2010年4月23日金曜日

才能のある子供のドラマ

かなり前、こんな本を読んだ。
あまりにも落ち込むので、読んだ後しばらく放って置いた。
ピアノの上にあったので、再び広げてみた。内容を忘れないように、最後のまとめをメモ的に記す。

ちなみに日本語のタイトルは、「才能のある子供のドラマ」。




子供時代のあの不幸な時期にいつも感じていたものは、そう、恐怖と不安感だったのだ。
僕自身が、禁止され、犯罪的だとまで感じていた、あの罰を受ける恐怖、自らの良心に対する不安、自らの魂が荒れることに対する不安の数々…
Hermann Hesse



母親が全くナルシスティックでないと言うことは不可能である。と言うことは、多かれ少なかれ、子供達は、繊細であったり、知能が高かったり、周りを察する能力に優れているほど、母親自身の欲求に気付き、それを満たすように対応してしまう。自らの感情を母親との共有した感情として体験できなかった子供は、その感情をどんどん抑圧してゆき、自らが失望しないように、その加害者とも言える母親を理想化してしまう。Habermasが「Die Universalitäts der Hermeneutik」の中で"Spiel"と呼んだこの関係のゲームの意義を解読するのは、精神分析を使用するしかない。「マスクをかぶったセルフ(自己)」は、深く無意識に埋もれてしまったまま、未知の一部としてずっと認識されることはないのである。それが、空虚という感情になって表出し、鬱へと発展してゆく。

母親が不安の多き時代に子育てを行うだけで、子供はすでに母親の不安を取り除こうと、つまり母親のために存在することを始めてしまうのである。

そして、特別でなくてはいけない自分、平均的な自分を許容できなくなり、壮大な自分を多くは、インテレクチャルな道を取得することで可能にしてゆく。そしてナスシズムスとデプレッションの狭間に落ち込む。

これらが、子供の虐待や苛めの現象をつまり防ぐには、犠牲者がこの循環を絶つ必要がある。つまり、分析を受け、抑圧され全く体験されることのなかった真の自分を呼び起こすしかないと言うのだが。

彼女は、Winnicott派のような気がする。



私のメモは、ドイツ語からなので、訳書とは異なります。

  1. 子供には、常に罪がない
  2. 全ての子供は、安全、安心感、保護、接触、誠実さ、暖かさ、優しさを絶対的に必要としている
  3. この要求は滅多に満たされることはなく、しばしば大人たち自身の目的のために悪用される(子供虐待のトラウマ)
  4. 虐待は生涯にわたる影響を及ぼす
  5. 社会は大人の側に立ち、子供の受けた行為に対して子供を非難する
  6. 子供が犠牲者となる事実は、従来どおり否定される
  7. 従ってこの犠牲によるその後の経過は見過ごされる
  8. 社会から見放された子供は、トラウマを抑圧し、加害者を理想像に仕立て上げる以外選択がない
  9. 抑圧は、ノイローゼ、精神異常、心身障害、さらに犯罪に導く
  10. ノイローゼでは、独自の要求が抑圧・否定され、その代わり罪の意識を感じるようになる
  11. 精神異常では、虐待が妄想へと変移する
  12.  心身障害では、虐待の痛みに苦むが、実際の苦しみの原因は隠されたままになる
  13. 犯罪では、当惑、誘惑、虐待が繰り返し、新しい形で演じられる
  14. セラピーによる治療努力は、患者の子供時代の真実が否定されない場合にのみ、効果があるとされる
  15. 「小児性欲」の精神分析理論は、社会の盲目さを助長することになり、子供への性的虐待を正当化する。子供を罰することになり、大人は罪を逃れる結果となる
  16. 空想は、生存し続けるための役割を果たし、耐えられない子供時代の現実を明確に述べていく助けとなり、更にはそれを隠したり無害としてしまう。所謂「でっちあげられた」妄想の体験またはトラウマが、真実のトラウマを覆い隠してしまう
  17. 文学、芸術、神話、夢の中には、しばしば幼少時の抑圧された経験が、シンボルの形をとって現れる
  18. 子供の置かれた本当の状況に対する我々の慢性的な無知によって、我々の文化に潜むこの苦悶のシンボル的証言は、寛容されてしまうだけでなく、尊重されてしまうのだ。この暗号化されたメッセージの裏にある真実の背景が理解されることがあるとすれば、それはおそらく社会から拒絶されてしまうだろう
  19.  犯罪行為の結果は、加害者と犠牲者が盲目で、混乱していたと言う事実を通して取り消されることはない
  20. 新しい犯罪は、犠牲者が見ようとするならば回避することが可能である。これにより、再犯強迫観念が取り消されるか、少なくとも減少される
  21. 子供時代に起こったことに隠されている知識源を誤解なく確定的に曝しだすことができれば、当事者の報告は、一般的には社会、さらに特に学術における意識を変えてゆく助けになるであろう
次の項は、この本を読んだ後に思いついたLennon考である。

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