2010年11月11日木曜日

型、そして個性

 型にはめようとしても、どうしてもはみ出してしまうものがある。一見収まったかのように見えても、やはり徐々にはみ出してきて、溢れてしまったり、飛び出してしまったり。ゴムのような形態が、適応能力なのかもしれないが、抑圧が大きければ大きいほど、跳ね返りも大きい。


娘にはそんなところがあった。

小さい頃、手を引いてすぐそこのスーパーまで買い物に行くのに、一時間、いやに時間ぐらいかかった。彼女は、歩道のコンクリートタイルの目地に生えているコケ、道端の建物との境目にある蟻の巣、目に見えないほど小さな、けれどちょっと光沢のある石などを決して見逃すことがなかった。

効率重視の私は、そんな娘の手を引っ張りながら、やっとのことでたどり着くのであった。


しかし、娘は時間の許す限り、蟻の巣を見つけ、蟻が出てくるまで待ち、蟻が歩いていれば、蟻がどこまで行くのか見届けた。

それは、放っておけば、何分間も微動だにせずしゃがみこんで観察する能力であった。


彼女は、すでにその頃から、周囲を見届ける行為を怠り、ただ一点の、しかも他人には見えないような物体にフォーカスを当てて、それ以外のことは、時間であろうが、体の痛みであろうが、まったく心の中には浮かんでこないのであった。


2歳ぐらいから見えるようになった彼女の、この特殊な性質は、そのまま変わることなく持ち越され、色々な部分で軋みを見せている。


分析家や色々な人に言わせれば、きっと様々な「理由」を持ってきてくれるかもしれない。

いやこの、人には理解できないもの、見えないもの、重要ではないことへの限りないこだわりこそ、自閉症の傾向ではないか、ということ自ら疑ったほど、私も色々な情報を集め、自分を追い詰めもした。


けれど、そんなことは実は重要ではない。

彼女にはそういう顕著な傾向があるが、実際彼女のようなこだわりが、なにか他とは違うものを生み出すことになる「個性」というものなのだと納得すれば良いのかもしれないと思うようになった。


システムにはまらないことは、恐怖感を煽る。

他の子とは違うのかしら、なぜ他の子にできることができないのかしら。

外へ行って、自慢できる子といういうのは、親孝行なものだと思う。

けれど、苦労をかけられたからと言って、愛情が減るわけでもなく、社会に疑問を投げかけるその姿勢に、社会に順応することに全生涯をかけているような、つまり私のような親には、なにか違った気づきを与えられて、はっとするようなこともたまにはある。


しかし、彼女とのコミュニケーションは困難を極め、会話が成り立たない。蟻の巣や、コケ、小石集めのスペシャリストだった彼女には、他の音も声も聞こえないのである。


それは、もしかすると、喧嘩ばかりしていた、あるいは不安ばかり抱えていた私たち夫婦や、私と言う母親の世界から、自らを遮断するような行為であるとも取れる。

彼女が、そういう風になったのは、彼女の無意識と、私たち夫婦の深い不安定な平面とが、意識のもっとも深い面で通じていたことによって、形成されてしまったとも、言えなくもないのである。


コミュニケーション能力に問題があるのではなく、それは決して病理的なものでも、先天的な異常でもなく、彼女自身が、コミュニケーション能力を遮断して自分を守ったのかもしれない。


そういう過剰な繊細さが彼女には備わっているのだと、そういうことを改めて教えられ、とても悲しくなった。



しかし、型からはみ出すと言うことは、強いと言うことでもある。

つぶされない、収縮してしまわない。


昨日、末っ子の誕生日で、日本ではとっくに公開された「ポニョ」を見てきた。

なんでもない画面で、ポニョがどうしても父親の押さえつける型の中に納まらず、自らの内面の力を振り絞って、殻を破ってしまう場面がある。


そのなんでもない場面から、型にはまらない者には、ある種の大変強い神経と意志が備わっている場合もあるということを実感した。

娘には、そういう強さがあり、私がしばしば鋼のような壁と称しているのは、すでに知られていることだ。



私は、彼女にバイオリンをさせ、できるところまで一緒に努力し、才能児童用の奨学金をもらわせ、音大コースにまで乗せた。それは、私と先生の手柄だったのだ。

あるとき、彼女は、一切の手段を使ってバイオリンを拒絶し、きっぱりとやめてしまった。

手の施しようがないというのはこのことである。


娘は、去年の期末試験で、一切の答案を白紙で出して、落第した。

これは、宣戦布告だった。

しかし、彼女のことである、政治的に旗を立てて、教育方針や学校制度を批判して、親や先生を糾弾すると言う才能はゼロなのである。

突然、オバマとは、どこの誰か、と言う質問を飛ばすような強力な世間への無関心と言う才能を持っている子である。



現在、彼女はエネルギーを失いつつあり、制度という抑圧にとうとうつぶされかかっている。歌も歌わず、友人関係もずっと制限してしまった。理解できない人たちといるのは時間も無駄、と言う理由で。

