2010年4月16日金曜日

離婚考 ― Helen Fisher

 随分前に読んだものだが、最近書いたテキストが出てきたので掲載する。私は手に入らず独語で読んだが、日本語でも手に入るようである。表題は「愛は何故終わるのか」。原文は英語。

Anatomy of Love: A Natural History of Mating, Marriage, and Why We Stray (ペーパーバック)
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離婚や別れというのは、自然史的に見ると近代文明と関係があるというわけではないようだ。ローマ時代に、戦争で資産を築いた都市貴族たちは、例えばそれを義理の息子ではなく娘たちに託した。そうして女性が財産に関する権利を所持することによって、貴族的地位の上に立っていったという背景の中では、結婚を含む未来に対する決定権も多くの場合、女性にあったと言うことになる。こうした階層が増えてくるにあたり、離婚率が急増したという事実があった。

結婚生活中に、様々な不満や喧嘩の原因が渦巻くのは、どの文化でも同じである。イスラムでもユダヤ教でも、アフリカの部族間でも、アメリカのような先進国で も、蓋を開ければ似たような原因の諍いと不満にあふれている。

宗教改革前、キリスト教社会では聖職者の独身性を重んじ ていたが、その社会における結婚には、神の存在しない世界でのグロテスクな性的無規律性から、性交を聖なるリトスとして守ると言う意味があった。

ムハンマドのイスラム教には、聖職者の独身性は存在しない。性交や愛を重んじることにキリスト教にあるようなネガティブなイメージはなかった。
ところが、ムハンマドはもう一つの義務を与えた。
それは、結婚生活での厳しい役割分担であり、妻は子供を生み、料理し、夫に仕える必要があった。


し かしながら、イスラムの世界では、結婚はあくまでも法律的契約であったため、いつでも離婚が可能であった。これに対しキリスト教では、礼典に従った契約 が結婚であるため、カトリック教会は、離婚を認めていない。
現在でもイスラム世界での離婚は珍しくないと言う。

さて、離婚の理由 であるが、
  1. 一位 妻の浮気
  2. 不妊
  3. 夫の浮気
となっている。

ダーウィンの説によると子孫繁栄が結婚の目的であるので、これらが多くの離婚理由のトップに立っていることをFisherは疑問に思わないそうだ。
離婚は、深くセクシュアリティーと生殖にかかわっていることに間違いはない様である。
その証として、生殖能力のある年齢の離婚者は、約80パーセント再婚すると言う。
人間は、次のパート ナーに関しては、非常に楽観的であるらしい!

さて、そうは言っても離婚にはある種のモデルがあるらしい。社会学者のS. Johnson の説によると、パートナーの双方に、土地、家畜、支払い能力、情報、その他の財産や資源がある場合、さらに双方がその私財を家族間で分割したり交換したり する権利を所持している場合は、離婚が日常茶飯事であると言う。

つまり、生き残るために男女が経済的に依存しあっていない場合、良好では ない結婚生活はしばしば解消されると言う。

これはアフリカ原住民の間でも同じで、食物を得ることに関して互いに独立した能力を備えている場合は、離婚率が非常に高いと言う。つまりこうした部族間では次の結婚でも、同様の狭い部族社会で生きるため、背景は変わらない。よって生殖能力のある間、五回ほど結婚離婚を繰り返すこともまれではないという。
その理由の一つに、母親が食物を採取しにいっている間、子供たちの面倒を見るのは、残された父親ではなく、むしろこうした狭い家族部族間では、母親の兄や弟と言った場合が多い。父親が自分の子供の面倒を見るより、姉や妹の子供の面倒を見る 率が高いと言うのである。

南アメリカの部族間でも、同様の傾向が見られ、不幸な結婚は、双方が別れる能力がある場合、解消される。そして彼らはまた再婚する。

反対に、お互いが生計を立てるために、かけがいのない存在である場合は、離婚率がずっと低いと言う。
その典型が農家である。収穫するのは男性だが、収穫したものを加工するのは女性の役割であった。
産業革命以前の欧州で、離婚率が低い原因の一つである。

また、11世紀に結婚が典礼に加えられたことで、欧州での離婚率は、一部の地域で未だに低いままである。

この傾向は、産業革命後に大きな 変化を遂げた。
収入を得ている女性の場合、男性が夕食のパンを稼いでくる家庭の女性よりも、結婚の問題に対する耐性がかなり低くなる。
女性の経済力と離婚率が平行して上昇するのは、ローマ時代の例で明らかである。

