でも好きなことを自主的にやるように言われるのだろうか。
とにかく、大きい声で怒らない、一方的に威圧的に否定しないということは、教育でも大事だと思うのだが、社会はそんなに甘くない。独立自尊が崩壊することもあれば、その根拠なき自尊心がお門違いであることも多くある。

もっと成長すると娘の世代になる。思春期である。
娘の親友は、4人の兄弟がいて、すべて父親が違う。そして母親は、最近レスビアンになったのである。見かけもまともで、極普通の幼稚園の先生をしている。私自身ホモセクシュアリティには、一切の偏見はない。しかしながら、彼女の中で、「Emanzipation解放」という言葉が大きな価値を持っていることは、その生き様を見ても一目瞭然だ。
その娘が、心の不安を訴えるらしい。父親には会えないし、兄弟と言っても半分の兄弟だし、母親の彼女も同居している。彼らのセクシュアリティにも思いを馳せるだろう。
そして、この可愛い娘が、パーティーに行くというと、
「好きなだけアルコールを飲んで、色々なものを試し、早いうちに自分のアルコールの限界を勉強しなさい。タバコもなにも、すべてやってみれば良い。それでもあなたが本当に必要だ、欲しい、と思えるなら、やればよい」
と言う考えであるらしい。私の娘も証言したし、私もその母親と何度も電話してこの耳で聞いている。
この娘たちは若干15歳である。


その娘の精神不安定のために、彼女は一回70ユーロを投入してセラピストに行かせているという。思えば、こんな境遇ではそれは良い考えなので反対しないが、もうひとつは、この学校で成績が悪いのは、あの旧東独の制度の残った教師の授業のせいだと言い、娘を諭すこともなく、私立の学校へ行かせてあげると、娘と二人で見学中で、娘が選べば良いと計画しているらしい。

私の言いたいことは、このような解放主義的、反権威主義的教育の影響から出てきた錆の部分を、一生懸命に補おうとして金銭や労力を投入しているようだが、その錆が出る前に、もう少しやりようもあるのではないかと思うのだ。
アルコールもやれ、タバコもドラッグもやってみれば良い、成績さえ正常なら同棲したって良い、苦しければセラピストを紹介するわよ、嫌なら転校したって良い…。
極端に見れば、これでは子供はどうしていいか分からないのではないか。実際は、二人三脚とも言え、父がいないので、文字通り仲の良い母娘の硬い絆があるに違いない。愛情も満ち溢れているだろう。けれども、どこか私は反権威主義になじめないのである。

下記に、独語WikiからAntiautoritäre Erziehung(反権威主義的教育)という項目を抜き出した。拙訳である(ちなみにこの用語の項目は独語・蘭語しかない)。

これをざっと訳しながら、アレルギー的に、この教育には従えないと思いつつ、私自身の問題児である娘の性格を考えたとき、彼女を十分に抑圧的要素のある伝統的教育に押し込めることはまったく不可能であろう、という別の観点での確認をしてしまった。彼女は、抑圧的従属的教育の中で、明らかに謀反を起こしたり、ついていきたくないと拒否したり、なじめないでいるわけだが、そうして落ちこぼれていくならば、本当に落ちこぼれでしまう前に、この反権威主義でも解放主義でもいいから、教育として形態を成しているものを基盤とした学校に入れないと、後で取り返しがつかぬかもしれないと言う不安が出てきたのである。

そういう私は、まさに「伝統的・権威主義教育」の落とし子であり、独立自尊はおろか、決断力もなければ、自分の決心したことこそ間違えであるに違いないと言う不安に襲われてしまうのである。
これが、反権威主義教育を受けていたとしたら、あの子は転校しかない!と言い切れるのであろうか。

一概に良いとも言えず、一概に悪いとも言えない。
しかし、ある一定の子供たちは、この教育方針にしか従えないと言う場合もあるらしい。そして伝統的抑圧的教育を押し付けるよりも、いっそフリースクールのようなものに入れた方が、予後が良いのではないかという印象がある。

それにしても、音楽学校に来ている問題児たちは、そんな重症な子は少なく、単にビシッと言われさえすれば、普通にできるというぐらいだろう。ある程度の調教は、それは特に、他人に対する態度として、絶対に施される必要があると思う。社会というのは、何らかの犠牲を払わねば所属できないのは、昨日書いたとおりだが、この子達は、オレ様だぜと言って、この異常な(これはまた後日)界隈を闊歩しながら勝手に振舞ってしまうのだろうか。

いくらなんでも、できの悪い私の猿どもでさえ、音楽のレッスンと言えば、一言も発せずに先生の前で緊張しきって言われるがままに、人形のように弾いていたというのは事実である。

