2010年4月3日土曜日

悲劇の循環に自ら入ってゆくこと


Ci sono porte, lucchetti, finestre, imposte e cancelli fra noi.
Io li ho chiusi tutti, e sull’ultimo mi sono appoggiata - sono rimasta ad aspettarti per troppi giorni.
Ora ho gettato per terra le chiavi e ho voltato le spalle.
Devo solo iniziare a camminare di fronte a me, lontano da te.
Ti ho lasciato andare, non è amore anche questo?

私は一歩前に歩みださなくては
あなたからは遠いところへ
あなたを解放したわ
これだって愛とは言えない?

Starcrossedより引用

 
涙がボロボロとこぼれることは、今まで何度となくあった。けれど、何分間にも渡って涙が滲んでいるという状況は、今回が初めてではないだろうか。

普通は感情が高まるから涙が出るのだが、感情の方は至って冷静であるのに、まるで身体反応のように涙が滲むのだ。それも何分間にも渡って。

何のことはない。理由はいくらでも挙げることができる。
私の前夫は再婚したのだが、彼らの子供が昨晩生まれた。
今日は私の、いや私達の子供3人を連れて、彼は病院へ赤ん坊と妻を見舞いに行ったのだ。

私が、彼と別れを決心し、私が乳飲み子を含む3人を連れて一方的に家を出て来た。それを今更後悔だとかトラウマだとか、そんなセンチメンタルな言葉で嘆くつもりも愚痴るつもりもない。

事実は事実として、すでに受容してきており、涙を流したことも慰めを求めたこともあるが、今となっては全て消化してしまった現実である。
自らが選び取った能動的選択だったという一点が、私に精気を残してくれ、一歩一歩それこそ自分の足で前進する力になったのである。

しかし、前夫の今日の話は、いささか複雑な気持ちにさせるものがあった。複雑というのも正しくないかもしれない。それより実感していなかった壁を目の当たりに突きつけられ、今まで考え想像してきた未来というものが、覆されてしまうような事実を突きつけられたと言う気分だったのである。

しかし、そういう何重にも重なって横たわる問題を実感し理解するまでには、多少時間がかかるものである。それが不思議なことに、怒涛の感情となって私を襲う代わりに、身体が先に反応して静かな一縷の涙として眼を湿らせては、時折頬を伝って流れていくと言う実に意外な形として現れた。

こうして文章を書いている現在、やっと自分自身がターニングポイントに立たされていることを認識し始めたという感じである。

私と前夫は、10代の頃から知っており、始めは何の屈託もない学生同士の友情として交流していただけである。彼の異常な背景は、その後もっと親密になり時間をかけた上で知っていくことになったのだが、その当時もすでに彼の存在は特別であり、コメディの中に深く計り知れない悲しみが潜んでおり、その不安定な体つきと身のこなしから、何か特別の能力を持っていることだけは、彼を知っている人間全員が心得ていた。

何年も後、彼の崩壊した家族や育った環境を知るに連れて、その家族全体がゴーゴリの外套の主人公、アカーキエフ・アカーキエビッチ、またはドストエフスキーの貧しき人々の主人公、マカール・ヂェーヴシキンにつながるような悲劇が潜んでいることを発見する。
誰よりも清い、いや無垢な魂を持った人々が、清貧な人生の中で自分を幸福だと言い切る謙虚さを持って、その生き様を肯定する。しかしその無垢さゆえ、まるで黒い穴がぽっかりその一家の中心に開いているかのように、次から次へと難題や不幸が容赦なくのしかかってくるのである。キリスト教的に言えば、まるヨブの話のように、何故彼らにという疑問が残る。

無垢は愚鈍だという人間もおり、貧乏が自業自得という人種もいる世の中である。
その世の中にあって、このような魂を持った者達は、一様に孤独感を募らせてゆく。さらに、孤独を骨の髄まで味わった者達は、それだからこそ、たとえ常軌を逸した形でも、愛さずにはいられない人々なのである。

彼の育ちとその家族は、あまりにも深い悲劇性、つまり本人達にはこれ以上の幸福はないと認識されるような、悲劇的な清貧と謙遜によって、同じ空間にいるだけでも心が苦しくなり、悲しみのあまり泣き出してしまいそうな窒息感を感じざるを得ない。

そういう彼との関係は、言葉の会話も要らないほど、底深い次元でつながっているという実感が伴うものであった。 友情が博愛になり、それが気がついたら互いの献身につながっていたのである。しかし、アカーキエビッチもヂェーヴシキンも決してその人生で報われることはなかった。まるでそれが法則であるかのように、正直と清らかさは、まったく誰の目にも気付かれないまま忘れ去られ、その中心にある愚鈍という黒い穴に、渦を巻くように不幸が襲ってくるばかりなのである。
それと同じように、私達のように無垢だが無謀で無知な若者2人の間には、ありとあらゆる無理難題が襲ってきたのである。
そして、彼の芸術家としての社会的成功が大きくなるに連れ、彼はサタンと聖者が同居したような複雑さを見せ、予想のつかない状況で、予想のつかないきっかけにより、予想のつかない度合いで、人格を変えていったのである。