結局、愛だけでは結婚生活は持たない。その他、文化的、経済的背景が大きく絡んでくる。

社会学者Martin Whyteが、アメリカのデトロイト459人の女性に質問をした結果が次にある。

  • 類似した人格性質
  •  同様の習慣
  •  共通の興味と価値観
  •  共通の自由時間の過ごし方と共通の友人
などが、安定した結婚生活に最も有効な条件である。
さらなる利点をWhyteは挙げている。

  • 成熟した年齢での結婚
  • 深く恋に落ちた事実
  • 白人 (これはアメリカの統計である)
  • しっかりと結ばれた家族で育った背景

これらの条件を満たさないと言うことは、リスクを抱えての結婚ということになるらしい。
さらに言えば、リスクを最小限に保つためには、相違への対処として妥協が求められる。
パートナーの一方でも、妥協する姿勢が少ない場合、離婚になる 確率が高い。

更なる点として、息子がいる家庭、就学前の子供たちがいる家庭では、離婚率がやや低く、反対に若年で結婚したカップルの大半は離婚すると言う。

母権制での離婚率も高い。これは女性が自給できるからであろう。
またポリガミー社会でも、嫉妬や男性の財産をめぐる女性間での喧嘩が多く、離婚率が高い。
イスラムなどのモノガミーでは、自分のために料理し、仕えてくれる女性を捨てると言う結果を男性が簡単に下すことは少ない。モノガミーが結婚を安定させている。

共に笑い、深いまなざしで見つめあい、恋に落ちた際の引き込まれるよう な感覚、共通の秘密、二人だけの冗談、ベッドでのすばらしい時、友人や家族と日夜一緒だったとき、二人の間の子供たち、一緒に築いた財産、多くの年月を 通して笑い、愛し、喧嘩しながら、共に体験してきた変化に飛んだ時間など…

なぜ、このようなすばらしい体験を男女は、捨ててしまうのだろうか?

おそらく、日ごとの生殖活動に勤しんでいた暗黒の過去から発展した、深遠で永遠なる生殖に尽力する力からくる、絶え間ない精神の流れが理由であろうと締めくくっている。

さて、結婚は7年目が危ないと言われているが、実際は、長年の調査でも実証されているように、 3~4年目が危険らしい。
イスラム社会での相違などは略すとして、西洋社会では結婚後4年目の離婚が一番多いそうだ。
なぜなら、恋に落 ち、愛から結婚にいたるわけであるが、その愛と言うのは、私たちのごく私的な「私」というものを補うか強化するものであり、それはおおよそ4年ぐらい続くと言う。
それで、地味な事務職が、ブロンドの派手な秘書に恋をし、女性学者が詩人と一緒になることもうなづけると言う。

また人間の子供というのは、おおよそ4年ほどで一人で歩き、食事を取り、下の世話も要らなくなる。ここで、結婚し子供を共同で育てるという基本的な仕事に、一時的に終止符が打たれることも興味深い。
生殖的に、互いにまだ最高の状態であるにもかかわらず、である。
トリスタンとイゾルデの話にもあるように、恋というのは、大体3年ぐらいで終わるものなのだろうか?

またここからは簡略して述べるが、アメリカの例では、20~24歳で結婚したカップルでは離婚率が高い。
そして、女性は4年、男性は3年ほどで再婚する率が高くなっている。
子供がいても、 生殖能力の高い20代から30代のカップルは、離婚する確率が高いという。

Fisherがこの章を締めくくっているその総括に、私は自分の過去も合わせて妙に納得してしまった。
それをここに記したい。

人間のパートナーシップを形成するモデルは、女性の経済的 自立、都市化、世俗化、オーガナイズされた結婚などの多くの種類の文化的要素に影響される。この多岐にわたる影響にもかかわらず、両性共存に関しては、幾 つかの基本法則がある。

西シベリアから南アメリカの最南端まで、男女は結婚し、多くは再び離別する。大半は結婚後4年目に離婚し、多くは離別の時点でまだ若い年齢にある。一人目の子供が誕生した後、多くの男女は別れ、また再び再婚する。

毎年毎年、10年毎、あるいは100年毎、何世紀にもわたって、この太古のシナリオを演じ続け、自分たちに価値を与え、清潔にし、色目を使い、求愛し、互いに影響し合い、征服し合う。
その後、家庭的になり生殖する。そして、また新しい愛の冒険へと飛び出していく。
結婚という港を去るのである。

生殖能力のある期間、人は救いよう のない楽観主義者であり、途方もない生き物でもあり、やっと熟年になってから落ち着くようである。
なぜか?

