2010年11月10日水曜日

空虚な便り

 ある人が、また突然メールを出してきた。

いつものごとく、すべては順調で、盛大なるパーティも行ったと、ご丁寧にパーティーの写真まで付けてくれた。

その最後の写真には、その人に深い関係のある人が、ピンボケで写っており、そこに添えてあ

コメントも、謎に満ちていながら、私には解読できてしまうという、シンプルな細工だった。


心は何も動かない。

硬直したように安定感を保っている。

それは、何もしりたくない、見たくない、聞きたくない、と言う姿勢があるからだろう。

嫌っているのでも好きなのでもなく、一切の感情がそこにはないのだった。

その自らの関与のなさに、殆ど驚きを感じるのだが、伝送されたメールの内容は、空虚そのものであった。


この界隈で開催されるプライベートパーティーを数えていたら。それはきりがないだろう。

人々は、一心にパーティーを計画し、さもインテリな議論を交わしつつ、朝まで飲み続け、踊りまくる。


しかし実際、それを練り歩くように見渡してきた私には、いかにそれらが希薄な関係であるか見えてしまうのだ。

関心も友情も利害関係も殆ど存在しない。

自分のクールネスとインテリジェンスと、いや知識を見せ合い、そして多くの肯定的確認を得るために、彼らは出かけていっているのではないか。

ひたすら吐き出される白い煙と、消費され続けるアルコールをどんどん喉下に注ぎ込む彼らを見ていると、麻酔薬をダブルで摂取しているのではないかと疑いたくなるほどであった。


この辺のインテリたちの危機感はなんだろうか。

インテリたちの、自己主張せずにいられない、あの衝動は何であろうか。

そして、インテリたちの、あのクールだという、しかし一個の石も積み上げていないような生き方は何の恐怖によるものであろうか。


しかし、それももう過去の話なのだ。

よくも、あんな世界に身を置いていた。

行く道が、いとも簡単に180度反対を向いてしまった。


振り返ることのない二人の間には、一切の残留物はなく、まるで空虚な時間をすごしてしまったような悲しみがある。


言い聞かせることもやめ、失敗も認め、つけも払い、すべてが清算された後、ほっとした気持ちで、身の回りを見回すと、自分の生活も、徐々に新しい軌道に乗り始めていると言うことが見える。


ああいう形のパーティーなど、もう二度と必要ない。

存在しない私など主張しても意味がなく、そしてどうせ通じない言葉を吐き続ける関係にも意味がない。


自分と関係しているかどうか、なによりも一番最初に問われるべきことではないだろうか。

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