そして、これは余談だが、今日いつまでたっても練習せずに、1年以上やっているのに、さらに一切の練習をしなくなったのでバイエルの冒頭部分の実力に舞い戻ってしまい、それ以来上達できない子がいる。明るい子で可愛い。利口なので回転が遅いから上達が滞っているとも思えない。嫌なら好きなことやりなさい、止めてもいいのよ、と言うと、どうしても来たい、やめたくないという。
今日帰り際に、

引っ越すかもしれないんだよ、という。

この界隈だけど。ママがボーイフレンドと別れたので、どっちかが家を出ないとならないの。弟なんて一歳にもならないのに、自分のパパがいなくなっちゃうの、可哀想。わたしは火・金に、私のパパのおうちなの。

と言うではないか。
週二日、パパのうちに寝泊りし、学校へ行き、家には半分の弟がいて、せっかくママのボーイフレンドとの暮らしも落ち着いたのに、別れるから引っ越すと言う。

まあ、私のたどった道のりと似ているのだが、そんな背景で、彼女のピアノが、断然ひどくなり、下降の一途だということは、非常に納得ができた。家庭に落ち着きがなければ、練習などできるものではない。

これは余談だが、この界隈では、父親と住んでいる子供は殆ど皆無に近い。


さて、話は反権威主義にもどるが、興味のある方は是非、以下の記事を参照してください。


反権威主義教育とは、反抑圧的且つできるだけ強制的ではない形態の子供教育を指している。「伝統的で抑圧的な国家教育」とは反対に位置しているようであるが、 放任主義の姿勢ともはっきり異なっている。子供たちは、独立自尊且つ創造的で、社会性と困難と向き合う能力を備えた人格に成長するべきだと言う考えである。その目標も、それに至るまでの過程も、今日の教育に継続的に影響を与え続けている。反権威主義教育は、権威主義教育に反対するものではなく、子供の自己啓発を不要に抑圧すること、つまり権威的人物とシステムに対抗する姿勢をとっているだけである。

反権威主義教育の成立

この思想は、 Alexander Sutherland Neill Wilhelm Reich によって、すでに1920年代に築かれ、60年代の学生運動の最中に新たに再燃し、近代の教育を構成する一部となった。学生運動と議会外の反対派らの活動による結果、教会の青年組織、その他の教育関連機関などが生まれ、さらに既存の権威主義と認識されている教育に対する議論や 代替モデルが発展していった。
「反権威主義教育運動」という概念は、非常に異なる理論家・実践家による影響を受けているため、簡単に定義することはできない。つまり人道主義の伝統に属するAlexander Sutherland Neill Hartmut von Hentig Janusz Korczakらの改革教育者、Paulo Freire Ivan Illichら救済教育家、更に左翼または精神分析理論 ( Lutz von Werder Otto Rühle)などの人物が影響を与えてきた。「反権威主義教育」へ所属しているかどうかは、実際に活動している現場での定義、ならびにこの運動の批評家の定義によって異なってくる。
この位置相違が「反権威主義」の概念を明確にする決め手となった。「反権威主義」運動の一部が、(市民階級の)権威に反対する声として理解される一方、別の討論では、権威者に反対し、民主主義社会を追い越した教育形態に向かいつつある教育が発展したという議論が繰り広げられるようになった。
子供たちは、好きなことだけを行うことができる、あるいは行うべきであるという意見もあるため、一般社会では、無秩序な「教育」としてのイメージが一部で生まれるようになった。指導者および教育者の中には、いわゆる放任主義教育を追い求める者さえあった。他の教育法の中でもとりわけ青少年の活動、キャンプ教育または冒険体験教育などにおいても、共同決定と自己決定を重視した。
この概念を明確にするために、「抑圧の少ない」「反権威主義的」「解放的」といった用語は、すべてこれらのグループの中で形成されたことを述べておく。
一般的には、これらの相違は殆ど認識されることはないが、一部では反権威主義が権威者と伝統的教育者を批判したことへの反応として、意識的に誹謗されることもある。
最後にすべての反権威主義運動においては、性教育のタブーも解放されたということを付け加えておく。
今日の反権威主義教育
当時発展したメソッドの多くは、現在の教育でも継続して生き残っている。しかしながら反権威主義教育という概念は今日、 広範囲において社会的討論の枠から消え去ってしまい、解放的教育という概念に統合されてしまった。独立自尊且つ創造力豊かで、社会性と困難に立ち向かう能力に優れた人格は、今日殆ど当たり前のこととして受け止められている。特に、女子活動、プロジェクト方式の授業、体験教育、フリースクール、オルタナティブ(自己管理による)スクール、アクティブスクール、アドベンチャー公園、オルタナティブ(自己管理による)幼稚園、フリースペース教育、改革教育、子供共和国などの分野では、顕著な傾向である。
反権威主義教育の価値に従う姿勢は、多くの現場で目にするが、実際に教育実践としては、政治的立ち位置によって様々に評価される。批評家は、3つに分類された学校制度を保持している点を取り上げて、これでは構造も内容も個人主義的な教育に反しているため反動的であるだけだと批判している。理由としては、未だに存在している試験、成績表、なんらかの卒業証明書をめぐる思考を挙げている。その他、Lob der Disziplin (規律称賛)という本を取り上げ、これこそ反権威主義教育の掲げる目的に到達するための唯一正しい教育法であるとする声も出ている。更に社会は規則と職業などの従属によって規定され、学校制度はそれらを学ぶために、適した場所であるという指摘もある。社会のルールを守ることができて初めて、自己決定による人生が可能であるという理由による。
教育も、原則的にはこの軸上にあるはずだが、女子活動、プロジェクト形式の授業、体験教育、そしてオルタナティブスクールなどで見られるように、一部では反権威主義教育に明らかに関連している様々な思想、メソッドが受け継がれている。

