2010年11月24日水曜日

過去30年という映画と私の過去20年

 Die letzten 30 Jahren (クリックすると動画へリンク)― 過去30年」

と言う映画を見た。
珍しくテレビをつけたら、惹きつけられてしまった。

俳優が良かったのもあるが、やはり過去が自分にダブったからだろう。
89年にドイツに来た私だが、あの頃はまだ80年代で、つまり70年代の面影もいたるところに残っていた。
服装、部屋の内装、外を走る車、そういうのはまだまだ70年代を引きずっているものだった。


大学に入って、私の周りには日本人などもいなかったので、最初からどっぷりとドイツ人の中に投げ込まれた。
また、兄の大学の門下生が私の大学に教授と共に移ってきたため、兄の友人の多くに最初から支えられ、日本人と知り合うきっかけもあまりなかった。

メンザ(学食)、パーティー、恋愛、勉強、練習。
とにかくすべてに、程度を知らずに夢中でエネルギー投入した…。
むさぼるように、体験を重ね、景色を焼き付け、言葉を吸収し、文化を探っていた。

しかし、最初に思ったのは、こんな馬鹿なことである。
でも大切なポイントだったりする。女はこういうところを見ていたりする。

主人公たちが知り合い、意気投合してOne Night Standを終えた後の場面を見て思う。


そうだ、優しい男は、事を終えた朝も冷たくない。
コーヒーを飲んで、いそいそと帰るとき、それがたとえ一夜限りであっても、必ず口にキスして別れを告げさせてくれたものだ。

それは、はっきり言って最低限の礼儀だと思う。

これができる男は、そんなにいなかった。

女が道具みたいに利用されたのじゃなくて、君はぼくの気に入ったからそうしたのだし、本当に楽しかった、という確証を与えて女の子を帰せない奴は、やはり男として見込みがないのだ。


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彼らは、30年を通じて、常に偶然に再会してしまう。
たどっている道が、まるで裏で通じているかのように、いやそれがたとえ交差していても、同じように人生のモットーに向かって突き進む姿が、まるで互いを引き寄せてしまうかのように。

長年会わなくても、会った途端に、どうしても距離が縮められてしまい、互いにその距離感覚をつかめず、戸惑いながら、頭とは別のところで、まったく無実に磁石のように引き寄せあってしまい、触れ合いたい、一緒にいたい、体温を感じたい、と思ってしまう関係と言うのがある。

それは、なんとなく知っているような、理解できるような気がする。
幸せとか、未来の計画とか、同じ価値観とか、一緒にいると落ち着くとか、そんな相性とは全く関係ない。
それよりも、細胞同士が惹きあってしまうような、自分の意志とはまったく別のところで、ありえないような人物に惹かれてしまうということもある気がする。

それは、もっと生物的なもので、遺伝子の踊りを舞うためには、もしかすると最強の組み合わせなのかもしれない。
でも、文化人である人間は、遺伝子だけで結ばれるわけではないのが、なかなか悲しく、虚しいことである。

最後には、決定を下すのも、判断をするのも、脳みそにある理性なのだろう。

もちろん、彼らもそうなのだが、彼女がその踊りに終止符を打つ。理性は学ぶのだと実感する。そして学びこそ、自分を救ってくれる。

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良家のボンボンなのに、学生時代から、恐るべき活動家となり、政治に関与し、あらゆる体制に反発し、弱者、生態系のために関与し、資本主義の拡大や成長に疑問を投げかける生き方をして、大変な暴れぶりを見せてくれる人がいる。
この映画でもそうだが、私も若い頃ある人を見ていて、君がそんな馬鹿をやれる勇気や、君がドロップアウトやはぐれ者になるのを恐れない無謀さは、その分厚いバックボーンにあるのだろうと、いつも思っていた。

お金だって困ることはない、馬鹿をやって警察沙汰になっても、コネがあったりするのだ。
余裕のある生き方をしてこなければ、アクティビストなどなれないのではないか。

彼女の方は、地味にパン屋の娘で、努力を重ねて法学部を最優秀で卒業し、そのハングリー度と、努力で得たものを手放したくないという損失への恐れは、これは前述の男とは、比べ物にならないほど大きい。今手放したら、もう手に入らないかもしれない。親への申し訳なさ、今までの努力の甲斐が、水の泡になることへの恐怖。



この二人の30年後だが、彼は突然政治家としてデビューし、しかも左から大きく右へと移行して、現在は保守党でキャリアを積み、郊外に一軒家を建て、自ら絶対に欲しくないと断言していた子供が二人もいたりするのだ。
小さなプライベートな幸せにだけは、時間を浪費するまいと言っていた人間の、30年後の姿である。