彼女自身が、自分の意識の特殊性、そして自分の思考の深さ、そしてその複雑怪奇さ、そしてこだわりの強さと言ったものに、なんとなく気がつき始めているのではないか。


そう思うと、私もやはり悲しくなってくるのである。


個性のある人間が、常に寂しく孤独な思いをする。


私は、これを機に、学校が何だと思うようになった。

自分は学校の成績が怖くてびくびくし、いつも良い成績だった(どれもたいした学校ではない)が、それが何になったろうか。

研究者になったわけでもなく、自分の文章や性質は、やはり限りなく創作というジャンル・雰囲気に近く、学術界のように、「感」を横において、きっぱりと分類的思考ができない。

それも良さだと思うが、だったら、あんなに学校制度と、成績と世間に縛られなければ良かったと言う後悔しかない。


特にドイツは、ギムナジウム、レアルシューレ、ハウプトシューレと言う成績順に三段階の教育制度であり、これこそ、社会的カテゴリー化、社会層を反映させた、格差の象徴であると言わざるを得ない。

だからこそ、ギムナジウムの生徒たちは、レアルシューレとは一切付き合わないし、その逆も同じである。


ギムナジウムには、今でもどこかに、19世紀のスノッブの匂いがしていることが多い。


そんな中で、娘はギムナジウムの厳しい現実に疑問を投げている。

言われるように、与えられるままに知識を、半ば消費物のように吸収して飲み込んでいくと言う行為をどうしてもやりたくない、いや、生理的にできないらしい。

やりたくないことは徹底的にやらないという、彼女のこれまた鋼のようなエゴイスムであるが、これは嘆いてもしょうがない。再三にわたって、そうではない、人の立場、他の立場というものがあると、徹底的に言い聞かせねばならないが、それでも蟻しか見えない彼女には、聞こない。


私は、成績表もスノッブ意識もいらないと思った。かといってドラッグやミニ犯罪と背中合わせにある最下位の学校にも彼女の複雑な思考や意識には合わない。

16歳から職業実践学校に直通しているレアルシューレも、彼女のような世間音痴、使い物にならない現実離れま子供はついていかれない。


結局、私も周囲も、彼女に葉っぱをかけ、押さえつけ、強制し、脅し、罰してきたが、一歩たりとも前進していないどころか、後退していると気がついたのである。

抑圧は、彼女の場合何ももたらさなかった。

抑圧を基本とした学校制度が、他の兄弟の場合は、モチベーションになることさえあると言うのに。


意を決して、私は日曜日、オルタナティブスクールを見に行く。

あれだけ、反権威主義に反対したのに、反対することでよく調べた結果、彼女にはむしろ適しているのではないかと、逆思考を始めたからである。

抑圧と反対にある、解放教育が、一体どの成果をもたらすのか、社会的卒業証書を手にすることができるのか、それは、独立自尊で「自己決心」した彼女の、自己責任である。

大嫌い、且つ問題な用語が並んだが、賭けに出るしかない。


今なら、彼女なら大丈夫だろう。あの子なら、と言う思いが少しだけ生まれている。

抑圧して彼女を支配しようと教育に一生懸命だった頃には、不安しかなかったのにである。


私自身、彼女を通して、思いもよらず、多くのことを学んでいるらしい。

自慢できる子ではなかったことに、実は礼を言いたいぐらいである。


やはり、人生が紆余曲折、波乱万丈で、一般よりも苦しく険しいものになることが明らかであっても、やはり個性の中にこそ、発芽のチャンスがあるのだと、それこそ、自と他を分けているものなのだと、思い知ったところである。



最後に一言彼女は、「でも私歌いたくてしょうがない、体がうずいてしょうがない。だからちゃんと音大で歌を学びたい。そのために、何が必要か自分でも分かってるから。」と言い残して自室へ消えた。


母としての不安は、さておいておこう。

そして、不安とは切り離した部分で、本当に彼女を信頼しないと、彼女自身が大人になれないと、深く反省したのである。

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