左派生徒活動などの興味深いグループは、今日「解放主義的教育」もしくは「解放主義的教育任務」という言葉を表明している。

2010年11月8日月曜日

不潔よ

最近、左の肩に霊魂が宿ってしまったように痛みが激しい。激痛と言える瞬間もあり、内臓かとも思うのだが、明らかに筋肉痛である。
左の肩が象徴するものは何であろうか、などとユング風に考えてみつつ、左は無意識だなんて、昔覚えた馬鹿なことを言ってみる。しかし、身体はあらゆることの象徴であることは真実だ。
精神的に何かを吐き出す必要があるとき、人は原因不明のむかつきや嘔吐を患ったりする。
また、精神的にもうこれ以上、その事実を消化できない飲み込めない、と言ったときにも、首の息苦しさや、食事がのどを通らないという症状が出てくることもある。

それを考えると、左側のこの痛みはなんだろうか。背中が肩に移動し、それが今度は上腕にまで降りてきており、携帯を支えるのすら痛い。本を左手に持って右手でめくることさえ辛い。
まあ、そういうユング的アプローチは、あまりここでは意味を持たない。

大プロジェクトを終えた途端の清浄なので、体は正直だと思う。やはり無理があったのだ。
しかし、プロジェクトを終えたとき、過去清算のいよいよ最終段階に突入したことを象徴する請求書が弁護士から来た。ああ、この稼ぎは、全部泡のごとく消えていくんだと思い、一瞬不快になったが、無駄働きを一回せねばと言う覚悟はできていたので、もう仕方ない。クリックしてしまえば清算された事になるのだ。

夏前の日記を読むと、どうも過去を引きずっていた。過去が湯気を立てているなどと言う表現もあった。現在は、直近の過去は終了している。影響力も失い、過去としての位置も定着してしまった。
云わば、これからスタート地点という場所に立つ直前に私はいるらしいというのは分かる。

今後は、仕事上の更なる発展と見直しを予定しているので、その方向で前進して行ければと思っている。すっかりきれいごとの文章になってしまった。
___________


同僚が、小津安次郎の映画作品集を誕生日にくれた。20本弱を焼いてくれたのだ。そしてもう5本以上見た。そして毎回、静かに涙をこぼしている。小津が好きだと言ったら、彼が最近の特集を録画したものをどこかからダウンロードしてくれた。

小津に関してどうこう言うのは専門家に任せるが、本当にいつも思うのは、なんと美しい日本語であったかということ。当時の中流社会ではなされていた言葉、そして所作、そしてコミュニケーションの形式の美しさは、本当に背筋を伸ばしたくなるようなものがある。
古い道徳観念が、当時の女性を苦しめたことなど、今からは信じられないことであるが、私の母の男女関係における伝統的な道徳心、そして、まさにこの映画の中のような中流家庭に育った彼女の、あまりものを言わない辛抱強さと、凛としたその姿を今になって肯定的なものとして理解できる。

彼女は、本当にものを言わない。さすがに、今の時代「もう、いいんですの」などと言う上品な言葉遣いはしないが、彼女は取り乱すこともなく、嫌なことがあれば部屋に篭り、じきに出てきたときには、もう笑顔ですべてを忘れ去っているのだ。そんな母に、「何も考えなどないのか」という思いを抱いたこともあったが、それは大きな間違えであった。言わない辛抱は美徳であり、それ以前に礼節とたしなみであったらしい。