答えは、Fisherの見解では、「高貴な野蛮人として森の中を自由に歩き回っていた」変化に富んだ私たちの過去にあると述べている。

長くなったが、結局私の二度目の結婚の個人的背景を重ね合わせてみると:

  • 生殖しなかった
  •  女性側が経済的に私財に関する権利を所持していた
  •  互いに生計を立てるために依存していなかった
  •  女性が他の男性の子供たちを連れていた
  •  子供たちが就学した後であった
  •  一緒になって7年、結婚4年目で あった

といった理由がくっきりと重なる。

さらに、夫側の経済的基盤の不安定さがあり、これが更にジェンダーの転回という問題につながった。

役割分担がなかった(例えば男が稼ぎ、私が家事をするといった分担)
さらに、私の私財の一部は、以前の男性から来るものであった。
夫の社会的背景が変わり続けるため、共通の友人を保ち続けることができなかった。

などという細部のリスクが加わってきた。

どちらにせよ、現在住んでいる欧州のこの街では、伝統的な価値観はすでにその基盤を失いつつある。ジェンダーが転回し、女性の経済的自立は、当然のこととなり、離別を繰り返す例が多くなり、それぞれ違う父親を持つ子供を三人抱える例も珍しくない。従って少子化の問題が増加する。
女性の経済的自立と共に、共同で子供たちを育てる契約をしないカップルが多くなり、子供を作らないと言う選択が 増えた。

以前、有名な女性ジャーナリストが、彼女の本で述べていたことであるが、
「ヒトラーの第三共和国時代のように、 女性もHERD(直訳はレンジ、比喩は家庭)に帰れ」
と言って顰蹙を買い、文字通りメディアから抹消されたという事実がある。

しかし伝統は悪くない。一理あると思う。

  • 役割分担がある
  •  経済的に依存しあっている
  •  子供は二人まで
  •  成熟してから結婚する
  •  共通の文化的背景を持つ
これが結婚の味方である。

あまり進歩進歩と言って、 ジェンダーがあいまいになるのは、人間の生殖危機につながるというのもまんざら嘘ではないだろう。

私の現夫は、こうした安定した、つまり静止状態の生活のことをボヘミアンさながら
「超退屈で、軽蔑に値する」と豪語していた。
私がそのような生活を望むことに、非常に落胆させられたと言う。

しかし、それは結婚という枠に収まるには、あまりにもリスキーな生き方である。
結局夫は、森をさ迷い歩く人間本能を実現し続けているのだ。
決 して悪くない。
本能を生きるとは、エネルギッシュであり、変化に富み、新しいことが生まれる可能性がずっと高い。

しかし、私は子供を持つ親。しかも、三人というハイリスクな女性である。
スタティックな生き方を望むのは、自己防御なのである。

結局、この相違 と、私が糧を稼がずに帰宅するくせに、口だけは大きく、計画倒れである夫の男としてのプライドを大きく傷つけたことが直接の理由だろうと思われる。

彼は、今までもわりとすんなり、そして突然別れてしまう。
ぐずぐずと対策を練って、苦しい時を潜り抜けないのである。
それは、プライドの高い男のざっくりとした決断力であり、彼の自己防御でもある。

結局私達は、Fisherの言及しているモデルにすっぱりと納まる、凡人カップルであった。

それが、不思議と大きな慰めである。
私 の生殖年齢は、近い将来没になる。

で、いよいよ彼女の説によれば、落ち着くらしい。

いい加減、シャーマン的に静かに人の問題でも転がして生きていきたいと思う今日この頃。

しかし、私の無意識の[ICH]は、すでにうごめき始めている。

生殖能力のある人間の「救いようのない楽観主義」と言う点では、私も訓練をつんできた。
腕があるだけに?、この先静かになるのかどうか、空恐ろしい未来である。

また、最初の夫と今の「まだ夫」との人間性は、180度反対に当たる。なぜそのような事態が起きたのかと考えると、これもまた思い当たる節があるのだが、また後日書いてみようと思う。

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