彼女は、結婚もせずに、法学と言うシステム内に収まる分野にいながらにして、見事に左に位置し、活動家を支援する弁護士となっている。
家庭背景に多少苦労のあるものは、自分のキャリアを築いても、苦労を忘れないし、弱者の意味が分かっている。オポチュニストになれない十分理由があるのだろう。


こんな例をたくさん知っている、そんなことを自分の過去に重ねて、ずっと見ながら心躍る思いがしていた。
私なら、間違えなく、ボンボンが好い気になって活動家となり、甘えに乗じてある程度年をとると、さっさと保守に転身してしまったという、やはりボンボンから抜け出せない男性を選ぶだろう。

筋金入りの活動家には、セクシーさがないのかもしれない。

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私は、むろん68年世代ではないし、学生運動に染まっていた訳では全然ないが、子供の頃から70年代の音楽を聴くと胸騒ぎがしたものだ。
中学生のことから、ママス&パパスとか、ドアーズ、ザ・フー、フリートウッドマックなんかに凝って、集めていた。8年間ロンドンに暮らした、10歳年上の従姉が、たんまりレコードを持って帰国したこともあったかもしれない。
今日の音楽も、私をすぐにトランスへと導いてくれるような、かったるい懐かしい、そしてちょっと不健康な音楽だった。

小学校6年生のとき、この曲を聞いて、ショックを受けた。古い曲だったが、日本の歌謡曲しか耳にする機会のなかった当時、誕生日にもらったラジオカセットレコーダーで夜中に隠れて聞き出したFENでこれを聞いたとき、洋楽の稲妻に打たれた。

ハウスミュージックとか、テクノの分野でもトランス状態になるような音楽はたくさんあるらしいが、70年代のデジタルじゃない、アナログなトリップは、味がまったく違うのだ。もっと人間味があって、個人が後ろに隠れている。個人の詩があって、声があって、個人の姿があった。そして、本当に多くのミュージシャンが、もったいないように、ドラッグにおぼれて死んでしまった。当時のロックなトリップ音楽には、自らの命を自虐するような代償を払っていた事実が、どこかににじみ出ていた気がする。

話は逸れまくるが、やはり擦り切れるほど聴いたのは、これだ。
 
"EALES HOTWL CALIFORNIA"

この曲を聞きながら、思春期に突入思想だった私は、最初の予感にとらわれた。
どこで暮らすのだろう、誰に知り合うのだろう、どんな人生を歩むのだろう。
夢をつむぎながら、溢れんばかりの予感に囲まれて、突き進んでいく時代は、本当に手探りだが、一番幸せなときだった。

今は、予感も予兆も感じられない。
現実だけが、私の周りを取り巻き、がんじがらめにしている。

それでも、今晩は、なんだか満足だった。
私の過去20年を振り返り、胸が痛いほど懐かしいことも、心が躍りだすほど楽しい思いでも、その多くは、やはり青春が象徴するのように恋愛に関するもので、その多くがこのドイツと言う国にあることに、ハッとし、若干ショックを受け、それでも過去に対する愛着は、やはり変わらないと実感した。

この地を去ったら、やはり体の一部を剥ぎ取られるような肉体的痛みだけでなく、魂のどこかを永遠にセピア色にしてしまうような、ある種の殺人行為をすることになるのだろうと、それを実感せあるを得ない一夜であった。

そして、普段は書かないようなことを書けば、私が男性を思い出すとき、よく腕と手を思い出す。
学生時代の友人でも最近の友人でも、知り合いでも、男性の腕と手というのは、実に身近にある。
様々な種類の腕と手を、標本のように思い浮かべることができ、重さや暖かさ、筋肉や骨格、そして無駄毛の量や、縮れ具合まで思い出しては、ああいうのは嫌だな、ああいうのは素敵だな、といった具合である。
残念ながら日本人の腕や骨格は、あまり想像できない。
非国民みたいな発言で、自分でも嫌なのだが、握手したり、肩を組んでもらったり、一緒にテニスをしたり、腕相撲をしたり、知らない人なのに触れてしまったり、バーのカウンターでたまたま前にいた人の腕だったり、泣いてきるときに抱擁して慰めてくれた腕や手を一つ一つ、懐かしいものだなと思い出している。

そして、日本人だったら、どうやって慰めてくれるのか、どうやって腕相撲をするのか、肩を組まれるとどんな感触なのか、握手するとどんな風に握ってくるのか、そんなことを全然想像できない。つまり、記憶の中にインプットされていない。

日本と言う国に帰れば、祖国になり、同志であることを感じ、ストレスフリーである気がするのに、青春は、熱を持った暖かい記憶として、全部ここにあるというのは、本当に皮肉なものである。

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