しかし、問題が降りかかると言うのは、ドラマ性があり、2人の人間の間の色づけとさえ言えるのが、若者の人生である。無知のおかげで大人であればさっさと切りをつけたろう、同じパターンの関係構図を繰り返し繰り返し描き出し、同じ過ちを犯し、一切向上を見せないコミュニケーションを取っていた。

それだから愛ではなかったとは言いたくない。紛れもなく愛であったのだ。だからこそ、こうして終わりを告げてしまった。

しかし、関係は終わりを迎えても、時とは恐ろしいもので、嫌悪や怒りが消えてしまうと、残るのは愛の断片や、美化された相手への親近感なのである。

私は再婚し、また別れを遂げると言う一連のストーリを終え、彼は私を取り戻そうと、ヂェーヴシキンがワーリンカの乗った馬車を追いかける、あのみっともない場面にそっくりなやり方で、様々な努力をしたが、おろかな私は俗物のような相手にすがりついたままであった。

何故、俗物が良かったのか。俗物には、安定感があった。しかし私がその年月で学び得たことは、一見効率的で有能に見える俗物こそ、愚鈍で無神経であるという事実である。半ばそれに耐えられなくなった私は、ましても独り者になり、その魂の自由を味わい、金輪際、能動的な愛の行為のない生き方はやめると自らに誓いを立てたのである。

そして、彼は私を取り返すことができないとわかると、運命のように自分の弟子と再婚し、第2の人生を始めたのである。

よく思うのは、自ら関係を断ち切って離婚に踏み出すのは女性が圧倒的に多い。しかし、別れられた男性のほ方が意外にもその後新しい連れ合いを見つけ、長いこと幸せに寄り添い続ける。一方当事者の女性の方は、次々と相手にめぐり合うが一向に幸せになれないという例を多く見受ける。

私の場合もその例に漏れず、苦しんだ彼の方がむしろ近道で新たなる人生で成功し、先にスタートを切ったはずの私は、未だに宙ぶらりんであるという事実である。


今日、彼は病院から子供達を連れて帰り、ひとしきりその場の話をしてから、さらにもう1つの話をした。

彼の率いていたオーケストラを彼が去ったのは何年か前である。中庸なキャラクターと政治的活動という義務に嫌気が差して去ったのであるが、そのスポンサーがハウスコンサートに彼を招き、その後に彼の一切の活動を支持すると宣言したと言う。
もちろん彼は大学に教授職もある身なので、何の苦労もないのであるが、自分でオケを作ったり、大学を作ったりするようなことには携われない。それをその紳士がパトロンになってスポンサーになるというのである。

この話は具体化し、この秋ごろイタリアに行って広大な敷地とヴィラを買い、そこに前夫一家を住まわせ、将来は、夫の願いであった故郷イタリアで、他に例を見ないポストグラデュエート的な高等教育機関を設立すると言うのである。

彼が若かりし頃から、伝説に残るような成功をしてきたことは自覚していた。が、成功を断り、メディアを軽蔑して関わらず、ことごとく宣伝しない人物であったため、世間の俗物さながらのソリストとは、全くかけ離れた位置にいたわけである。

それが私と離婚して10年後、このような展開を見せて彼は故郷へ帰り、ヴィラに住まうことになり、新しい妻との間に立った今子供が生まれ、まさに前途洋洋、やっと家族の中でただ一人、新星と呼ばれたこの男には、悲劇の循環から抜け出せる兆しが見えてきたのである。これはある意味、大変なことだと思う。

その話を聞かされた私は、俗人そのものである。自分を不幸だとは思ったことがない。苦しんでいることは、むしろ力を試されているような気持ちがして、どんなことにも挑んできた。よって、それなりの自信も持っているのである。だから彼とその新しい妻を妬ましいと思っているとは言い切れない。

ただ、私は私の「あれからの人生」と、彼の「あれからの人生」に、取り返しが付かないほど大きな距離ができてしまっているのをまざまざと見せ付けられたことに傷ついているのである。
一つ録音が終われば、私のところに駆けつけて、ワインを飲みながら、これは君に捧げたものだと言い、その目に涙をためるのである。
彼の人生の中で、大きな転機となった局面では、私に一先に電話をしてきて、電話口で泣き崩れたのである。
時々夕食を共にすれば、手を取り合って見つめあい、若かっただけだ、若さがいけなかっただけだと繰り返し、互いにオイオイと泣くのである。

そうして10年間過ごしてきて、妻がいようとも私に夫なるものがいようとも、私たち2人にはまったく問題にならない、いや眼中に入らないほど、その絆はまるで家族、兄弟のように強いと言う信頼感があったのである。

実は、私がこの地で歯を食いしばって自立のために力を尽くしたのも、日本に帰国しないと言い切ってきたのも、実は全ては夫どころではない、彼のためであったと薄々認めてはいたが、今晩はそれが自分の目の前に暴かれたのである。