少女っぽい、世間知らずと母を優しい目で、しかし古いものとして見てきた私は、母の方に、よほど強い何かが宿っていたのだと改めて思った。

それにしても、言葉も劣化し、仕来りも所作も形式もすべて劣化したものだと思う。
小津の映画だからと言う理由を抜きにしても、当時は「美」というものが、文化の中に存在していたのかもしれないと思う。

そういえば、以前ドイツの新聞が、大市民層の崩壊を嘆く記事を書いていた。教養層の幅が、拡大し、中流層そのものの教養が高くなったが、それと同時に、当時絶対必須と考えられていた、神学、哲学、法学などのレベルが落ちたと言うのだ。大流行の経済学専攻の学生が最も多く、彼らはドイツでもディプロム証書なので、ちょっと前のマギスターの学生のように、三科目専攻する必要がない。今更哲学神学という地盤は、無用だと思う人間も少なくない。

話はそれたが、日本でも多かれ少なかれ、小市民層の豊かさが安定し、保証されたのと同時に、伝統的ななにか重厚な「美」に通じるような「形式」「精神」と言うものが失われたような気がする。

「おじさま、再婚なんて、なんだかきたならしいわ、不潔よ」

こんな台詞を今の時代口にする女性はいないだろう。
しかし、不潔を極めきっているような、云わば「あいつはあばずれさ」と言われて当然のこの私は、なぜかこの台詞に感銘を受けた。
生物的に考えれば、生き物は生殖活動を続けるために、常に番を捜し求めるのだが、人間はそれをモノガミーによって一人で落ち着けようと言う努力をする。最近は、その努力は無意味だとか、モノガミーは機能しないと言う意見もある。
キリスト教によって、男女関係が、不自由極まりなく縛られていただけでなく、ネガティブなものとして常に抑圧されてきた時代の不自然さは、異常なものがあるとしても、最近の、駄目なら、経済的に自立しているのなら、すぐに別れるという風潮も、やはり劣化と言ってもいい、何かネガティブな表れである気がしてならない。

社会に所属するためには、常にそれに対して犠牲を払わねばならないのは、どうやら事実である。
それが現代は仕事ということで、個としてのありかたを犠牲にして、経済的自立をするため、つまり金銭を稼ぐための会社に所属している。それは、就業している女性にも同じことが言える。つまり、家庭に入る、所属することによる犠牲は、女性からはすでに払われなくなっているということにもなる。

それは社会的には喜ばしいことであるが、では、どうやって二人三脚を組めばいいのだろうか。会社へ犠牲を払う男と家庭に犠牲を払う女が、性の営みで共同所属を象徴し合う形がないと、どうなるのであろうか。
女も男も犠牲は金銭を得るための活動に費やしているのである。家庭へは割り勘で犠牲を払う。精神が、経済的勘定をする機能になってしまい、まるで口座チェックをしあうような仲の男女関係ばかりのような気がする。

そこで、再婚は不潔、という一度きりの結婚への強い所属感情は、犠牲を払った本人の心の投入度を象徴しているように聞こえる。人生を文字通り、ささげ切った。個を捨てて、結婚に入った。その相手が死んでも私の場所は変わらない。
そんな覚悟が聞こえてくるのである。そして私は、それを美しいと感じる。

兼業主婦や社会で成功している女性の方が強く、実力があり、賢いというのは嘘だと思う。
母を見ていてもそうだが、人は社会的だからこそ、一人では生きていかれない。幸せとは、必ず一人ではなく、二人でつむぎ出してこそ、本当に深く根を張ってくるものなのだと思う。それには、自分を捨て嫁に行くというような時代の覚悟は、大いに結婚を助けたであろうし、二人の絆を強く結んだ例が多かったかもしれない。

駄目なら独り立ちできる、失敗したら経済的にも問題なくやり直せる、という状況が、結婚を危うくしているとは絶対に言わないが、そこに犠牲の精神は見えない。

やはり、熱愛ではなく、愛の基本は、犠牲に違いない。
失って、得るのが、愛なのだと思う。
そうして母を見ると、潔い。愚痴は短く、多くは言わない。
父も、家庭だけは懸命に守り、家族を深く愛してくれている。
私のように、論理立ててものを言う癖がつき、男女間の問題を徹底的に理性で解決し、「納得」した「妥協」を探す、などという現代的な人間は、なんだかむしろ劣化に思えて仕方ないのだが…。