彼の未来には私の居場所はなく、彼の赤ん坊に興味を持てない自分は、おそらく妬んでいるのではなく、実はまだつながっているようで、まったく違った線路の上にいたとはっと気がついたのである。

彼は国家公務員なので、将来の心配は一切ない。
私は、3人の子供達を抱え、外国人、母子家庭、フリーランスという傍から見たら三重苦の不安と問題に溢れる地位である。
確かに私には、これから思春期の子供たちと自分の老後、日本の両親、自分の更年期と、ろくでもない現実的な問題に曝されている。それは安定し、保証された彼の生活とはあまりにも違うものであり、まったく違った種類の緊張感に溢れている。
彼の妻に至っては、私とはまったく違う絨毯の上にいるのである。彼女に、この緊張感はないだろうし、この不安感はないのではないか。

はっきり言ってしまえば、苦労している私には、このような華々しい幸福を喜べない。なぜならその差異を見せ付けられるだけであり、ねたみたくないと言う良心との葛藤が起き、さらには想像のできない世界だからなのである。

一軒のアパートも買えない人間に、ヴィラに住むだろうから、君もいつでもくればいい、良ければ一緒に移住すればよいと言われたところで、冒頭のように、麻痺した感情の下、涙がただにじむだけなのである。

けれど、私はこれでも何も後悔していないし、惨めだと実感することもできない。
私は自分が精神病院に入るのを防ぐために出てきた。結婚を救うために血を吐くような努力をし、全てを試みてもダメだったという確信があったから出てこれた。
それよりも、何の打算をすることもなく離婚を決心し、社会的地位や経済的恩恵などの一切を投げ捨てても、自分で自分の足で歩こうと決意し、今もそれをほぼ守り通していることに、少しは誇りも抱いているのである。

自立も離婚も、女性には勧めたくない。
女性を早く年取らせるおそれがあるが、それは本来生物学的に、このような生き方が女性の自然と逆を行くからなのである。
私は、逃げてでてきた。つまり選択も何も、それ以外の道が他になかったから出てきたのである。どうじゃなければ、離婚など選ぶものではない。

けれど、いったんこの線路を歩みだしたからには、惨めだと思ったこともないし、ここまで来れた事を神に感謝したいほどである。

周囲に同情を買うような私の人生状況であるが、それを私自身は、幸せを毎日実感でき、自分で歩んで行かれることに感謝さえすれど、後悔したことはないと言い切るあたり、だんだんアカーキエビッチやヂェーヴシキンに似てきたとさえ思える。
あのような種類の愚鈍さを身につけだしたのである。
それを証明するかのように、身の回りには黒い穴を巡り、問題が山積である。もはや私のまいた種ではない問題まで、私の人生に足を突っ込みだしている。

しかし彼のような人間、いや私の今でも愛している前夫が、あの悲劇の循環から抜け出すことで、本当の社会的な成功を手にし、清貧を通し、世俗を拒否し続けたからこそ、このような褒美が転がり込むのであると思えば、私は自ら好んでこの悲劇の循環に変わりに入ってもよいと思うのである。

愚鈍だからこそ、悲劇の中でも生き生きとし、人を愛せるような立場になくても、深い謙遜を持って、人に献身できるのである。

本当のヒューマニズムは、やはり宗教とは切り離せないものである。

今後は、あの人々が味わったようなどん底の孤独感が、断片的に私を襲うだろう。でも、私は違う線路に乗ってしまった前夫を心の支えに生きていくことをそろそろ止めなくてはいけないのである。それには、孤独を味わい味わいつくして他を愛せざるを得ない状況に陥るしかない。

3 件のコメント:

  1. 冒頭の詩は後から付け加えたね。でも今の君の心を重すぎずに上手く表現していると思います。今回のこと、悲劇の循環に陥っていく、というのではなく、またここで新しい人生の分かれ道に踏み出していくという方が正しいのではないかしら。悲劇が待っているのか、楽しい生活が待っているのか、それは誰にも分からないけど、結局人間は毎日のその瞬間を一歩一歩生き進めて行くしかないのだと思います。「こんな歩き方で良いのか?」と自問自答しながらね。Non ti preoccupare, andra' tutto bene!普通のイタリア人なら、こう言うだろうね。でも同じ前に進むなら、こう思って行った方が良いじゃないか。

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  2. この詩、偶然見つけて良いなあと思ったの。
    悲劇の循環とは、未来のことじゃなくて、そういう機能に自分が、きれいごとを言えば犠牲のような形となって入っていくということかな。瞬間を生きていくに当たって、上述の文学みたいに究極の愚鈍さで謙虚さと生への感謝を持てるようになるので、実はこれは機能としては悲劇だけど、当人は幸福だと言うこと。だから基本的に元気なのです!

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  3. なるほどね。「悲劇」って言葉だけ取り出すと、妙に重々しい感じがするけど、そういう意味なのね。ま、ちょっとやそっとじゃヘコタレない君だと思うからあんまり心配もしてないよ。
    ところでそろそろ屋外でのビールが美味しい季節じゃないの?ベルリンも氷は溶けたのかな?

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